恋とはどんなものですか
「ほら、こうして指を絡める」
先輩が私の右手に、彼の大きくて綺麗な手を重ねる。
そして、長くしなやかな指で私の手の甲をするりとなぞり、私の指を自然な手つきで絡め取る。
「今の気持ちはどんな感じ?」
手と手が触れ合ったまま、先輩が静かに私に向かって問いかける。
――彼と重なった部分に、じわりと汗が滲んでくる。
手も、そして胸さえもソワソワしてしまい、気持ちが落ち着かない。
「正直……緊張しかない、です」
「うん、だろうね。何とも思ってない異性からの触れ合いなんて、緊張だったり、怖かったり、もしかしたら気持ち悪いって感じると思う。けどね、」
長い睫毛に縁取られた彼の視線が、指先から私の目へと移った。
「これが好きな人だったりすると、とんでもなく嬉しい気持ちや安心感が湧いてくるんだ。
それが、恋。きっとね」
◇
私はキャスリン・ランツェ。王立ローズシティナ魔法学校、魔術学科の二年生である。
つい先日、生まれたときから一緒だった幼馴染との婚約を解消したところだ。
いちおう言っておくと、"破棄"ではない。あくまで、"解消"である。
両親同士の仲が良く、互いの子供が異性で、かつ同じ年に生まれた。
たったそれだけの理由で結ばれた婚約だった。
契約としてはゆるいものだったため、婚約解消も簡単に終わった――と、自分では勝手に思っている。
さて、ここで元婚約者である幼馴染、アガト・デバースについて少し言及しておこう。
アガトも私と同じ魔法学校に通う、魔術学科の二年生である。
彼とは赤ん坊の頃からずっと一緒で、兄妹のようにして育った。
私たちはしょっちゅう互いの家を行き来し、長期休暇には、アガトの家族に連れられて一緒に旅行したことすらある。その逆も然り。彼とは家族ぐるみで仲が良かった。
アガトは私にとって兄か弟であり、きっと彼も、私のことを姉か妹のように思っていたのだろう。
互いに抱いていた感情は、恋愛というよりも、家族に向けるような――親愛に近いものだったように思う。
とはいえ、年齢が上がるにつれて、私たちも将来的には家族になるのだという意識が芽生え、互いを男女として見ようと試みたことがある。
◆
「手、繋いでみる?」
あれは、まだ学校に入学する前の頃。
二人で町へ出掛けたときのことだ。何の用事だったのかは、最早覚えていないが、帰り道に、突如としてアガトからそんな提案をされた。
特に断る理由もなかった。
互いの指と指を絡ませ、いわゆる恋人繋ぎというものをしてみる。
幼い頃には手を繋いだことも、もちろんあった。
だが、大きくなってから、こうして触れ合うのは初めてのことだった。
「どう?」
「うーん、あったかい」
「だよな」
これが、二人の感想。
自分とあまり変わらない大きさの手は、少しだけ固くて、そしてあたたかかった。
それから、ほんの少しだけ、胸がドキドキした――そんな記憶が残っている。
それから、また別の日のこと。
アガトと二人、うちの庭先の木陰で魔法書を読んでいたときだった。
私は生まれつき魔力量が少ない。そのため使える魔法は限られていたが、魔法そのものは好きだった。
対するアガトは、私と比べれば平均的な魔力量を持っていたようだが、魔法を扱うことよりも、その仕組み自体に興味を持っていた。
そのため、二人して実技としての魔法ではなく、魔法理論を学べる王立魔法学校の魔術学科を受験しようと、前々から決めていた。
木の幹にもたれかかり、受験科目でもある魔法基礎学の内容とにらめっこする。
このとき、二人とも特別に勉強をしていたわけではない。ただ、自由時間に魔法書を読む程度には、魔法というものに興味があった。
集中して読んでいた本のページを捲ろうとしたとき、ふと、横からの強い視線に気付いた。
彼も私と同じく魔法書に目を落としていたはずなのに、いつの間にか、アガトの視線がこちらを向いていた。
「キスしてみる?」
何の脈絡もない提案に、思わず、読んでいた本が手から滑り落ちる。
あ、落ちた、と思っている間に、アガトの口と、私の口とが触れ合っていた。
このときの、ムードもへったくれもないキスが、私のファーストキスだったりする。
「どう?」
「思ってたより柔らかい」
「ん-確かに」
そして二人は、何事もなかったかのように、本の続きを読んだ。
その後も、この試みは続いた。
アガトと初めてキスをした翌年、二人とも無事に王立魔法学園の入学試験に合格し、憧れだった制服のローブに袖を通すこととなった。
寮から通う生徒が多い中、私とアガトは毎日、自宅からせっせと学校へ通っていた。
その日は、いつもより宿題の量が多かったことを覚えている。
学校帰りにアガトが私の家に立ち寄り、二人して頭を突き合わせ、宿題に取り組んでいた。
「ここ、わかんない」
「どれ? ああ、これは定義を使って計算すれば、魔法の効果範囲と威力が求められるよ」
「なるほど、ありがと」
お礼を言って、アガトの言うとおりに計算してみる。
すると、行き詰まっていた答えがきちんと導き出せた。さすがアガト、勉強は彼に聞くに限る。
さて、次の問題に取りかかろう。
そう思っていたところで、隣にいた彼が、私の髪を一房すくい取った。
「……? どうしたの?」
アガトは私の問いかけに返事をせず、私を見下ろしながら、彼の大きな手で私の長い髪を梳いていく。
魔法学校に入学してからというもの、彼の背丈はぐんぐん伸び、いつの間にか、私が彼を見上げるようになっていた。
