水無月の北鎌倉の狭間で
これは夢だと、はたと気がついた。少なくとも現実ではあるまい。でなければ水無月の北鎌倉が無人であるはずがない。
私は北鎌倉駅のホームに立っていた。これが夢だからか、それとも雨がしとしとと降っているからか、景色は灰色に包まれ薄ぼんやりとしている。私以外に人はいない。電車も止まってはいない。来る気配もない。酷く侘しい気持ちにさせられる。どこまで行っても無人なのだろうか。少し確かめたくなった。一人きりでここにいるのは気が滅入る。雨に濡れるのも構わず私は歩き出した。
改札を出て、常ならば観光客がぞろぞろと歩いている道を一人で進む。あちらこちらに生えている紫陽花だけが色彩を帯びている。それもまたどこか私を感傷的な気分にさせた。
もし誰もいないのであれば。と思いながら路地を進む。誰もいないのであれば、写真でしか見たことのない景色が見られるはずだ。明月院の、あの水色が。
北鎌倉で紫陽花の名所と言えば、やはり明月院である。あじさい寺とも呼ばれるそこは、境内のそこかしこに植えられた紫陽花の水色と草木の緑、参道や年季の入った山門の暗い色とのコントラストが実に美しい。ただその美しい景色を見るために方々から参拝客が訪れるため、紫陽花を見に来たのか人を見に来たのかさっぱりわからなくなる。
駅を出てから真っ直ぐ進んでいた道を、左に曲がる。木々が生い茂り趣のある民家が建ち並ぶこの通りは、すぐそこに線路が走っているというのに喧騒とは無縁な印象を受ける。常でもそうなのだから、一人きりであれば尚更だ。鳥の鳴き声すら一つもなく、雨の降り注ぐ音と川の流れる音だけが聴こえる。色彩だけでなく、音までもどこかに置き忘れてしまったかのようだ。現実ではないのだから、これがこの世界の道理に違いない。
通りを歩いた先に、目的地たる明月院が見えてきた。こちらもやはり拝観料を払うべく列を成す人々の姿もなければ、出迎えてくれる人の姿もない。はて無断で入っていいのかしらんとここに来て疑問が生じた。しかし侵入を阻むものすら何もなく、誰もいないということは怒る人もいないということである。私はいつの間にか握りしめていた五百円玉をそっと入口に置き、門をくぐった。いくら言い訳をすれどもどこかで気が咎める心の存在が、この硬貨を出現させたのだろう。
門というものは不思議なもので、それを境界として内と外では全く異なる世界が広がっている。ここまでの道のりもどこか浮世離れしていたが、寺社の境界内に勝るものはない。静謐かつ神聖な空気が流れ、邪気というものがまるでない。雨すら浄化のために降っているものと錯覚してしまいそうになる。私は雨ですっかり濡れた身体でこの清浄な空気を受け止め、本堂へと向かう参道を歩き出した。
水色と緑以外はすっかり灰色に彩られているが、むしろこの方がより一層美しさが際立つというもの。雨に濡れた紫陽花は一等美しい。紫陽花の楚々とした可憐さを際立たせるためにこの時期の雨は存在するのだと言っても過言ではない。参道の両側に並び、雨露を滴らせる水色の紫陽花たち。雪化粧という言葉があるが、この場合は雨化粧とでも呼ぶべきか。化粧を施された紫陽花の姿は、青空の下で見るそれよりも輝いて見える。
ああ、これだ。私は歩を止めた。これが見てみたかったのだ。
山門へと続く階段。その両側にずらりと並ぶは明月院ブルーの名を冠する水色の紫陽花たち。雨粒を纏うことでよりこの季節に相応しい姿となり、見る者の心にじめじめとした空気とは裏腹な清涼さを与える。陰鬱なる灰色の世界にあっても、この景色は写真で見るよりも遥かに輝いていた。
私は階段をゆっくりと登りながら紫陽花を愛でた。花弁と勘違いする者の多い装飾花が寄り集まり、手毬のような形を作る。中にはハートのような形を作るものもあり、これも可愛らしい。装飾花の奥にひっそりと隠れる真花を探してみるのも楽しい。紫陽花を慈しむ心というものは、現であろうがなかろうが存在するようだ。
やがて山門までたどり着けば、その奥に鎮座する本堂が見えた。左を向けば枯山水もある。とは言えこの雨だ。しっかり水たまりができており、枯れてはいない。
