第8話 ばれていたこと
「おやおや、これはこれは……」
「あ、ウェリダンお兄様……」
「げ……」
私とロヴェリオ殿下が中庭で話していると、そこにウェリダンお兄様がやって来た。
その顔を見て、ロヴェリオ殿下は少し嫌そうにする。ウェリダンお兄様との間に、何かあったのだろうか。
「ロヴェリオ殿下、人の顔を見てげは、ないのではありませんか?」
「いや、だってウェリダン様はちょっと気味が悪いし……」
「……気持ちがわからない訳では、ないのですが」
私が小声で一応注意してみると、ロヴェリオ殿下は納得できなくもない理由を返してきた。
ウェリダンお兄様の笑顔は、ちょっと不気味である。エフェリアお姉様やオルディアお兄様も、それには同意してくれた。
ただだからといって、人の顔を見て露骨に嫌そうにするのは駄目だと思う。ウェリダンお兄様は、お優しい人ではあるし。
「……おやおや、僕はお邪魔虫でしたか、ロヴェリオ殿下」
「え? あ、いや、そういう訳ではありませんけど……そうだった。ウェリダン様、クラリアを虐めていた二人の令嬢の件ですけど」
「ああ、その時クラリアを助けていただいたのですね。感謝します」
「その二人に対して、過度な罰を与えようとしていますよね。それを取りやめていただけませんか?」
ロヴェリオ殿下は、ハキハキと自分の意見を述べていた。
それにウェリダンお兄様は、不気味な笑みを浮かべている。基本的に、彼の感情は全てその笑みで表されるため、何を考えているのかは不明だ。
「ロヴェリオ殿下は、まだまだお若いですからね。大人の考えというものは、理解できないということですか……」
「六歳しか違わないから、ウェリダン様だってまだ大人とは言えないんじゃないですか?」
「え? 六歳?」
「クラリア? どうかしましたか?」
ウェリダンお兄様と自分の年齢差を聞いて、私は思わず声を出してしまった。
てっきり、ウェリダンお兄様は二十代半ばとかだと思っていたからだ。でも考えてみれば当然である。だってウェリダンお兄様は、イフェネアお姉様の弟である訳だし、少なくともお姉様よりは年下なのだから。
「クラリアだって失礼じゃないか」
「あ、いや、だってウェリダンお兄様って大人っぽいですし……」
「まあ、気持ちはわからない訳ではないが……」
今度はロヴェリオ殿下に小声で注意されてしまった。
でも、これに関しては仕方ないことだと思う。だって私は、六年後にウェリダンお兄様のようになれるとは思えないからだ。
ただそう考えると、八年後にイフェネアお姉様のようになれる自信もない。どうやら私は、大人になるまでもう少し時間が必要なようだ。
「……お二人が何を話しているのかは知りませんが、そろそろこちらに意識を向けてもらいたいものですね」
「あ、すみません、ウェリダンお兄様」
「ちょっと、こっちはこっちで作戦会議を……」
私達が小声で話していると、ウェリダンお兄様が話しかけてきた。
いつも通りに笑みを浮かべているが、その表情は少々寂しそうにも見える。
そういえば、イフェネアお姉様も寂しがり屋だった。そういう所はやはり、兄弟で似るものなのだろうか。でもそれなら、わざわざ部屋を分けなくても良かったというのに。
「ああ、僕達を止めようとか、そういう作戦会議ですかね……エフェリアとオルディアと、四人でこそこそとやっていたみたいですから」
「え?」
「なっ、どうしてそれを……」
続くウェリダンお兄様の発言に、私達は驚いた。
どうして私達の秘密の会議のことを知っているのだろうか。あのことは他言無用であると、エフェリアお姉様やオルディアお兄様と決めていたはずなのに。
「僕達は大人ですからね。子供の行動というものは把握しているものですよ。何かあったらいけませんからね」
「そ、それじゃあ、会議の内容なんかも……」
「大方、王家による介入を狙っているのでしょうね。それは有効な手だと思います。国王様を説得するのは骨が折れますからね。こちらとしては折衷案を考えざるを得ません」
「あ、結構いい感じだったのですね……」
ウェリダンお兄様は、余裕そうな笑みを浮かべながらも、私達の作戦に困っているようだった。