ゆっくりとした彼の手の動きが、私の耳元のあたりでぴたりと止まる。
そして、そのまま私の頬を指でなぞった。
「深いキス、試してみる?」
返答する前に近付いてきた顔と息遣いに、自然と目を閉じる。
その後すぐ、アガトの唇が私の唇に触れる感触がした。それでおしまいかと思いきや、今まで経験したことがない感触のものが自分の口内へと侵入してきた。
え、と思い慌てて身体を離そうとするが、いつの間にかアガトの腕でガッチリと身体を拘束されてしまっていた。
動くことも叶わず、彼の舌で口内を激しく蹂躙される。そのときは呼吸の仕方を忘れそうになり、息をするのに必死だった。
彼の拘束が止んだ後、二人して静かに宿題を再開した。
アガトは「宿題中断させてごめん」と言った。
私も「いいよ」と、色々な意味を込めて答えた。
そして、これはつい先日のこと。
私たちは学年が上がり、二年生になっていた。
この日、私は久しぶりにアガトの部屋を訪れた。
学校に通い始めてからというもの、彼は頑なに部屋に私を上げてくれなかったのだ。
しかしこの日は珍しく、彼が先日手に入れたという虹色に輝く貴重な魔石を見せてくれるという。久しぶりに中へ入れてもらうことになった。
「アガトの部屋、久しぶり」
「そうだな、数年ぶりかもな」
前に来たのは、学校に通い始める前だったと思う。
部屋は以前と変わらず、整理整頓されたシンプルな空間のままだった。
懐かしさを感じながら机の方を見ると、キレイに整えられた魔法書とともに、手のひらサイズの魔石がキラキラと輝きながら鎮座していた。
「わ! 思ってたより大きい!」
「だろ? 手に持ってもいいよ。ただ、落とすなよ」
「いいの!? ありがとう!」
アガトから許可をもらい、魔石をそっと手に取る。
表面はつるつるしていて、じんわりと温かい。
魔石は属性によって色が異なるが、この虹色の石は全属性を兼ね備えた非常に貴重なものだ。
「すごいね、よく手に入れたね」
「……うん、まあな」
キラキラと輝く石をしばらく眺めていると、突然、後ろからアガトに抱きしめられた。
彼の大きな身体が私を包み込み、急な触れ合いに自然と身体が強張るのを感じた。
そのまま、彼は私の首筋に顔を埋める。
吐息が首にかかり、妙なくすぐったさが走った。
「アガト?」
一応問いかけてみるものの、返事はない。
そして身体の向きを変えられ、およそ一年ぶりに、唇と唇が重なった。
――いったん火のついた雄は止められない。
彼氏持ちの友人が言っていた通りだ。
触れ合うだけのキスは、いつの間にか深いものへと変わる。
「この先に進んでみたい」
いつもとは違い、私への問いかけではなく、彼自身の意思が告げられる。
気づけばあれよあれよという間にベッドへ押し倒され、制服は素早く、しかし丁寧に床へと脱がされていた。
先ほど「落とすな」と言われた魔石も、押し倒された衝撃でどこかへ転がっていった。
行為の最中は、痛さを紛らすために彼にしがみつくので精一杯で、他に何も考えられなかった。
戸惑いも、迷いも、どこかへ置いてきたようだ。ただ、目の前のアガトに意識を集中するだけだった。
事後、二人は無言のまま制服を着直す。
転がっていた虹色の魔石を拾い上げ、机の元の位置に丁寧に戻した。
……さすがに、キスだけのときとは違い、身体全体が重く、怠く感じる。
「あげる、それ」
「ええ、いいの? 虹色の魔石なんて貴重なものなのに」
「いいんだ、キャスが持ってて」
「ありがとう、大切にするね」
私はアガトから虹色に輝く魔石を受け取った。
彼の表情はなぜか泣きそうに見えたが、そのことには触れず、歩きづらい足で自宅へと帰った。
――婚約の解消が、アガトから提案されたのは、その翌日のことだった。
◆
『婚約を解消しよう。もともと親が適当に結んだだけの契約だ。お互い自由になろう』
アガトから告げられたのは、そんな内容だったと思う。
正直、そのときのことは頭がボンヤリしていて、細かい部分は覚えていない。
昨日、身体を重ねて、今日になって婚約解消。
きっと彼は、私のことを恋愛対象として見ようと努力してきたのだろう。
でも、何をやっても無理だと見切りをつけたのだと思う。
『うん、わかった』
私は、彼の提案に反論しなかった。
アガトがそうするというのなら、それを受け入れよう、と。
その後すぐ、お互いの両親にも婚約を解消する旨を伝えた。
親たちは残念がっていたが、本人たちの意思を尊重すると言ってくれた。
急に婚約解消を告げたアガトに対して、私は怒りや悲しみといった感情を向けることはなかった。
――それよりも、何かの片割れを失ったような、家族に見限られたかのような、漠然とした喪失感のほうが大きかった。
婚約解消した日の翌日。
別々に教室に入ってきた私たちを見て、クラスメートたちは喧嘩でもしたのかと訝しんだ。
アガトとは一年生のときから毎朝一緒に登校していたので、不思議に思ったのだろう。
婚約を解消した旨を伝えると、まるで腫物に触れるかのように、みんな私たちの仲に触れなくなった。
移動教室もランチも別々。
もちろん下校でさえも、帰る方向が同じにもかかわらず、アガトはわざと時間をずらして私と鉢合わせないように徹底していた。
呼び方すら、愛称の「キャス」ではなく、家名の「ランツェ」に変わっていた。
アガトのことも、家名の「デバース」で呼ぶようにと釘を刺されてしまった。
友人たちは、気落ちしている私に気遣ってくれていたが、ときおり私が寂しい表情を見せるらしく、「早く元気を取り戻して」と励まされてしまった。
