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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
二章 社交界の蒼い月
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第十四話


 演奏は終わり、会場が微かな残響に揺れ動く中。クリストファーは約束通り私の手を引いて、フロアの端へと歩を進めている。


 互いに腹の内を探り合う緊密な対峙は、周囲の喧騒と好奇の眼差しを遠いものに感じさせていた。解放の時は近い。確かな安堵に肩の力を抜き。張り詰めていた緊張の糸を、僅かに緩ませた──その時だった。


「クリストファー様っ! 離れてくださいましッ!!」


 ガラスを掻き毟るような不快な金切り声が、神聖な静寂を引き裂いた。


「…………」

「…………」


 私とクリストファーは互いの心中を察するように目を向けると、同時に絶望を含んだ深い溜息を吐き出した。


 ドスドスと淑女にあるまじき荒い足音まで聞こえてしまい、こんなのわざわざ確認しなくても、犯人が容易く特定出来てしまう。


「この泥棒猫! よくもわたくしのクリストファー様をたぶらかしましたわね!? ああ、汚らわしい!! 今すぐそこをお退きなさいっ!!!」


 セシリアはクリストファーの腕へ添えられた私の手に視線を落とすと、愛らしい顔を嫉妬の炎で醜く歪め、獲物を囲い込む蛇のような浅ましさで、私達の間へ身体を滑り込ませて来た。


「っ!? 待て! セシリア嬢!!」


 慌てて制止の声をクリストファーは上げてくれたけれど、激情に駆られたセシリアには届かない。彼女は身分ある令嬢とは思えない程の野蛮な手付きで、私の身体を力の限り突き飛ばした。


「…っ、あ……っ!」

「イザベラ! 大丈夫か!?」


 クリストファーが案じるように私を見詰めている一方で、セシリアの顔には悍ましい程の憎悪の感情が渦巻いていた。


 邪魔者として押し退けられた私は、乱れたドレスの裾を整えて、静かに二人から距離を取る。別に痛くは無かったけれど。まさかセシリアが私を物理的に排除しようとするだなんて、思ってもみなかったから。純粋に驚いてしまった。


「大罪人の分際で聖女様の騎士に触れるだなんて不敬よ! 恥を知りなさい!!

 この事は絶対に、聖女様へお伝えします! 貴女がもう二度と社交界に顔を出せないように、報告して差し上げますわ!!」


 唾さえ飛ばしかねない程の凄まじい剣幕で、セシリアは罵声を響かせる。周囲に並び立つ煌びやかな貴族達も、皆揃って眉を顰めており。モーゼの海割りの如く遠巻きにしている姿が目に入った。


 縋り付かれているクリストファーも、頬を引き攣らせて困惑している。そもそも私が彼を誑かしたのではない。強制連行されたのだ。被害届を出したっていいくらいなのに。


(……嫉妬に狂った悪役令嬢の顔って、こんなにも酷いのね。私の専売特許だった筈だけど、流石にコレは遠慮したいわ。百年の恋も冷めそうだし…)


 それに断定をするにはまだ材料が足りないけれど。セシリアの口から『聖女』という単語が漏れ出た以上、見過ごすわけにはいかない。


 聖女の権限を自らの意思で操れると信じて疑わないその姿勢こそが、『聖女傀儡説』を紛れも無い現実へと押し上げているから。


 やはり次の戦場は、聖女主催の『定例茶会』。私が招待状を受け取れる可能性は万に一つも残されていないので、どうにかして協力者を募りたい所ではあるけども。


「そもそも! クリストファー様だってあんまりですわ! 貴方のパートナーはわたくしなのに! どうしてわたくしを優先して下さらなかったの!?」

「セシリア嬢、これは……っ」

「言い訳など聞きたくありません! マルケス侯爵家の娘たるわたくしを放置して、罪人と睦み合うなど……!? 今日の事は全部、お父様に言い付けさせていただきますわ!!」


 今は冷静に情報を分析している暇は無さそうだった。案の定セシリアが、クリストファーを責め立て始めてしまったから。


「…………」


 扇で口元を覆い隠しながら、対照的な二人を静かに俯瞰ふかんする。セシリアは自身の正当性を金切り声で主張していて、対するクリストファーは苦虫を噛み潰したような顔で言葉を詰まらせていた。


