54 黄金よりも重き決断
空が白むころ、モンスターの群れは途絶えました。
私たちは満身創痍です。しかし死人はいません。
「や、やりましたわ!」
どうなることかと思いましたが、生き残ることができました。
私は喜びでぴょんぴょんと跳ねます。
「まだ追撃があるかもしれません。皆さん、今のうちに補給を」
緩みかけた空気を、ヴィオが引き締めます。
たしかに、ダンジョンが全てのモンスターを吐き出したとは、まだ限りません。
しかし、次なる波に備えるためにも、このつかの間に私たちは休息を取るべきでした。
村の前はひどい有様です。
畑はえぐれ、防柵は一部壊れています。茨さんたちも、一部やられています。
柵の外側には、手つかずの魔物の死体。柵の内側には解体しただけの、あるいは解体途中の魔物が山積みになっています。
次の波が来る前に、ある程度片付けておく必要もありました。
それでも、村の内部はみんな無事です。
ドガンさんは防柵の補修を、フレルさんは茨の設置しなおしを、ガムルさんは食事の支度を。
ヴィオはアニーさんや村の女性とともに魔物の肉の下ごしらえをし、ガヴさんや村の男性は運搬作業を。
私はけが人の手当を受け持ち、それぞれ休憩を挟みつつ、役割を果たしておりました。
そんな喧噪の渦中、ヌルリと物陰からクロウリーさんが現われました。
しかし、今日のクロウリーさんは、いつもの余裕たっぷりで紳士然とした姿とは違いました。
息を荒くさせ、黒い外套の裾から血を流しておられます。
「クロウリーさん! そのおけが……一体何がありましたの!?」
私はクロウリーさんにかけより、【治癒魔法】を使います。
「少しばかりヘマをしましてね。龍脈の乱れのせいか、転移に手間取ったのですよ」
クロウリーさんの傷が治ったとき、私は今日が彼との約束の日だったことを思い出しました。
「大陸中で同時多発氾濫が発生しました。
どこの地域でも似たようなものですが、そこそこうまく対処しているようです。抱えているダンジョンはせいぜい一つで、日頃の備えもありましたからね」
クロウリーさんが淡々と語る言葉に、私は息をのみます。
「悲惨なのは王都です。
あそこだけは、近郊に複数のダンジョンがあり、さらに、戦力が疲弊した状態で氾濫に対応する事態に陥った」
私はゾクリとします。
ドガンさんが言っていました。これは自然な氾濫ではない、と。
誰かが、王都の体力を削ってから意図的に氾濫を起こしたのではないか。
もしかして、王都を見舞う災難は、これで終わりではないのではないか。
そんな嫌な予感がしました。
「お貸しした魔法箱はお持ちですか?」
私はうなずきます。
「お手紙に記しました通り、氾濫が起きると思って、ブルードラゴンはすぐ使えるようにポーションや装備に加工しましたわ。
それだけではなく、魔法箱の空き容量は、戦時の備えを保存するのに使わせていただきましたの。
幸い氾濫はすぐ一段落しましたので、魔法箱には、手つかずの物資がそのまま残っております」
「……領主様、これは好機です」
「えっ、どういうことですの?」
「今や金貨はただの石ころ。逆にポーション一瓶には人の命と同じ価値がつく。
魔法箱に詰めたスカンピアの物資を今、王都へ持っていけば、借金返済どころではありません。一生遊んで暮らせるほどの大金が手に入るでしょう。
これほどまでに大儲けできる機会は一生ありませんよ」
クロウリーさんのおっしゃることはわかります。彼が私のためにそれを提言していることも。
私は、ほんの一瞬だけ悩みました。
借金返済まで期限はたった一ヶ月。この機会に売り抜けなければ、誰も彼も振る袖のない状況に突入してしまうことが容易に予想できました。
ですが、王都の人々は今、想像もできないほどの苦難の中にいます。その足元を見るのは、正しいことなのでしょうか。
とは言えスカンピアも、今回の氾濫で打撃を受けました。復興のためには物資とお金が必要です。
ブルードラゴンの素材は私だけのものではありません。スカンピアのみんなの共有財産です。
もちろん、借金を返せなくて奴隷になるのは怖いです。
しかし、それを避けるためには何かを捨てなければいけないのかもしれません。
ですが、そんな思惑とは裏腹に、私の心は決まっていました。
「儲け? そんなこと言っている場合ではありませんわ!