アガトとの婚約を解消してから一か月。
今もなお、心にポッカリ穴が空いたような感覚が続いている。
◇
そんなある日の下校時のこと。
(勉強してから帰るかな……)
いつもは真っ直ぐ家に帰るのに、その日は、図書館に寄ってから帰ろうと急に思い立ったのだ。
もうすぐ、私たちの学年は試験期間に入る。
少し前までなら、私の家で、アガトと一緒に頭を突き合わせて勉強していたはず。
……けれども、そんな日はもう訪れないことはわかってる。
このまま家に帰ったところで、これまでのことを思い出して、勉強に手がつかなくなる気がしていた。
――それくらいに、私はまだアガトとのことを引きずっている。
(ああ、もう。余計なことを考え始める前に、早く勉強しにいかなきゃ)
頭を振り払い、机にかけてあった鞄を手に持つ。
友人たちに寄り道する旨を告げ、教室を後にする。
いつもであれば、教室棟から管理棟までぐるりと大回りをして図書館へ向かうところを、今日はなぜだか気分を変えてみたくなった。
校舎裏から行けば、一度外に出なければいけないため少々面倒くさい。
けれども、管理棟を迂回するよりもはるかに近道になるのだ。
(天気もいいし、裏庭を通っていくかな)
そして、そのときの気まぐれな選択が間違いだったと、後々、激しいくらい痛感することになる。
◇
「……まだ?」
「ああ」
(――人の声?)
普段から、裏庭は人気が少ない場所である。放課後であれば、なおさら人は通らない場所だった。
なのに、どこからか囁き合う男女の声が聞こえた気がした。
「?」と思い周りを見渡すと、柱の影に生徒のような影が見えた。
(こんなところで、何をしているんだろう)
柱の前を通り過ぎながら、横目で声のほうをチラリと見る。
見やった先にの柱の陰に、男子生徒と女子生徒の二人と思しき姿があった。
その人物たちの重なりあうくらいに近い距離に、思いがけず情事の気配を感じとってしまった。
いくら人気が少ないとはいえ、こんなところで――と慌てて目を逸らす。
が――視界の端に入った、男の方の姿に、見覚えがありすぎた。
(え、アガト……?)
間違いない。一瞬見えただけだが、背格好や髪色は、これまでずっと一緒にいた彼のもの。
自分が見間違うはずがない。
(見てはいけない、見ない方がいい)
頭のどこかで警告が鳴る。
そう頭ではわかっているのに――目線が自然とそちらへ向かった。
「あ」
声が、自然と漏れた。慌てて口に手をあてる。
(やっぱり、アガトだ)
見知らぬ女子生徒と二人きりで、しかも――今にも顔が触れ合いそうな距離にいる。
次に起こりそうなことを想像すると、思考と、身体が一瞬にして停止した。
その場に縫い付けられたかのようにじっと立ち尽くし、小さく声が漏れる。
「いや……」
次の瞬間、アガトと目が合った。
――しまった、覗き見したことに気付かれた。
慌てて顔を背け、全速力で裏庭を駆け抜けた。
本当は気にしてない風にして、普通に立ち去るつもりだった。
けれども、気付けば、足が勝手にスピードをあげていた。
……呼吸が、まともにできない。
自分でもわかるくらい、心臓が嫌な音を立てている。
頭の中はずっと真っ白で、それでも、身体だけが前へ進んでいく。
図書館にたどり着いたときには、息は切れ、もつれる足で机に突っ伏し、しばらく放心していた。
(――図書館になんか、来なければよかった)
後悔だけが、全身を駆け巡る。
当然、勉強などできるはずもなく、そのまま下校時刻を迎えた。
その日、どうやって家まで帰ったのか、まったく覚えていない。
食事も喉を通らず、胸の奥が鉛を持ったように重い。
ぼんやりとしたまま、ベッドに倒れ込む。
様子のおかしい私に、家族は大丈夫か心配の声をかけてくれたが、実際まったく大丈夫ではなかった。
(アガトにはもう、新しい恋人がいたんだ……)
頭の中では、さっき見た光景が繰り返し再生され、ずっと頭から離れない。
ただ離れただけでなく、もう自分の手が届かない人になってしまったことに、目の前が暗くなる。
そのまま目を閉じ――ただ静かに朝を迎えた。
時間だけが過ぎていき、自分の心は何も処理できずにいた。
◇
翌日。
「なあ……」
登校後、席に着くと、珍しくアガトが自分の傍まで来て話しかけてきた。
……何気に、婚約解消後、初めてのことだった。
久しぶりに正面からアガトの顔を見たのだけれど、いつもより少し険しく見えるその表情に、なぜか身体が勝手に緊張する。
昨日、覗き見したことに、文句でも言うつもりなのかもしれない。
言い訳をするなら、不可抗力だ。
こっちだって見たくて見たわけじゃなかった。
しかも、そのときのことがずっと胸を巣食っていて、朝から落ち込んでいたくらいである。
「――昨日の放課後のことなんだけど」
アガトが静かに口を開く。
(やっぱり)
思っていたとおり、昨日のことについて切り出されてしまった。
聞きたくない、と内心で思いつつも、黙って彼の言葉に耳を傾ける。
しかし、彼から出た言葉は、こちらの想定とは違って意外なものだった。
「あれ、……なんでもないから」
「え?」
私が疑問を口に出すも、彼はそれだけ言い残し、席に戻っていった。
――「なんでもない」と言ったが、一体どういう意味なんだろう。
アガトの方を振り返って視線を送る。
けれども、彼は、私の存在など気にも留めていないようで、近くにいたクラスメートと談笑を始めてしまった。
(あの人は……あなたの新しい恋人じゃないの?)