ただそれは、当たり前のことである。いくら公爵家の令嬢を侮辱したからといって、絞首台なんて無理があるのだ。鞭打ちだって、普通は通る案ではない。
「しかし、あの二人を追い詰めるということは必要なことだということは理解していただきたい。それは個人としての感情を抜きにしても必要なことなのです」
「ヴェルード公爵家が、舐められないため、ということですか?」
「クラリアは賢いですね。ええ、言うならばこれは見せしめです。僕達と敵対すること……今回の場合は、クラリアのことでヴェルード公爵家を叩くとどうなるかを社交界に知らしめる必要があるのです」
そこでウェリダンお兄様は、真剣な顔になった。
いつもの笑みが鳴りを潜めると、その端正な顔立ちが際立つ。ただそこには感情というものがなくて、今となっては私はこちらの方が怖い顔だと思った。
「……熱くなり過ぎましたね。僕はクールであることを信条としているというのに」
「ウェリダンお兄様……」
「まあ何が言いたいかというと、今回の件は通常以上の罰が必要だということです。二人もいつかは理解できるようになるでしょう」
ウェリダンお兄様は、そこで私達に背を向けた。
その背中は少し、物悲しいようにも見える。それだけ熱くなったことを、後悔しているということなのだろうか。
◇◇◇
私の毎日というものは、イフェネアお姉様の顔を見て始まり、その顔を見て終わる。
一緒の部屋で過ごすということは、そういうことだ。大きな広いベッドの中で、私はお姉様と身を寄せ合っている。
恥ずかしい話ではあるけれど、私はいつもお母さんとそうやって一緒に眠っていた。
もしかしたらこの部屋よりも狭いかもしれない家の中で、寒い日は特にお互いを温め合っていたのである。
今となっては、そんな日々が懐かしく思えてくる。その日々が戻って来ることは、きっともうないのだろうけれど。
「クラリア、何かあったの?」
「え?」
「浮かない顔をしているわ。私で良ければ、力になるけれど」
そんな風に感傷に浸っていると、イフェネアお姉様が話しかけてきた。
それに私は、どう答えていいかわからない。確かに心の中に不安というものは存在しているが、それは素直に話せる程に簡単なものではなかったのだ。
「……ウェリダンお兄様のことで少し気になることがあるんです」
「あら、あの子がどうかしたのかしら?」
「その、いつも笑っているので、どうしてなのかと思って……」
私の口から出てきたのは、不安ではなくてウェリダンお兄様のことだった。
実の所、それも気になっていたことである。あの笑みというものは、一体どうして生まれたものなのだろうか。
楽しい時も寂しい時も苦しい時も、きっとウェリダンお兄様は笑っている。あの不気味な笑みというものは、生まれつきだったのだろうか。
「昔はそうでもなかったのだけれどね」
「そうなんですか?」
「ええ、というよりも、あの子は感情を表に出すのが苦手だったのよ。いつも無表情で……無機質だったの。それを友達に指摘された時からかしら。あんな風に笑うようになったのは」
「なるほど、それであんな不気味な笑顔を……ああいえ、すみません」
「いいえ、大丈夫よ。私も少なからず、そう思っている所があるから」
私の失言に、イフェネアお姉様は苦笑いを浮かべていた。
やはり、あの笑顔はあまり良い笑顔という訳でもないのかもしれない。無理をして笑っているということなのだろうか。だとしたら、少々悲しいものである。
「でもあの笑顔は、親しい人の前でしか見せないものなのよ? 舞踏会とかそういった場では、なんとか表情は作れているの。でもまあ、それは心からの笑顔ではないけれど……」
「心からの笑顔、ですか……」
「ええ、でもウェリダンは感情がないという訳ではないから、きっとその出力の仕方がわからないのでしょうね……今は変な癖がついているというか」
「なるほど……」
ウェリダンお兄様のことが少しだけわかって、私は色々と考えることになった。
感情を表に出すことができないというのは、私には経験がないことだ。楽しい時は笑っていたし、悲しい時は泣いていた。それはもしかしたら、幸せなことだったのかもしれない。




