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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
三章 聖域の剪定者
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第一話 (2)


 互いの近況報告という名の愚痴を吐き出した所で、カップの中身も空になった。


 手際良く二杯目を注ぐルーキスの表情からは。陽だまりのような温もりは、綺麗に拭い去られていた。代わりに浮かび上がったのは。聖職者としての揺るぎ無い矜持と、為政者に近い峻烈しゅんれつを極めた眼差し。


「……身内の恥を語るのは、このくらいにしておこう。今日此処へ来たのは、単なる休憩の為だけじゃない」

「ああ、そうだね。騎士団の『膿』は、今どうなっているんだい?」

「『最悪』だ、と言っておこうか」


 吐き捨てるように零した冷声に。カップへ注がれたばかりの液面が、微かに震えたのが分かる。湯気の合間に覗く己の顔は、嫌悪感に染まり切っていた。


「今問題になっているのは、騎士団の予算だ」

「それはまた、随分と大きな議題だね。国の防衛費は聖騎士団が最優先される筈だから、殿下も糸目は付けないと思うけど?」

「ああ、『表向き』は例年通りだ。各部隊への配分も、項目の小計も、去年の決算書とほぼ変わらない。書面上は完璧に、辻褄が合っている」


 そこで言葉を区切ると。俺は深く息を吐き、自身の焦燥を押し殺す。問題なのはその後に続く、抗い様の無い現実だからだ。


「予算が削られているわけでは無い、と。なら何が問題なんだい?」

「……『現物』が無いんだ」


 声が怒りに震えるのを捩じ伏せるように、眉間へ指先を押し当てる。刻まれた皺が一層濃くなるのを感じながら。俺は低く、言葉を紡いだ。


「書面上では納品された事になっている装備や、備品の数々。それらが倉庫に行くと、明らかに数が足りていないんだ。予備の装備、剣の研磨剤、鎧の修繕用パーツ、遠征用の保存食、医療品。一つ一つは些細だが、積み重なると無視出来ない量になる」


 現場からの報告が上がって来た当初は、単なる記載ミスか、管理不足だと思っていた。だが調査を進めれば進める程に、奇妙なズレが浮き彫りになったのだ。


「担当者は自身の過失を疑っているようだが。俺の目から見て、彼の仕事にミスは無い。何者かが意図的に『中抜き』をしているとしか思えん。そんな状態が数ヶ月間、ずっと続いているんだ」


 数字は合っている。金も支払われている。しかし手元に残るべき現物は、無慈悲に欠落していた。


 騎士団の予算の背後には、民の生活がある。そしてその装備の先には、団員達の生死がある。それを私利私欲の為に掠め取るなど、断じて許される行為では無い。


 拳を強く握り締めると。ルーキスは静かに頷き、湯気の立つカップを俺の前に押し出してくれる。その顔には司教らしい厳粛さと、隠し切れない憂いの感情が浮かんでいた。


「予算を削るよりもずっと悪質だね。現場の首を、真綿まわたで締めるようなやり方だ」

「ああ。兵糧攻めをされているようで、実に気分が悪い。お陰で俺は剣を振るう時間よりも、在庫リストと納品書を睨み合う時間の方が長くなっている始末だ。笑ってくれ」


 苛立ちを隠さぬ俺を射抜くように。ルーキスは眼鏡の縁に指を掛け、新緑の双眸を厳しく細めてみせる。


 だが目の前の男から返されたのは、俺を諫める言葉などでは無かった。鏡に映る己の不運を見ているかのような、苦渋に満ちた共感の溜息だった。


「……奇遇だね、クリス。実は教会でも、似たような問題を抱えているんだよ」

「教会が? 神に仕える場所は金銭トラブルとは無縁だと、思っていたんだが」

「神の愛は無償でも、パンを買うには金貨が必要だからね」


 乾いた笑みを口元へ刻んだルーキスは、祭壇の奥へと視線を流す。向けられた眼差しのその先には。大聖堂に併設されている、小さな孤児院があった筈だ。


「身寄りの無い子供達を引き取り、育て、自立させる。その為の運営費は、信徒からの寄付と、国からの補助金で賄われているんだけど」

「まさか」

「そう。その『まさか』さ。もう3ヶ月くらいになるのかな。国から送られている筈の補助金が、教会まで届いて無いんだよね」


 祈りを捧げるように組んだ指先へ。彼は重く沈んだ顎を、そっと預けてみせる。痛ましげに眉を顰め、微かに揺れ動いた新緑の瞳が、胸奥に隠されている激情の苛烈さを雄弁に語っていた。