昨日の光景が、胸の奥で再びざわつく。
何でもないというのなら、あの距離感で一体なにをしていたというんだろう。
授業の内容は頭を通り過ぎるばかりで、ぼんやりと教科書を眺めるだけで終わった。
昼休み。
朝に久しぶりにアガトに話しかけられてしまったせいか、気持ちもお腹もぐるぐるしてしまい、ランチの時間だというのに、まったく食欲がでない。たぶん……なにか口にしても、すぐに戻してしまう気がした。
そこで、食堂に行こうという友人の誘いを断り、気分転換に校舎内をうろうろしてみる。
――別になにも食べなくても、友人たちについていって、一緒にお喋りでもしとけばよかったと心の片隅で思う。
けれども。
今は、なんとなく、一人になってぼんやりと過ごしたかった。
そうして辿り着いたのは――昨日、アガトを見かけた、校舎裏の柱の影。
(私って、実は被虐的な性格なのかも)
人目の少ない場所を探して辿り着いた先が、思い出したくもない場所だなんて、皮肉が過ぎる。
でも、確かに、校舎裏でも柱の影は、しゃがむと完全に死角になる。
誰にも見つかりたくないときに、ここは穴場なのかもしれない。
そのまま柱の影に腰を下ろし、ぼんやりと空を眺めて時間を潰すことにした。
何も考えずにぼーっと過ごすつもりが、頭に思い描くのはやっぱりアガトのこと。
別れた今になって、四六時中彼のことを考えることになるなんて、あたりまえのようにいた存在が、側にいなくなったことが、ただ寂しいだけなんだろうか。
(それとも――)
「……あれー? めずらしい。先客がいる」
「え」
頭の中でぐるぐる思考を巡らしてる間に、いつの間にか自分の目の前に男子生徒が立っていた。
その男子生徒は、長めの金髪を無造作に掻き上げ、気怠げに私を見下ろす。
そのなんとも言えない視線に、身体が勝手に緊張した。
「ねえ、何年生? こんなとこでなにしてんの?」
その恐ろしく整った顔立ちは、どこかで見たことがある気もする。
問われていることにすぐに答えず、誰だったかと記憶を掘り起こす。
(――あ、この人、魔法科のチャラ男先輩って言われてる人だ)
チャラ男先輩ことチャーリー・マイス先輩。
彼は数々の女生徒、果ては教師と関係を持ち、学校一のプレイボーイとして名を馳せている。
二年生で、しかも別の学科である私ですら、その噂は耳にしていた。
顔立ちは噂通り端正で、中性的な雰囲気を纏い、女性受けは抜群だ。
所属する魔法科はカリキュラムが非常に厳しいことで有名だが、遊び人のイメージとは裏腹に学習面でも優秀であるという。そのギャップも、彼の魅力のひとつらしい。
……初めて先輩を間近で見たが、確かにカッコイイ。
「ねえ、聞こえてる?」
眉根を寄せて、チャーリー先輩が再度問うてきた。
失礼なことをしたと、慌てて返事を返す。
「は、はい、聞こえてます。二年です、魔術学科の。特になにもせず、ぼんやりしてました」
「名前は?」
「キャスリン・ランツェです」
「キャスリン…⋯キャスだね。僕はチャーリー・マイス、魔法科の五年だ。ここ、僕のお気に入りの場所なんだよね。隣、いい?」
「は、え?」
私が返事をする前に、先輩は自分の隣にドサリと腰を下ろす。
その距離の近さに、思わず呼吸が止まりそうになる。アガト以外の異性が、こんな至近距離にいることなんて今までなかった。
わずかに制服同士が触れ合っているが、少し間を開けるべきか迷う。
「あー、いい天気だね」
「……そうですね」
自分の戸惑いも空しく、先輩はのほほんと天気の話を振ってくる。
……一人だけドギマギしていているのが馬鹿みたいだ。
今日の空は、自分の曇りがちな気持ちとは正反対の、雲ひとつない快晴。
寒くも暑くもなく、柱の影から差し込む日差しが心地いい。
「そうだ」
突然、先輩がこちらに顔を向け、いいことを思いついたと言わんばかりに言葉を口にした。
「膝枕してくんない? 君が休憩終わるまでの間でいいからさ」
「!?」
言われた内容に、軽く頭が混乱する。
――どう考えても初対面の相手にお願いするべき内容じゃないと思う。
なのに、私に対し、彼は至って自然に要求してきた。
さすがチャラ男先輩……こういうことも日常茶飯事なのだろう。
でも、正直私は男女の軽い関係には疎い。
なにせ今まで異性といえばアガトとしか接したことがなかったのだから。
こういうことは、しっかりと断らなければ、と意を決して告げた。
「いえ、……そういうのは勘弁してください」
自分ではきっぱりと言ったつもりだったが、先輩は私の断りを受けても、全く引き下がる様子を見せない。
「ちょっとくらい時間あるでしょ? 膝枕くらい、減るもんじゃなくない?」
「減る、減らないの問題じゃないです。お付き合いしている方にしてもらってください」
「いないからこうして君に頼んでるんでしょ。あ、もしかして付き合ってる彼がいるから、バレるとまずいって?」
「いません。けど、先輩のお相手はできません」
