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恋とはどんなものですか

作者: piyo

「ほら、こうして指を絡める」



先輩はそう言って自身の左手を私の右手に重ねた。

そして、彼の長くキレイな指で私の手の甲をするりとなぞり、私の指を絡め取る。


「今の気持ちはどんな感じ?」


手と手が触れ合ったまま、先輩が私に尋ねる。

重なった部分に、じわりと汗が滲んでくる。


「正直……緊張しかない、です」


「うん、だろうね。何とも思ってない異性からの触れ合いなんて、緊張だったり、怖かったり、もしかしたら気持ち悪いって感じると思う。けどね、」


長い睫毛に縁取られた彼の視線が、指先から私の目へと移った。


「これが好きな人だったりすると、とんでもなく嬉しい気持ちや安心感が湧いてくるんだ。

それが、恋。きっとね」





私はキャスリン・ランツェ。王立ローズシティナ魔法学校、魔術学科の二年生である。

つい先日、生まれたときから一緒だった幼馴染との婚約を解消したところだ。

破棄ではない。あくまで、解消である。


両親同士の仲が良く、互いの子供が異性で、かつ同じ年に生まれた。

たったそれだけの理由で結ばれた婚約だった。

契約としてはゆるいものだったため、婚約解消も簡単に終わった――と、自分では勝手に思っている。


さて、ここで元婚約者である幼馴染、アガト・デバースについて少し言及しておこう。


アガトも私と同じ魔法学校に通う、魔術学科の二年生である。

彼とは赤ん坊の頃からずっと一緒で、兄妹のようにして育った。

私たちはしょっちゅう互いの家を行き来し、長期休暇には、アガトの家族に連れられて一緒に旅行したことすらある。


アガトは私にとって兄か弟であり、きっと彼も、私のことを姉か妹のように思っていたのだろう。

互いに抱いていた感情は、恋愛というよりも、家族に向けるような――親愛に近いものだったように思う。


とはいえ、年齢が上がるにつれて、私たちも将来的には家族になるのだという意識が芽生え、互いを男女として見ようと試みたことがある。





「手、繋いでみる?」


あれは、まだ学校に入学する前の頃。

二人で町へ出掛けたときのことだ。何の用事だったのかは、最早覚えていないが、帰り道に、突如としてアガトからそんな提案をされた。


特に断る理由もなかった。

互いの指と指を絡ませ、いわゆる恋人繋ぎというものをしてみる。


幼い頃には手を繋いだことも、もちろんあった。

だが、大きくなってから、こうして触れ合うのは初めてのことだった。


「どう?」

「うーん、あったかい」

「だよな」


これが、二人の感想。


自分とあまり変わらない大きさの手は、少しだけ固くて、そしてあたたかかった。

それから、ほんの少しだけ、胸がドキドキした――そんな記憶が残っている。



それから、また別の日のこと。


アガトと二人、うちの庭先の木陰で魔法書を読んでいたときだった。

私は生まれつき魔力量が少ない。そのため使える魔法は限られていたが、魔法そのものは好きだった。


対するアガトは、私と比べれば平均的な魔力量を持っていたようだが、魔法を扱うことよりも、その仕組み自体に興味を持っていた。

そのため、二人して実技としての魔法ではなく、魔法理論を学べる王立魔法学校の魔術学科を受験しようと、前々から決めていた。


木の幹にもたれかかり、受験科目でもある魔法基礎学の内容とにらめっこする。

このとき、二人とも特別に勉強をしていたわけではない。ただ、自由時間に魔法書を読む程度には、魔法というものに興味があった。


集中して読んでいた本のページを捲ろうとしたとき、ふと、横からの強い視線に気付いた。

彼も私と同じく魔法書に目を落としていたはずなのに、いつの間にか、アガトの視線がこちらを向いていた。


「キスしてみる?」


何の脈絡もない提案に、思わず、読んでいた本が手から滑り落ちる。


あ、落ちた、と思っている間に、アガトの口と、私の口とが触れ合っていた。


