第3話 似ている兄弟
ヴェルード公爵家の屋敷に戻って来た私は、以前までとは少し違う気持ちだった。
アドルグ様という心強い味方を得られたことは、私の心を明るくしてくれるものだったのだ。
とはいえ、この屋敷での生活が心地良いという訳ではない。貴族の生活というものが、そもそも私にとっては堅苦しいものなのだ。
「動きにくい……」
貴族の服というものは、平民のものと比べると派手で豪華である。
その豪華な服というものは、動きやすいとは言い難い。なんだか全体的に重苦しいし、好んで着たいものではなかった。
ただ、脱ぎ去る訳にもいかない。そんなことをしたら、このヴェルード公爵家の人々から非難されるだけだからだ。
「おやおや、これはこれは……」
「え?」
「クラリアさんではありませんか。こんな所にいましたか」
私がそんな風に考えながら自分の部屋に向かっていると、一人の男性が私の前に現れた。
その人物のことは、当然しっている。ウェリダン様、ヴェルード公爵家の次男であり、一応は私の兄とされている人だ。
眼鏡をかけた彼は、少々悪い笑みを浮かべている。正直な所、第一印象から苦手に思っている人だ。あまり関わりたいとは思えない。
「わ、私に何か用ですか?」
「ふふ、そんな風に怖がる必要なんてありませんよ。僕は取って食ったりしないのですから」
しかし、話しかけられたからには受け答えする必要があるというものだ。無視をするのはいけないことだということは、平民として暮らしていた時からわかっていることである。
という訳で質問を投げかけてみると、また悪い笑みを返された。本当に取って食ったりしないのだろうか。正直な所、とても不安である。
「あなたとは話しておかなければならないことがあるのです。少し時間をいただけますか?」
「それは大丈夫ですけれど、その、何の話ですか?」
「ペレティア・ドルートン伯爵令嬢と、サナーシャ・カラスタ子爵令嬢の話ですよ」
「え?」
ウェリダン様の口から出た名前に、私は驚いた。
それは舞踏会の時に、私を詰めてきた二人である。あれからアドルグお兄様が調査すると言っていたが、その二人の名前がどうして彼から出てくるのだろうか。
「兄上――アドルグ兄上から調査を頼まれましてね。そこであなたの証言が聞きたいのです」
「アドルグお兄様から?」
「おや……」
「あっ……」
ウェリダン様の前で、私は反射的にアドルグお兄様を呼んでしまった。
しかしそれは、間違いだったといえるだろう。妾の子である私がそのように呼ぶということを、彼は許さないかもしれない。どうやら私は、油断してしまったようである。
「これはこれは、僕がよく知らない内に二人はかなり親しくなったようですね……」
「え、えっと……」
ウェリダン様は、意地が悪そうな笑みを浮かべている。
彼のその笑みに、私は息を呑む。どうしてアドルグお兄様のことをそのまま言ってしまったのだろうか。今まではアドルグ様と言ってきて、慣れているのはそちらのはずなのに。
気が抜けていたということだろうか。私は自分の発言を後悔することになった。
「アドルグ兄上は手が早いですね……まったく、もうクラリアを取り込んでいるとは。その手腕には恐れ入ります」
「え?」
ウェリダン様の言葉に、私は少し固まってしまった。
なんだろうか、彼が言うとまるで何かしらの策略が行われているかのように思えてくる。
いや、実際にその可能性はあるのだろうか。アドルグ様には何かしらの思惑があって、ああいったことを言った。私はその可能性を、今の今まで考えていなかった。
それは愚かなことだといえるかもしれない。アドルグお兄様を信頼しきるのは危険なのではないか。私の頭の中にはそのような考えが過ってきた。
ウェリダン様が言っているように、あれは彼の貴族としての手腕が光ったというだけなのかもしれない。貴族は口が上手いと聞いたことがあるし、その可能性は高いような気がする。
「そういった方面に関して、僕は駄目駄目ですからね。子供の心に取り入るというのはどうにも難しい事柄です」
「え、えっと……」
「クラリア、あなたに質問をしてもよろしいですか? ああ、これはあの二人の令嬢とは関係がない事柄ですが……」
ウェリダン様は、こちらにゆっくりと近づいて来た。
私は、少し後退る。なんというか、怖かった。元々苦手に思っていたウェリダン様に近づかれるというのは、正直言って少し辛い。
「クラリア、あなたは花は好きですか?」
「花? え? えっと、嫌いではありませんが……」
「そうでしたか。それなら幸いです」
「うん?」
ウェリダン様は、私の眼前で手を合わせた。
その動作に、私は首を傾げる。それは一体、何をしようとしているのだろうか。
いただきますとか、そういう意味の可能性はある。まさか私は、本当に取って食われてしまうのだろうか。
「はい」
「……え?」
そんなことを思っていると、ウェリダン様はその手を離した。
すると彼の手には、一輪の花が握られていた。先程までそこには何もなかったはずなのに、ウェリダン様はその花を私に差し出してくる。
「お近づきの印です」
「あ、ありがとうございます……」
目の前で起こった奇妙な出来事に、私は混乱していた。
彼は一体、何をしたのだろうか。まったく持って、訳がわからない。もしかしてウェリダン様は、魔法使いか何かなのだろうか。
「……ど、どうやったんですか?」
「……はい?」
「ウェリダン様は、魔法使い、なのでしょうか?」
「おやおや……」