「国庫へ問い合わせても、返答はいつも同じ。『手続きは完了している』、『何かの手違いだろうから確認してくれ』。そんなのばっかりだ。でも僕が帳簿を見間違えるなんて、有り得ないだろう?」

「……ああ。アンタの管理能力は、下手な文官よりもずっと正確だ」


 かつて子爵家の嫡男として教育を受けていたルーキスが、数字に弱いわけがない。その彼が『届いて無い』と言うのなら。金は確実に、何処かで消えている。


「うちは小さいけれど、それでも十数人の子供達を預かっているからね。育ち盛りのあの子達に、ひもじい思いはさせられない。今は教会の蓄えを切り崩して、何とか凌いではいるけれど。それだって、いつまで持つか分からないよ」


 この男の祈りは、いつだって子供達への無垢な慈愛によって捧げられている。そんな彼に明日を生きる糧を奪う行為を強いている現状は、あまりにも不条理で、そして残酷だ。


「…………」


 瞼を伏せ、意識を外界から遮断する。


 騎士団の備品不足。教会の補助金未達。組織の壁も、金の出処も異なる筈の二つの問題が。今、不吉な程に重なり合っている。


 偶然の一致という安易な言葉では、到底片付けられ無い。精緻せいちに仕組まれているであろう悪意の萌芽ほうがが、其処には透けて見えていた。


「……なぁ、ルーキス。騎士団への物資納入を一手に引き受けている業者が何処か、アンタは知っているか?」

「……っ!」


 閉じていた瞼をゆっくりと押し上げ、俺は静かに問いを投げ掛ける。退路を断つ意味合いを込めたその言葉に、ルーキスは僅かに息を呑み、弾かれたように顔を上げた。


 聡明な彼の事だ。俺が指し示したその先にある醜悪な正体を、瞬時に悟ったのだろう。


「……聖騎士団の最大の後援者、王都の物流を牛耳る大貴族。『マルケス侯爵家』の商会だね」

「ああ、その通りだ」


 マルケス侯爵。聖女派の重鎮であり、国の心臓部さえも掌中に収める軍部の実力者。あの男の商会を通さなければ、騎士団は装備一つ新調出来ないのが現状だ。


「在庫の不一致を問い質しても、返って来るのは『調達中』だの『配送の遅れ』だの、耳にタコが出来るほど繰り返される言い訳ばかりだ。

 相手が最大手のスポンサーという後ろ盾を持っている以上、会計担当も強くは出られん。奴らは俺達の弱みを、薄笑いを浮かべながら突いているのさ」

「……そして教会の補助金を管理し、慈善事業を取り仕切っているのが。王妃陛下の右腕、マルケス侯爵夫人」


 ルーキスの端正な横顔に、拒絶の影が落ちていく。声は暗い淵へと沈み込み。膝に置かれた白い拳は、まるで何者かの首を絞めるかのように、無言の力を帯びていた。


 点と点が、一本の線で繋がっていく。騎士団から物品を。教会から現金を。国の中枢に食い込む巨大な権力が。立場を利用して甘い汁を吸っている構図が。ありありと浮かび上がって来た。


「似たもの夫婦、とはよく云ったものだが。ここまで腐っていると、冗談でも笑えないな」

「……彼らからすれば、自分達の財布から小銭を出し入れしている感覚なのかもしれないね。その陰で騎士の命は危険に晒されて、無垢な子供達は苦しんでいるのに」


 新緑の瞳の奥深くで、凍て付く殺気が瞬いた。彼は普段温厚な司教だが、守るべき『家族』に手を出した者には、一切の容赦が無くなる。


 その剥き出しになった魂の輪郭は。かつて共に国を救った、英雄の相貌そのものだった。


「そういえば先日、彼らの愛娘であるセシリア嬢が、エレンに高価な薬草やドレスを次々と献上しているという話を聞いたよ。……彼女は随分と『献身的』なんだね?」


 薄いレンズ越しの瞼を緩く細め、口元へ作為的な弧を描いたルーキスは。俺に向け、仄暗い笑みを投げ掛けてくる。唇に人差し指を押し当てている姿から察するに、その情報の出処は『告解室』なのだろう。