このときの、ムードもへったくれもないキスが、私のファーストキスだったりする。


「どう?」

「思ってたより柔らかい」

「ん-確かに」


そして二人は、何事もなかったかのように、本の続きを読んだ。



その後も、この試みは続いた。


アガトと初めてキスをした翌年、二人とも無事に王立魔法学園の入学試験に合格し、憧れだった制服のローブに袖を通すこととなった。

寮から通う生徒が多い中、私とアガトは毎日、自宅からせっせと学校へ通っていた。


その日は、いつもより宿題の量が多かったことを覚えている。

学校帰りにアガトが私の家に立ち寄り、二人して頭を突き合わせ、宿題に取り組んでいた。


「ここ、わかんない」

「どれ? ああ、これは定義を使って計算すれば、魔法の効果範囲と威力が求められるよ」

「なるほど、ありがと」


お礼を言って、アガトの言うとおりに計算してみる。

すると、行き詰まっていた答えがきちんと導き出せた。さすがアガト、勉強は彼に聞くに限る。


さて、次の問題に取りかかろう。

そう思っていたところで、隣にいた彼が、私の髪を一房すくい取った。


「……? どうしたの?」


アガトは私の問いかけに返事をせず、私を見下ろしながら、彼の大きな手で私の長い髪を梳いていく。

魔法学校に入学してからというもの、彼の背丈はぐんぐん伸び、いつの間にか、私が彼を見上げるようになっていた。


ゆっくりとした彼の手の動きが、私の耳元のあたりでぴたりと止まる。

そして、そのまま私の頬を指でなぞった。


「深いキス、試してみる?」


返答する前に近付いてきた顔と息遣いに、自然と目を閉じる。

その後すぐ、アガトの唇が私の唇に触れる感触がした。それでおしまいかと思いきや、今まで経験したことがない感触のものが自分の口内へと侵入してきた。


え、と思い慌てて身体を離そうとするが、いつの間にかアガトの腕でガッチリと身体を拘束されてしまっていた。

動くことも叶わず、彼の舌で口内を激しく蹂躙される。そのときは呼吸の仕方を忘れそうになり、息をするのに必死だった。


彼の拘束が止んだ後、二人して静かに宿題を再開した。


アガトは「宿題中断させてごめん」と言った。

私も「いいよ」と、色々な意味を込めて答えた。



そして、これはつい先日のこと。

私たちは学年が上がり、二年生になっていた。


この日、私は久しぶりにアガトの部屋を訪れた。

学校に通い始めてからというもの、彼は頑なに部屋に私を上げてくれなかったのだ。


しかしこの日は珍しく、彼が先日手に入れたという虹色に輝く貴重な魔石を見せてくれるという。久しぶりに中へ入れてもらうことになった。


「アガトの部屋、久しぶり」

「そうだな、数年ぶりかもな」


前に来たのは、学校に通い始める前だったと思う。

部屋は以前と変わらず、整理整頓されたシンプルな空間のままだった。

懐かしさを感じながら机の方を見ると、キレイに整えられた魔法書とともに、手のひらサイズの魔石がキラキラと輝きながら鎮座していた。


「わ! 思ってたより大きい!」

「だろ? 手に持ってもいいよ。ただ、落とすなよ」

「いいの!? ありがとう!」


アガトから許可をもらい、魔石をそっと手に取る。

表面はつるつるしていて、じんわりと温かい。


魔石は属性によって色が異なるが、この虹色の石は全属性を兼ね備えた非常に貴重なものだ。


「すごいね、よく手に入れたね」

「…うん、まあな」


キラキラと輝く石をしばらく眺めていると、突然、後ろからアガトに抱きしめられた。

彼の大きな身体が私を包み込み、急な触れ合いに自然と身体が強張るのを感じた。


そのまま、彼は私の首筋に顔を埋める。

吐息が首にかかり、妙なくすぐったさが走った。


「アガト?」


一応問いかけてみるものの、返事はない。

そして身体の向きを変えられ、およそ一年ぶりに、唇と唇が重なった。


――いったん火のついた雄は止められない。

彼氏持ちの友人が言っていた通りだ。


触れ合うだけのキスは、いつの間にか深いものへと変わる。


「この先に進んでみたい」


