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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
一章 偽りの悪役令嬢
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第八話


 その日を境に、私への指導は新たな段階へと移行した。


 目標は一つ。二週間後に開催される王妃主催のお茶会で、完璧な『記憶喪失のイザベラ』を演じきり、社交界へ返り咲く事。


「此度のお茶会に出席するであろう貴婦人方と、その御息女のリストです。お一人ずつ、顔と名前、そして性格や公爵家との関係性を頭に叩き込んで下さい」


 テーブルの上に並べられたのは、著名な芸術家が描いたであろう美しい肖像画の数々。挿絵で見た事のある顔ぶれから、初めて見る者まで。とにかく、どうしようもなく数が多い。


「特に注意すべきは、王妃陛下の右腕とされるマルケス侯爵夫人です。御息女であるセシリア様は、お嬢様と特に折り合いが悪かった。記憶喪失を理由に、過去の非礼を蒸し返してくる可能性があります」

「ええ…。確かに、彼女は要注意人物だわ」


 セシリア・マルケス。彼女の事はとてもよく覚えている。悪役令嬢イザベラの取り巻きの一人でありながら、断罪の場で真っ先にイザベラを裏切った人物だ。


 イザベラは彼女の事を、都合の良い駒としか見ていなかった。だが実際に踊らされていたのは、騙されていたのは、イザベラの方だった。セシリアはイザベラが行った悪事の証拠を秘密裏に聖女へと渡し、その見返りとして『聖女の親友』という重要な地位を与えられたのだ。


(親友…、ね。セシリアも最初は聖女の事を、散々見下していたのに)


 悪事の証拠とされた情報の多くはセシリアの提案によるものだったが、その事実を知る者は少ない。結局イザベラはあの断罪の場で全ての味方を失い、その罪を一人で被る事になったのだ。


(飼い犬に手を噛まれるとはよく云うけれど。それにしたって、あまりにもこれは度が過ぎてる。自分の罪を最初から無かった事にするなんて、許せない…)


 癖の無いストレートのピンク髪を高く結い上げ、濃い紫の瞳を大きく開いたセシリアの肖像画を、私は脳裏に焼き付ける。小悪魔のように憎らしい顔で笑みを浮かべるこの女にだけは、絶対に負けられないから。


「彼女からの質問には、『記憶にございません』の一言で切り抜けるのが得策でしょう。そして他の令嬢からの質問についてですが──」


 ジェームズの指導は、より実践的かつ戦略的なものになっている。彼は私が知識をただ詰め込むのではなく、それを武器としてどのように使いこなし、立ち回るべきかを教えてくれている。


 この一ヶ月。私はジェームズの期待に応える為、必死に食らいついてきたつもりだ。彼が傍にいてくれる。ただそれだけで、どんな困難にも立ち向かえる気がした。


 しかし、同時に疑問も浮かぶ。こんなにも優秀な人材が味方にいながら。どうして本物のイザベラは、破滅の道を選んでしまったのだろうか。物語の都合を考えれば、ヒール役は当然必要になってはくるけれど、やはりどうにも違和感は拭えなかった。





 お茶会を三日後に控えたある日。指導もそこそこに、ジェームズは私を客間へと案内する。そこで私を待っていたのは、王都で最も名の知られたデザイナー。マドレーヌ・リシュだった。


「リリエンタール公爵家のため、特別に参上いたしました。イザベラ様、お久しゅうございます」


 彼女は壮年の女性だが背筋はピンと伸びており、ローズグレーの瞳は宝石を鑑定するかのように鋭い光を放っている。美しいキャメル色の髪を上品なシニヨンに纏めるマドレーヌは、かつてのイザベラを知る人物として、私に恭しく一礼した。


「貴女の仕立てるドレスは、王都の貴婦人達の憧れの的よ。私の新たな門出を飾るに相応しい、最高の衣装を用意してくれるかしら?」


 出来る限り本物のイザベラを投影しながらも、言葉の内側にほんの少しの不安感を滲ませる。こうする事で『以前のイザベラ』とは違うのだと、印象付ける為に。


「…イザベラ様。左様でございますね。恐らく王妃派の貴婦人方は、記憶を失った貴女様が『地味で哀れな女性』になっていると期待されている事でしょう。しかし、貴女様の御姿が地味であればある程に、『偽物』だと断じるに違いありません。

 ご不安なお気持ちは痛いほど分かりますが、イザベラ様はどんな状況でも、公爵家の誇りを体現なさる御方。そして記憶を失われる前の貴女様は、赤や金色などの絢爛な色を好んでおられました」

「なるほど。私が以前と同じようなドレスを選べば、『本質は変わらない』と思わせる事が出来るのね」


 マドレーヌが予め用意していたであろうデザイン画へ、私は目を通す。それは流行の最先端をいく、フリルとレースを過剰なまでに施した。華やかなデザインばかり。これらはきっと以前のイザベラが好み、選んでいたスタイルなのだろう。


「どれも素敵ね。でも、今の私の気分では無いわ」


 デザイン画を丁寧に押し戻してから。ずらりと並べられた生地見本へ、私は手を伸ばす。何百種類もの小さな生地が束ねられているバンチブックは、視覚と感触の両方で確かめられるものになっていた。


(流石は王都随一のデザイナーね。どの生地も、一目で高級品と分かるくらいに上質だわ…)


 シルクの生地に植物の染料を使い、時間を掛けて染め上げているもの。砕いた宝石を贅沢に使った、統一感のある光沢を生み出しているもの。その種類は本当に様々で、どれも等しく美しかった。


「王妃陛下のお好きな色は、燃えるような赤。そして今、王妃派閥の貴婦人方の間では、小鳥や花の刺繍をあしらった、愛らしいデザインが流行している」

「…流石はイザベラ様、その通りにございます」

「ならば私は、その真逆を行くまでよ」


 吸い寄せられるように開いたページ。夜の湖面を思わせるような深く静かな蒼色の絹地を、私は指差す。それは光の加減で、銀糸が星のように微かに煌めいていた。


(なんて静かで、吸い込まれそうな蒼。……ジェームズの瞳の色と…おな、じ…、……ッ!?)