「……すまない、セシリア嬢。私はリリエンタール嬢を執事の元まで送り届けねばならない。それが騎士としての礼儀だ」

「大罪人の女など、その辺に捨ておけば良いのですわ…ッ! いずれ婚約する身でありながら他の女に誘惑されるだなんて! いくらなんでもあんまりです!!」

「……っ、それは、曲解だ…。私は騎士としての義務を全うしようとしただけで、断じて不実な意図など……っ」


 セシリアは知らないだろうが。実は小説の中でクリストファーは、聖女エレンディラに己の生涯を捧げているのだ。


 単なる忠誠心だけでは無い。男として抱えるありとあらゆる感情の全てを、彼は聖女へ向けてしまっている。そんな彼を本当の意味で振り向かせる為には。悪魔に魂を売るくらいの気概が無ければ、到底無理な話だろう。


(それにしても……初恋を実らせて貰えないサブヒーロー達って、本当に切ない存在よね。

 クリストファー様が『私はいつでも貴女だけを想っています』って聖女へ伝えるシーンなんて、毎回ティッシュが秒で消えるくらい、涙無しでは読めなかったし…)


 そもそも高飛車で傲慢な令嬢なんて、この貴族社会には掃いて捨てる程いるのだ。家柄と利益が釣り合うのなら、性格の不一致など些細な問題として処理されるのが常だというのに。


 次期侯爵であり、聖騎士団の副団長という重責を担うクリストファーが、単なる『個人の好み』だけで有力なマルケス侯爵家との縁談を蹴り続ける筈が無い。


「………」


 もう一度、クリストファーをよく観察する。彼の双眸からは完全に光が消え失せており、代わりに隠し切れない疲労と底知れぬ忌避感が浮かんでいた。


 何かを言い返そうとして言葉を呑み込み、拳を白くなる程に硬く握り締めている。その姿は揺るぎない筈の騎士の誇りに、抗い難い現実という濁流が注ぎ込まれているようだった。


(また目が死んでる。やっぱりクリストファー様はセシリアに対して、根本的な『何か』を感じているのね。自分を恋い慕う令嬢を理由も無く拒絶するだなんて、クリストファー様がするわけないだろうし……)


