第15話 現れた公爵夫人
「それで、今はクラリアのお母様はどうしているんだ?」
「今は色々と準備しなければならないことがあるらしくて……」
「準備? そうか」
お母さんが何かしらの準備をしているため、私は中庭でロヴェリオ殿下と話していた。
お兄様方も何か用事があるらしく、今は彼の相手をする人がいない。ということもあって、私に白羽の矢が立ったのである。
「えっと、ロヴェリオ殿下は事情を知っているのですか?」
「大まかには、アドルグ様と父上から聞いているよ。まあ、よくわからないけど、良好な関係であるならいいんじゃないか?」
「そうですね。私もそう思うようにしています。難しいことを私が考えても、仕方ないですから」
ロヴェリオ殿下の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
色々とわからないことはあるけれど、しかしそれらをいくら考えても仕方ないことだ。状況が悪くない以上、受け入れる方が良いと私は思っている。
「心配していた叔母上との関係も、なんとかなるんじゃないか?」
「あ、そうですね。まだお話したことはないですけれど……」
「……なんて言っていたら、件の叔母上だ」
「え? あれ? なんだかこっちに来ているような……」
「ああ、確かにそうだな」
ロヴェリオ殿下の指摘に、私は周囲を見渡した。
すると確かに、ヴェルード公爵夫人がいた。彼女は、こっちに向かって歩いて来ているような気がする。もしかして、目的は私だったりするのだろうか。
それに私は、少し焦った。まだ心の準備がまったくできていない。実際に顔を合わせて話して、本当に大丈夫だろうか。色々と不安である。
「叔母上、何か用ですか?」
「ロヴェリオ殿下、御歓談中申し訳ありませんね。少し、クラリアを貸してもらえますか?」
「俺が聞けない話なら席を外しますが、そうでないなら同席させてくれませんか? クラリアとは親戚で友達ですからね。できれば長く一緒にいたい」
「……私の用事はすぐに済みます」
ロヴェリオ殿下は、私のことを気遣ってくれているようだった。
それはとてもありがたい。お陰で落ち着く時間ができた。
ということで、私はヴェルード公爵夫人の方を見る。すると彼女の表情が崩れているのがわかった。
「うふふ……」
夫人の表情は柔らかく歪んでいる。恐らく、それは笑みに分類されるものだといえるだろう。真剣な表情しか見たことがなかったため、私はその表情に驚いていた。
そこでふと隣を見ると、ロヴェリオ殿下も目を丸めていることがわかった。どうやらこれは、いつものヴェルード公爵夫人の表情という訳ではないらしい。
一体何故、そのような表情をしているのだろうか。私は少しだけ、警戒を強めるのだった。
「……可愛い」
「え?」
少しの沈黙の後、ヴェルード公爵夫人はゆっくりと口を開いた。
その言葉に、私はロヴェリオ殿下と顔を見合わせることになった。驚いて彼の方を見たら、彼も私の方を見ていたのだ。
つまりこれも、いつものヴェルード公爵夫人ではないということだろう。というか、今の言葉は一体何に向けての言葉なのだろうか。
「まあ、あの人とカルリアの子供だものね。それは当たり前かしら?」
「え、えっと……」
「抱きしめてもいい?」
「あ、はい……」
私が頷くと、ヴェルード公爵夫人がゆっくりと姿勢を低くして、そっと手を伸ばしてきた。困惑しながらも、私はその抱擁を受け入れる。
どうやら、先程の発言は私に向けてのものだったようだ。夫人がお母さんとは友好的な関係であるということは聞いていたが、私に対しても友好的ということだろうか。
「はあ……」
「あの、ヴェルード公爵夫人……」
「その言い方は、少し硬いわね。レセティアと名前で呼んで頂戴」
「レセティア様、ですか?」
「ええ……ああ、あなたともっと早く会いたかったわね」