罪のない皆さまの危機を見過ごすことなんてできません!」
私の決断は、目の前の危機にある人を救う、でした。
「クロウリーさん、魔法箱の中身をすべて王都で配ってくださいまし。
お金なんていりませんわ!」
スカンピアは、きっと大丈夫です。少なくとも今のところ、損害は、まだ建て直せる範囲です。
ですが、王都ではきっとこうしている間にも、消えかかっている命の灯があります。
それならば、最も時間的余裕のないところに物資を譲る。それが私の答えでした。
怖いですが、不安を吹き飛ばすために、私はあえて楽観的にふるまいます。
「借金が返せず鉱山奴隷になったとしても、体一つあればやっていけますわよ!」
そのとき、どさり、と何かが落ちる音が聞こえました。
音のほうを見ると、ヴィオがいました。
彼女の足元には、たくさんの毛皮が入った桶がひっくり返っていました。
ヴィオはとても悲愴な顔をしていました。しかし、少しの間うつむいたあと、笑顔でこう言ってくれたのです。
「……お嬢様が奴隷に落ちるのでしたら、私もご一緒します」
「ヴィオ! あなたまで不幸になることはありません。再就職するか、実家に帰ってどこかに嫁ぐべきですわ」
「いいえ。お嬢様の身の周りのお世話は、鉱山でも私の仕事ですから。お嬢様が地獄へ行かれるなら、私はその地獄を掃除して、紅茶を淹れるだけです」
私はヴィオに抱きつき、泣き出してしまいました。
本当はとても不安な決断だったのです。でも、ヴィオが一緒にいてくれると言いました。
一人ではない安心、ヴィオを道連れにしてしまうかもしれないという、もっと大きな恐怖。私の心はバラバラになってしまいそうです。
騒ぎを聞きつけたのか、涙でにじむ視界に、見慣れた姿がいくつも見えました。
ドガンさんの、小さくともごつごつとした手が、私の背中を撫でてくれます。
そしてドガンさんは、クロウリーさんにこう啖呵を切りました。
「商人というのは長期的視点で物事を考えんといかん。
今は損得より、恩を売って名声を買うべきじゃ。わしの作品に『王都滅亡の危機を救った』という付加価値が生まれるのは、一億ゴールドにも勝る価値があるわい!」
ドガンさんは、私の考えを後押ししてくれました。
魔法箱の中には、彼女が作ったドラゴン装備がたくさんあります。
ドガンさんもまた、王都の危機にそれを提供してくれるというのです。
クロウリーさんは、「なんとまぁ」と、呆れた様子です。
「……くくく。これほどの大損害は初めてですよ、領主様。
ですが、王都の全住民に『命の恩人』として貸しを作る……。なるほど、これ以上の独占契約はありませんね」
そこにガムルさんが割って入ります。
「魔法箱の中身? 冗談だろ」
ガムルさんが吐き捨てるように言います。
ガムルさんは私を止めるのかしら、と思いましたが、彼が続けた言葉は意外なものでした。
「そんだけで足りるわけねぇだろうが」
ガムルさんは持っていた巨大な鍋を、どん! と机に置きます。
「クロウリーさんよ、今仕込んだばかりのドラゴン飯がある。冷めないうちに届けてやりてぇから、『往復』してもらえねぇか?」
今度こそクロウリーさんは言葉を失っています。
「そうだ! それでこそお嬢様だ!」
「スカンピアは足りている! 王都に持って行ってくれ!」
「ドラゴンなんてまだまだあるんだ! ちょっとくらいおすそ分けしたって構わねぇ!」
村人たちが、わぁわぁと歓声をあげます。
少し困った様子を見せたクロウリーさんに話しかけたのはフレルさんでした。
「僕、宮廷薬師時代に貯めたお金がありまして。お嬢様が奴隷落ちしても身請けするくらいわけないんですよ」
フレルさんの声は、決して大きくはありませんでしたが、村人の大騒ぎの中でもよく聞こえました。
「ですがクロウリーさん。あなた、お嬢様のお金が返済に足りなければ、ポケットマネーを貸すと約束したじゃないですか。僕が出す幕はないはずですよね?」
そう言えば……前の取引のとき、クロウリーさんはそうおっしゃいました。
ブルードラゴンの素材が担保だとも言っていましたが、おそらく、かわりのものは用意できるはずです。
私はすっかり忘れていました。
即金がない以上、借金を借金で返すことにはなりますが、私には助けてくれるみんながいます。
奴隷落ちを怖がる必要なんてなかったのだと、私は思い出しました。
「フレルさん、そこまでお嬢様を思ってくださっていたのですね」
ヴィオがつぶやきます。
「ヴィオさん。
なんだかんだ返済は順調でしたからね。言う必要ないですし、あなたが嫌がると思って今まで黙っていたんですよ。
あなたのお嬢様が僕のものになっちゃったら嫌でしょう?」
「……本当にあなたは気持ち悪い人です」
ヴィオはいつものように憎まれ口を叩きます。
しかし、彼女の本心はきっと言葉とは違うのでしょう。
そのとき、人垣を割って進み出た人がいました。
第八騎士団長さんとソレンさんです。
第八騎士団長さんは、クロウリーさんに革の袋を差し出しました。
「これは私の魔法鞄だ。この中には、私たちが村の畑仕事を手伝って分けてもらった『聖女カブ』がある。
これを魔術師協会へ届けてくれ。これほどの魔素を含んだカブがあれば、力尽きた魔導師たちの魔力を回復させ、結界を再起動できるかもしれん!」
「俺たちは王都を出た身だが、王都の仲間を忘れたことなど一日たりともないんだ。これでみんなを助けてやってほしい」
第八騎士団長さんとソレンさんが、クロウリーさんに深く頭を下げて訴えます。
王都が嫌になって逃げてきたソレンさんや、仕事をクビになった第八騎士団長さんが、王都の人々を恨んだりせず、こんなふうに思って行動していたとは、私は知りませんでした。
「運び賃が必要なら私に請求してくれ。あのとき、ドラゴンの革を競り落とせなかった償いだ」
第八騎士団団長さんは、クロウリーさんをまっすぐ見て言いました。
「……やれやれ。大赤字ですが、これほど愉快な取引もありませんね。
承知しました、命を賭けて届けてまいりましょう」
クロウリーさんの表情はペストマスクでわかりません。ですが、その声はとても穏やかなものでした。
彼は魔法鞄を懐にしまい、魔法箱を持ち上げると、壺の中へと溶けるように消えていきました。
【クロウリー】
・ユニークスキル
【影渡り】
自身と身につけている物品のみ、影から影へ瞬間移動できる。他の人間や生物、手で持ち上げられないほどの大きな荷物を移動させることはできない。