 王都大聖堂の司教としての。彼の抱える情報の幅広さは。頼もしいと思う反面、末恐ろしく感じる時がある。


 この男は一体、どれほどの人間の秘密を握っているのだろうか。


「聖女様への献身、か。その原資が何処から出ているのか、想像するだけで虫唾が走るな」


 先日の夜会であの女が纏っていたのは。目が眩む程の豪奢なドレスと、身の丈に合っていない無数の宝石だった。


 騎士の命を守る為の予算が。孤児達のパンに成る筈だった寄付金が。あの女の虚栄心と聖女様への点数稼ぎに使われているのだとしたら。


 それはもはや、万死に値する大罪だ。親子揃ってこの国の防衛と信仰を、金銭面から腐らせようとしている。


「彼らは聖女と英雄に関わる組織を、自分達の都合の良いようにコントロールしようとしているのかもしれないね。マルケス侯爵家は今や、王家の後ろ盾を得て、飛ぶ鳥を落とす勢いだから」


 俺達は顔を見合わせ、重い沈黙を共有する。聖女の威光を傘に着て、増長するマルケス侯爵家に対する不信感が。確信へと変わりつつあった。


「……何か手を打たねばならんが、流石に相手が悪過ぎる。奴らは制度の隙間を縫って動いている。証拠も無く告発すれば、こちらが『反逆者』として処分されかねない」


 マルケス侯爵家の不正を暴くには、確固たる証拠が必要不可欠だが。恐らく奴らは、証拠隠滅にも長けているのだろう。正面から切り込んでも、返り討ちに遭うのが関の山だ。


「でも、見過ごす事なんて出来ないよ。僕達は『聖女様の騎士』だ。弱きを助け、悪を挫く。この誓いは、あの時からずっと、変わらない」


 深緑の瞳には、聖職者らしからぬ冷徹な怒りの炎が揺らめいていた。大切な場所を守る為に。彼もまた俺と同じ様に、戦う覚悟を決めているのだろう。


「ああ、違いない。俺の方でも、内密に調査を進めてみる。物資の流れを追えば、どこかに尻尾が出ている筈だ」


 視線を交わし、無言で頷き合う。かつて互いに背中を預け、死線を潜り抜けた盟友との共闘。相手は異形の魔物などではなく、人の皮を被った欲深き権力者だが。それでも、やるべき事は変わらない。


