第十三話 (前)
抗い様の無い力で引き摺られ。私は操り人形のように、舞踏フロアの中央へと連行される。
大罪人の悪役令嬢と聖女派の筆頭騎士。相容れない二つの存在が並び立つ現状に、会場中の貴族達は息を潜め静まり返っていた。
「……随分と強引なのね。聖女様の騎士ともあろう御方が、レディの扱いすらご存知無いのかしら?」
内心で渦巻く恐怖を押し殺し、敢えて皮肉を投げ付ける。いくら私の愛する推しとは云え、冤罪で裁かれるのは流石に勘弁して欲しいから。
「罪人に手心など無用だ。これでも尋問は得意分野でな。お前の化けの皮を、今この場で剥いでやるよ」
「……っ…」
対するクリストファーは、私の強がりなど端から眼中に無いようで。ただ無機質な冷気を纏っているだけだった。
私の仕掛ける必死の挑発なんて、彼の目には哀れな児戯にしか映っていないのだろう。鼻先で嘲笑され、耳元で囁かれるその声には、むしろ余裕しか感じられなかった。
「……始めるぞ」
彼は私の腰を抱え込み、もう片方の掌で指を絡め取る。その所作は丁寧でありながらも、逃走を許さない絶対的な拘束力を秘めていた。
(……うぅ…こんなの公開処刑だわ…。推しとダンスなんて、本来なら卒倒モノの神イベントの筈なのに…!)
オーケストラの奏でるワルツの旋律が、優雅に、しかしどこか冷ややかに会場内へと響き渡る。私達はその流れに逆らう事無く、最初のステップを踏み出した。
クリストファーのエスコートは、とにかく完璧だった。足運びはとても滑らかで、ドレスの裾を踏むような無粋な真似なんて一切無い。
でも私の腰へ回された腕と、指を絡めた掌から伝わってくるのは、尋常では無い程の硬さだった。
これはリードでは無い。罪人の逃亡を防ぐ手錠だ。見えない鎖が彼の手に握られているように感じられて、ダンスフロアを断罪の法廷に錯覚してしまう。
「記憶を失ったという割には、随分と足運びが慣れているな?」
回転に合わせて、抑揚の無い声が囁かれる。それは私の綻びを探す、カマ掛けの言葉だった。
努力の成果を認められて嬉しいのは事実だけれど、これでは素直に喜べない。
「……身体が覚えておりましたので」
「ほう、都合の良い身体だ」
クリストファーは鼻で笑うと、私の腰を更に強く引き寄せる。ドレス越しでも伝わる彼の体温と筋肉の硬さに、心臓は今にも破裂しそうだった。
顔が良い。声が良い。匂いも良い。でも口から吐き出される言葉は、無慈悲な尋問官そのものだ。ロマンスの欠片すら無い。
絶え間無く注がれる鋭い視線に内心怯えながらも。私はフロアの隅に置き去りにされている、セシリアの姿をそっと確認する。やはり彼女は案の定、鬼のような形相で此方を睨み付けていた。
(いや、怖っ!? なんでアンタが悪役令嬢の顔してるのよ! その顔は私の専売特許なのに!!)
これでは完全に立場が逆だった。少なくとも私はこのダンスに、合意しているわけでは無いというのに。こんなのはただの八つ当たりだ。弁明の余地が欲しい。切実に。
(……でもまぁ、こればかりは弁明したって仕方が無いわよね…。恋は盲目って言うし。私だってジェームズが他の人と踊ったら…絶対に嫌だもの…)
これは私が言えた事では無いのだが。いくら罪人を問い詰める為とは云え、パートナーを放置して他の女と踊るなんて、普通に有り得ないと思う。
確かに小説の中でフィリップ王子は、イザベラと婚約中の身で有りながらも、エレンディラと踊っていた。
でもあれは物語の『ご都合主義』という作者の温情に守られているだけであって、現実の貴族社会では決して許されない。
一歩間違えればスキャンダルどころか、爵位剥奪すらも考えられる。極めて重大な事態だ。このままではクリストファーの立場が悪くなってしまう。
基本的に批判や中傷は、弱い女の方へ向く筈だけど。セシリアの性格を考えれば、クリストファーの責められる姿が容易に想像出来てしまうから、全く安心出来ない。
責めるなら私だけにして欲しい。私は推しを守りたいのだ。
「………」
そっと窺うように、推しの顔を見上げてみる。……うん。やはり顔が良い。国宝級の顔面だ。一生眺めていられる。って、違う違う。今はそんな事を考えている場合では無い。
「……あの、アークライト様。一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「何だ。命乞いなら聞かんぞ」
喉の渇きを覚えながらも、勇気を振り絞って口を開くが。返って来たのは非情で峻烈な宣告だった。
視線は私を射抜いたまま、微動だにしていない。冷や汗が背筋を伝う緊張に耐えつつも、なんとかして言葉を続けた。