ヴェルード公爵夫人改めレセティア様は、少し泣きそうな声を出していた。
お母さんはレセティア様に仕えていたと聞く。もしかして、私が思っていた以上に親しい関係であったのだろうか。その辺りについては、今度聞いてみた方がいいかもしれない。
何はともあれ、レセティア様が私に対しても友好的であることは確実だ。私を強く抱きしめて、髪をゆっくりと撫でてくれているし、それは間違いない。
「うーん……連れて帰っちゃおうかしら?」
「え?」
「叔母上、何を言っているんだよ?」
「ああ、ごめんなさい。色々と感慨深いものがあって」
ロヴェリオ殿下の呼びかけに、レセティア様はやっと私のことを離してくれた。
その様子に、ずっと見ていたロヴェリオ殿下は少し呆れているようだった。そんな彼に対しても、レセティア様は目を細めて笑っている。
どうやらそちらに対しても、結構な愛を向けているようだ。子供好き、ということなのだろうか。思っていたよりも、ずっと親しみやすい人なのかもしれない。
「ロヴェリオ殿下とこうして顔を合わせるのも、結構久し振りでしたね。最近は、私の方が色々と忙しかったから、ゆっくりと話せる時間がなくて……」
「叔母上って、そんな感じでしたかね? もう少し堅い印象があったんですけど……」
「あら? 私にそんなイメージを持っていたのですね。まあ確かに、公の場では気を引き締めていますけれど……最近会っていなかった弊害かしらね?」
「……そ、そうだったのか。知らなかった」
ロヴェリオ殿下は、叔母様のことはそれ程よく知っている訳でもなかったようだ。
思い返してみると、私が来てからのことを考えても、二人は確かにあまり顔を合わせていなかったような気がする。単純に二人とも忙しい訳だし、そういった時間に恵まれなかったのだろうか。
そのためロヴェリオ殿下は、公的なイメージに印象が引っ張られていた。そういうことなのだろう。
「……こちらにいらっしゃいましたか」
「あら……」
「あっ……」
「あれは……」
レセティア様も含めて、私達は中庭に向かって来ている人がいることに気付けなかった。
話に集中していた故に、周囲の状況が見えていなかったのである。だから声をかけられて、やっとそれがわかった。
その声の主がお母さんであることは、すぐにわかった。しかし、その姿を見て私は固まる。お母さんは、メイド服に身を包んでいたのだ。
「お、お母さん?」
「クラリア、ロヴェリオ殿下と話していたのね?」
「あ、うん。その恰好は?」
「これからは、ヴェルード公爵家で働かせてもらえることになったのよ」
「お母さんが、メイドに?」
「ええ、まあ、元々そうだった訳だから、元鞘に納まったということかしらね……」
お母さんがこちらでお世話になると言っていたのは、どうやらメイドとして、という意味だったようである。
それは驚くべきことだった。ただ、納得ができない訳でもない。お母さんは、働かずにヴェルード公爵家にお世話になろうなんて思わない人だ。それは、少し考えればわかることだった。村にいた頃もお母さんは、働き者だったのだから。
「……カルリア、よく似合っているわね。私からすれば、やはりその姿の方が馴染み深い訳だし」
「お褒め頂き、ありがとうございます。とはいえ、この年になってまたこのメイド服に身を包むというのは、案外恥ずかしいものですね。ここのメイド服は、なんだか可愛らしいですし」
「あら、メイド長はあなたよりも年上よ?」
「慣れというものが、あるのかもしれませんね」
お母さんとレセティア様の会話を聞いて、私は自分が思っていたことが間違っていなかったということを悟った。
二人は仲が良いのだ。それもきっと、かなり親密な仲である。多分、主従とかそういったこと以上のものが感じられる。