 この国の膿を、絞り出す。


 俺は冷めかけのハーブティーを一口含み、決意を新たにする。だが思考の片隅にこびりついて離れない『棘』が、この口を再び開かせた。


「それにマルケス侯爵家を調べる理由は、金の問題だけじゃない。あの家にはもっと、別の『疑惑』もある」

「……別の疑惑?」

「『セシリア』だ。俺は、あの女が以前から聖女様に対する嫌がらせを……。いや、もっと悪質な行為に加担していたのではないかと、ずっと疑っている」


 苦い記憶を掘り起こし。自然と俺の相貌へ、暗い影が差し込んでいく。ルーキスも知っている筈のこの話は。まだイザベラが、フィリップの婚約者だった頃の顛末てんまつだ。


「でも彼女は、イザベラ嬢の悪事を暴いた、正義の味方だよね?」

「……ああ、『表向き』は、な」


 かつてのイザベラは傲慢で、とんでもない癇癪持ちだった。聖女様の本を捨てたり。ドレスを切り裂いたり。周囲に圧力を掛けて孤立させたりと、数々の嫌がらせを行っていた。


 それは俺も知っているし、何度も注意した。イザベラは決して、無実ではない。


 しかし。


「だがイザベラは、世間が捲し立てているような。血も涙も無い『大罪人』なんかじゃない。少なくとも俺は、そう思っている」

「……どういうこと?」


 此方の真意を測るべく、ルーキスは身を乗り出して、俺の顔を覗き込む。


 俺は、今も尚網膜に焼き付いて離れない『あの光景』を、苦い毒を飲むように思い起こした。


「アンタは覚えているか? かつて聖女様が、街で暴漢に襲われそうになった事件を」

「そんなの……忘れる筈がないよ。エレンが路地裏でならず者達に囲まれて……。僕が駆け付けていなければ、取り返しの付かない事になっていた」

「ああ。あの日、俺は同時刻に、イザベラと一緒にいたんだ。彼女がこれ以上、聖女様への嫌がらせをしないよう、釘を刺す為にな。

 だが暴漢の知らせが入った時。イザベラは、何て言ったと思う?」

「……すごく不機嫌になったとか?」

「いや、そんなんじゃなかった。むしろあいつは報告を受けた途端、顔面蒼白になってガタガタ震え始めたんだよ」


 その時のイザベラの姿を、俺は鮮明に覚えている。彼女は普段の傲慢な態度を崩し、血の気を失い、小刻みに身体を震わせていたのだ。


 ──そんな恐ろしい事、するわけがありません! 私は誇り高き、公爵令嬢ですのよ!? 女性の尊厳を奪うような卑劣な真似など、死んでも致しませんわ!!


 瞳に涙を溜め込み、叫ぶ様に絞り出されたあの言葉に。嘘は見受けられなかった。演技などでは無い。心底からの恐怖と潔癖なまでの拒絶の意志が、そこには在った。


「聖女様が階段から突き落とされた事件もそうだ。俺にはどうしても、イザベラが主導したとは思えない。彼女は突き落とされた聖女様を見て、暴漢未遂事件の時と同じように、安否を俺に尋ねたんだからな」


 もし主犯格なら、あんな顔はしない。成功を喜ぶか、或いは素知らぬ振りを、決める場面だと云うのに。


 聖女様の命が脅かされた時のイザベラの反応は。いつだって純粋な驚愕と恐怖の感情が、込められていた。


「でも、イザベラ嬢は断罪されたよ? 状況証拠と、セシリア嬢の証言で」

「確かにイザベラは物を壊したり、怒鳴ったりはしていた。だが人の命に関わる一線だけは、決して越えなかった」


 姑息な策で相手を不快にさせる事は出来たとしても。人の尊厳を塵の如く踏み躙り。命を危険に晒すような度胸や悪意など。あいつは持ち合わせていなかった。


「…………」


 俺の脳裏に、断罪の光景が蘇る。


 全ての罪を被せられ。孤立無援と成ったイザベラと。そんな彼女を嘲笑うように吐き出された、セシリアの冷徹な宣告。


 ──わたくしは聖女様をお守りする為に、スパイとしてイザベラ様の悪事を見張っておりました。聖女様へ向けられた数々の卑劣な行為は、全てイザベラ様が考案なされたのです!


「セシリアは今や『正義の味方』の顔をして、聖女様の隣にのうのうと居座っている。だが俺は、あの断罪の場でのイザベラの叫びが、ずっと、忘れられないんだよ……」


 あの時のイザベラの、絶望に染まった顔。血を吐くように溢れた、悲痛な叫び。


 ──私を騙したのね!? この裏切り者!!!


 あれは罪が露見した者の、悪足掻きには思えなかった。信じていた友人に背中から刺された者の、魂の慟哭どうこくだった。


 俺は両手で自身の顔を覆い隠し。赦しを求める信徒のように。深く頭を垂れる。対面に座るルーキスから、息を呑む気配がした。


「もし……あの一線を超えた暴力的な行為の数々が。イザベラの指示ではなく、セシリアの独断だったとしたら。

 あの女は自分の手を汚さずに、聖女様に取り入る為に、イザベラを利用した。そして最後はイザベラに全ての罪を被せ、蜥蜴トカゲの尻尾のように……無情に切り捨てた」


 奥歯の軋む音がする。これは俺の、騎士としての、一生背負うべき悔恨だった。


 俺はあの時、何も言えなかった。状況証拠は、全てイザベラが黒だと示していたし。彼女の日頃の行いが悪かったのも、紛れも無い事実だ。


 だが抱える疑惑を言葉にせず。絶望する彼女に手を差し伸べなかった後悔が。ずっと俺の胸に刺さったまま、今も尚、抜けていない。


「……正直に言えば、俺はかつてのイザベラが苦手だった。感情的で、すぐに癇癪を起こす。思い通りにならないと喚き散らす姿は、見ていて気分の良いものじゃなかった。聖女様への当たりも強かったし、俺達にも随分と、迷惑を掛けてくれたからな」