いつもとは違い、私への問いかけではなく、彼自身の意思が告げられる。

気づけばあれよあれよという間にベッドへ押し倒され、制服は素早く、しかし丁寧に床へと脱がされていた。

先ほど「落とすな」と言われた魔石も、押し倒された衝撃でどこかへ転がっていった。


行為の最中は、痛さを紛らすために彼にしがみつくので精一杯で、他に何も考えられなかった。

戸惑いも、迷いも、どこかへ置いてきたようだ。ただ、目の前のアガトに意識を集中するだけだった。


事後、二人は無言のまま制服を着直す。

転がっていた虹色の魔石を拾い上げ、机の元の位置に丁寧に戻した。


……さすがに、キスだけのときとは違い、身体全体が重く、怠く感じる。


「あげる、それ」

「ええ、いいの? 虹色の魔石なんて貴重なものなのに」

「いいんだ、キャスが持ってて」

「ありがとう、大切にするね」


私はアガトから虹色に輝く魔石を受け取った。

彼の表情はなぜか泣きそうに見えたが、そのことには触れず、歩きづらい足で自宅へと帰った。


――婚約の解消が、アガトから提案されたのは、その翌日のことだった。





『婚約を解消しよう。もともと親が適当に結んだだけの契約だ。お互い自由になろう』


アガトから告げられたのは、そんな内容だったと思う。

正直、そのときのことは頭がボンヤリしていて、細かい部分は覚えていない。


昨日、身体を重ねて、今日になって婚約解消。


きっと彼は、私のことを恋愛対象として見ようと努力してきたのだろう。

でも、何をやっても無理だと見切りをつけたのだと思う。


『うん、わかった』


私は、彼の提案に反論しなかった。

アガトがそうするというのなら、それを受け入れよう、と。


その後すぐ、お互いの両親にも婚約を解消する旨を伝えた。

親たちは残念がっていたが、本人たちの意思を尊重すると言ってくれた。


急に婚約解消を告げたアガトに対して、私は怒りや悲しみといった感情を向けることはなかった。


――それよりも、何かの片割れを失ったような、家族に見限られたかのような、漠然とした喪失感のほうが大きかった。




婚約解消した日の翌日。

別々に教室に入ってきた私たちを見て、クラスメートたちは喧嘩でもしたのかと訝しんだ。

アガトとは一年生のときから毎朝一緒に登校していたので、不思議に思ったのだろう。


婚約を解消した旨を伝えると、まるで腫物に触れるかのように、みんな私たちの仲に触れなくなった。


移動教室もランチも別々。

もちろん下校でさえも、帰る方向が同じにもかかわらず、アガトはわざと時間をずらして私と鉢合わせないように徹底していた。


呼び方すら、愛称の「キャス」ではなく、家名の「ランツェ」に変わっていた。

アガトのことも、家名の「デバース」で呼ぶようにと釘を刺されてしまった。


友人たちは、気落ちしている私に気遣ってくれていたが、ときおり私が寂しい表情を見せるらしく、「早く元気を取り戻して」と励まされてしまった。


アガトとの婚約を解消してから一か月。

今もなお、心にポッカリ穴が空いたような感覚が続いている。





そんなある日の下校時のこと。


いつもは真っ直ぐ家に帰るのだが、その日は図書館に寄って勉強をして帰ろうと思い立った。


もうすぐ、試験期間に入る。

以前なら、アガトと一緒に私の家で頭を突き合わせて勉強していたことだろう。

……しかし、そんな日はもう訪れない。

家に帰っても、当時のことを思い出して勉強に手がつかなくなる気がしていた。


一度、図書館に寄ると決めると、善は急げとばかりに教室を飛び出し、校舎裏の近道を通って図書館へ向かった。


そして、その選択が後に間違いだったと痛感することになる。





「……まだ?」

「ああ」


校舎裏を通ったとき、柱の影から、囁き合う男女の声が聞こえた。


こんなところで、何をしているのだろうと思いつつ、横目で声のほうをチラリと見ながら通り過ぎようとした。

視界の先には、柱の陰には、重なりあうくらい近い距離にいる二人の姿があった。

そして――その男の姿に見覚えがありすぎた。


(え、アガト……?)