「じゃあいいじゃん」
「よ、よくないですっ! 見知らぬ男性とそんなことはできません!」
さっき知り合ったばかりの人間相手に、この人は一体なにを言ってるんだろうか。
ほぼ叫ぶようにして拒否を伝えると、目の前の先輩が一瞬驚いた表情を見せた。
「……あれ、思ったより堅いんだね。珍しく外したかな……絶対、経験済だと思ったのに」
彼の言葉は直接的ではないものの、私の心臓は跳ね上がる。
顔が熱くなり、どう答えていいのかわからず、ただ目を逸らすことしかできなかった。
「じゃあ、好きな人がいるんだ?」
「あ……、いえ……」
一瞬、言い淀んでしまった。
好きな人。
彼が言ってる好きな人とは、きっと恋愛的な意味のことを指しているんだろう。
「そんな人……いない、です……」
歯切れの悪い私の言葉に、先輩は少し考える素振りをし、それから優しく問いかけて来た。
「僕はね、自慢じゃないけど、他人のそういう気持ちを見抜くのが得意なんだ。
あと、恋愛相談も得意。どう? これも何かの縁だ、悩みがあるなら言ってみなよ」
先輩は綺麗な笑みを浮かべ、こちらを見つめる。
(悩みか……)
今、自分が悩んでいることといえば、アガトのことだろう。
正直、何をどう相談すればいいのかなんて、まったく分からなかった。
だって、彼との婚約は一ヶ月も前に解消されてしまっているし、どうすることもできない。
ただ、自分がずっと引きずっているだけ。
それでも――
なぜかはわからないが、気持ちを整理するために、無性に誰かに話を聞いてもらいたいという衝動に駆られた。
「あの……悩みではないんですが、少しだけ、話を聞いてもらえませんか?」
おずおずと話し出す私に、先輩はニコリと顔を緩めて言った。
「もちろん、なんでも聞くよ」
快い返事に、少し胸が軽くなる。
そのまま先輩から少し視線を逸らし、座っている足を抱え込むようにして、ぽつりぽつりと言葉を溢していく。
「……私、生まれたときから、親同士が決めた婚約者がいたんです」
「一か月ほど前に、その婚約を解消してしまったんですけど」
自分が何を話したいのか、何を聞いてほしいのかもよく分からないまま、心のままに話を続ける。
「ずっと一緒でした。相手の家族とも本当に仲がよくて、もう一つの家族というか、自分の片割れというか……そんな関係でした」
「でも、」
一瞬、言葉が詰まった。
けれど先輩は、続きを急かすでもなく、じっと耳を傾けてくれている。
少し息を整え、続きを口にする。
「……一か月前、突然、向こうから解消を言い渡されました。
その前日までは、男女としての触れ合いもあったのに。
きっと、私のことを家族以上には見られなかったからだと思うんですが……それが、……ひどく、悲しかったんです」
――あ、私、悲しいと思ってたんだ。
これまで、家族にも友人にも「仕方ないことだから」と言って、自分の気持ちに蓋をしていた。
こうして口に出すことで、婚約解消から一か月が経った今、ようやく本当の気持ちに気付くことができた。
しかし、それは少し、遅過ぎたのかもしれない。
ぼんやりと庭先を見つめる。
この校舎裏は、まだ誰も通る気配がない。
二人きりの空間には、気まずさはなく、ただ静けさが漂っていた。
すると、それまで隣で静かに話を聞いていた先輩が、身体をこちらに傾けてきた。そして、ゆっくりと頭を撫でる。彼の手つきはひどく優しい。
少し俯いて話を終えた私に、何かを感じ取ったのだろう。
「必要なら、胸、貸すけど?」
その優しい一言に、堪えていた涙が頬を伝った。
◇
ひとしきり泣いて、先輩の制服を濡らしてしまったことを詫びる。
「すいません……授業までに乾きますかね?」
「ん、大丈夫。こんなの、魔法で一瞬だから」
そうだった。この人はチャラ男なんて言われているけれど、魔法に関しては天才とも言われている人だった。
「あの……ありがとうございました」
「どういたしまして。ふふ、やっと笑顔が見れた」
屈託のない笑顔に、こちらもつられて笑みを深める。
「じゃあ、元気になった君に、これからの新しい恋に向けて、僕からアドバイスをあげよう」
「え、アドバイスですか?」
キョトンとする私に、先輩はうんうんと頷く。
「そうだよ。見たところ、君はあまり感情を表に出さないタイプでしょ。あたってる?」
下から顔を覗き込まれ、思わずドキっとする。
先輩の綺麗な瞳から逃れようと、慌てて視線を逸らした。
「……あたってます。『本当はどう思ってるの?』って聞かれることがよくあります。自分ではそんな自覚はないんですが……」
「それってさ、元婚約者にも言われた?」
「はい、言われたことがあります」
「そっか。じゃあ、一つ練習をしてみようか」
「練習、ですか?」
よくわからない提案に首を傾げる私に、先輩は「手を出してみて」と有無を言わさず、地面につけていた私の片手を自分の手に取った。
