第28話 起こった事件
婚約というものは、基本的には祝われることであるらしい。
めでたいことであることは確かだ。私がいた村でも、誰かが結婚するとなったら、盛大に祝っていたし、それは理解できる。
「まあといっても、心から祝福している人ばかりではないだろうけどな」
「そうなのですか?」
「貴族というものには、色々とあるからな。いや、平民だってそれは変わらないか。妬みとかひがみとかも、ある訳だからな。まあ貴族の場合は、それに加えて勢力の拡大とか権力なんかも関係してくる訳だが」
壇上で踊るエフェリアお姉様とレフティス様に対して、周囲は祝福ムードであった。
ただロヴェリオ殿下曰く、その祝福は表面上のものもあるらしい。貴族の世界では、婚約というものは重要であるらしいし、単に良かったねでは済まないということだろうか。
「ただこういった場に二人が参加する以上、これは必要なことだとは思う。やっぱり、婚約したということは示しておくべきことだ」
「本当に、色々とあるんですね……大変というか」
「面倒だといえるかもしれないが……まあ、それを言ったらおしまいか」
ロヴェリオ殿下の言葉を聞きながら、私は周囲を見渡していた。
それは彼の言葉を受けたことによって、自然とそうしていたのである。
そこで私は、一人の令嬢が気になった。周囲の人達は内心はともかく表面上は祝福しているのだが、その令嬢は壇上の二人を睨みつけているのだ。
「……オルディアお兄様」
「……クラリアも気になったのかい?」
「はい。あちらにいる令嬢ですよね」
その令嬢を見つけた私は、オルティアお兄様が同じ方向を見ているのに気付いた。
私が気付くよりも先に、彼女のことを見つけ出していたらしい。明らかに怪しいし、やはり気になるのだろう。
「……ロヴェリオ、ちょっと僕は席を外させてもらうよ」
「うん? 何かあったんですか?」
「もうすぐダンスも終わるだろう? 一旦裏方に下がらせてもらうよ。エフェリアのサポートをしたいんだ」
「まあ、そういうことなら、ご自由にどうぞ」
ロヴェリオ殿下に声をかけてから、オルディアお兄様はその場を離れて行った。
恐らく、エフェリアお姉様にあの令嬢のことを伝えに行くのだろう。彼女が何者かはわからないが、私達の味方ではなさそうだ。
「ロヴェリオ殿下、あそこにいる人ですが……」
「うん? あれは……」
私は念のため、ロヴェリオ殿下にも彼女のことを伝えておくことにした。
ディトナス様のように、急に非難してくることもあるかもしれない。そういった時に場を納めてもらえるように、ロヴェリオ殿下にはお願いしておいた方が良いだろう。
◇◇◇
ロヴェリオ殿下に相談した結果、エフェリアお姉様とレフティス様に鋭い視線を向けていた令嬢の正体がわかった。
彼女は、モーレット子爵家のマネリア嬢というらしい。ディトナス様のお茶会にも参加していた人で、噂によるとレフティス様に思いを寄せていたようだ。
「まあ、噂の方はつい先程知ったんだけどな。あっちで噂している人がいたらしいんだ」
「レフティス様に思いを寄せていたというなら、その態度の理由というのもわかりやすくはありますね……当然のことながら、今回のことは快く思わないでしょうし」
「ああ、それは理解できるな。ただ、表に出していいことではない」
ロヴェリオ殿下は、ゆっくりと首を横に振った。
マネリア嬢は、この場においてそういった表情をするべきではなかったということだろう。手厳しいことかもしれないが、ここでも自分を律する必要があったということかもしれない。
「大体、こちらはあの二人のことは事前に通知していた訳だからな。ヴェルード公爵家から話を聞いた後、俺は通達した。それに休憩も挟んで、準備する時間も与えている。それなのに、マネリア嬢はのこのことやって来て、そんな視線をしたんだ。別に体調不良でもなんでも、言い訳は用意できたというのに」
ロヴェリオ殿下の言葉に、私は少し考えることになった。
確かに、マネリア嬢がわざわざ二人のダンスを見に来たというのは奇妙なことである。
あんな風に視線を向けるくらい嫌なら、見に来なければ良かっただけだ。それなのに彼女が来たことには、何か意味があるように思えてしまう。
「ロヴェリオ殿下、まさかとは思いますが、マネリア嬢は何か危険なことをしようとしているのではありませんか?」
「……何?」
「ロヴェリオ殿下の言う通り、あの場に彼女がいたのは変な話です。もしかしたら、自分を見失っているのではないでしょうか? 端的に言ってしまえば、やけになっているということです」
「……その可能性は、ない訳ではないな」
私の中には、最悪の想定が形成されていた。
マネリア嬢は、エフェリアお姉様に何か直接的な危害を加えるつもりなのではないか、そんな考えが過ってきたのだ。
今の彼女は、追い詰められている状態なのかもしれない。となると、やけになって全てを滅茶苦茶にしようと考えるのも、あり得る気がする。
その場合、取る手段は非難や罵倒などの生易しいものではないだろう。もっと直接的で、残酷なことをするはずだ。
「騎士辺りを呼んでおくべきか……」
「そうしてもらえると――」
「クラリア? どうかしたのか?」
ロヴェリオ殿下の言葉に、私は答えようとしていた。
しかし、言葉を詰まらせることになってしまった。それは、レフティス様とともにエフェリアお姉様が会場に戻って来たからだ。
