20 鉄壁の猪もイチコロですわ!
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微弱な光を放つ青いキノコが幻想的な星屑を散りばめた森の闇。その静寂を、突然、荒々しい地響きが破りました。
「っ! 何か来るぞ!」
ドガンさんが即座に身構えた瞬間、太い倒木を突き破らんばかりに、巨大な影が飛び出してきました。
「こいつは、『フォレストボア』じゃ!」
その魔獣の体高は優に一メートルを超え、全身は森の土と同じように茶色と黒の分厚い剛毛に覆われています。しかし、その毛皮はただの毛皮ではありません。背中には、まるで何種類もの苔や地衣類が根付いたかのように、濃緑色や赤錆色の斑紋が張り付き、森の景色に溶け込む迷彩の役割を果たしています。
「これは……見つけにくいわけですね」
ヴィオもナイフを握って戦闘体勢に入ります。
「グルルルルルルル……!」
フォレストボアは地響きのような唸り声を上げ、数度地面をひっかくと、高速で突進してきました。
「きゃああ、こっちへ来ましたわ!」
私は慌てて横に逸れました。
「ピギィ!!」
フォレストボアはそのまま直進し、後ろにあった大岩に頭を打ちます。
「ナイス! せぇぇい!!」
ドガンさんがハンマーをフルスイング。横っ腹を打たれたフォレストボアは、数メートル吹っ飛びます。
「お嬢様は物陰に隠れて援護を!」
「わ、わかりましたわ!」
ヴィオの指示に従い、私はひときわ太い大樹の裏に隠れて魔力を練ります。
「野蛮な豚さん、こっちですよ!」
ヴィオはフォレストボアにナイフを投げます。ナイフは分厚い毛皮に阻まれて大したダメージは通っていません。しかしヴィオの狙いはそれではありません。
ヴィオはメイド服を翻しフォレストボアを翻弄します。その間に私の詠唱は完了していました。
「貫け! 【火槍】!」
ヴィオに気を取られていたフォレストボアは、私の魔法を避けきれませんでした。湿った毛皮は炎に包まれ、その場にどうと倒れます。
「やったのう! しかしこれ一頭で魔法鞄のかなりの部分が埋まるんじゃないか」
「他になにか見つかるかもしれません。フォレストボアはここにいったん置いておいて、帰りに回収しましょう」
私たちはひとまずフォレストボアのはらわたを抜き、枝につるして放血しておくことにしました。
抜いたはらわたは私の【火魔法】で焼却しておきます。
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しばらく進むと、不思議なものがありました。
先ほど私たちがしたような、狩猟済みの鹿です。
「これは『ワイルドディア』じゃな。わしら以外にもこのダンジョンに潜っているやつがおるようじゃ」
ドガンさんが言いました。こんな辺境に? と私は思いました。しかしオルダー領は人口が少ないですが、いないわけではありません。
「……おかしいのう。血が一滴も落ちておらん」
ドガンさんが地面を指さしました。
「心臓を一突きで絶命させ、その瞬間に血抜きまで終えている。まるで奇跡のような神技じゃ。
それに、見てみぃ」
ドガンさんは近くに捨てられていたはらわたを探ります。
「内臓の中でも、とくにうまいとされる『レバー』と『ハツ』だけが綺麗に切り取られておる。
これはただの食料確保ではない……『美食』のために狩りをしているやつの仕業じゃな」
謎の猟師か料理人。その方は敵でしょうか、味方でしょうか。私は期待と警戒心を半分ずつ胸に抱き、さらに森の奥へと足を踏み入れました。
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「んっ? すんすん……」
私は突然立ち止まりました。これまでとは違う「空気」を感じたのです。
「なんだか、おいしそうな匂いがいたしません?」
「お嬢様、お弁当にはまだ早いですよ……あら、本当ですね」
「なんじゃこの香ばしさは。肉とは違うような……」
私たちはそれぞれ疑問を口にしつつ、匂いのもとを確かめることにしました。
「あそこから煙が流れています。誰かが焚き火をしているのかもしれません」
ヴィオが異状を見つけた方向に向かっていくと、そこには見知らぬ人がいました。
焚き火をしていた人は、とても大きな体を持つ人です。その後頭部は赤い鱗で覆われており、腰からは一本の太い尾が伸びています。
「あの外見は竜人族ですね」
「あの方がお食事を?」
警戒しなくては……でも、周囲に立ち込める匂いは、あまりにも誘惑的でした。
バキッ!
