太平洋の女王
初めての人は始めまして
そうでない人はお久しぶりです。
時に突然艦船物が書きたくなって書きました。
反省はしています。
後、タイトルはその内変更するかもしれませんので悪しからず。
1934年2月11日 横浜
1929年に亜米利加のニューヨークはウォール街にて端を放った世界的な大不況からうまれた混乱はいまだ収拾を見せることはなく、それどころかむしろ悪化しつつあった。
亜米利加では失業者があふれ、フランクリン・ルーズベルトによるニューディール政策が採られていたが、未だ限定的な効果しか挙げていなかった。
そして欧州では大英帝国、仏蘭西の各植民地帝国はブロック経済圏を形成して経済の囲い込みを図り
マルクスレーニン主義に基く赤い実験国家ソヴィエト連邦は衛星国家の国民、労働者や政治犯達の膨大な犠牲と引き換えに国力を増大させていた。
かたや植民地を持たない伊太利は第一次大戦後の戦後不況からの脱却ができず経済が火の車となり混乱を収拾できずにムッソリーニを首班とするファシスト党の台頭を許してしまう。
敗戦国の独逸ではワイマール共和国が倒れ、変わってオーストリア生まれの絵描き、アドルフヒトラーによる独逸第三帝国ができることとなる。
このように、欧州全域で極度の緊張状態が生まれようとしていた。
一方地球の反対側のアジア極東地域では、満州事変によって満州国が設立され、張学良や中華民国との間で武力衝突を含む緊張が続くなど、世界各地でナショナリズムの勃興やイデオロギー、あるいは経済問題などを原因とする緊張状態が世界を包んでいた。
しかし、それでもなお世界の人々の大半は
「戦争などおこるわけがない」
そう考え、未だ平和と享楽を享受し続けていたのであった。
さて、そんな中・・・
国際港として名高いこの港の埠頭にて、雪が降りしきる中黒山の人だかりが出来ていた。
あるものは灯台に登って望遠鏡を覗き、あるものは埠頭の桟橋でカメラを構えるなどさまざまであったが、彼らは共通してあるものがやってくるのを今か今かと待ち構えていた。
やがて、灯台に登っていた一人の少年が
「来た!あれだ!」
と指を指して叫んだ。
それに反応して人々は海を見る。
すると雪雲の中から一隻の客船がゆっくりと現れた。
黒い煙を吐き出すオレンジに塗られた2本の煙突をもち、黒い船体と白い上部構造物この2色に彩られた客船のメーンマストには日本船籍を示す日の丸が風にあおられてはためいていた。
その優美な姿に人々は思わず息を呑んだ。
客船はゆっくりと速度を落としていく。
頃合だと見計らったのか
タグボートが数隻駆けつけてきて、まるで女王に仕える従者の様に周囲を取り囲み、桟橋に向かって曳航をはじめた。
その様子をじっと眺めていた群衆の中から突然「万歳っ!」という声が聞こえた。
それに端を発してあちこちから同じく万歳という声が聞こえ始めた。
それがもう何を言っているのか分からないくらいの歓声となるのはまさに一瞬といってもよかった。
人々は信じたかった。
この船が、第一次大戦の終了以来続く経済不況と国内の不安
それをすべて吹き飛ばし、富をもたらしてくれる救世主と。
歓声は桟橋に横づけされ、タラップが降ろされてからもしばらく鳴り止むことはなかった。
別府汽船が誇る日本最大の豪華客船「阿蘇丸」がロンドン~横浜間航路に就航した瞬間のことであった。
取材に訪れたある新聞記者はこの船をみてのちにこう言ったといわれている。
「それはまるで海上に浮かぶ御殿のようであった。」
と・・・。
「ようやくココまで来ることができたな」
阿蘇丸の船橋で舶来物の背広を着た初老の男が埠頭に集まる人々を眺めながらポツリとつぶやいた。
彼の名は来島義男。
この阿蘇丸を建造した別府造船所の社長であった。
「ええ、此処まで来るのに10年・・・長かったですね。」
その隣に立っていた丸眼鏡をかけ白衣を着た中年男が感慨深そうに言った。
「だが、これはまだ始まりに過ぎない。本当の勝負は此処からなのだからね」
男の言葉に傾きつつも義男はたしなめるように言った。
そしてそれは同時に、自分自身へ向けたものでもあった。
そう、これからなのだ・・・。
歴史を変えていくのは。
あの悲劇を回避するために・・・。
義男は誰にも聞こえないように、心の中でだけ呟いた。
窓の向こうからは未だに歓声が途切れることなく続いていた。
今回は造船会社とそこから生み出される船を中心に描きたいと思います。
この作品は山口多聞先生の書かれた「義勇艦隊奮戦録」を読んで思いついたものでして、以前少しの間書いていた艦魂小説を原案に書いてみました。
・・・艦魂は出ませんよ?(いつか書いてみたいものです)
船はドイツの「オイローパ号」をイメージしてみました。
現在3話まで出来ていますので、順次書き上げ次第投稿していくつもりです。
後、傭兵戦車隊の方も少しずつ書いております。