彼は少しだけ私の方に身体を向けて、優しく、そして静かに言った。
先輩が私の右手に、彼の大きくて綺麗な手を重ねる。
そして、長くしなやかな指で私の手の甲をするりとなぞり、私の指を自然な手つきで絡め取る。
「今の気持ちはどんな感じ?」
手と手が触れ合ったまま、先輩が静かに私に向かって問いかける。
――彼と重なった部分に、じわりと汗が滲んでくる。
手も、そして胸さえもソワソワしてしまい、気持ちが落ち着かない。
「正直……緊張しかない、です」
アガトとだって、手をつないだのは数年前のあの一度きりだけだ。
なのに今、こうして男の人と手を絡め合っていることに、言葉で表せない気持ちが込み上げる。
そんな私を見て、先輩は穏やかに告げた。
「うん、そうだよね」
あっさり肯定を返したかと思うと、そのまま言葉を続ける。
「何とも思ってない異性からの触れ合いなんて、緊張だったり、怖かったり、もしかしたら気持ち悪いって感じると思う。けれどもね――」
長い睫毛に縁取られた彼の視線が、指先から私の目へと移った。
「これが好きな人だったりすると、とんでもなく嬉しい気持ちや安心感が湧いてくるんだ。
それが、恋。きっとね」
――その瞬間。ドキッと、心臓が跳ねた。
ああ、そうか。
先輩の言葉で気づいた。
(私、アガトにちゃんと恋してたんだ)
今更ながらに、やっと自覚してしまった。
互いに恋愛感情はないと思っていた。きっと家族愛とか、情とか……。
でも、ちゃんと私はアガトに恋をしていたのだ。
だって、彼に触れられると、いつもとんでもない嬉しさと、心からの安心感に包まれるのだから。
自分の中の気持ちが、すとんと胸に落ちたのを感じた。
そうして先輩からやんわりと手を離し、はっきりとした口調で告げる。
「先輩、私、今のでわかりました。
……私、いままで、自分の本当の気持ちを、彼に伝えたことがなかったんです」
いままで、言葉に出したことがなかった。
というより、いままで自分の気持ちを自分自身で、わかろうともしてなかった。
唐突に決意を口にする私に、先輩は気を悪くするでもなく、首を傾け問いかけてくる。
「そう――その気持ちは、今も変わらない?」
「はい、ずっと変わりません」
私が深く頷いて見せたあと、先輩は目を細め、大きく口に弧を描いた。
「じゃあ、早く伝えないとだね。
僕からのアドバイスは、『自分の気持ちはちゃんと口に出して伝えること』、以上だよ」
「はい!」
昼休みが終わる前に。
その前に、早く、彼に気持ちを伝えなければ――。
その一心で、先輩に一礼したあと、全力で教室へと駆けだした。
◇
「アガト」
教室に着くなり、席に座っていたアガトに声をかける。
まだ少し息が切れているが、構わずに彼の名前を呼んだ。
「おい……家名で呼べって……」
「いいから、こっち来て……。ちょっと時間ちょうだい」
呼び方に対して苦言を言うアガトを無視し、腕を引いて教室を出る。
教室内から、ざわめきや、色んな人の視線を感じたけれど、そんなことはどうでもよかった。
昼休み終了まで、あと少し。
構うものか。今、伝えないと、二度と言えない気がした。
ほぼ駆け足で、アガトと二人、廊下を突っ切る。
廊下の端までたどり着いたとき、私に腕を引かれて黙ったままだったアガトが、口を開いた。
「もうすぐ授業始まるけど……」
「付き合わせてごめん、でも、ちょっとだけ待って」
振り払って授業に戻ることもできただろうに、アガトは素直に私の腕を引かれるまま、目的の場所までついてきてくれる。
そんな彼の優しさにも、密かに胸を打たれた。
着いた先は、先ほど先輩といた校舎裏。昨日、アガトと女子生徒を見かけた場所だ。
先輩はもう授業へ向かったようで、この場には誰もいなかった。
「手、出して」
アガトに向けて、なんの説明も無く、唐突にお願いを口にする。
「手?」
私の言葉に、アガトは訝しげに眉をひそめながらも、素直に右手を差し出す。
私は少し緊張で手が震えながら、その手を取り、自分の右手の上に重ねた。
「こうして、指を絡める……」
そう言って、自身の左手をアガトの右手に重ねる。
私は自分の指でアガトの手の甲をするりとなぞり、それから彼の指を絡め取った。
「おい、なにやってんだよ……」
アガトは私の突然の行為に、眉を顰める。
けれども、そんなことを無視して、私はアガトに問いかけた。
「……ねえ、今の気持ちは、どんな感じ?」
お互いの手と手は触れ合ったままだ。
意外なことに、彼も私から手を離そうとしない。
「……」
しかし、アガトは繋がれた手をただ静かに見つめるだけで、黙ったままだった。
向こうが何も口にしないなら、こちらから伝えるまでだ。
「――私はね、ドキドキしてる」
彼に届くよう、静かに、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「また、アガトの手に触れられて、嬉しさでいっぱいになってる。
