第20話 侯爵の決断(アドルグside)
「……今回のことに関して、謝罪したいと思っていました。わざわざ出向いていただいたことも含めて、本当に申し訳ありません」
「ふむ……」
ゆっくりと頭を下げるドルイトン侯爵に対して、アドルグは冷たい視線を向けていた。
まず彼が安心したのが、侯爵自身は今回の件を真摯に受け止めて、謝罪の言葉を口にしたことである。彼が反発していたら、事態はもっと厄介なことになっていたかもしれない。
一方で、アドルグはディトナスの態度が気になっていた。彼は先程からずっと、気に食わないという表情をしているのだ。
「ディトナス、お前も謝罪しろ」
「……父上、僕はまだ納得していません」
「ディトナス!」
ディトナスの言葉に、ドルイトン侯爵は鋭い怒号を発した。
それに隣にいる妹のエフェリアが体を強張らせているのを感じながら、アドルグはため息をつく。ディトナスの態度というものは、彼にとってはまた厄介な問題だったのだ。
「お前は自分が何をしたのかわかっていないのか? 人に暴言を吐くなど、許されることではないのだぞ。こうして、ヴェルード公爵家の方々が訪ねて来たことが、どれだけ寛大なことであるかを理解しろ」
「父上……ならば、ヴェルード公爵がやったことは肯定されるべきことなのですか? 浮気相手との間に子供を作ったことは正しいことだというのですか!」
「それは……」
ドルイトン侯爵は、ディトナスの言葉に怯んでいた。
それを見ながら、アドルグは末妹であるクラリアが言っていたことを思い出していた。彼女はアドルグに、重要なことを伝えていたのである。
『確証がある訳ではありませんが、多分ドルイトン侯爵家にも私と同じ立場の人がいると思うんです。多分、庭師の――』
クラリアは今回の件に関して、別の事情が絡んでいると予想していた。
それは重要なことではあるが、アドルグはそのことに触れようとは思っていなかった。他家のそういった事情に関して、足を踏み入れるべきではないと彼は考えていたのである。
しかしながら、ディトナスがごねるようならそれを指摘しなければならない。アドルグは成り行きを見守りながら、口を挟むべきか見極めていた。
「……あなたは勘違いしているようですね」
「何?」
そんな中で言葉を発したのは、オルディアであった。
それにアドルグは、少し驚いていた。彼とエフェリアには、お茶会の場であったことを証言してもらう以外の役割は求めていなかったからだ。
しかしアドルグは、その場をオルディアに任せることを決めた。ヴェルード公爵家の一員としての弟の力量を、彼はこの場で見極めることにしたのだ。
「ディトナス侯爵令息、あなたにも色々と考えていることがあるらしいが、それはこの場においてどうでも良いことです」
「な、なんだと?」
「重要なのは、僕達の父上が間違いを犯したことなどではありません。あなたは随分とそれに固執しているようですが、この場においてその議論は無駄です」
オルディアの言葉に、アドルグは笑みを浮かべることになった。
それは弟の主張というものが、自身と同じようなものだったからだ。
「前提として、敢えて言っておきましょうか。僕も父上の行動というものに納得している訳ではありません。それは貴族として不適切なものでした」
「そ、それなら……」
「百歩譲って、あなたがそんな父の行い、ヴェルード公爵の行いを非難したとしても、僕達は重く受け止めるだけに留めていたかもしれません」
「……お前達は、そうしていないじゃないか?」
「ええ、それはもちろんです。ディトナス侯爵令息、あなたはクラリアを罵倒したのですから」
オルディアの主張に対して、ディトナスは目を丸くしていた。
それによってアドルグは理解する。彼がこの問題について、まったく持って正しい認識ができていないということに。
「批判と罵倒は違います。あなたはクラリアのことを口汚く罵った。それは許されることではありません。例え僕達の父上が間違いを犯していたとしても、それは変わりません。そもそもの話、ああいった場で人に罵声を浴びせるというのがどういうものがどういうものか、正しく理解できていないようですね?」
「そ、それは論点のすり替えで」
「すり替えているのは、あなたの方ですよ。いえ、あなたの中では間違えを犯した人に対して、公の場でどれだけ罵っても許されるという考えがあるのでしょうか?」
「うぐっ……」
ディトナスは、オルディアからの投げかけに唸ることしかできていなかった。
その時点で、勝敗は決しているといえる。オルディアが本当に正しいかどうかはともかくとして、ディトナスは議論に負けているのだ。
しかしそれで彼が諦めるとは、アドルグには思えなかった。ディトナスの性格から考えると、そうはならないと、アドルグには思えてしまったのだ。
「どいつもこいつも、どうして悪しきことを肯定しているんだ!」
「ディトナス、お前……」
「それが正しいことだというのか! 僕が間違っているというのか!」
ディトナスは、最早感情のままに言葉を発していた。
それは誰に向けたものではない。ただ、己の心情というものを吐露しているだけだ。
そこでアドルグは、腹を括ることにした。ドルイトン侯爵家の個人的な事情に足を踏み込まなければ、場を納めることはできないと彼は判断したのである。
「ドルイトン侯爵、少し尋ねたいことがあります」
「……なんでしょうか?」
「庭師のダルークのことです」
「……奴がどうかしましたか?」
アドルグは、唐突にドルイトン侯爵に質問を投げかけた。
それに侯爵は、少し過剰な反応をした。焦ったような表情を、彼はしているのだ。
そのことでアドルグは、妹の予測が的を射ているという確信をさらに強めることになった。ドルイトン侯爵の反応は、それ程に露骨なものだったのだ。