思わず足が止まる。

アガトが、見知らぬ女子生徒と二人きりで、しかも、今にも顔が触れ合いそうな距離にいる。


「あ」


小さく声が漏れたその瞬間、アガトと目が合った。


――覗き見したことに気付かれた。


慌てて足を動かし、逃げるようにその場を後にする。

自分でもわからないくらい、心臓が嫌な音を立てている。

呼吸が、まともにできない。


図書館にたどり着いたときには、ふらつく足で机に突っ伏し、しばらく放心していた。

当然、勉強などできるはずもなく、そのまま下校時刻を迎えた。



その日、どうやって家まで帰ったのか、まったく覚えていない。


食事も喉を通らず、胸の奥が重く、ぼんやりとしたままベッドに倒れ込んだ。

頭の中では、さっき見た光景が繰り返し再生され、ずっと頭から離れない。


そのまま目を閉じ、ただ静かに朝を迎えた。

時間だけが過ぎていき、自分の心は何も処理できずにいた。





翌日。


登校後、席に着くと、珍しくアガトが自分の傍まで来て話しかけてきた。

……婚約解消後、初めてのことかもしれない。


久しぶりに正面からアガトの顔を見る。

いつもより少し険しく見えるその表情に、なぜか身体が勝手に緊張する。


「なあ……。昨日のことなんだけど」


唐突に昨日目撃したことについて言及され、内心では聞きたくないと思いつつ、黙って耳を傾ける。


「あれ、なんでもないから」


「え?」


彼はそれだけ言い残し、席に戻っていった。

――「なんでもない」と言ったが、一体どういう意味なのだろう。


アガトの方を振り返ってみる。

だが彼は、私の存在など気にも留めていないようだった。


(あの人は、新しい恋人じゃないの?)


昨日の光景が、胸の奥で再びざわつく。

授業の内容など頭に入るはずもなく、私はぼんやりと教科書を眺めるだけだった。




昼休み。

友人の誘いを断り、一人になれる場所を探して校舎内をうろうろした。


辿り着いたのは――昨日、アガトを見かけた、校舎裏の柱の影。


自分は被虐的な性格でもあるのだろうか。

思い出したくもない光景を目撃した場所が、結局は人目の少ない場所だったなんて、皮肉が過ぎる。


柱の影に腰を下ろし、ぼんやりと空を眺める。


あたりまえのようにいた存在が、側にいなくなったことが、ただ寂しいだけなのか。

それとも――


「……あれー? めずらしい。先客がいるね」


「え」


いつの間にか、目の前に男子生徒が立っていた。

長めの金髪を無造作に掻き上げ、気怠げに私を見下ろす。


「ねえ、何年生? こんなとこでなにしてんの?」


その恐ろしく整った顔立ちは、どこかで見た記憶がある気がした。


(あ、この人、魔法科のチャラ男先輩って言われてる人だ)


