日常編16 長兄の趣味
私は、アドルグお兄様とともに近くの牧場に来ていた。
ここは、お兄様の行きつけであるらしい。有事の際に乗る馬も、ここに預けているそうだ。
「俺の趣味と言えば、乗馬といえるだろう。クラリア、お前は馬に乗ったことはあるか?」
「え? いえ、ありません」
「それならば、一度乗ってみるといい。馬に乗り、風を切る感触は気持ち良いものだぞ」
アドルグお兄様に乗馬の趣味があったなんて、驚きだ。
そのようなことは、今まで聞いたことがない。馬に乗っている所も見たことがなかった。本当に趣味なのだろうか。
いや、アドルグお兄様はお忙しい人だし、その暇がなかっただけかもしれない。ここ最近は、私のことで色々とあった訳だし。
「馬に乗るというのは、少し怖いものですね。大丈夫なのでしょうか?」
「ふむ、恐怖があるというのは理解できる。しかし、そう怖がるものではない。今回のような場合であるならば、何も問題はない。そこまで速度も出ないからな。馬の気性にもよることはあるが、俺の愛馬は温厚だ。何より子供好きだからな」
「馬にも、子供が好きなどあるんですね……」
アドルグお兄様は、意気揚々と乗馬について語っていた。
その語りは、楽しそうだ。どうやら本当に、馬に乗るのが好きであるらしい。
そういうことなら、私も安心できる。アドルグお兄様が詳しいのならば、私も馬に乗ってみるのもありなのかもしれない。
「無論、馬にも性格というものは存在している。まあ、その辺りは実際に接してみればわかることだろう。クラリア、こちらだ」
「あ、はい……」
アドルグお兄様は、厩舎の方に足を踏み入れた。私もそれに、続いていく。
すると、窓のような四角い場所から、馬が顔を覗かせていた。何頭か、ここにいるようだ。その鼻息が、聞こえてくる。
やはり、少し怖かった。馬という生き物は非常に大きくて、私は少し尻込みしてしまう。
「クラリア、安心しろ。ここにいる馬達は、お前に危害を加えることなどない。ともすれば、人間などよりも、素直で可愛いものだぞ?」
「それは……」
アドルグお兄様は、少し皮肉めいたことを口にしていた。
しかし言われてみれば、そういった側面はあるのかもしれない。
私はこれまで、社交界というものでそれなりに揉まれてきた。そこで会った人達と違って、馬達からは悪意は感じられない。
「無論、礼儀というものが必要なことは変わらないがな。騒ぐなどということは、以ての外だ」
「……それなら、恐怖しているのもいけませんよね? 馬に失礼に当たります」
「その気持ちがあるというならば、問題はない。初めて接する以上、緊張は当然のものだ。恥じる必要などはない」
アドルグお兄様は、ある馬の前で足を止めた。それはつまり、その馬が愛馬ということだろうか。
黒い馬体のその馬からは、なんというか気品が感じられた。きりっとした顔立ちで、どちらかというと格好良い印象を受ける。
「……久し振りだな、お前も元気そうで何よりだ」
「ブルル……」
「長い間、放っておいたことは謝罪しよう。とはいえ、よもや俺の顔を忘れた訳ではあるまい。ブラック・ドラクーン」
「フンッ……」
ブラック・ドラクーンと呼ばれた馬は、お兄様からの呼びかけに鼻を鳴らした。
なんというか、心なしか不服そうに見える。それは本当に、アドルグお兄様が長い間会いに来ていなかったからだろうか。
とはいえ、最初に呼びかけた時は、むしろ好反応だったようにも思える。鼻を鳴らしたのは、名前を呼ばれてからだ。
「ブラック・ドラクーン、どうかしたのか? おっと、お前に紹介しなければならないな。こちらは、クラリア。俺の妹だ。お前には言うまでもないことではあるだろうが、まだ幼い。あまり怖がらせるものではないぞ?」
「……」
「お兄様、なんだか不服そうですよ?」
「……ふむ」
ブラック・ドラクーンの反応に、アドルグお兄様はため息を吐いた。
いつもはこのような感じではないのだろうか。お兄様の反応からは、そう思える。
「こいつは、時折このような反応を見せることがある。一体、何が不服なのやら」
「……」
「ブラック・ドラクーン、お前は父親に比べれば、大人しい方ではあるが……」
「ブルルッ」
「……名前が気に入らないんじゃないですか?」
ブラック・ドラクーンは、名前を呼ばれて、大きく鼻を鳴らした。
その反応からして、やはり名前が気になっているのではないだろうか。先程から、名前を呼ばれる度に、抗議しているように思える。
「名前だと?」
「……あの、アドルグお兄様、一つ質問なのですが、この子は女の子なんじゃないですか?」
「ほう? よくわかったな。ブラック・ドラクーンは牝だ。驚くべきことではあると思うが、こいつは雄と同等以上の力を持っている。父親であるブラック・ドラゴの資質を引き継いだ名馬だ」
「女の子だから、やっぱりブラック・ドラクーンという名前が嫌なんですよ」
「ブルルッ、ブルルッ……」
「わっ……」
私の言葉に、ブラック・ドラクーンは首を伸ばしてきた。
彼女は、私の体に口元を擦りつけてくる。どうやら私の言っていることは、正しいようだ。明らかに喜んでいる。
それにしても、やはり女の子だったのか。なんとなくそうだと思ったけれど、当たっていて良かった。
「……ブラック・ドラクーン、お前は名前が嫌だというのか?」
「ブルルッ」
「……ブラック・ドラゴの名を受け継いだその名前が、気に入らないというのか?」
「まあ、受け継ぐのは良いにしても、もう少し女の子らしい名前がいいのでは?」
「ブルルッ、ブルルッ……」
「あ、やっぱり……」
私は、ブラック・ドラクーンの頭に手を伸ばしてみた。
嫌がっていないようなので、撫でてみる。すると彼女は、気持ち良さそうにしてくれていた。
なんとなく、ブラック・ドラクーンとは分かり合えているような気がする。アドルグお兄様は、少し不服そうにしているが。
「それならば、名を変えるのは構わん。しかし、至高の名馬であるブラック・ドラゴの名はやはり残さねばなるまい」
「えっと、それならブラック……ドラクシアとか、でしょうか?」
「……ブルルッ、ブルルッ」
私の提案に、ブラック・ドラクーンは少し躊躇った後、頷いた。
多少思う所はあれど、お兄様のこだわりにも、譲歩してくれたということだろう。それならば、この名前でも問題はなさそうだ。
という訳で、彼女の名前は、ブラック・ドラクーン改めブラック・ドラクシアとなった。
それにしても、お兄様はもう少しこの子の心情も慮って、名前をつけてあげても良かったと思うのだが。
意外とそういうことは、苦手なものなのだろうか。馬が好きだからこそ、見落としてしまったのかもしれない。