「いえ、そういう話ではなく。……セシリア様を放置して、私のような者と踊って大丈夫なのですか?」
私の言葉を受け取ると。クリストファーは端正な眉間を、不快そうに歪めてしまった。意外過ぎるその反応に、思わず目を丸くしてしまう。
…そんなにセシリアの事が苦手なのだろうか。
「セシリア様は、貴方の婚約者なのでしょう? このままでは貴方の評判に、不名誉な傷が付いてしまいます」
恋に恋する女は、時に悪魔よりも恐ろしい存在に成り下がるのだ。特にセシリアの独占欲は異常な部類だと思うし、このままでは彼自身の社会的信用に関わるのではないかと、純粋にハラハラしてしまう。
「…………」
寸分の狂いも無かった筈の足運びに、微かな揺らぎが生じる。彼は怪訝そうに眉を顰め、真意を測り兼ねるように。静かに私を見下ろした。
「……誤解があるようだな」
「え?」
「マルケス侯爵家から縁談の話が出ているのは事実だが、正式な返答はしていない。
フィリップ殿下の婚約さえ整っていないのに、臣下である私が先に身を固めるわけにはいかないだろう」
淡々とした口調だったが、そこには隠し切れない苦渋が滲んでいた。
つまりクリストファーは『王子の婚約が先』という大義名分を盾に、セシリアからの執拗な婚約の申し出を躱し続けているのだろう。
けれどそれは裏を返せば、彼にはセシリアを拒絶する為の決定的な『切り札』が無いという意味でもある。そもそも婚約者でもない相手にあそこまで外堀を埋められているのは、正直不憫でならない。
「それに、彼女は……」
ふと、クリストファーが喉の奥で、不快感を呑み込むように何かを言いかける。その目に宿っているのは。軽蔑や嫌悪などという、生易しい感情では無さそうだった。
「…………?」
それはもっと根源的で。理性では制御出来ない程の。剥き出しの『忌避感』、そのものだった。
「どうか、なさいまして?」
「…いや。記憶を失ったお前には、関係の無い事だ」
クリストファーは我に返ったように口を噤み、素気無く私を突き放す。けれどその返答こそが、彼の胸の内を雄弁に語っていた。
彼もまたセシリアという人間に、何か思うところがあるのだと。
「……それより。お前は自分の心配より、私の立場を心配するのか?」
これ以上この件には触れてくれるなと、あからさまに話題を逸らされる。そして今度は探るような眼差しで、私を注視した。
「…ええ、だってそうでしょう? 貴方はこの国の守り神である、聖騎士団の要ですもの。つまらない醜聞でその名に瑕が付いてしまうのは、国の損失です。
それに私の所為で貴方が責められてしまうのも、本意ではありませんから」
「…………」
かつてのイザベラなら、自己の保身以外に意識を割く事なんてしなかった筈である。他人の、ましてや敵対している自分を慮るなど有り得ないと。彼は思っていたに違いない。
私の言葉に嘘が無い事を感じ取ったのか。クリストファーの双眸から、刺すような険しさが僅かに消えた。握られていた手の力も、少しだけ緩んだように思える。
「……無駄話はここまでだ。答えろ、イザベラ。お前は一体、何を企んでいる?」
回転の遠心力を利用して、彼は再び表情を引き締める。気を取り直したように問い詰めてくるが、その瞳に宿っているのは、私個人への憎しみなどでは無かった。
もっと綺麗で、研ぎ澄まされた、純粋な使命感だ。
「先程のあの視線、そしてセシリア嬢への反論。かつてのイザベラならば、あのように怜悧な言葉など使わなかった。感情のまま喚き散らし、自滅するのが関の山だ」
痛いところを突いてくる。確かに、小説の中のイザベラは直情的で、短絡的な行動が目立つキャラクターだった。
私の冷静な対応は皮肉にも、『別人である』という疑心を強める結果になってしまったようである。
「……人は変わるものですわ。記憶を失い、死ぬよりも辛い目に遭えば、誰だって」
「戯言を。魂の根幹が容易く変質するのであれば、この世に悪など存在していない」
彼は私の弁解を一蹴し、断言する。その揺るぎない確信に、背筋の凍る思いがした。この男は本当に、勘が鋭過ぎやしないだろうか。
「お前がイザベラの皮を被った『偽物』なのか、それとも何か恐ろしいモノをその身に取り込んだのかは知らん。
だがお前が、聖女様やこの国に害を成す存在であるのなら。私は躊躇なく、お前を斬り捨てる。たとえ公爵令嬢であろうと、か弱き女であろうと。容赦はしない」
それは明確な警告であり、断固たる決別の言葉だった。握られた手には力が込められ、抱えられた腰に痛みが走る。
けれど。
(……なんて、綺麗な目をするのかしら…)