チャラ男先輩ことチャーリー・マイス先輩。

彼は数々の女生徒、果ては教師と関係を持ち、学校一のプレイボーイとして名を馳せている。

二年生で、しかも別の学科である私ですら、その噂は耳にしていた。


顔立ちは噂通り端正で、中性的な雰囲気を纏い、女性受けは抜群だ。

所属する魔法科はカリキュラムが非常に厳しいことで有名だが、遊び人のイメージとは裏腹に学習面でも優秀であるという。そのギャップも、彼の魅力のひとつらしい。


……初めて先輩を間近で見たが、確かにカッコイイ。


「ねえ、聞こえてる?」

「は、はい、聞こえてます。二年です、魔術学科の。特になにもせず、ぼんやりしてました」


「名前は?」

「キャスリン・ランツェです」


「キャスリン…⋯キャスだね。僕はチャーリー・マイス、魔法科の五年だ。ここ、僕のお気に入りの場所なんだよね。隣、いい?」


「は、え?」


返事をする前に、先輩は自分の隣にドサリと腰を下ろす。

その距離の近さに、思わず呼吸が止まりそうになる。

わずかに制服同士が触れ合っているが、少し間を開けるべきか迷う。


「あー、いい天気だね」

「……そうですね」


自分の戸惑いも空しく、先輩はのほほんと天気の話を振ってくる。

今日の空は、自分の曇りがちな気持ちとは正反対の、雲ひとつない快晴だ。

寒くも暑くもなく、柱の影から差し込む日差しが心地よい。


「そうだ、膝枕してくんない? 君が休憩終わるまでの間でいいからさ」


初対面とは思えない要求を、至って自然に口にする先輩。

さすがチャラ男先輩、こういうことも日常茶飯事なのだろう。

しかし、私は男女の軽い関係には疎い。

しっかりと断らなければ、と意を決して告げた。


「いや、……そういうのは勘弁してください」


だが、そんな私の断りにも、先輩は全く引き下がる様子を見せない。


「ちょっとくらい時間あるでしょ? 膝枕くらい、減るもんじゃなくない?」

「減る、減らないの問題じゃないです。お付き合いしている方にしてもらってください」

「いないからこうして君に頼んでるんでしょ。あ、もしかして付き合ってる彼がいるから、バレるとまずいって?」

「いません。けど、先輩のお相手はできません」

「じゃあいいじゃん」

「よ、よくないですっ! 見知らぬ男性とそんなことはできません!」


ほぼ叫ぶようにして拒否を伝えると、目の前の先輩が一瞬驚いた表情を見せた。


「……あれ、思ったより堅いんだね。珍しく外したかな……絶対、経験済だと思ったのに」


彼の言葉は直接的ではないものの、私の心臓は跳ね上がる。

顔が熱くなり、どう答えていいのかわからず、ただ目を逸らすことしかできなかった。


「じゃあ、好きな人がいるんだ?」


「いえ……」


好きな人。

彼が言ってる好きな人とは、恋愛的な意味のことを指しているのだろう。


「そんな人……いない、です……」


言い淀んだ私の言葉に、先輩は少し考える素振りをし、それから優しく問いかけて来た。


「僕はね、自慢じゃないけど、他人のそういう気持ちを見抜くのが得意なんだ。

あと、恋愛相談も得意。どう? これも何かの縁だ、悩みがあるなら言ってみなよ」


先輩は綺麗な笑みを浮かべ、こちらを見つめる。


(悩みか……)