 気付いた瞬間、カッと頬に熱が集まるのが分かった。確かにこの蒼は私にとって、最も好ましい色ではある。けれど、今はそんな個人的な事情を、考えている場合では無い。でも一度意識してしまえば、もうこの色以外考えられなかった。


(ち、ちがっ、違う、違うの! これはそういう、そういうつもりで選んだわけじゃないッ! 赤の補色って青とかだし、王妃が赤を選ぶなら、それこそお互いに惹き立て合って角が立たないかなぁ~、って! そういう! そういうつもりで選んだの! 推しと同じ色ってのは本当に偶然!! たまたまだから!!! 間違っても下心なんかで選んでない!!!)


「…この生地で、ドレスを仕立てて頂戴。デザインは流行り廃りの無い、洗練されたシンプルなものを。装飾は、可能な限りささやかな銀刺繍のみで。お願い出来る?」


 内心は非常に喧しい事になってはいるが、私は今『公爵令嬢イザベラ』。その仮面を崩さぬよう、完璧なポーカーフェイスを貫いてみせる。ジェームズとの訓練のお陰で、表情を取り繕う事にはもう慣れたから。


「か、かしこまりました…! それでしたら、刺繍は肩と袖口に施すのはいかがでしょう?」

「ええ、それでお願い」


 私の明確な指示に驚きながらも。マドレーヌは即座に頭を下げ、急くようにデザイン画へと向き直る。流行りを意識しないデザインを選ぶという事は、その全てがデザイナーの力量を測る為の物差しにも成り得てしまうから。


(ドレスだけじゃなくて、髪型や化粧を含めたトータルコーディネートをお願いしても良さそうね。この人ならきっと、最高のイザベラを演出してくれる筈だもの)


 記憶喪失のイザベラに対しても。マドレーヌは一人の職人として、変わらぬ敬意を示してくれていた。それがどれ程ありがたい事か、きっと彼女には分からない。だからこそ、信頼出来る。


 マドレーヌが退出すると。必然的に応接室には、私とジェームズだけが残される。張り詰めていた糸が緩み始め、大きく息を吐き出した。


「……はぁ~、疲れたぁ~。ドレス選びって、結構大変なのね。使う生地まで選ばなきゃいけないだなんて思わなかったわ」


 そもそもオーダーメイドのドレスを作る事すら、現代人には稀なのだ。一番可能性の高いウェディングドレスだって、コスパを考えて既製品を選ぶ人が多くなっているというのに。


 流石は公爵令嬢様。身に纏う衣装一つ取っても、唯一無二である。


 でも本当に大変なのは。オーダーの受けたドレスを期日までに完成させなければならない、マドレーヌの方である。考えてみたらこの世界に、ミシンは存在しているのだろうか。まさかとは思うが、全部手縫い? それを3日で? いや、流石にミシンくらいあるよね…?


 疑問符が脳内を埋め尽くすけれど、頭を振って消し飛ばす。この世界の機械事情が全然分からない以上、迂闊な事は言わない方が吉である。


「ねぇ、ジェームズはどう思う? 私の選んだドレスは問題なさそう?」


 窺うように視線を後ろへ向ければ。ジェームズは口元だけを緩め、優しく微笑んでくれていた。


「ええ、とても素晴らしいです。そのドレスは王妃陛下への『媚び』や『対抗』では無く、リリエンタール家としての『気品』と『威厳』を示す事になるでしょう」


 偽りの無い称賛の言葉に、そっと肩を撫で下ろす。でも、ほんの少しだけ。残念な気持ちにもなってしまう。さっきは全部自分で決めてしまったけれど。欲を言えばジェームズにも、私のドレスを選んで欲しかったから。


「……それにこの蒼は、今の貴女にこそ相応しいのだと。僭越ながら確信しておりました。お嬢様にお選び頂けた事、この上ない歓びにございます」

「!?」


 私の選んだ蒼い布地へ、彼は白い指先を沿わせていく。それはまるで肌の滑らかさを確かめるような、微かな愛撫であった。


(……な、なに…? 今のは一体…、どういう…意味…?)


 あまりにも唐突過ぎる告白に、心臓が一際大きく跳ね上がる。私の選んだ蒼が『ジェームズ自身』である事を、彼が理解しているように思えたから。


(いやいや、そんなわけ無いわ。勘違いしたらダメ。ジェームズに失礼過ぎる。だってジェームズにとっての私は、悪役令嬢イザベラの…『替え玉』に過ぎないんだから…っ)


 頬が焼けそうな程に熱い。ジェームズは口元へ小さく笑みを浮かべたまま、静かに私の手を取って、洗練された所作で口付けを落とす。唇から伝わる彼の体温が、手の甲を通して、全身へ広がっていくような心地がした。


「存じておりますよ。貴女の意図は、手に取るように…」


(うぅ……、勘違い……したらダメなのに……っ)


 今にも破裂してしまいそうな胸を抑えながら。私は赤く染まってしまった顔を、隠すように俯かせる。彼との間に流れる確かな信頼感。それが私の心を、強く支えていたから──。



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