それが、私に言われて渋々やってるのだとしても……」
その言葉に、ハッとアガトが顔を上げた。視線と視線がかち合う。
私はアガトの戸惑いを含んだような瞳を真っ直ぐに見つめ、はっきりとした口調で告げた。
「私、アガトが好き、だった。
家族愛とか、情とかじゃなくて……男女として」
言い終えたあとは、堪らず視線を伏せてしまう。
けれど、心の中は、ドキドキを通り越して、ひどくクリアになっていた。
(――やっと、言えた)
長年、気付かなかった本当の気持ちを、ようやく彼に伝えることができた。
それがたとえ、一方的な思いだとしても――
名残惜しいけれど、絡めていた指をそっと解く。
「ごめんね、急に。
もう婚約者でもなんでもないのにね。
教室、戻ろっか――デバース君」
告白をしたことで、気持ちが急に軽くなり、晴れやかな笑顔をアガトに向ける。
そして踵を返し、教室に足を進めようとした、そのとき。
――後ろから伸びたアガトの手が、私の身体を強く抱き寄せてきた。
「好き"だった"とか、過去形になんかするなよ……っ!」
怒ったような、アガトの声が響く。
「さっきだって、俺は……キャスの方から触れられて、嬉しさしかなかったっていうのに」
頑張って感情を抑えたような彼の表情に、じわりと胸が疼く。
「アガト……」
そのとき、頭の中で、チャーリー先輩の声がふと響いた。
『これが好きな人だったりすると、とんでもなく嬉しい気持ちや安心感が湧いてくるんだ。それが、恋。きっとね。』
後ろから抱きしめられているため、顔色までは見えない。
けれど、そこには、どこか弱ったようなアガトの姿があった。
私はアガトの腕を振りほどき、彼の身体を自分の方へ全力で引き寄せる。
そして、今ある全力の力で、彼を抱きしめた。
「好き」
たぶん、言葉にするのは今回が初めて。
一度言葉にすると、それだけでは足りず、好きを重ねる。
「ずっと好き。これからも、ずっと大好き」
ちらりと彼の反応を確認すると、泣き笑いのような表情を浮かべていた。
……その姿が、とんでもなく可愛く見えて、私は初めて自分から彼の頬にキスをした。
◇
結局、授業には間に合わなかった。
というより、教室に向かおうとした途中でチャイムが鳴ってしまったため、二人して午後の授業をさぼってしまった。
その間、先生たちに見つからないよう校舎裏へと戻る。
そして、この一か月の空白を埋めるかのように、お互いのことを黙々と話し合った。
「え? 前に、一緒にいた女の子は、新しい彼女じゃないの?」
「まさか。友達の彼女だよ。前から虹色の魔石を見せて欲しいって言われてて、でも、あれキャスにあげちゃっただろ?
だから別の魔石をあげるってことで、あそこで渡してたんだよ」
「でも、それにしては距離が近かったと思うんだけど……」
物陰に隠れて二人でキスでもするのかと思ったくらいである。
魔石を渡すくらいで、あんなに接近する必要があったのだろうか。
「俺から譲って貰ったのが彼氏にバレないように、こっそり渡して欲しいって言われてたんだよ。
めっちゃ嫉妬深い奴だから……。
それで人気のない校舎裏で渡そうとしてたんだけど、誰かの足音がしたから、慌てて柱の陰に二人で隠れてたんだ。
その足音ってのがキャスだったわけだけど……」
「ま、まぎらわしい……」
誤解するにはなかなか最悪のタイミングである。
「でも、勘違いでよかった。じつは私、あの日、ご飯も食べられないくらい落ち込んでたんだ」
「え……」
落ち込んでいたと言った私に、アガトはなぜか驚いた表情を見せた。
「なに? 意外?」
「いや、うん……。だって、キャスは俺に興味なんてないと思ってたから。
空気と同じくらい、そこにいて当たり前で、気にも留めない存在だって認識だった」
ひどい自己評価だ。けれど、そう思わせてしまっていたことに、胸が痛んだ。
「いままで、異性として意識されるように、色々やってきたつもりだったんだけど……。
でも、キャスは文句も言わずに受け入れてはくれるけど、それで俺に対する態度が変わるわけでもなかったし……」
「私……そんなに態度、変わらなかったように見えた?」
「見えた」
間髪入れずに、アガトが答える。
当時は、アガトのお試し行動だと思っていたから、舞い上がってはいけないと、意識的に態度に出さないようにしていたのだ。
まさか、それが裏目に出ていたなんて。
「わかりにくかったよね。ごめん……。
私ね、ある人からアドバイスをもらったの。自分の気持ちは、口に出して伝えることって」
隣に座っていたアガトの手を、ぎゅっと握る。
「だから、これからはちゃんと口に出して、気持ちを伝えていくね」
アガトは私の手を優しく握り返し、ゆっくりと頬に手をあて輪郭をなぞる。その顔は少し赤くなっている。
そして、そのままどちらともなく、唇を重ねた。
◇
「――おかげさまで、復縁しました」
「ああ、それは良かったよ!