今、自分が悩んでいることといえば、アガトのことだろう。

何をどう相談すればいいのか分からないが、無性に誰かに話を聞いてほしかった。


「あの……悩みではないんですが、少しだけ、話を聞いてもらえませんか?」


おずおずと話し出す私に、先輩はニコリと顔を緩めて言った。


「もちろん、なんでも聞くよ」


快い返事に、少し胸が軽くなる。

そして、ぽつりぽつりと言葉を溢していく。


「……私、生まれたときから、親同士が決めた婚約者がいたんです」


「一か月ほど前に、その婚約を解消してしまったんですけど」


自分が何を話したいのか、何を聞いてほしいのかもよく分からないまま、心のままに話を続けた。


「ずっと一緒でした。相手の家族とも本当に仲がよくて、もう一つの家族というか、自分の片割れというか……そんな関係でした」


「でも、」


一瞬、言葉が詰まった。

けれど先輩は、続きを急かすでもなく、じっと耳を傾けてくれている。

少し息を整え、続きを話す。


「……一か月前、突然、向こうから解消を言い渡されました。

その前日までは、男女としての触れ合いもあったのに。

きっと、私のことを家族以上には見られなかったからだと思うんですが……それが、……ひどく、悲しかったんです」


――あ、私、悲しいと思ってたんだ。


これまで、家族にも友人にも「仕方ないことだから」と言って、自分の気持ちに蓋をしていた。

こうして口に出すことで、婚約解消から一か月が経った今、ようやく本当の気持ちに気付くことができた。


しかし、それは少し、遅過ぎたのかもしれない。



ぼんやりと庭先を見つめる。

この校舎裏は、まだ誰も通る気配がない。

二人きりの空間には、気まずさはなく、ただ静けさが漂っていた。



すると、それまで隣で静かに話を聞いていた先輩が、身体をこちらに傾けてきた。そして、ゆっくりと頭を撫でる。彼の手つきはひどく優しい。


少し俯いて話を終えた私に、何かを感じ取ったのだろう。


「必要なら、胸、貸すけど?」


その優しい一言に、堪えていた涙が頬を伝った。





ひとしきり泣いて、先輩の制服を濡らしてしまったことを詫びる。


「すいません……授業までに乾きますかね?」

「ん、大丈夫。こんなの、魔法で一瞬だから」


そうだった。この人はチャラ男なんて言われているけれど、魔法に関しては天才とも言われている人だった。


「あの……ありがとうございました」

「どういたしまして。ふふ、やっと笑顔が見れた」


屈託のない笑顔に、こちらもつられて笑みを深める。


「じゃあ、元気になった君に、これからの新しい恋に向けて、僕からアドバイスをあげよう」

「え、アドバイスですか?」


キョトンとする私に、先輩はうんうんと頷く。


「そうだよ。見たところ、君はあまり感情を表に出さないタイプでしょ。あたってる?」


下から顔を覗き込まれ、思わずドキっとする。


「……あたってます。『本当はどう思ってるの?』って聞かれることがよくあります。自分ではそんな自覚はないんですが……」

「それってさ、元婚約者にも言われた?」

「はい、言われたことがあります」

「そっか。じゃあ、一つ練習をしてみようか」

「練習、ですか?」


よくわからない提案に首を傾げる私に、先輩は「手を出してみて」と有無を言わさず、地面につけていた私の片手を自分の手に取った。


彼は少しだけ私の方に身体を向けて、優しく、そして静かに言った。


「ほら、こうして指を絡める」


自身の左手を、私の右手にそっと重ねた。

彼の長くキレイな指が私の手の甲をするりとなぞり、私の指を絡め取る。


「今の気持ちはどんな感じ? 正直な気持ちを、僕に伝えてみて」


手と手が触れ合ったまま、先輩が私に尋ねる。

重なった部分に、じわりと汗が滲むのがわかる。


「正直……緊張しかないです」


アガトとだって、手をつないだのは数年前のあの一度きりだけだ。

なのに今、こうして男の人と手を絡め合っていることに、言葉で表せない気持ちが込み上げる。


「うん、だろうね。何とも思ってない異性からの触れ合いなんて、緊張したり、怖かったり、場合によっては気持ち悪く感じることもあると思う。けどね、」


長い睫毛に縁どられた彼の視線が、指先から私の目へと移った。


「これが、好きな人だったりすると、とんでもなく嬉しい気持ちや安心感が湧いてくるんだ。それが恋。きっとね」



――その瞬間。ドキッと、心臓が跳ねた。



ああ、そうか。


先輩の言葉で気づいた。



(私、アガトにちゃんと恋してたんだ)