「件の事件の際、妹が彼に助けられたと聞いています。その時に違和感を覚えたようです」
「違和感……」
「単刀直入に申し上げます。庭師のダルークは、あなたの息子ですね」
「……」
アドルグの言葉に対して、ディトナスは父親のことを睨みつけた。
その視線を受けながらも、ドルイトン侯爵はゆっくりと頷く。やはりクラリアの予測が間違っていなかったと、アドルグは少しだけ誇らしさを覚えていた。妹の人を見る目が確かであることは、彼にとっても嬉しいことだったのだ。
「見抜かれていましたか?」
「見抜いたのは妹です。しかし、そういった事情があるというなら……ご子息のクラリアへの暴言の意味合いも随分と変わって来ると思いますが」
「……全ては私の不徳の致す所です」
ドルイトン侯爵がゆっくりと立ち上がるのを見て、アドルグは少し驚いた。
それは彼にとって、予想外の動きであったからだ。そのままドルイトン侯爵は開けた場所へと行き、ゆっくりと床に両膝をつけた。
彼はそのまま、頭を下げていった。するとやがて、その頭が床につく。
「誠に申し訳ありませんでした。ディトナスがこうなったことの責任は、私にあります」
「ち、父上……」
ドルイトン侯爵のその行為を、ディトナスは目を丸めながら見ていた。
実の父親が、自分の半分程の年齢の者に頭を下げている。その光景に、彼はひどく動揺している様子であった。
そのことから、アドルグは理解した。色々と反抗していたが、彼の中には父親に対する情があるのだと。
というよりも、その情があるからこそ反発するのだということにアドルグは思い至った。しかし彼は、一瞬で二人の親子関係に関する情を捨て去る。
どのような事情があったとしても、ディトナスがクラリアを侮辱したことは揺るがない。故にアドルグがやるべきことも、何も変わらないのだ。
「あなたが過去にやったことは、我々には関係がないことです。もっとも、それが今回のことに尾を引いているというなら、その責任は果たすべき事柄ではあるでしょう。ドルイトン侯爵家には、対価を支払ってもらわなければならない」
「もちろん、心得ています」
アドルグの言葉に、ドルイトン侯爵は静かに答えた。
彼の方は話が早い。そう思いながらも、アドルグはこの場にいるもう一人の敵対者――ディトナスの方へと意識を向けるのだった。
「ディトナス侯爵令息」
「な、なんだ?」
「今回の件について、ヴェルード公爵家としては金銭を求めるつもりです。しかし、それで全てをなかったことにできる訳ではない」
アドルグは、ディトナスを睨みつけた。
すると彼は、父親の方に視線を向ける。それはまるで、助けを求めているかのようだ。
散々威張っていた訳ではあるが、それでもまだ彼は子供であった。アドルグとの年の差は七つ。年上からの容赦ない圧には、耐え切れなかったようだ。
しかしアドルグは、その気迫を緩めるつもりなどはなかった。
そこで優しさを見せることは、どの観点から考えても不要であると、アドルグは思っているのだ。
「こちらとしては、あなたからの謝罪の言葉も求めておきたい所です」
「ぼ、僕は……」
「あなたは間違いを犯した。それを自覚するべきだ。そしてやり直せば良い。今ならいくらでも間に合うでしょう。あなたは自分を律することと、謝罪することを今ここで学ぶべきです」
ディトナスは今、分岐点に立っている。アドルグは、そのように考えていた。
まだ子供ではあるものの、彼くらいの年齢になると、社交界で勝手は許されなくなる。少なくとも、子供だから仕方ないなどとみなされるような年齢ではない。
今ここで、彼は改めなければならないのである。そうしておかなければ、また間違いを犯すことになるだろう。アドルグの根底にはそのような考えがあった。
「ふざけるな……僕の何が悪いというんだ!」
しかし、アドルグの言葉はディトナスには届いていなかった。
彼は、己の感情の赴くままに言葉を発している。それは貴族としては、良いことではない。腹の中で何を考えているかは問題ではなく、それは表面上に出すべきものではないのである。
アドルグは、ディトナスが貴族として不適切であると感じていた。彼は自分を律する術を知らず、反省することなどもできない人間なのだ。
「……ディトナス、もう良い」
「え?」
アドルグがそう思っていると、ドルイトン侯爵の低い声が響いた。
そちらの方に視線を向けると、何かを決意したかのように険しい顔したドルイトン侯爵がいる。
「ち、父上……?」
「私は心のどこかで、お前のことを恐れていた。ダルークのことで、私は負い目を感じていた。表面上は厳しく接していたつもりだったが、その中にある恐怖をお前は見抜いていたのだろうな……今のお前を後継者として据えることはできない。今回の件でそれがよくわかった」
「なっ……!」
ドルイトン侯爵の言葉に、ディトナスは固まっていた。
自身を次期当主として認めないということがどういうことか、彼はそれをすぐに理解したらしい。ディトナスはその目を丸めて、父親を見ている。
「お前を騎士団に入れるとしよう。そこで自分を磨くのだ。恐らく私の傍にいるよりも、多くのことが学べることだろう」
「父上、何を言っているのですか……」
「それでもお前が変わらないというなら……私はダルークにドルイトン侯爵家を継がせる」
「ふざけるなっ! どうしてあんな奴に……! あんな奴にっ……」
ディトナスは、ドルイトン侯爵の言葉に反論しようとしていた。
しかし、彼は言葉を詰まらせている。それによってアドルグは理解した。
ディトナスという人間は、心のどこかで思っていたのだ。自分よりも、妾の子である兄の方が、次期侯爵に相応しいのだと。
彼はそれを認めたくなかった。だからこそ反発し続けてきたのだ。
それがきっと、ディトナスという人間が自分を保つ上で必要なことだったのだろう。