私が質問すると、ウェリダン様はいつも通りの笑みを返してきた。
ただ今は、それが気にならない。私の興味は、彼が突如生み出した花に向けられているからだ。とにかくこれが、どうやって現れたのかが気になる。
「残念ながら、僕は魔法使いではありませんよ。そうですね……錬金術師とかでしょうか?」
「れ、錬金術……?」
「それも冗談ですよ。これは単にトリックです。それもお遊びです。プロのマジシャンには及びません」
「え?」
私が困惑していると、ウェリダン様は再び手を合わせた。
それから彼が手を離すと、そこには再び一輪の花が握られている。口振りからして、これはつまり手品の類なのだろう。
そういったことがあるとは、聞いたことがある。ただ実際に見るのは初めてだ。未だに動揺が収まっていない。
「さてと、一つ言っておきましょうか。僕はあなたのことを排斥するつもりなどはありません」
「えっと、それは……」
「あなたと僕の間には、差というものが存在します。ただそれは所詮、親の世代のしがらみというものです。僕には関係がありません。というよりも、興味がない。上に立つ者というのは、弱い者の味方であるべきだと、僕は認識しています。僕は辛い立場にあるあなたを助けたいと思っています」
ウェリダン様からは、先程までの笑みが消えている。その真剣な表情からは、彼の真摯な思いが伝わってきた。
どうやらヴェルード公爵家において、彼も私の味方となってくれる人であるようだ。それを理解すると、肩の力が抜けた。自覚していなかったが、私はかなり緊張していたようだ。
「ウェリダン様、ありがとうございます」
「くくくっ……別に兄と呼んでも構いませんよ。血縁上、僕はあなたの兄にあたるのですから、アドルグ兄上と同じで問題ありません」
「そ、それではウェリダンお兄様……」
名前を呼びながら、私は考えていた。やはりウェリダン様の笑みは、少々気味が悪いと。
どう見ても悪い顔をしている。ただ発言からは、まったく悪意を感じない。つまりこの笑みは、単純に笑顔が下手ということだろうか。
人相の問題という可能性もある。ただ、ウェリダン様は別に怖い顔という訳ではない。むしろ顔だけなら優しそうである。やはりこれは、表情の作り方の問題かもしれない。
「おや、どうかしましたか?」
「あ、えっと、その、あ、そうだ。ウェリダンお兄様は、あの二人の令嬢のことをお話にしに来たのですよね?」
「ああ、そうでした。あの二人のことでしたねぇ……」
私がなんとか元の話題を思い出すと、ウェリダン様の表情はさらに歪んだ。
この笑みには、これから慣れていくしかないということだろう。良い人だとわかったら、そこまで気にならなくなったし、後は時間の問題であるような気がする。多分なんとかなるだろう。
「ペレティア・ドルートン伯爵令嬢と、サナーシャ・カラスタ子爵令嬢、アドルグ兄上はこの二人が怪しいと睨んでいます。ただ、それが間違いという可能性もあるでしょう。故に検証しておかなければなりません。これは、あの二人の人相書きです」
「あ、この人達です。間違いありません」
「当たりでしたか」
ウェリダンお兄様が懐から取り出した紙に書かれた顔を見て、私はほぼ反射的に言葉を発していた。それは紛れもなく、私にひどい言葉をかけてきたあの二人だったからだ。
それを聞いてウェリダンお兄様は、笑みを浮かべている。自分の調査に成果があったことを喜んでいるということだろうか。
「まあ、可能性は高いと思っていました。二人は評判の令嬢ですからね。もちろん、悪い意味でということですが……」
「わ、悪い意味、ですか?」
「ええ、二人は自分より下とみなした人間を見下して、口汚く罵ることで有名です。あなたのような立場の令嬢に対して、以前にもそういったことをしていたようです」
「そうだったんですか? それは問題にはならなかったのでしょうか?」
「ええ、ひどい言葉をかけられた令嬢が泣き寝入りしたのか、はたまた家の者が問題視しなかったのかはわかりませんが、とにかく二人は味を占めているようですね」
ウェリダンお兄様から聞かされた二人の令嬢の行いというものは、ひどいものだった。
ああいうことを常習的に繰り返しているなんて、私からすれば信じられないことである。あんなことをして、何が楽しいというのだろうか。
「まあ、この辺りで二人は痛い目に合うべきだ、ということかもしれませんね。しかし僕はもちろん、アドルグ兄上のように過激なことは言いません。絞首台など、いくらなんでも野蛮ですからね」
「あ、そうですよね……」
ウェリダンお兄様は、どうやらかなり怒っているようだ。それでわかった。彼はどのような感情を抱いている時でも、笑みでそれを表しているのだと。
それはある意味で、ポーカーフェイスといえるのかもしれない。ただ怒ってはいても、アドルグお兄様程ではなくて安心だ。彼はあれからずっと、あの二人を絞首台に送りたくて仕方ないといった感じだったから。
「僕はわざわざ人をいたぶる趣味などは持ち合わせていませんからね。そんなことをしたら、それこそあの二人と同じです。ですからここは、ギロチンでいいでしょう。ことはあくまでも、人道的に進めるべきですね」
「いえ、それも駄目です」
「おやおや……」
私は、ウェリダンお兄様の言葉を強く首を振って否定した。
やはり彼は、アドルグお兄様の弟ということなのだろう。割と過激なことを人であるらしい。
しかし、ギロチンはいくらなんでもやり過ぎだ。二人は確かに碌でもないのかもしれないが、罪に対する罰が大き過ぎる。