今更ながらに、やっと自覚してしまった。


互いに恋愛感情はないと思っていた。きっと家族愛とか、情とか……。

でも、ちゃんと私はアガトに恋をしていたのだ。

だって、彼に触れられると、いつもとんでもない嬉しさと、心からの安心感に包まれるのだから。



先輩からやんわりと手を離し、そしてはっきりと言った。


「先輩、私、今のでわかりました。

……私、いままで、自分の本当の気持ちを、彼に伝えたことがなかったんです」


「そう。その気持ちは、今も変わらない?」


「はい、ずっと変わりません」


「じゃあ、早く伝えないとだね。僕からのアドバイスは、『自分の気持ちはちゃんと口に出して伝えること』、以上だよ」


「はい!」


昼休みが終わる前に。

その前に、早く、彼に気持ちを伝えなければ――。


その一心で、教室へと駆けだした。





「アガト」


少し息が切れながら、アガトの名前を呼ぶ。


「おい……家名で呼べって……」


「いいから、こっち来て。ちょっと時間ちょうだい」


苦言を言うアガトを無視し、腕を引いて教室を出る。

教室内の視線を感じるけれど、そんなことはどうでもよかった。


昼休み終了まで、あと少し。

構うものか。今、伝えないと、二度と言えない気がした。


「もうすぐ授業始まるけど……」


「付き合わせてごめん、でも、ちょっとだけ待って」


着いた場所は、先ほどと同じ校舎裏。

先輩も授業へ向かったようで、この場には誰もいなかった。


「手、出して」


「手?」


私の言葉に、アガトは訝しげに眉をひそめながらも、素直に右手を差し出す。

私は少し緊張で手が震えながら、その手を取り、自分の右手の上に重ねた。


「こうして、指を絡める……」


そう言って、自身の左手をアガトの右手に重ねる。

私は自分の指でアガトの手の甲をするりとなぞり、それから彼の指を絡め取った。


「おい、なにやってんだよ……」


「……ねえ、今の気持ちは、どんな感じ?」


手と手が触れ合ったまま、私はアガトに尋ねる。


「……」


しかし、アガトは繋がれた手を見つめるだけで、黙ったままだった。


「私はね、ドキドキしてる。

また、アガトの手に触れられて、嬉しさでいっぱいになってる。

それが、私に言われて渋々やってるのだとしても……」


私の言葉に、ハッとアガトが顔を上げる。

私はその視線を真っ直ぐに見つめ、はっきりとした口調で告げた。


「私、アガトが好き、だった。

家族愛とか、情とかじゃなくて……男女として」


やっと、言えた。


長年、気付かなかった本当の気持ちを、ようやく伝えられた。

それがたとえ、一方的な思いだとしても――


名残惜しいけれど、絡めていた指をそっと解く。


「ごめんね、急に。

もう婚約者でもなんでもないのにね。

教室、戻ろっか、デバース君」


告白をしたことで、気持ちが急に軽くなり、晴れやかな笑顔をアガトに向ける。


そして踵を返し、教室に足を進めようとしたそのとき――後ろから、強く抱きしめられた。


「好き"だった"とか、過去形になんかするなよ……!」


声を抑えつつ、怒ったようにアガトが言った。


「さっきだって、俺は……キャスの方から触れられて、嬉しさしかなかったっていうのに」


「アガト……」


頭の中で、チャーリー先輩の声が響く。

『これが好きな人だったりすると、とんでもなく嬉しい気持ちや安心感が湧いてくるんだ。それが、恋。きっとね。』


後ろから抱きしめられているため、顔色までは見えない。

けれど、そこには、どこか弱ったようなアガトの姿があった。


私はアガトの腕を振りほどき、彼の身体を自分の方へ全力で引き寄せる。

そして、今ある全力の力で、彼を抱きしめた。


「好き」


たぶん、言葉にするのは今回が初めて。

一度言葉にすると、それだけでは足りず、好きを重ねる。


「ずっと好き。これからも、ずっと大好き」


ちらりと彼の反応を確認すると、泣き笑いのような表情を浮かべていた。

……その姿が、とんでもなく可愛く見えて、私は初めて自分から彼の頬にキスをした。





結局、授業には間に合わなかった。


というより、教室に向かおうとした途中でチャイムが鳴ってしまったため、二人して午後の授業をさぼってしまった。


その間、先生たちに見つからないよう校舎裏へ戻り、この一か月の空白を埋めるかのように、お互いのことを話し合った。


「前に、一緒にいた女の子は、新しい彼女じゃないの?」


「まさか。友達の彼女だよ。前から虹色の魔石を見せて欲しいって言われてて、でも、あれキャスにあげちゃっただろ?

だから別の魔石をあげるってことで、あそこで渡してたんだよ」


「え、でも、それにしては距離が近かったと思うんだけど……」


物陰に隠れて二人でキスでもするのかと思ったくらいである。


「俺から譲って貰ったのが彼氏にバレないように、こっそり渡して欲しいって言われてたんだよ。

めっちゃ嫉妬深い奴だから……。

それで人気のない校舎裏で渡そうとしてたんだけど、誰かの足音がしたから、慌てて柱の陰に二人で隠れてたんだ。

その足音ってのがキャスだったわけだけど……」


「ま、まぎらわしい……」


誤解するにはなかなか最悪のタイミングである。


「でも、勘違いでよかった。じつは私、あの日、ご飯も食べられないくらい落ち込んでたんだ」


「え……」


アガトが、なぜか驚いた表情を見せた。


「なに? 意外?」


「いや、うん……。だって、キャスは俺に興味なんてないと思ってたから。

空気と同じくらい、そこにいて当たり前で、気にも留めない存在だって認識だった」


ひどい自己評価だ。けれど、そう思わせてしまっていたことに、胸が痛んだ。


「いままで、異性として意識されるように、色々やってきたつもりだったんだけど……。

でも、キャスは文句も言わずに受け入れてはくれるけど、それで俺に対する態度が変わるわけでもなかったし……」


「私……そんなに態度、変わらなかったように見えた?」


「見えた」


間髪入れずに、アガトが答える。


当時は、アガトのお試し行動だと思っていたから、舞い上がってはいけないと、意識的に態度に出さないようにしていたのだ。

まさか、それが裏目に出ていたなんて。


「わかりにくかったよね。ごめん……。

私ね、ある人からアドバイスをもらったの。自分の気持ちは、口に出して伝えることって」


隣に座っていたアガトの手を、ぎゅっと握る。


「だから、これからはちゃんと口に出して、気持ちを伝えていくね」


アガトは私の手を優しく握り返し、ゆっくりと頬に手をあて輪郭をなぞる。その顔は少し赤くなっている。

そして、どちらともなく、唇を重ねた。





「おかげさまで、復縁しました」


「ああ、それは良かったよ!

