第9話 不気味な笑みの理由
「おはようございます、ウェリダンお兄様」
「おはようございます、クラリア。今日はなんというか……燃えていますね?」
「そ、そう見えますか?」
イフェネアお姉様から話を聞いた私は、後日ウェリダンお兄様の部屋を訪ねていた。
何故そうしたのかは、自分でもわかっていない。ただなんというか、そうするべきだと思ったのである。
ウェリダンお兄様は、いつも通りの笑顔で私を迎えてくれた。その笑顔は、今までは少し違って見える――ような気がする。
「何かやる気を出すようなことがあったということでしょうか? 二人の令嬢のことですか?」
「あ、いえ、それは別に……」
「おや違ったのですか? それではどうしてわざわざ僕を訪ねて?」
「すみません。用事もなく訪ねてしまって」
「いえ、構いませんよ……そうですね。別に兄を訪ねるのに用事なんていりませんか」
ウェリダンお兄様は、いつもの笑顔を浮かべている。ただ、今はなんというか、嬉しそうにしているような気がしないでもない。
段々と私は、その感情を掴めるようになってきている。多分、ヴェルード公爵家の人々は皆そうなのだろう。だからいつしか、この笑顔を問題視しないようになったのだ。
これも個性の一つだということもできるかもしれない。ただ、本当にそれで良いのだろうか。私はいつか困る日が来ると、考えてしまう。
「ウェリダンお兄様は、立派な――お優しい方ですよね」
「おやおや、急にどうしたのですか?」
「だけど、その笑顔からはそれが伝わってきません。私は最初に会った時、ウェリダンお兄様のことを怖い人だと思っていました」
「……それは」
私の口からは、自然と言葉が出てきていた。
それは言うべきことだったのかは、よくわからない。でも口にしてしまったのだから、もう仕方ないだろう。一度出した言葉を、引っ込められるという訳でもない。
つまり、このまま突き進むしかないということだ。私は気合を入れて、ウェリダンお兄様の目をしっかりと見る。
「もったいないですよ、ウェリダンお兄様」
「もったいない、ですか?」
「ええ、だって、初めて笑顔を見て、この人とは関わりたくないなって思ったら、それで終わってしまうじゃないですか。ウェリダンお兄様の良さは伝わりません」
「僕の良さ……だけれど僕は、別に他人にわかってもらえなくたって……」
「ウェリダンお兄様……?」
ウェリダンお兄様は、ゆっくりと窓際まで歩いていった。
その後ろ姿は、なんとも物悲しいものだ。それはもしかしたら、イフェネアお姉様が言っていたことが関係しているのかもしれない。友達との間にあったことが、ウェリダンお兄様の心に陰を落としているということだろうか。
「クラリア、僕には友達がいたんだ」
「友達、ですか?」
「ああ、大切な友達だった」
ウェリダンお兄様の表情から笑顔が消えて、その口調も少し変わって、私は驚くことになった。
私の言葉の数々は、ウェリダンお兄様の眠っていた思いを呼び覚ましてしまったのかもしれない。
ただ、それを後悔してはいなかった。私は、ウェリダンお兄様の本音が聞きいと思っている。今ならきっと、それが聞けるだろう。
「その友達から、僕は言われたんだ。ウェリダンは笑わないって……僕はその、感情を表に出すのが得意ではなかった。だけど、それを友達は一緒にいても楽しくないと思っているのではないかと、疑ってきたんだ」
「それは……」
「当然のことだと、僕は思っている。だってそうだろう。僕は友達と一緒にどんなことをしても、表情もテンションも変わらなかった。それで楽しんでいるのが伝わる訳なんてない」
ウェリダンお兄様は、窓の外を見ていた。
もしかしたら私のことなど、既に眼中にないのかもしれない。過去を振り返って、自然と言葉が出てきているようだった。
「だからなんとか、笑おうと思ったんだ。それでいつもするような笑顔を作った。友達に自分は楽しんでいるのだと、伝えたかった……だけど、結果は良いものではなかった。友達は僕の笑顔を見て、驚いたような顔をして、その場はなんとか受け流したみたいだけれど、それからは以前のように付き合うことはできなくなってしまった」