鋭利なその双眸は、この身を貫きそうな程に激しく光り輝いているのに。私は彼に恐怖を覚えるどころか、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
やはりこの人は素晴らしい。個人の感情や損得では無く、騎士としての矜持と、国を守るという使命感だけで動いている。
その実直さが、私にはとても、尊く感じられた。
「……ふふっ」
自然と、口から笑みが溢れてしまった。これは嘲笑では無い。心からの、慈愛の笑みだ。
「何がおかしい?」
「いいえ。ただ……貴方は本当に、ご立派な騎士様なのだと思って」
クリストファーは怪訝そうに眉を寄せているけれど。もうその仕草すらも、愛おしくて仕方が無い。
だって彼は、私を憎んでいるわけでは無い。個人的な感情で、虐げようとしているわけでも無い。ただ自分にとっての『正義』を、守ろうとしているだけなのだ。
聖女を、この国を、悪意ある者達から守る。その為なら自らの手を汚す事も、非情な断罪者と成る事も厭わない。
その潔癖なまでの騎士道精神が、堪らない程に眩しかったから。
「私利私欲では無く。ただこの国と聖女様を守る為に。罪人である私にも、本気で刃を向けて下さる。
貴方のような方が守って下さるのなら、この国は安泰でしょうね」
「……は?」
それは媚びでも、皮肉でも無い。私の心からの本音だった。けれど猜疑心に囚われている彼の耳にどのように届いたのかまでは、流石に分からなかった。
「…貴様、私を愚弄しているのか?」
クリストファーの瞳に、再び険しい感情が浮かび上がる。しかし冷徹な執行官を思わせる鉄壁の仮面からは、論理では割り切れない困惑が明らかに滲み出ていた。
私は彼の手を握り返すと、金の双眸を真っ直ぐに見詰める。ダンスフロアの喧騒が遠のき、彼と私だけの静寂が舞い降りた。
「いいえ、滅相もございません。ただ、貴方のように高潔な騎士様に終わらせて貰えるのなら。潔く裁かれるのも悪くないと。そう思っただけですわ」
もし本当に私が、国を害す悪人に成ってしまったとしても。この人の手で幕を引けるのなら、むしろ感謝しか残らない。これ以上無い程の、魂の救済だから。
この温かな気持ちを、どうにかして目の前の崇高な騎士に届けたくて。嘘偽りの無い心からの笑みを、彼へ捧げた。その瞬間だった。
「……ッ!?」
完璧な筈のワルツの拍動が、ほんの僅かに途切れてしまった。彼は私の足を踏みそうになり、慌てて体勢を立て直したが。その端正な顔には、隠し切れない程の動揺が走っていた。
頬は薄紅色に染まっており。黄金の瞳は大きく揺れ動き。私の真意を測りかね、彷徨っていた。
(え、可愛い……)
心の中で小さく苦笑する。尋問されているのは此方なのに。なぜか私が彼の事を、翻弄しているような気分になってしまったから。
きっとこの人は、根っからの善人なのだ。悪意や敵意には敏感に反応出来ても、純粋な好意や敬意を向けられる事には、全然慣れて無い。
不器用で、真面目過ぎて。私の言葉の裏を読もうとして。でも『裏が無い』という事実に、混乱しているのだろう。
嗚呼、なんて可愛い人なのだ。大人の魅力いっぱいのジェームズとは全然タイプが違う。初心なその反応が、堪らない程に愛おしい。
(私が嘘を吐いていると思ってる? それとも、何か罠があると思ってる? いいえ、どちらも違うわクリストファー様。私はただ、貴方が尊いだけだもの。その困った顔が見られただけで、私はもう大満足よ……!)
こんなにも可愛い姿を見せられてしまったら、表情を取り繕う事なんて、出来るわけが無い。口元がどうしようも無く緩んでしまって、だらしない笑みしか浮かばなくなってしまう。
やはり私の推しはいつだって、最高に格好良くて、罪深い程に可愛いのだ。
「……っ、奇妙な女だ。断罪を歓迎するなど……正気とは思えん」
彼は咳払いを一つして、調子を取り戻そうとするけれど。私を見る目からは、先程までの絶対的な敵意は消え失せており。代わりに深い困惑と、何かを探ろうとする気配が混じり始めていた。
気まずそうに視線を逸らされるが、その耳がまだほんのりと赤くなっているのを、見逃す私ではない。
それは私の言葉が、彼の堅牢な鎧の隙間に、ほんの少しでも届いた証拠だ。
「別に正気で無くとも構いませんわ。私の、本心からの言葉ですもの」
「……変わったな。本当に」
心底認めたく無さそうに呟いているが、その言葉に嘘は無さそうだった。
彼は努めて冷静さを装い、再び表情を引き締めるけれど。先程までの切っ先を突きつけるような鋭さは、もう何処にも残ってなんかいなかった──。