 副団長という責任ある立場の彼にとって。セシリアを公衆の面前で無下に扱う事は、騎士団の運営に関わる重大なリスク。


 でもそれ以上に彼は、騎士としての矜持を何よりも尊んでいる。泥に塗れた政治的駆け引きの中でも、決して己の信念だけは汚させない。


 その不器用なまでに真っ直ぐな高潔さこそが、私が『クリストファー・アークライト』という人物に心を奪われた。何よりの理由だから。


「……あら、セシリア様。随分と大きな声をお出しになりますのね?」

「!?」


 騒乱を断ち切るように扇をそっと閉じ、一歩前へと進み出る。クリストファーが驚愕に染まった顔で此方を振り返るけれど、私はもう止まれない。


 貴方が言いたくても言えないのなら、私が代わりに伝えれば良い。だって貴方は私の推しであり、かつての私に生きる希望を与えてくれた、大切な存在だから。


「『泥棒猫』、ですか。聞き捨てなりませんわね? 私はアークライト様の『尋問』に、お答えしていただけですのに」


 鉄壁の淑女の仮面を張り付けて。私は憎らしい女の顔を、視線だけで射殺せる程に見据えてやる。するとセシリアも同じように、悪魔のような形相で私を睨み付けて来た。


「嘘よ! そんなのデタラメだわ! あんなに熱っぽく見つめ合っていたくせに! よくもそんな白々しい嘘が吐けるわね!!」

「嘘ではありませんわ。『尋問』とは云え、とても有意義な時間を過ごさせて頂きましたもの。

 まぁもっとも、私が感銘を受けたのは、アークライト様の甘い言葉などではなく、騎士としての誠実な在り方に対して、ですけれど」


 カツン、と硬質なヒールの音を響かせて、至近距離まで詰め寄ってみせる。怯える小動物さながらに肩を揺らす彼女の耳元で、囁くように言葉を吐き出した。


「……セシリア様。貴女はアークライト様を、愛していらっしゃるのでしょう? 将来そのお隣に立つ事を、望んでいらっしゃるのでしょう?」

「と、当然ですわ! わたくしこそが、彼の妻に相応しい女ですもの!!」

「でしたら……なぜ、彼の顔に泥を塗るような真似をなさるのです?」


 私は感情を削ぎ落とした氷の声で、静かに空気を震わせる。するとセシリアは弾かれたように喉を鳴らして息を呑み、足元をよろめかせた。


「ど、泥ですって……? よくもそんな口が叩けたものね!? クリストファー様に泥を塗っていたのは、大罪人である貴女の方なのに!!」

「アークライト様は聖騎士団の副団長として、不審な動きを見せる私を監視し、真意を問う為に踊って下さっただけですわ。それは騎士としての、高潔な『公務』です。

 それを『誑かされた』だの『誘惑された』だのと……。貴女はアークライト様が女色にうつつを抜かして職務を放棄するような、愚かな男だと仰りたいの?」

「っ!?」


 セシリアの顔から、急激に血の気が失われていく。それもそうだろう。この女には他者の痛みや立場をおもんばかる想像力など、最初から存在していないのだから。


「ち、ちが…違いますわ! わたくしは…そんなつもりで言ったわけじゃ……!」

「貴女がこの場で騒ぎ立てれば騒ぎ立てる程、周囲はこう思うでしょうね?

 『マルケス侯爵家のご令嬢は、未来の夫となる人間の職務も理解せず、嫉妬で公務を妨害する浅はかな女性だ』と。

 そして『そのような女性に振り回される副団長もまた、頼りない男性だ』と」


 セシリアの傍らで立ち尽くすクリストファーへ、冷えた眼差しを投げ掛けてみれば。やはり彼は、呆れたような顔で此方を見下ろしていた。


 計算通りだ。私が衆目の罪悪を全て引き受ければ、彼の名誉は一点の曇りも無く保たれる。


「今この場でアークライト様の名誉を傷付けているのは、私ではありませんわ。ご自身の感情を制御出来ず、ヒステリーを起こしている──セシリア様、貴女です」

「──ッ!!?」


 これが最後の一撃。自分を被害者だと信じて疑わないセシリアにとって、これ以上効く言葉なんて恐らく無いだろう。


 彼女の顔が、怒りの赤から屈辱の青、そして絶望の白へと変わっていく。周囲の貴族達も声を潜めるようにして、私を擁護する言葉を囁き始めていた。


(……終わりだわ)


 もうこの会場に、セシリアの味方なんて存在しない。完成したのは一遍の慈悲も無い、完全なる孤独の檻。煌びやかな夜会の中心で、彼女だけが寄る辺の無い異物として、切り離された瞬間だった。


「う、うぅ……っ! な、なによぅ…! 記憶を失くしたくせに、偉そうに……ッ!!」


 セシリアは濃紫の瞳に涙を溜めて、縋るような眼差しを周囲へ彷徨わせたが。結局誰とも目が合う事は、無かったようである。最後は衆目に晒されて、惨めに走り去ってしまった。


 遠ざかる背中が人混みの波に呑まれ、消えて往くのを見届けてから。私は張り詰めていた糸を切るように、深く、静かに息を吐き出した。


「やりすぎたかしら?」

「……いや。見事だった」


 隣で溢れ落ちた溜息には、確かな安堵が混じっていた。窺うように見上げたクリストファーの瞳には、これまでの『私』という認識が根底から覆されたような、純粋な驚きと感謝の気持ちが浮かんでいた。


「私が言えぬ事を全て代弁してくれたな。……すまない」

「お礼には及びませんわ。貴方のような高潔な騎士様が、理不尽な理由で責められるのは我慢なりませんもの」


 私はクリストファーへ向けて完璧な淑女の微笑を浮かべた後。ふと、嵐の過ぎ去った場所。主役を失い空虚になった方角を眺めて、そっと小首を傾げた。


「………」


 流石にもう懲りたと思いたいけれど。セシリアの根拠の無い自信と図太さは筋金入りなので、一晩泣き明かせば、きっと『私は悪くない』と自分に都合の良い解釈で復活しているのが関の山だろう。


 それにさっきは推しが不当に責められている姿を見て、思考より先に身体が動いてしまったが。実を云うとセシリアのあの見苦しい言い分だって、決して理解出来ないわけでは無いのだ。


 彼女の抱える醜い独占欲は、そのまま私が推しへ向ける異常な執着心と地続きのように感じられて。それが堪らない程に、しゃくに障るのだ。

 …所謂、同族嫌悪というヤツである。


「……ねぇアークライト様。一つだけ、正直にお答え頂いてもよろしくて?」

「なんだ?」

「その……今のセシリア様を見ていて、ふと思ったのですけれど」


 私は決まり悪く、人差し指で自分の頬をなぞりながらも。恐る恐る、けれど核心を抉る問いを。目の前の男へ投げ掛けてみた。


「もしかして、私も昔はあんな感じでしたの?」


「──ッ!!?」


 クリストファーの動きが、彫像の如くピタリと止まった。彼は額に汗を浮かべながら何かを言い掛け、開いた口を片手で押さえ込み、非常にバツが悪そうに視線を宙へと逸らした。


