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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
二章 社交界の蒼い月
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第十二話 (前)


 優雅なワルツが終わりを告げると、会場には儀礼的な拍手が響き渡る。


 クリストファーは完璧な所作でセシリアへ一礼したが、その顔には僅かな安堵と疲労が滲んでいるようだった。


(お疲れ様です、クリストファー様。本日の公務は、非の打ち所が無い程に素晴らしかったです…)


 胸の内でクリストファーを気遣い、労りの言葉を掛けていると。セシリアの濃紫の瞳が嘲るように細められ。獲物を狙う蛇さながらに、私の身体へ絡み付いて来た。


(うげっ……!?)


 その顔があまりにも邪悪過ぎて、生理的な悪寒が背筋を駆け巡る。選りにも選って、今一番会いたくない人物に見つかってしまったから。


(マズイ…、嫌な予感しか無い……っ。これ絶対に、何かの事件の前触れだっ!)


 内心で冷や汗を流していると。セシリアはクリストファーの腕を強く引き、悠然と私の元まで歩み寄って来る。


 その足取りは生贄を求める悪魔のように、随分と軽やかだった。


「ごきげんよう、イザベラ様。まさかこのような華やかな場に、死者を悼む暗いドレスでお越しに成るとは思いませんでしたわ」


 挨拶代わりの皮肉。予想通りの第一声。セシリアの言葉は、露骨な悪意と優越感で溢れ返っていた。


「ここは聖女様を慕う者達が集う、光に満ちた場所ですのよ? 過去の罪に塗れ、記憶すら失った貴女には、分不相応な場所ではありませんこと?」


 卑俗な薄笑いを扇で隠し。私を愚か者であると断言し。毒気を過分に含む瞳を、冷酷なまでに捻じ曲げる。


 不躾なその眼差しが私の纏う蒼いドレスを、粗探しでもするかのように細部まで睨め回していた。


 今の私はセシリアにとって、取るに足らない存在である筈なのに。どうして会いに来る必要があるのだろうか。遠巻きに嘲笑するだけでも、充分陰湿だと思うのに。


(…わざわざ嫌味を言う為に此処まで来たのね。全く…性格が悪いんだから)


 生憎と温い挑発に乗ってあげられる程、私も暇では無い。その『分不相応』な場所へ来る事こそが、今日の私の目的だったのだ。売り言葉を買い言葉で返す道理なんて無い。…無いけども。


 正直言って、物凄く腹が立ってしまうのも事実だった。このドレスは他でも無い、ジェームズが選んでくれた特別な戦闘服なのだ。それを誰かに否定されるのは、やはり耐え難い。


 でも今回に限って云えば。推しの登場に目が眩んで帰るタイミングを見失ってしまった、私が100%悪いので。ここは大人の対応として、嫌味は受け流そうと思う。

 …ムカつくけど。


「ごきげんよう、セシリア様。それにアークライト副団長様も、お久しぶりでございます。

 記憶を失って以来、こうして正式にご挨拶するのは初めてですわね。イザベラ・フォン・リリエンタールにございます」


 込み上げてくる負の感情を、張り付けた仮面の裏で捻り潰す。そして『今』の私として、礼節を尽くした挨拶を二人へ送る。


 深く頭を下げ。最大限の敬意を込めた。淑女の礼(カーテシー)を捧げた。


「…………」


 私の言葉に、クリストファーの目が訝しげに細められる。その瞳に浮かんでいるのは、やはり強い憎悪と侮蔑の感情だった。


 冷え切った眼差しがこの身を捉え。それに射抜かれてしまいそうになる心臓を、力の限り抑え込む。絶え間なく注がれる威圧感に、足場が凍り付くような錯覚を起こした。


(……うん、やっぱり貴方はそうよね。でも、それでこそ私の愛する推しだわ)


 クリストファー・アークライトは、高潔な『聖騎士』。


 聖騎士に課せられた職務とは。この世に蔓延る不義を断罪し、光をもって闇を滅する事にある。そこに私情を挟む隙など、存在してはならない。


 厳格な規律を掲げた実直な騎士道精神こそ、私が彼を推す理由の一つ。そんな彼が信念に基づき私を敵と認定するのなら。それもまた世の摂理。この身を持って、彼の正義を受け入れよう。


(貴方の尊い瞳に映して貰えただけで、充分過ぎるくらいに私は幸せだもの。……でもどうか、お身体だけは大切に。この国の未来の為にも、貴方は必要な人だから)


 大好きな推しと同じ空気を吸い。美しい姿をこの目に焼き付ける事が出来たのだ。読者として、彼のファンとして、これ以上の奇跡なんて無い。


 クリストファーから向けられる冷ややかな視線を逸らす事無く、真っ直ぐにその瞳を見詰め返す。静かに。泰然たいぜんと。一切の負の感情を排除して。私は大好きな彼へ、穏やかな笑みを捧げた。