 だが。


 脳裏に浮かぶのは。聖女エレンディラが現れる前の。まだ何もかもが狂い出す前の、イザベラの姿。


「それでも俺はイザベラを、本当の意味では、嫌ってなかったんだよ……」


 それは、これまで誰にも言えなかった。心からの本音だった。


「聖女様が現れる前のイザベラを、俺は知っている。

 彼女はフィリップを、一途に愛していた。その愛は盲目で、危ういものだったかもしれない。だが彼女なりに、必死だった筈なんだ。誰よりも相応しい国母になろうと足掻き、膨大な課題を前にしても、弱音一つ吐かずに机に向かっていた背中を……俺は覚えている」


 完璧で在ろうとし、気高く在ろうとし。それでもフィリップの愛情が離れていく事に焦り、少しずつ壊れていった。健気な少女。


 フィリップの心が聖女に救済されたと云うのなら。そのフィリップに棄てられたイザベラの心は、誰が掬うと云うのだろうか?


「彼女の行動は、決して褒められたものじゃなかった。だが嫉妬に駆られて感情的になっていたあの姿は。ある意味とても人間らしいと……俺は感じていたんだ」


 欠点だらけで、未熟で、愚かだったかもしれない。だがそこには、血の通った『人間』の、確かな体温が在った。


 計算高く立ち回り。聖女の仮面を被り。その威光を自在に操るセシリアのような冷徹な悪意は、無かった筈なのだ。


「だからこそ俺は、彼女が記憶を失い、別人のようになってしまった事が、余計に堪えるのかもしれない。不器用で、けれど懸命だった『イザベラ』は、もう……何処にもいない。

 あの頃の彼女を守れなかったのは、他ならぬ、俺達なんだからな──」


 濃密な沈黙が、部屋の空気を塗り潰していく。おりのような懺悔を終えた俺は、祈る思いで顔を持ち上げる。


「…………」


 そこには、咎める意志など微塵も無い。迷える子羊を導く慈愛を湛えた、穏やかなルーキスの瞳があった。その揺るぎない視線が。言葉以上に克明こくめいに。俺の全てを肯定し。受け入れてくれていた。


「クリス、君は本当に、正義の騎士だね。どんなに苦しくても公平さを失わず、他者の為に心を砕ける、優しい人間だ。僕はそんな君を、誇りに思うよ」

「……よしてくれ。結局俺は、あいつを救えなかったんだ。どんなに正義だの公平だのと並べ立てたところで、起きてしまった事実は変えられない」


 そもそもこの件は、救えなかったどころの話では無いのだ。俺は彼女を追い詰める側の一員として、あの場に立っていたんだ。


 その途方も無い罪悪感こそが。今の俺を突き動かす、原動力になっているのかもしれない。


「それに……俺の中にあるセシリアへの疑惑は、先日の夜会で確信に変わったんだ」

「……何があったんだい?」


 新し過ぎるその記憶は。わざわざ掘り起こそうとしなくとも、鮮明に思い出せる。公務として出席を強いられた夜会で起きた。張り巡らされた策謀を解き明かす、決定的な『真実の糸』。


「夜会には、イザベラも出席していた。……信じられんだろうが、イザベラはセシリアと対峙した時、言葉で理を説き、正論をぶつけていた。対するセシリアは逆上し、言葉を詰まらせた挙げ句、力任せにイザベラを突き飛ばしたんだ」

「……ん? んんっ!? ちょ、ちょっと待ってくれよクリス! 大罪人とはいえ、相手は公爵令嬢だよ!? そんな事をしたら!!」

「権力が地に落ちている相手だから。という驕りは、確かにあったかもしれない。だがセシリアは公衆の面前で、自身の感情を制御出来ず、暴力に訴えた。階段から聖女様を突き落とす事が出来たのはどちらか、火を見るよりも明らかだろう?」


