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第八話

 その日を境に、私への指導は新たな段階へと移行した。

 目標は一つ。二週間後に開催される王妃主催のお茶会で、完璧な『記憶喪失のイザベラ』を演じきり、社交界へ返り咲く事。


「此度のお茶会に出席するであろう貴婦人方と、その御息女のリストです。お一人ずつ、顔と名前、そして性格や公爵家との関係性を頭に叩き込んで下さい」


 テーブルの上に並べられたのは、著名な芸術家が描いたであろう美しい肖像画の数々。挿絵で見た事のある顔ぶれから、初めて見る者まで。とにかく、どうしようもなく数が多い。


「特に注意すべきは、王妃陛下の右腕とされるマルケス侯爵夫人です。御息女であるセシリア様は、お嬢様と特に折り合いが悪かった。記憶喪失を理由に、過去の非礼を蒸し返してくる可能性があります」

「ええ…。確かに、彼女は要注意人物だわ」


 セシリア侯爵令嬢。彼女の事はよく覚えている。悪役令嬢イザベラの取り巻きの一人でありながら、断罪の場で、真っ先にイザベラを裏切った人物だ。

 イザベラは彼女を都合の良い駒としか見ていなかったが、実際に踊らされていたのは、騙されていたのはイザベラの方だった。セシリアはイザベラが行った悪事の証拠を秘密裏に聖女へ渡し、その見返りとして『聖女の親友』という重要な地位を与えられたのだ。


(親友…、ね。セシリアも最初は、聖女の事を散々見下していたのに)


 悪事の証拠とされた情報の多くが、実はセシリアの提案によるものだったが、その事実を知る者は少ない。全ての罪は、イザベラ一人が被る事になったのだ。


「彼女からの質問には、『記憶にございません』の一言で切り抜けるのが得策でしょう。そして他の令嬢からの質問についてですが──」


 ジェームズの指導は、より実践的かつ戦略的なものになっている。彼は私が知識をただ詰め込むのではなく、それを武器としてどのように使いこなし、立ち回るべきかを教えてくれている。


 この一ヶ月。私は彼の期待に応える為、必死に食らいついてきたつもりだ。彼が傍にいてくれる。ただそれだけで、どんな困難にも立ち向かえる気がした。

 しかし、同時に疑問も浮かぶ。こんなにも優秀な人材が味方にいながら、どうして本物のイザベラは破滅の道を選んでしまったのだろう。物語の都合を考えればヒール役は当然必要になってはくるけれど、やはりどうにも違和感は拭えなかった。




 お茶会を三日後に控えたある日。指導もそこそこに、ジェームズは私を客間へと案内する。そこで私を待っていたのは、王都で最も名の知られたデザイナー、マドレーヌ・リシュその人だった。


「リリエンタール公爵家のため、特別に参上いたしました。イザベラ様、お久しゅうございます」


 彼女は壮年の女性だが背筋はピンと伸びており、その瞳は宝石を鑑定するかのように鋭い光を放っている。マドレーヌはかつてのイザベラを知る人物として、私に恭しく一礼した。


「貴女の仕立てるドレスは、王都の貴婦人達の憧れの的よ。私の新たな門出を飾るに相応しい、最高の衣装を用意してくれるかしら?」


 私は出来る限り本物のイザベラを投影しながらも、言葉の内側にほんの少しの不安感を滲ませる。こうする事で『以前のイザベラ』とは違うのだと、印象付ける為に。


「…イザベラ様。左様でございますね。恐らく王妃派の貴婦人方は、記憶を失った貴女様が『地味で哀れな女性』になっていると期待されている事でしょう。しかし、貴女様の御姿が地味であればある程、彼女らは『偽物』だと断じるに違いありません。

 ご不安なお気持ちは痛いほど分かりますが、イザベラ様はどんな状況でも、公爵家の誇りを体現なさる御方。そして記憶を失われる前の貴女様は、赤や金色などの絢爛な色を好んでおられました」

「なるほど。私が以前と同じようなドレスを選べば、『本質は変わらない』と思わせる事が出来るのね」


 マドレーヌが予め用意していたであろうデザイン画へと目を通す。それは流行の最先端をいく、フリルとレースを過剰なまでに施した華やかなデザインばかり。これらはきっと、以前のイザベラが好み選んでいたスタイルなのだろう。


「どれも素敵ね。でも、今の私の気分では無いわ」


 丁寧にデザイン画を押し戻し、ずらりと並べられた生地見本へと歩み寄る。私の視線は数ある生地の中から、ある一点に吸い寄せられていた。


「王妃陛下のお好きな色は、燃えるような赤。そして今、王妃派閥の貴婦人方の間では、小鳥や花の刺繍をあしらった、愛らしいデザインが流行している」

「…流石はイザベラ様、その通りにございます」

「ならば私は、その真逆を行くまでよ」


 夜の湖面を思わせるような深く静かな蒼色の絹地を、私は指差す。それは光の加減で、銀糸が星のように微かに煌めいていた。


(なんて静かで、吸い込まれそうな蒼。………ジェームズの瞳の色と…おな、じ…、……ッ!?)


 気付いた瞬間、カッと頬に熱が集まるのが分かった。いけない。今はそんな事を考えている場合では無い。けれど一度意識してしまえば、もうこの色以外考えられなかった。


(ち、ちがっ、違う、違うの! これはそういう、そういうつもりで選んだわけじゃないッ! 赤の補色って青とかだし、王妃が赤を選ぶなら、それこそお互いに惹き立て合って角が立たないかなぁ~、って! そういう! そういうつもりで選んだの! 推しと同じ色ってのは本当に偶然!! たまたまだから!!! 間違っても下心なんかで選んでないのお願い信じてぇぇぇえ!!!!)


「…この生地で、ドレスを仕立てて頂戴。デザインは流行り廃りの無い、洗練されたシンプルなものを。装飾は、可能な限りささやかな銀刺繍のみで。お願い出来る?」


 内心は非常に喧しい事になっているが、私は今、『公爵令嬢イザベラ』。その仮面を崩さぬよう、完璧なポーカーフェイスを貫いた。


「か、かしこまりました…! それでしたら、刺繍は肩と袖口に施すのはいかがでしょう?」

「ええ、それでお願い」


 私の明確な指示に驚きながらも、マドレーヌは即座に頭を下げる。席へ戻ればジェームズが満足そうに、そして全てを見透かしているかのように微笑んでいた。


「…懸命なご選択です、お嬢様。そのドレスは王妃陛下への『媚び』や『対抗』では無く、リリエンタール家としての『気品』と『威厳』を示す事になるでしょう」

「分かってくれるのね、ジェームズ」

「ええ、貴女の意図は、手に取るように」


 彼との間に流れる、確かな信頼感。それが私の心を、強く支えてくれていた──。

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