「…………?」


 私の瞳の中に。期待していたような恐怖も、嘆願も、或いは自責すらも見当たらない事を悟ったのか。クリストファーの眉間の皺が、僅かに深くなる。


 不快感からでは無い。それはあまりにも純粋な、問い掛けだった。


 なぜ、向けられた侮蔑を、穏やかに受け入れているのか。

 なぜ、自分を『被害者』のように扱い、哀れみの目を向けているのか。


 理解の追い付かない現状に、彼は困惑しているようだった。美しい黄金の瞳に、真実を探ろうとする猜疑心が浮上する。


 それは私の心に深く焼き付いている、彼の数ある魅力の一つ。自分の目で見たモノだけを信じようとする、確固たる正義の原理だった。


(…やっぱり私、クリストファー様の事……好きだな)


 口元が緩み、心が満たされる。小説を繰り返し読み、幾度と無く胸を打たれた彼の勇姿を。目の当たりにしたかのように感じられたから。


「あらあら、クリストファー様ったら正直者ですこと! こんな『大罪人』とお話する価値なんて、ございませんものねぇ?」


 だがその視線の交錯が気に入らなかったのか。セシリアが私の意識を遮るように、一歩前へ進み出る。私を親の仇の如く睨み付け、クリストファーの腕へ寄り掛かった。


「ご覧になって? わたくしのパートナーの、この凛々しいお姿を。次期侯爵であり、聖騎士団の副団長。

 わたくしの高貴な身分と血筋には、やはりこれくらいの殿方が相応しいですわよねぇ?」

「……セシリア嬢」


 クリストファーが諌めるようにその名を呼ぶが、セシリアの暴走は止まらない。彼女の視線は私を通り越し、会場の隅で控えるジェームズを、無遠慮に指し示していた。


「それに引き換え、貴女はどうかしら? 傷物令嬢の相手をしてくれる奇特な殿方なんて、やはりいらっしゃらないようですわね?

 あの隅で突っ立ってる、陰気で目障りな執事。あれがお似合いよ」


「……ッ!?」


 その言葉が耳に届いた途端。私の意識はいとも容易く、一線を飛び越えてしまった。


 決して聞き捨ててはならない。最大の禁句。私の『神』を穢す冒涜の響きが、この鼓膜を直接侵したから。


「記憶を失くされたからご存知無いでしょうけど、以前のイザベラ様はおっしゃっていましたわ。『あんな男は信用出来ない』、『何を考えているのか分からない』、『不気味な能面』だって。

 いつも辛辣な言葉を浴びせて、小汚い野良犬のように扱っていらしたじゃありませんか」


 扇の陰で冷たく口元を覆い。嘲りの息と共に、セシリアは毒を吐き続ける。


 俯かせた私の顔に、暗い影が差し込んでいく。心の中で渦巻いていた葛藤も、躊躇いも。全てがドス黒い闇に、塗り潰されていく。


「わたくし、貴女のその言葉には賛同しておりましたのよ? あのように何を考えているのか分からない男、わたくしも嫌いですもの。

 貴族の夜会にまでのこのこ付いて来て、主人の後ろを嗅ぎ回るだなんて。身分を弁えない下賎な男は、視界に入るだけで不愉快ですわ」


「…………あ?」


 その刹那。私の世界から音が消えた。


 華やかなオーケストラの演奏も。貴族達の談笑も。シャンパングラスの触れ合う音も。全てが遠い彼方へと押し流されて往く。


 代わりに私を支配したのは。絶対零度のように冷え切った。純粋な殺意にも似た激情だった。


(…あぁ、なるほどね? ようやく…合点がいったわ……)



 脳裏に蘇るのは、この世界へ来た初日。謁見室でオルリック公爵が溢した言葉。


  ──あの子はこの屋敷に住む全ての人間を、信用していなかった。


 なぜ、有能な執事を傍に置きながら。

 なぜ、国の宰相という強大な父親を後ろ盾に持ちながら。

 なぜ、本物のイザベラは、無様に破滅してしまったのか。


 その理由が、今、ようやっと腑に落ちた。


 彼女は、誰も頼らなかったのだ。どんなに切れ味の鋭い剣も、堅牢な盾も。使い手の意志が伴わなければ、ただの鉄屑に過ぎない。


 小娘一人が出来る事など、高が知れているというのに。


 胸の奥でイザベラに対する哀れみが、微かに過ぎったのが分かる。だがその感情は間髪入れずに、音もなく焼き切れて消滅した。


(許さない…)


 沸き立つ殺意を抑え込むように。扇を持つ手にギリギリと、力が食い込んで行くのが分かる。精巧な象牙の骨組みが軋み、乾いた音を響かせる。


 それはまるで、私の理性の糸が燃え尽きたのを報せる。静かな終焉の予兆だった。


(私個人の矜恃など、いくらでも踏み躙ってくれて構わない! でも私の崇める『神』を冒涜する事だけは、絶対に許さないわ……ッ!!)


 本物のイザベラがどう思っていようと、今の主人は私なのだ。その彼を侮辱する権利は。例えこの世界の創造主であろうとも、与える気は微塵も無い!