 ルーキスは片手で額を押さえ、『有り得ない…』と苦悩の声を漏らしているが。俺に云わせれば、セシリアのような人間の方が、余程不気味に見える。


 表向きの潔白さの裏側で。奴が何を画策し、切り捨てようとしているのか。そいつを測る為の物差しを、持ち合わせていないからだ。


 悔恨の念が、胸を締め付ける。あの時俺が、もっと踏み込んで調査を申し立てていれば。イザベラ一人に全ての罪を背負わせるような結末には、ならなかったかもしれない。


「セシリアの嘘を暴く為に一番有効なのは、罪を擦り付けられた当人であるイザベラに証言させる事。……だが皮肉な事に、今の彼女にはその記憶が無い」

「……あの頃の酷い記憶を失くせたのは。イザベラ嬢にとっての救いだと、僕は思うよ?」

「ああ、そこは俺も同意見だ。それに世間はもう、イザベラの断罪を『終わった事』として片付けている。今更彼女が何かを訴えたところで、地に落ちた公爵家の言葉など、誰も信じないだろうからな」


 イザベラは夜会で、『公爵家の汚名をすすぎたい』と言っていた。だが社交界に溢れる悪意ある噂と、残酷で明白な証拠の欠如。盤上の駒を動かそうにも、今の状況はあまりに絶望的過ぎる。


 俺が全ての言葉を出し切ると。ルーキスは祈りにも似た嘆息を吐き、手元のカップをそっと置く。小さく鳴り響いたその音を符丁ふちょうとして、長く重苦しい沈黙が終わりを告げた。


「君がセシリア嬢を疑っている理由は分かったよ。でも、それなら尚更不思議だな。少なくとも彼女は、君を慕っているんだよね? ならその気持ちを利用して、内側から切り崩すという手も」

「無理だ」

「……即答だね」

「生理的に無理だ。先日の夜会で、あの女がどう振る舞ったか。それを知ればアンタだって、同じ事を言う筈だ」


 あの夜会で起きた事を、俺は吐き捨てるように語った。


 獲物に巻き付く大蛇の如く、公衆の面前だろうとお構い無しに身体を擦り寄せて来た事。拒絶の言葉すら自分に都合良く解釈し、『愛の裏返し』と捻じ曲げる理解不能な思考回路。公務の一環でイザベラと踊っただけで、鬼のような形相で喚き散らした浅ましさ。


 そして何より俺が許せないのは。平然と他者に罵詈雑言を浴びせ、あまつさえ暴力を振るうあの腐った性根。その全てを。嫌悪感を隠さずに。そのまま言葉にして伝えた。


「……う、わぁ~…。それは流石に……引くね?」


 相手がどんなに醜悪な人間でも。一度は必ず懐に迎え入れるルーキスだが。今回ばかりは隠し切れない戦慄に、顔を歪ませていた。


 世に聞こえる『慈悲深い侯爵令嬢』という虚像と。俺の語る狂気染みた実像との落差に。彼は痛ましいものを眺めるような眼差しで、俺を見据えていた。


「大変だったんだね、クリス。そんな猛獣の相手をさせられていたなんて……」

「だろう? 騎士の公務を『浮気』だと喚き散らし、自分の思い通りにならなければヒステリーを起こす。あれのどこが『聖女様の親友』だ! そもそもこっちは、婚約の承諾すらしていないんだぞ!? 反吐が出る!!」


 話しているだけで、あの女に対する忌避感が蘇ってくる。俺は残った茶を一気に飲み干し、ドンとカップを置いた。


「はっきり言わせて貰うがな、ルーキス。あんな女と婚約するくらいなら、俺はイザベラと婚約する方が、何億倍もマシなんだ」


 カチャン──。


 陶器の触れ合う硬質な音が、閑静な部屋に響き渡った。


 ルーキスは口元へ運ぼうとしていたカップを、ソーサーの上で滑らせていた。いつも優雅な彼にしては珍しい、明らかな手元の狂いだった──。





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