なろうランキングについての短い考察
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売文の一味になろう。文字を売れば金になるのだから。これはだいぶと名案であり、アトラクチブである。
文の才であるとか、向き不向きは、この際、なんら関係のないことだ;なんといっても、AIがある。
「はあ。ひたすら偏微分を繰り返して数字をこねくりまわしているアレが、文章を書くのか?」
「ええ、そうです」
“小説家になろう”というサイトには、ランキングがあるのだが、いわく、AIによって書かれた小説が、そこに多く並んでいるらしい。SNSでは、このことについて、嘆いている者が多くいる;しかし、それらの具体的な内容について記すのは、全てを書くのは無理だし、どれか一つの、ないし少数のサンプルをもってその集団を代表させるのは適切でないように思われるから、ここではやらない;一方で、以前から、AI小説について思うところが、無いわけではなかったので、この機会にはっきりと述べてしまおうと思う。
最初に言っておくが、この件に関して、AI小説だけを「悪」に設定するのは、これは、ぜんぜん不可能である;なんとなれば、うんと昔から、このサイトは病に侵されているのであって、まったく不健康であるので、吹き出物くらい、簡単に生まれてしまうのである。
「こいつらはあまりに早筆で、しかも、文章が面白くないな」
「ええ。ですから、状況は、大して変わっていませんね」
AIが書いた(とされている)小説が、ランキングを占領するようなことがあった時、そこには、常に、それらがランキング入りすることを可能にした、評価者たちがいる(もちろん、それすらも人間でない可能性があるが、そのことには、ここでは触れない);彼らは、それらを面白いと感じ、応援する価値があると思ったので、星を与えるに至ったのである。
となれば、責められるべきはこの評価者なのだろうか:―No.
文章を書かず、読んで楽しみたいだけの人たちが、ある作品について、「AI」か「人力」か峻別することによって、その評価をまるっきり変えるというのは、おそらく、無理な話である。
仮に、AIを用いたことを隠した作品がランキング上位に挙がってきたとして、ということは、その小説は、まったくもって、ランキングにあるその他の「自作小説」と比べても、彼らにとっては、なんら違いがない;AI使用を明記したものが上位に来ても、同じことが言えるだろう。
「小説」に対して「消費」という単語が、さほどの皮肉も込められずに用いられる場所にあっては、全てが需給の関係に支配されているように思われる。ニーヅに合っているからランキングを昇ることができるのであって、受け手としての読者は、仕着せの物語に対してのみ、価値判断だけを行っているように見えるが、実のところ、緊密な相互作用が、そこにはある。
この需要に応えることが、どのような利益を生み出すかは、それは各人に依るところが大きいが、この構造に身を置くと、文を書くことが、完全に「手段」へ変化するということは、間違いないだろう;そして、その「手段」によって達成されるべき「目的」は、既に述べたように、需要を満たす、それだけである。
そうなると、それが(禁止されている/いないに関わらず)可能である場合において、AIを用いることは、なんら不自然ではない;目的が達成されるのであれば、それで良いのだ。
翻って、将来的に、AIによって代替されるようなことがあれば、置き換えられる既存のそれらが、AIの出力と同等か、場合によってはそれ以下だったことを示唆する。
「つまらない文章だ」
「ええ、そうです」
「またお前か」、「ええ、そうです」、ランキングは、すかさず答える。
「なにも変わっていませんでしょう?」
ところで、粗略なやり方で書かれつづけるAI小説に対し、なんらかの策が講じられることは、これは、私にとって、どうしても必要である;今まで以上の速さで、ぞんざいな仕事が増えていくのは、向かっ腹が立つからだ。
しかしながら、それをしたからといって、ランキングが変わるわけではない;底に沈みきった小説が、代わりに読まれるようにはならない;それだから、気を付けなければいけないのは、AI小説それ自体は、敵ではないし、倒すことでそれまでの不善が赦されるような巨悪でもないということである。
何も変わらないのだ。その場所は、古くより、そういうたちなのだから。
宇国の兵が、ある露兵を殺したならば、なるほど、なにやらわずかの点数が、かの国の「平和」に加算されたようにある人は感じるかもしれないが、プティンは死んでいないし、戦いは続き、人は死ぬ。物事には、絶えず多くのファクタアがあって、ある出来事は、結果に過ぎない。それだから、我々は、悪をうち倒したいという巨大な欲望を、もう少し、ファクタアの方に向けるべきなのだと思う。すなわち、AI小説そのものの是非ではなく、ランキングにおけるその台頭の背景を考え、そのことについて意見するべきだ。
これは、「AI対人間」という文芸の争いではなく、構造の病理である。
願わくば、病の床より恢復せんことを。アーメン。
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このように書かれた紙を、拾いました。見るからに、書きかけです。
その字は、ずいぶん濃くて、ひどく尖っておりました。