「……セシリア様」

「なぁに? 図星を突かれて、言葉も出ませ──」

「訂正なさい」


 紡いだ声は、自分でも驚く程に低かった。地獄の底から這い出たような冷声に、セシリアの優越感に満ちた笑みが、僅かに引き攣るのが分かった。


 今この場で声を張り。彼女の髪を掴み上げるのは。きっと赤子の手を捻るよりも、ずっと簡単な事だ。


 でも、それだけでは足りない。三流以下の喧嘩如きで。私がジェームズへ捧げる真摯な気持ちを、証明する事なんて出来ない。


 パチン──。


 扇を閉じる乾いた音が、やけに大きく響き渡る。その音を符丁ふちょうとして。セシリアとの距離を詰める為、最初の一歩を踏み出した。


「貴女にとって彼は、取るに足らない存在なのかもしれません。過去の私が彼をどう扱っていたか、それも事実なのでしょう。

 ですが今の私にとってジェームズは、ただの執事ではありませんわ」


 瞼を細め、憎らしい女の顔を、視線で射殺せる程に見据えてやる。


 私は誇り高き、リリエンタール公爵家の娘。この怒りは炎では無い。触れるもの全てを凍て付かせる、氷の刃だ。


「彼は私の剣であり、盾であり。失われた記憶の代わりとなって支えてくれる、私の半身です。彼がいなければ、私は今日という日を迎える事すら出来なかったでしょう」


 クリストファーには目もくれず。『セシリア』という存在そのものに、私は狙いを定める。


 無機質な声で空気を震わせると、彼女は怯えて一歩後ずさるが。もう遅い。私はお前に向ける慈悲など、欠片も残してなんかいないから。


「貴女のおっしゃる『野良犬』は。私が記憶を失い、身分を剥奪された時でさえ、片時も離れず支えてくれました。地位も名誉も関係無く、ただ『私』という人間に、忠誠を誓ってくれたのです。

 その尊さが、貴女には理解出来ませんの?」


 脳裏に浮かぶのは。この世界へ来たばかりで、右も左も分からなかった私に。公爵令嬢としての矜持と振る舞いを、一から叩き込んでくれた日々。


 王妃とのお茶会という戦場へ挑む際は、震える私に知識という武器を授け、背中を押してくれた。


 私を失いたくないという独善的な感情に苛まれ、文字通り鳥籠へ閉じ込めようと画策した事もあった。あの時は彼の抱える狂気じみた執着が、とても恐ろしく感じたけれど。


 それでも最後には私の意志を尊重して、剣となる道を選んでくれたのだ。彼が私へ向ける献身の全てが。私の空いた心の隙間を埋めてくれる、唯一無二の希望だから。


「だ、だから何よ…っ。それが執事の仕事でしょう? 給金を貰っているのだから、そんなの当然じゃない!」

「ええ、仕事ですわね。ですが、貴女はどうかしら? 貴女が今、隣で誇示しているその関係は、『地位』や『肩書き』を剥ぎ取った後でも、同じように成立するのかしら?」


 そこで改めて私は、クリストファーへ視線を向ける。彼は驚き、その瞳を見開いているが。構わず温かみの無い、怜悧れいりな笑みを突き返した。


「貴女がその身に纏っているのは。他人の威光と、借り物の煌びやかな肩書きだけ。中身の無い硝子玉は、どんなに華美に飾り立てても、ダイヤモンドには成り得ない。

 私の執事は。泥の中にあっても、決して輝きを失わない。気高く美しい、比類無き至高の宝です。その価値が理解出来ない哀れな貴女に、彼を語る資格などございませんわ」


「な、何よそれ…っ!? 貴女だって、昔は…!!」


「貴女が彼を『犬』と呼ぶのなら。それは『忠義』という言葉の意味をご存知無い、自身の浅ましさを露呈しているに過ぎません。

 今後私の前で、彼を愚弄する事は許しません。それはリリエンタール公爵家への、そしてこのイザベラへの、『宣戦布告』と受け取りますわよ?」


 最後は耳元で囁き。その身体へ鋭利な言葉ナイフを突き立てる。セシリアは息を呑み、言葉を失い、血の気を引かせて硬直した。


「……っ…、……っっ…」


 せめて一言だけでも反論しようと、彼女は口を開閉させるが。やはり何も、出ては来なかった。


(…ほらやっぱり。貴女は所詮、ただの『脇役』よ)


 先程までの余裕のある笑みは、綺麗さっぱり消え失せており。残ったのは。かつてイザベラの顔色を窺っていた頃の、卑屈な取り巻きの顔だった。


 王妃のお茶会の時と、全く同じだった。彼女は強い言葉で反論されると、途端に黙り込んでしまう。


 セシリアが聖女派の顔役として振舞えていたのは、彼女自身の才によるものでは無い。


 『悪役令嬢』という絶対的な支配者がいなくなった事で、その玉座が空席だったからに過ぎないのだ──。



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