第4話 長女の考え
「はあ……」
ウェリダンお兄様との話を終えて、私は自室の前まで戻って来ていた。
なんというか二人のお兄様は、ひどく過激である。それだけ怒ってくれているというのは、私からすればありがたいことでもあるのだが、いくらなんでもあんまりだ。もう少し抑えてもらいたい。二人にはそれを実行できるだけの権力がある訳だし。
「とりあえず、休もう……」
そのことで少々疲れた私は、自室にゆっくりと入っていた。
すると、違和感を覚えた。なんだか気配を感じるのだ。部屋の中に、誰がいるような気がする。
そう思って周囲を見渡してみると、窓際に一人の女性が立っていた。その姿には、見覚えがある。あれはヴェルード公爵家の長女であるイフェネア様だ。
「あら……戻って来たのね」
「イフェネア様……ど、どうしてこちらに?」
「あなたのことを待っていたのよ」
「ま、待っていたって……」
「あら、何か不満でもあるのかしら?」
「い、いえ、そういう訳では……」
ここは私の部屋である。その言葉を私は飲み込んだ。
そんな主張をすれば、きっと不満を買うだけだろう。ここはヴェルード公爵家から与えられたに過ぎないのだから。
この部屋の所有権などを主張できる立場ではない。だから私は、口をつぐんだ。しかし、わからない。どうしてイフェネア様はこんな所にいるのだろうか。
「……私は、前々から気に入らないと思っていたのよね。あなたにこの部屋が与えられたということが」
「……え?」
イフェネア様は、ゆっくりと言葉を呟いた。
それに私は、震えてしまった。その声色が、とても冷たいものだったからだ。
要するにイフェネア様は、私のことを快く思っていないということなのだろう。
二人のお兄様が味方についてくれて安心しきっていたが、ここが安心できる場所ではないと、私は改めて認識することになった。
ここでは常に気を引き締めておかなければならない。そう思って、私は体を少し強張らせる。
「お父様もお母様も、それからお兄様も何を考えているのだか、まったく持って理解できないわ」
「……」
「右も左もわからないあなたにこんな部屋を与えて、一体何になるというのかしら? もう少し物事というものを考えてもらいたいものね」
イフェネア様は、かなり怒っているようだった。
彼女は、ゆっくりとこちらに近づいて来る。しかし私の体は、動いてくれない。急に気を引き締めたからか、体が固まっていたのだ。
そんなことを考えている内に、イフェネア様は私の間近まで来ていた。そこで彼女は腰を下ろして、私と目線を合わせてきた。
その動作に、私は驚くことになった。なんというか、とてもイフェネア様の目がよく見える。ただそれだけのことなのに、なんだかとても安心することができたからだ。
「人には、それぞれ役割というものがあるのよ。お父様とお母様は、忙しかった。それからアドルグお兄様も、時期後継者としての期待を背負って大変だったの。もちろん、お兄様はお優しい方だから、私達のことも気に掛けてくださっていたけれど、それでも限界というものがあったのでしょうね」
「え、えっと……」
目線が合ったことでわかったことだが、イフェネア様は私に対して特に怒りを向けていないようだった。
彼女は、優しい目をしている。というか、今にも泣きそうなくらいに瞳が潤んでいる。それに私は、少し驚いていた。
「その辺りをカバーするのが、このヴェルード公爵家の長女である私の役割だったわ。だから弟と妹の面倒を見てきたつもり。それは両親やお兄様にも伝わっていたと思うの。だからこそ、私の部屋で兄弟四人で過ごしていた」
「そ、そうだったのですか?」
「ええ、だけれど、人はいつか自立していくもの。ヴェルードは個人の部屋を持ち、エフェリアとオルディアは二人の部屋に移った。それは寂しいことではあるけれど、私にとっては誇りともいえることよ。三人が成長して、私の元から巣立っていったということだもの」
イフェネア様が何を言っているのかは、正直よくわからない。
何の話をしているのだろうか。私は疑問符を浮かべていた。
ただ、何かを伝えようとしていることは理解できたため、私は静かに話を聞くことにする。
「だけれど、自立するということは学びを得たからこそ、できることだと私は思っているの。右も左もわからないあなたにまでそれを強要するなんて、私には理解できないことよ」
「えっと、どういうことでしょうか?」
「クラリア、あなたは私の部屋に来なさい。私があなたに貴族のいろはを教えてあげるわ」
「貴族のいろは……って、イフェネア様の部屋で、私が?」
イフェネア様の提案に、私は驚いていた。
私が彼女の部屋で暮らすなんてことは、今の今までまったく考えていなかったことである。
それを聞いた途端、私の中には様々な考えが過ってきた。色々と心配なことがある。そもそもの話、イフェネア様はそれで良いのだろうか。
「まあ、急にこんなことを言われても困ることはわかっていたわ。でも私は、あなたの力になってあげたいと思っているの」
「ど、どうしてですか?」
「こんな小さな手をしているあなたが、社交界などという魑魅魍魎が跋扈する世界で生きていくなんて、簡単なことではないわ。そんな困難に立ち向かわなければならないあなたを助けるのは、先人として当然のことよ。増してやあなたとは血の繋がりがあるのだもの。むしろ手を伸ばさない理由を探す方が難しいわね……」
イフェネア様は、私の手を取った。
それでよくわかった。彼女も私の味方なのだということを。
イフェネア様は、本当に私のことを心配してくれているのだ。それで、自分の目が行き届くように、同じ部屋で暮らすことを提案してくれているのだろう。
「イフェネア様、その……」