ただ私はすぐに気付いた。ロヴェリオ殿下も、見ればすぐにわかるだろう。レフティス様の隣にいるのは、オルディアお兄様なのだ。
「オルディアお兄様……」
「……確かにオルディア様だな」
「え、ええ……」
レフティス様の隣にいるのは、オルディアお兄様だ。エフェリアお姉様のように振る舞っているが、私達にはわかる。
しかし何故、オルディアお兄様はそんなことをしているのだろうか。それが問題である。
その答えは、すぐに出た。オルディアお兄様は、エフェリアお姉様を庇おうとしているのだ。
「ロヴェリオ殿下、騎士への連絡をお願いします」
「クラリア……ああ、わかった」
ロヴェリオ殿下は、私の言葉に頷いてすぐに行動を開始してくれた。
オルディアお兄様の意図は、きっと彼も理解してくれていることだろう。ただ、理解した所で私達がやるべきことが変わる訳でもない。
私は、マネリア嬢の方に視線を向ける。彼女は、戻って来た二人の方を見ていた。恐らく彼女は、エフェリアお姉様がオルディアお兄様だなんて気付いていないだろう。
「……私は」
とりあえず私は、オルディアお兄様の方に足を進めていく。
妹である私が、そちらに近づくことは別におかしなことという訳でもない。
ただそれと同時に、マネリア嬢の方も歩み始めた。彼女の行き先も、オルディアお兄様の方だ。何か意を決したような表情で、彼女は歩いている。
「……クラリア」
「え?」
そこで私は、固まることになった。オルディアお兄様が、鼻の前に指を立ててこちらに合図をしてきたからだ。
恐らくオルディアお兄様は、私に黙るように言っているのだろう。エフェリアお姉様の振りを、続けようとしているのである。
しかしそれは、なんとも危険なことだ。マネリア嬢は、オルディアお兄様にどんどんと近づいている。非難か直接的な危害かはわからないが、何かしようとしていることは間違いない。
そんな彼女を止める手段として、私がオルディアお兄様であることを指摘することは有効だといえる。人違いであると認識すれば、しようとしている何かをやめるかもしれない。
だが、それをオルディアお兄様は望んでいないのだ。つまり彼女に、何かさせたいと思っているということになる。
「……」
「……エフェリア、お姉様」
「クラリア……ごめんね? 今は少し、やらなければならないことがあるんだ」
私はゆっくりと、エフェリアお姉様の名前を口にした。
その言葉に答えてから、オルディアお兄様はその身を翻す。マネリア嬢の方へと、歩みを進めたのだ。
オルディアお兄様のその行動には、隣にいたレフティス様も目を丸めている。どうやらそれは、事前の打ち合わせなどにはなかった行動であるらしい。
「エフェリア嬢、何をっ……!」
「エフェリアお姉様……」
レフティス様と私は、ほぼ同時に声をあげていた。
オルディアお兄様のマネリア嬢の方へと歩み寄るという行為は、危険極まりないものだったからだ。
しかし、私達の制止の声なんてものは届かなかった。オルディアお兄様は、マネリア嬢の目の前に立っている。既に止めることが不可能な状況だ。
「……あなたがエフェリア嬢ね?」
「あなたは……?」
「私はマネリア。レフティス様と真に結ばれるべき者よ」
「なっ……」
マネリア嬢は、自己紹介と同時にオルディアお兄様に向かって何かをかけた。
瓶を素早く開けて、液体を放ったようである。それは、ディトナス様と同じような行動だ。しかし彼女がかけたのは、ジュースなどではないだろう。あれは明らかに、何かしらの薬だ。
「エフェリアお姉様!」
「きっ……きゃああああ!」
次の瞬間、オルディアお兄様は悲痛な叫びをあげた。
顔の右側を押さえながら、苦しんでいるようだ。
ただ、エフェリアお姉様の演技は忘れていない。それはある程度、余裕のようなものがあるということなのだろうか。私としては、判断に少し困る。
いや、どちらにしてもオルディアお兄様は治療が必要な状態だ。
しかし、一体どうすれば良いのだろうか。そもそも何をかけられたのかもわからないし、対処方法がよくわからない。
「遅かったか!」
そんなことを考えていると、ロヴェリオ殿下が近くにやって来た。
それと同時に、騎士らしき人達がマネリア嬢を拘束する。どうやら約束通り、騎士を引き連れて来てくれたようだ。
「ロヴェリオ殿下、どうしたら……」
「とにかく医務室に連れて行かないと」
「……エフェリア嬢は、私が運びましょう」
「レフティス様……」
私が色々と起こっている現状に動揺していると、レフティス様がオルディアお兄様の体を持ち上げた。
私と違って、彼はとても冷静である。どうやらレフティス様は、有事の際にも頼りになる人であるようだ。
そういえば、彼は一体どこまで事態を把握しているのだろうか。それは気になることではあるが、今は聞くべき時ではない。
「クラリア嬢、あなたはオルディア公爵令息に声をかけてくださいますか? 彼は控え室にいます」
「控え室、ですか?」
「ええ、彼は事態を何も把握していないでしょうが……」
「わ、わかりました」
レフティス様の言葉に、私はとりあえず頷いた。
彼は恐らく、エフェリアお姉様のことを言っているのだろう。もしもお姉様が本当に何も知らないというなら、それは大変なことだ。早く事態を知らせなければならない。