私はうっかり小枝を踏んでしまいました。乾いた音が響きます。
「ん?」
竜人の方は私たちに気づきました。振り返ったその額には、黒い二本の角が生えています。
「ご、ごきげんよう。私、オルダー領領主のゼジリア・オルダーともうしま……ひっ!?」
挨拶をしたとき、私は気づいてしまいました。
鍋の中でぐつぐつ茹でられていたのは、大きな蜘蛛だったのです! その蜘蛛は脚の一節が十数センチほどもあり、茹でやすいようにするためか、胴体のところで半分に割られていました。
「食うか?」
「お、おいしいんですの、それぇ!?」
私はおそるおそる聞きました。見た目のグロテスクさに反して、匂いがあまりにも食欲をそそるのです。
私が逡巡している間にも、鍋の中では、グロテスクな紫色の殻が、熱せられて鮮やかな朱色に変わっていきます。まるでロブスターのような、甲殻類特有の芳醇な香りが立ち上り、私の本能が「これは食べ物だ」と警鐘を……いいえ、歓声を上げています。
見た目は蜘蛛。でも匂いは極上のカニ鍋。私はゴクリと喉を鳴らしました。
「断言する、うまいぞ。
虫は古来から親しまれてきた食材だ。あんたら若い女は、パリッとした皮にクリームを詰めたような菓子が好きだろう?
人間がそういう食感のものをうまいと思うのは、祖先が昆虫を食ってきた名残りであるという説がある」
「いやぁぁ! 聞きたくありません!」
ヴィオが悲鳴を上げました。クールな彼女には珍しいことです。
「うぐぐっ……い、いただきますわっ!!」
私が決心すると、竜人の方は蜘蛛の脚を一本鍋から引き上げます。それを関節のところでポキっと折り、引っ張ると、殻の中から赤と白のツートンカラーの身が出てきました。この状態なら、そう気持ち悪い印象はありません。
私はそれを受け取り、目をつぶって口に入れます。
「お……おいしいですわぁ~~!!」
なんということでしょう! あの恐ろしい外見からは想像がつかないほど、上品で雑味のないお味です。
そしてその素材を引き立てる、絶妙な塩加減! 美しいお皿に気の利いた付け合わせとともに盛りつければ、王家主催の会食に出たとしてもおかしくないでしょう。
「ははは、そいつはよかった。後ろの二人もどうだ?」
私も「ぜひ!」と勧めました。ヴィオとドガンさんも、覚悟を決めて味を確かめます。
「悔しいですが、おいしいです」
「なんといううまさじゃ。酒が欲しい」
二人が美味しさを認めたので、先駆者である私も得意な気分になりました。
「あんたらはモンスター飯に理解があるようだな。俺はガムル。美食ハンターだ」
竜人の方がそう名乗ります。
「私はヴィオレッタ・フェリシアともうします。ゼジリアお嬢様の侍女です」
「わしはドガン、流れの建築士じゃ。今はこのダンジョンの素材目当てで、オルダー領に滞在しておる」
ヴィオとドガンさんが自己紹介をしたところで、私たちはこの探索の目的を話しました。
「かくかくしかじかでして。ガムルさんは、酒造の妖精をお見かけになりませんでした?」
「そいつかはわからねェが、キノコの妖精はあっちにいた。う~ん、口で言うのは難しいな。飯食った後でよければ連れて行ってやる」
そのような事情で、私たちはガムルさんのキャンプでお弁当を広げることとなりました。
蜘蛛脚のお礼に村で作った燻製をお分けすると、ガムルさんは村の塩に興味を持ってくださいました。