一か月も経って音沙汰がないから、ダメだったのかなーなんて思ってたけど、彼女が案外素直でよかったねー」
ここは魔法科の研究室の一室。
そこでアガトは、一人の男と向かい合っていた。
今の在校生の中で、魔石研究の第一人者とも言われている――チャーリー・マイスである。
アガトも魔石研究に興味があり、その件で教授に「誰か師事できる人物はいないか」と相談したところ、彼を紹介されたのだ。
また、アガトは婚約者であるキャスリンとの心の距離が、なかなか縮まらないことを、ずっと気に病んでいた。
それを、プレイボーイと名高いチャーリーに相談し、たびたび助言を受けていたのである。
『思いっきり押してダメなら、思いっきり引いてみれば?』
アガトは彼の助言を、文字どおり忠実に実行した。
思いっきり押して身体を繋げ、そして――思いっきり引いて、婚約を解消したのだ。
行動力だけは人一倍あるアガトだが、ここへきて妙な方向へと、その真価を発揮したといえよう。
ちなみに、身体の関係を持った日に渡した虹色の魔石も、チャーリーが応援代わりに貸してくれたものだった。
一歩先に進展したいけれど、どうやってそんな雰囲気に持っていけばいいのか分からない――
そう彼に相談したところ、
『彼女の好きなものでおびき出したらいいんじゃない? 彼女、魔石に興味あるんでしょ? はい、これ貸してあげる』
と言われ、その通りにしたのだ。
だが、その後に湧き上がった罪悪感から、虹色の魔石は餞別代わりに彼女へ渡してしまったのだけれど。
正直、この一か月は本当にしんどかった。
友人たちにはずっと「キャスが隣にいないと寂しくて死にそう」とこぼしていたし、行きも帰りも、キャスが一人で大丈夫か心配で、遠目からずっと見守っていた。
自分からやり出したことなのに、いつまでこの地獄は続くのだろうと、日に日に心は病んでいった。
校舎裏で、友達の彼女と二人でいるところを見られたときなんて、心臓が止まるかと思った。
あのときのキャスの、「お楽しみのところお邪魔してごめんなさい」感あふれる表情は、見ていて本気で死にたくなった。
絶対に自分からは話しかけないと決めていたのに、翌日にはその戒めを破って、彼女のもとへ弁明に行った。
不思議そうな顔をしていたから、もはや彼女にとっては、興味がなさすぎて記憶にすら残っていなかったのかもしれない。
……ただ、この件に関しては、彼女も勘違いして落ち込んでいたらしい。
それを聞いたときの俺の喜びは、一言では言い表せない。
まさか、あのキャスが嫉妬してくれていたなんて。
しかも、その後は、ことあるごとに「好き」と言ってくれる。
もう、ずっと婚約者だったんだから、学生のうちから籍を入れてもいいんじゃないだろうか。
この国の法律的にはアウトだけど。
「でも、これで君には貸しが二つできたね~。
相談に乗ってあげたことと、虹色の魔石を勝手にあげちゃったこと」
チャーリー先輩の言葉で、現実に引き戻される。
「それは……すいません」
あの虹色の魔石については、自分の勝手な判断で渡してしまったので、本当に申し訳なく思っている。
けれども、キャスからそれを取り戻そうという気は、まったく起こらなかった。
「まあいいよ。その分、僕の卒業研究を手伝ってよね」
「はい、もちろんです!」
これまでのすべてに対する感謝を込めて、全力で頭を下げる。
そして、そのまま研究室を後にした。
素直で可愛い後輩だ、とチャーリーは、今しがたアガトが去っていった扉を見つめながら思う。
――だから、彼には絶対に伝えない。
彼らが復縁したあの日、自分が彼の婚約者の手を握ったとき、ドキリと胸が跳ねたことなど。
今まで、本気になれる恋なんてしたことがなかった。
どれも女の子たちとの関係は、彼にとってただの遊びであり、暇つぶし。
いつでもどこか冷めた感情で、俯瞰的に自分を見ていた。
……それが、手を触れ合っただけで、とんでもない喜びが湧いてくるとは、思ってもみなかった。
(自分にも、夢中になれる恋の相手が見つかるといいな)
学園一のプレイボーイは、窓の外を眺めながら、自分の将来に胸を馳せた。
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