一か月も経って音沙汰がないから、ダメだったのかなーなんて思ってたけど、彼女が案外素直でよかったねー」


ここは魔法科の研究室の一室。

そこでアガトは、一人の男と向かい合っていた。


今の在校生の中で、魔石研究の第一人者とも言われている――チャーリー・マイスである。


アガトも魔石研究に興味があり、その件で教授に「誰か師事できる人物はいないか」と相談したところ、彼を紹介されたのだ。

また、アガトは婚約者であるキャスリンとの心の距離が、なかなか縮まらないことを、ずっと気に病んでいた。

それを、プレイボーイと名高いチャーリーに相談し、たびたび助言を受けていたのである。


『思いっきり押してダメなら、思いっきり引いてみれば?』


アガトは彼の助言を、文字どおり忠実に実行した。

思いっきり押して身体を繋げ、そして――思いっきり引いて、婚約を解消したのだ。

行動力だけは人一倍あるアガトだが、ここへきて妙な方向へと、その真価を発揮したといえよう。


ちなみに、身体の関係を持った日に渡した虹色の魔石も、チャーリーが応援代わりに貸してくれたものだった。

一歩先に進展したいけれど、どうやってそんな雰囲気に持っていけばいいのか分からない――

そう彼に相談したところ、

『彼女の好きなものでおびき出したらいいんじゃない? 彼女、魔石に興味あるんでしょ? はい、これ貸してあげる』

と言われ、その通りにしたのだ。


だが、その後に湧き上がった罪悪感から、虹色の魔石は餞別代わりに彼女へ渡してしまったのだけれど。


正直、この一か月は本当にしんどかった。

友人たちにはずっと「キャスが隣にいないと寂しくて死にそう」とこぼしていたし、行きも帰りも、キャスが一人で大丈夫か心配で、遠目からずっと見守っていた。


自分からやり出したことなのに、いつまでこの地獄は続くのだろうと、日に日に心は病んでいった。


校舎裏で、友達の彼女と二人でいるところを見られたときなんて、心臓が止まるかと思った。

あのときのキャスの、「お楽しみのところお邪魔してごめんなさい」感あふれる表情は、見ていて本気で死にたくなった。


絶対に自分からは話しかけないと決めていたのに、翌日にはその戒めを破って、彼女のもとへ弁明に行った。

不思議そうな顔をしていたから、もはや彼女にとっては、興味がなさすぎて記憶にすら残っていなかったのかもしれない。


……ただ、この件に関しては、彼女も勘違いして落ち込んでいたらしい。

それを聞いたときの俺の喜びは、一言では言い表せない。


まさか、あのキャスが嫉妬してくれていたなんて。

しかも、その後は、ことあるごとに「好き」と言ってくれる。


もう、ずっと婚約者だったんだから、学生のうちから籍を入れてもいいんじゃないだろうか。

この国の法律的にはアウトだけど。



「でも、これで君には貸しが二つできたね~。

相談に乗ってあげたことと、虹色の魔石を勝手にあげちゃったこと」


チャーリー先輩の言葉で、現実に引き戻される。


「それは……すいません」


あの虹色の魔石については、自分の勝手な判断で渡してしまったので、本当に申し訳なく思っている。

けれども、キャスからそれを取り戻そうという気は、まったく起こらなかった。


「まあいいよ。その分、僕の卒業研究を手伝ってよね」


「はい、もちろんです!」


これまでのすべてに対する感謝を込めて、全力で頭を下げる。

そして、そのまま研究室を後にした。




素直で可愛い後輩だ、とチャーリーは、今しがたアガトが去っていった扉を見つめながら思う。


――だから、彼には絶対に伝えない。

彼らが復縁したあの日、自分が彼の婚約者の手を握ったとき、ドキリと胸が跳ねたことなど。


今まで、本気になれる恋なんてしたことがなかった。

どれも女の子たちとの関係は、彼にとってただの遊びであり、暇つぶし。

いつでもどこか冷めた感情で、俯瞰的に自分を見ていた。


……それが、手を触れ合っただけで、とんでもない喜びが湧いてくるとは、思ってもみなかった。


(自分にも、夢中になれる恋の相手が見つかるといいな)


学園一のプレイボーイは、窓の外を眺めながら、自分の将来に胸を馳せた。


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