少し雨宿りでもしようと思い、私は本堂の縁側に腰を下ろした。この本堂にはかの有名な丸窓、悟りの窓がある。禅において円は宇宙や悟りを表しておりうんたらかんたらという話を聞いた覚えがあるが、生憎詳細は覚えていない。そもこの灰色の世界においては丸窓から見える景色も灰色で、悟りなど到底開けそうにない。丸窓の向こうに広がる庭園の景色を眺めることができないのは少々残念だ。
代わりに枯山水をぼんやりと眺めながら思考する。私はどうしてここへ来たのか。これは夢なのか。それともどこか別の世界に迷い込んでしまったのか。はて、これを考え続ければ悟りを開くに至るのではないか。いやいや、そう考えている時点で到達できぬのではないか。
とかくここは不思議な場所である。私自身の状況も謎である。不明なことだらけだ。私は意識不明の状態にあり、あちらへ行くか、こちらへ戻るかと、心が迷っているのではないか。そんな考えも浮かんだ。しかし確かめる術がない。どうしたものか。
そこへ兎が一羽飛び出してきた。真っ白な兎がぴょこん、ぴょこんと飛び跳ねながらこちらへ向かってくる。そう言えばここは兎を飼っていたなと思い出す。小屋の中で飼育されているはずだが、まあ現ではないのだ。外にいたっていいだろう。この兎も雨宿りの場所を求めているのか、器用に跳ねて縁側へ飛び乗ると、私の隣に腰を落ち着けさせた。
「お前もひとりか」
「ええ。まったく、酷いものです。雨の中ひとりでいるというのは。隣、よろしいでしょうか」
私は目を見張った。何ともなしに兎に話しかけてみれば、返事を寄こされた。
「まあ、そう驚くこともないでしょう。兎も人も同じ生き物。生きている者はみな喋ります。方法は異なりますがね」
なんとも達者な兎である。流石は寺住まい。
私は居住まいを正した。なんとなくそうしなければならない気がしたのだ。
「兎さん、つかぬことをお伺いしますが、ここはどんな場所なのでしょうか。どうも現実とは思えぬのです」
私が問うと、兎は考えるように前足を口元まで持ってきた。
「そうですね、現世ではありません。だからといって常世とも言い難い。その狭間とでも言いましょうか。何かの拍子に迷い込んでしまう方が時折いらっしゃるのです」
「では、私は生と死の狭間を彷徨っているのでしょうか」
「それはどうでしょう。私はその問いに対する答えを持ち合わせておりません。ですが、もし貴方が元いた場所に戻りたいと思うのであれば、手遅れになる前に戻られた方がよろしいでしょう。ここは少しの間いるだけでは毒にも薬にもなりませんが、長く居続ければ毒と転じます。きっとここに永久に閉じ込められることになる」
「それは確かですか。できるものなら、晴れた景色も見てみたいものなのですが」
「ああ、悪いことは言いません。それはお諦めなさい。ここでなくとも見られるでしょう」
「ですが、ここでなければこの景色を独り占めできません」
「お諦めなさい」
有無を言わさぬ兎の声に、私は口をつぐんだ。よもや兎にこうも強く言われる日が来ようとは。
「お戻りなさい、貴方の世界に。来た道を辿って」
真摯な兎の声は、仏様に直接叱られているような気にさせられた。これは言うことを聞かねばなるまい。私は立ち上がり、兎に一礼した。
「わかりました。ご忠告痛み入ります、兎さん。では、私は元いた場所に帰ろうと思いますが、兎さんは、ここにおひとりでいられて大丈夫ですか」
私が尋ねれば、兎はゆっくりと頷いてみせた。
「ええ。少し寂しくはありますがね。ですが貴方が戻れなくなるよりは、ずっといい」
では、さようなら。別れの挨拶をする兎に、私も同じ言葉を返した。
屋根の下から出て、雨に濡れながら紫陽花の間を歩く。これまたなんとなくであるが、振り返ってはならないような気がして、兎のことが気にはなりつつも前を向いて歩き続けた。
歩いて、歩いて、歩き続けて、入ってきた門を抜けた。境界の外に出てやっと背後を振り返った。はて、幻覚だろうか。兎の姿がちらりと見えたような気がした。こっそり後をついてきていたのか。そんな兎の姿を想像すれば、可愛らしさに頬が緩んだ。
来た道を戻り、やがて駅に辿り着いた。するとどういう訳だか程なくして電車がやってきた。私の目の前で止まると、ふしゅうと音を立ててドアが開いた。乗客はいない。きっと車掌もいないだろう。私はすっかり濡れ鼠の状態だったが、それでも構わず乗り込んで座席に腰を落ち着かせた。雨が窓を打ち付ける音がする。私は目を閉じた。
ああ、そうか。この音に耳を傾けながら眠っていたのだ。