(ぁ………)


 その重苦しい沈黙と視線の逃避こそが、何よりも雄弁な肯定だった。クリストファーは口元を引き攣らせ、古傷が痛むのを耐えるかのような、苦渋の表情を浮かべていた。


「……否定は、しない」

「やっぱり……」

「だが、お前の方がもっと……こう、声が大きく、手が出るのも早かった気がする。周囲を巻き込むエネルギーも…セシリア嬢とは桁違いだった」

「うぐぅっ!?」


 あまりにも正直過ぎる回答を頂いてしまい。思わず胸を押さえ込み、その場に崩れ落ちてしまった。別に自分がやった事では無いけれど。過去のイザベラの悪行が、特大ブーメランのようにこの身を無慈悲に貫いたから。


 読者として。イザベラの所業を全て知る者として。後始末を任されていた『五人の騎士』達には、本当に頭が上がらない。


 こうして彼らの内の一人と呼吸を合わせ、言葉を交わせている現実こそが。万象の奇跡を積み上げたような途方も無い幸運である事を。私はただ、ひたすら噛み締めるのだった。


「……その節は、大変なご迷惑を」

「だが、今のお前は違う」


 謝罪の言葉を絞り出そうとしていた私を、クリストファーの静かな声が引き止める。迷いを振り払うように戻されたその眼差しは、揺るぎ無い確信に満ちていた。


「先程の言葉には、確かなと、凛烈りんれつたる品位が宿っていた。ただ感情をたかぶらせるのでは無く、静かに、けれど毅然として道理を示す強さがあった。

 今のイザベラならば。私は一人の騎士として、この背を預けても良いとさえ思えたのだ」


 交錯する黄金の双眸には。私という存在を真っ向から受け入れる、真摯で温かな光が宿っていた。


「……、…っ…」


 予期せぬ褒め言葉に、今度は私が息を詰まらせる番だった。こんなの瞠目どうもくして、石像のように固まる事しか出来なくなってしまう。


 咄嗟に顔を伏せて、意識を遮断する。クリストファーは不思議そうに此方を覗き込んでいるけれど。今だけは、気付かない振りをした。


(……ズルい…)


 眩しい。息が詰まる。扇を持つ手が、小刻みに震えているのが分かる。口元を覆った所で、何一つ自分を隠せている気がしなかった。


 彼に他意が無い事ぐらい分かっている。この人は嘘が吐けないから、今の言葉が本心である事ぐらい、私だってちゃんと理解している。


 でも。


 こんな言い方は狡い。あんまりだ。そんな優しい目と声で言われてしまったら。どうしようも無く、甘えたくなってしまう。動かすつもりの無かった手を、伸ばしてしまいそうになる。


 私がこの人にとって、信頼に足る人間であると、護って貰えるような存在なのだと。そんな勘違いを、してしまいそうになるから。


「…………………」


 太陽の光から逃げるように、そっと瞼を閉じる。視界が暗い闇に包まれて。ようやっと私は、安堵の息を吐き出した。


 私は、物語から追放された『悪役令嬢』。私は一度だって、正義の象徴たる彼らへ向けて、弱音を吐く事など許されない。そもそも過去の罪を許して貰えるだけでも、充分過ぎるくらいの高待遇なのだから。


 伏せていた顔を持ち上げて、そっと背筋を伸ばす。そして今一度、寸分の隙も無い淑女の仮面を張り付けて、クリストファーへ微笑んでみせた。


「ありがとうございます、アークライト様。でも、お気持ちだけで充分ですわ。

 貴方の尊き剣は、他ならぬ聖女様を守る為にこそ、振るわれるべきです。私のような大罪人が、その光を穢すような真似を、させるわけには参りませんもの」

「………イザベラ」


 クリストファーは悲痛な面持ちで此方を見下ろすけれど。その感情だって、今の私には勿体無さ過ぎる。本当にこの人はどこまでも真っ直ぐで、いっそ残酷な程に、光で満ち溢れている。


 陽だまりの世界で生きる彼らを羨む事。それが私にとって、何よりも分不相応な願いだから──。




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