ウェリダンお兄様にとって、その友達というのは大切な人だったのだろう。
その友達と離れることになってしまったのは、きっと辛かったはずである。
しかしそれならどうして、今もその笑顔を続けているのだろうか。そこには疑問があった。離れるきっかけになった笑顔は、わざわざしたいと思えるようなものではないはずだ。
「それから僕は、よくわからなくなった。もう二度とそのようなことが起こらないように、表情を作る練習をしたんだ。結果的に、社交界でやっていけるくらいのものは身に着けられたと思う。ただそれは、偽りの表情だ。本当の感情を表に出そうとすると、どうしてもあの時のように笑ってしまう……」
ウェリダンお兄様は、ゆっくりと私の方を向いた。
そこで彼は、目を少し見開く。いや、表情は動いていない。今は私が錯覚しているだけだ。
ただ何はともあれ、ウェリダンお兄様は驚いているようだった。やはり途中から、私に話しているということがわからなくなっていたのだろう。彼は少し、焦っているように見えた。
「……僕としたことが」
ウェリダンお兄様は、いつも通りの笑みを浮かべていた。
ただそれは恐らく、誤魔化しの笑みだ。お兄様はきっと、今まで自分が喋っていたことが失言だと思っているのだろう。
「変なことを話してしまいましたね。申し訳ありません」
「……変なんてことはありませんよ。ウェリダンお兄様にも色々なことがあったとわかりましたから」
「……そうですか」
ウェリダンお兄様は、少し気まずそうにしていた。
その気まずさというものに対して、私はどうするべきか悩む。今のウェリダンお兄様に、私がかけるべき言葉とは一体何なのか、それがすぐには出て来なかったのだ。
いや、正確には少し違うのかもしれない。私には言いたいことがある。だけど、それを言っていいのかどうか、一瞬迷ってしまったのだ。
ただ答えはすぐに出た。このままウェリダンお兄様のことを放っておくことが、良いことだとは思えない。だって話している時のウェリダンお兄様は、辛そうだったから。
「……けれど、このままではいけないと思います」
「……おや、それはどういうことでしょうか?」
「ウェリダンお兄様は、他人にわかってもらえなくても良いなんて、本当は思っていないからです」
「何を言うかと思ったら、そのようなことですか。クラリアなら、僕のことをわかってくれると思っていたのですが……」
「そうやってムキになっているのが、何よりの証拠ではありませんか」
「ムキに? 僕がいつムキになったと……」
私の指摘に、ウェリダンお兄様は固まっていた。
自分でも気付いたのだろう。私の指摘に対して、語気を強めて反論しているということに。
本当に何も思っていないのなら、笑って受け流すことだってできたはずだ。それをしなかったということは、図星だったということである。
「……あの、ウェリダンお兄様?」
そんなことを考えながら、私はウェリダンお兄様に声をかけた。
彼は固まったまま、まったく動かなくなっている。それがあまりにも長い時間であったため、少し心配になってきたのだ。
私は、言い過ぎてしまったのだろうか。だとしたら、申し訳ない。ウェリダンお兄様のことを、傷つけたい訳ではなかったのだが。
「……すまない」
「え?」
「クラリア、すまない。僕はなんと愚かなことを……自分の不出来を妹にぶつけるなど、僕はなんて馬鹿なことをっ!」
「ウェ、ウェリダンお兄様?」
ウェリダンお兄様は、心配していた私に駆け寄って来た。
どうやら、私に対して少し語気を強めたことを気にしているらしい。
しかしそれは、仕方ないことである。私もウェリダンお兄様を怒らせるような言葉を発していたという自覚はある。
ただ、今重要なのはどちらが悪かったかとか、そういった話ではないだろう。
私に駆け寄って来たウェリダンお兄様の表情を見て、私はそう思った。今の彼は、いつもの不気味な笑みとは違った表情をしているのだ。