「あら、そんな風にかしこまった呼び方をする必要はないのよ。私はあなたの姉であるのだから、ねえねとでも……」
「あ、いえ、ねえねは流石に無理です」
イフェネア様は、私にイフェネアお姉様と呼ぶことを許してくれるようだった。
そういうことなら、そう呼ばせてもらうことにしようか。アドルグお兄様やウェリダンお兄様のこともそう呼ばせてもらっている訳だし、イフェネアお姉様もそれに倣うとしよう。
「えっと、イフェネアお姉様の提案はありがたいものだと思います。仰る通り、私には社交界のあれこれがわかりませんから」
「ええ、そうでしょうね。それは別に恥じることではないわ。仕方ないことだもの」
「それを教えていただけるのは、嬉しいです。でも、同じ部屋で暮らすなんて良いのでしょうか? イフェネアお姉様にも、プライベートというものが必要なのではありませんか」
イフェネアお姉様が私の味方であるということは、理解することができた。そんな彼女からの指導は、正直受けたいと思っている。
ただ、それは当然イフェネアお姉様に負担をかけることになってしまう。二人で同じ部屋で暮らすと、プライベートの時間もなくなるし、本当に大丈夫なのだろうか。それが心配である。
「私のことを気遣ってくれて嬉しいわ。ありがとう、クラリア。でも、その点については大丈夫よ。私はむしろ誰かと過ごすことに幸せを感じられるタイプだから」
「そういうものなのですか?」
「ええ、今は毎日寂しいと思っているわ」
かつては他の兄弟達と過ごしていたからだろうか、イフェネアお姉様は現状に寂しさを覚えているようである。
そういうことなら、私が少しくらい一緒に過ごしても問題ないのだろうか。私もこの広い自室というものには、結構寂しさを感じていることだし、丁度良いのかもしれない。
「見られて嫌なことなんかは、ありませんか?」
「私は自分の生き方というものに自信を持っているわ。見られて恥じるようなものはないと、思っているの」
「……かっこいいですね」
イフェネアお姉様の言葉に、私は思わず感嘆の言葉を口にした。
見られて恥じるようなものはない。そう言い切ることができるというのは、なんともかっこいいことである。
私もそうなりたいと、強く思った。やはりイフェネアお姉様から学ぶということは、私にとって重要なことになりそうだ。
「私もイフェネアお姉様のようになれるでしょうか?」
「私だって初めはクラリアのようだったのだから、もちろん可能よ。ただそのためには、あなた自身が努力する必要はあるけれど」
イフェネアお姉様の言葉によって、私は気を引き締めることになった。
今まで貴族になんてなれないと思っていたが、それは間違いだったのかもしれない。この状況になったのだから、覚悟を決めるべきなのだろう。
イフェネアお姉様のような貴族になってみせる。私は新たな目標を見つけたのだった。
「さて、部屋のことは私からお父様やお母様、それからアドルグお兄様に伝えておくわ」
「ありがとうございます。でも、少し申し訳がないですね。こんな立派な部屋を用意して頂いたというのに」
「そんなことを気にする必要なんてないわ。そもそもあなたを一人で部屋に割り当てるなんていうことが、そもそもの間違いだもの。貴族の生活というものを教えるためには、誰がそれを見せていく必要があるというのに……」
イフェネアお姉様は、なんというか少し怒っているようだった。
それはこの部屋で最初に顔を合わせた時もそうだったが、それは両親やアドルグお兄様に対する怒りであったらしい。
その判断というものは、そこまで間違ったものなのだろうか。私にはよくわからないのだが。
「所で、あなたのことを詰めた令嬢がいるとアドルグお兄様から聞いたのだけれど、それは本当なのかしら?」
「え? ああ、そうですね。それは本当ですけれど……」
「あら……」
そこでイフェネアお姉様は、話を変えてきた。
それは私に対してひどい言葉をかけてきたペレティア・ドルートン伯爵令嬢と、サナーシャ・カラスタ子爵令嬢のことだろう。それはイフェネアお姉様にも、伝わっていたらしい。
恐らく彼女は、怒っているのだろう。その眉根が寄っているのが見えた。
同時に、彼女の両親やアドルグ様への怒りというものが本気ではないことがわかった。怒ってはいるのだろうが、それは本物の怒りとは少し違うものだったらしい。
「許せないわね、そういう人達というのは……誇りというものを持ち合わせていないのかしら?」
「どうなのでしょうか?」
「クラリア、せっかくだから教えておくけれど、私達貴族というものは弱き者の味方であるべきなのよ。上に立つ者には、それが必要なの」
イフェネアお姉様は、ウェリダンお兄様も言っていたようなことを述べていた。
それはもしかしたら、ヴェルード公爵家の根底にある考え方なのかもしれない。だからこそ皆、それができていない二人の令嬢に対して怒りを覚えているということだろう。
「まあそもそも、自分より年下のこんな可愛い女の子を詰めるということは、人間として信じられないことだけれどね。情けないことこの上ないわ。きっと弱い者の前でしか威張ることができないのでしょうね」
「あ、えっと……イフェネアお姉様は、お二人にどんな対処が必要だと思っていますか?」
「ああ、私はアドルグお兄様のように野蛮ではないから、安心して。絞首台なんてとんでもないことだわ。鞭打ちくらいが妥当でしょう」
「いえ、それもやり過ぎです」
アドルグお兄様やウェリダンお兄様と比べてマシではあったものの、イフェネアお姉様も中々に過激だった。
鞭打ちだって、充分にやり過ぎである。多分この場合求められるのは、そのような直接的な罰というものではないと思う。