レセティア様にとって、私は妾の子というよりも、親友とか妹の娘みたいなものなのかもしれない。あの友好的な雰囲気から考えると、私としてもそちらの方がしっくりくる。
「でも、似合っているのは本当よ? クラリアもそう思うわよね?」
「あ、はい。お母さん、すごく似合っているよ」
「そ、そうかしら?」
レセティア様から声をかけられて、私はお母さんの姿を改めてみた。
こうして見てみると、本当によく似合っていると思う。一体何を、恥ずかしがる必要があるのだろうか。それが私には、よくわからない。
「私も着てみたいなぁ」
「あら? そういうことなら、着てみる?」
「え? いいんですか?」
「ええ、もちろん外の人には見せられないけれど、屋敷の中で着る分なら問題はないわ」
「奥様、それは……」
「大丈夫よ。私が責任を持つから」
私の何気ない一言に、レセティア様はとても明るい声色で答えてくれた。
一方で、お母さんの声色は少し重たい。やはりこれは、駄目な提案だったのだろうか。
ただ、私としても着てみたいという気持ちはある。ここはレセティア様の言葉に、甘えることにしよう。
◇◇◇
「可愛いですね、クラリア様」
「本当、滅茶苦茶似合っていますよ」
「……あ、ありがとうございます」
レセティア様の案で、メイド服を着てみることになった私は、何故か屋敷のメイドさん達に囲まれていた。
中心となっているのは、お母さんが屋敷にいた時からヴェルード公爵家に仕えていた人達である。お母さんの復帰に伴って、皆集まっていたらしい。
それで私がメイド服を着ることになって、なんだか盛り上がっているのだ。
「いや、カルリアの子供なのかなぁとは思っていたけど、まさか本当にそうだったなんて」
「驚いたわよ。あ、えっと、カルリア様って呼ばないと駄目なのかな?」
「いえ、私は立場としてはメイドでしかありませんから」
私が身に包んでいるのは、子供用のメイド服であるらしい。
貴族の家に仕える人の中には、幼い頃から仕える人もいるらしく、丁度私に合う服があったのである。
ヴェルード公爵家のメイド服というものは、中々に可愛らしいものだ。これはレセティア様の趣味であるらしく、ヴェルード公爵――すなわちお父様はそのお母様の意思を尊重して、それを採用したそうである。
「ロヴェリオ殿下、クラリアはどうですか?」
「……叔母上、なんで俺に話を振るんですか?」
「あら、この場にいる殿方はロヴェリオ殿下だけなのですから、ここはクラリアに賞賛の言葉の一つでもかけてあげるべきなのではありませんか?」
「それは……まあ、そういうものですか?」
そこで私の耳には、レセティア様とロヴェリオ殿下の話し声が聞こえてきた。
するとロヴェリオ殿下は、こちらに少し近づいて来る。その顔が少し赤くなっているため、私の方も少し照れてしまった。
「クラリア、似合っているよ」
「あ、ありがとうございます」
ロヴェリオ殿下は、特に躊躇うこともなく賞賛の言葉を口にしてくれた。
それがなんだか、とても心に染み渡ってくる。メイドさん達にも褒められたというのに、何故かそれらの言葉とは違う感情が湧いてきた。
それはやはり、ロヴェリオ殿下だからなのだろうか。私は少し、固まってしまった。
「え? 嘘っ……ちょ、ちょっと、カルリア」
「……どうかしましたか?」
そんな風に私が少し浸ってしまっていると、周囲のメイドさんの内一人が驚いたような声をあげた。
誰かから話を聞いたらしきそのメイドさんは、お母さんに耳打ちをしている。すると直後に、お母さんの表情が変わった。目を丸めて、驚いているのだ。
「……カルリア? 何かあったのかしら?」
「レセティア様、その、クラリアの……婚約が」
「婚約?」
レセティア様が声をかけると、お母さんは少し声を震わせながら、その言葉を口にした。
そこで私は、目の前にいるロヴェリオ殿下と顔を見合わせた。私の婚約、それは一体どういうことなのだろうか。




