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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
一章 偽りの悪役令嬢
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第二話


 馬車の中は、外装の豪華さに違わぬ別世界だった。


 上質なビロードの張られたシートに、細やかな彫刻の施された内壁。薄暗い車内を照らす蝋燭に刻まれているのは。膝を折り祈りを捧げる、一人の聖職者の姿。


 公爵家の財力が一目で分かる程の品々が、ここには揃っていた。


(すごい…。この馬車一台で、村の家が何軒建つんだろう…?)


 ふかふかのシートに腰を降ろせば、すぐにでも馬車は動き出す。窓の外の景色が、あっという間に鬱蒼とした森へと変わっていく。パン屋の店先とそこに立ち尽くす母の姿は、見えなくなっていた。


「………」


 向かいには、執事のジェームズが静かに座っている。彼の蒼い瞳が、私を値踏みしているかのように感じられて。そっと視線を逸らす。


 彫刻のように整ったその顔立ちは、やはり小説の挿絵で見た通りの、『理想の紳士』そのものだった。


(そういえばジェームズって。小説の中ではいつも無表情で、冷たいキャラだったわよね。うんうん、クールでかっこいい! 素敵! 好き!! ……でもいざ目の前にするとこういうキャラってやっぱり…怖いんだよなぁぁっ!!)


 ジェームズは私の平穏を無慈悲に踏みにじった張本人であり、イザベラの為なら命すら差し出す忠臣。今の私が彼の逆鱗に触れればどうなるのかなんて、全然想像もつかない。


 好きなキャラクターではあるけれど、目的の為にただただ利用されるというのはあまりにも悲しい。なのでせめて、公爵家に連れて行く理由を教えて欲しいと思う。


(というか、そもそも私がイザベラと似ているだけで公爵家に連れて行くって、あまりにも無謀過ぎない? 貴族のマナーだって、なんにも知らないのに)


 私の知るイザベラは、貴族としての誇りを誰よりも持っている女の子だった。そんな彼女が理不尽に全てを奪われ、修道院へ送られると決まった時。一体何を感じたのだろう。


 もし私が、本物のイザベラだったなら……。


「…きっと、逃げたいって思うかな」

「………?」


 静寂に落ちた独り言は、驚くほど鮮明に彼の耳に届いてしまったらしい。訝しげに此方を見やるジェームズへ向けて、曖昧に微笑んでみせる。


 色々考えてみたけれど。彼が求める『イザベラ様』を完璧に演じる事なんて、庶民の私にはどう足掻いても無理だと思う。だからこそ公爵邸へ着く前に、伝えなければならない事がある。


「ねぇ執事さん。なんで私を公爵家に連れていくの? 私は貴方の探してるお嬢様じゃないのに」


 私の言葉を聞いたジェームズは、数秒間何かを考え。目を伏せた後。僅かに眉を顰める。胸奥を蝕む苦痛に耐えるように薄い唇を引き結んでから、そっとその口を開いた。


「…やはり……は、……もう………」

「え?」


 車輪が石を踏み締める音と重なって、重要な部分が聞き取れなかった。というか、いい加減腰が痛い。整備されていない街道には石や砂利がひしめいていて、とにかく車体がガタガタ揺れるのだ。コンクリート道路に慣れた現代人にとって、この手の乗り物は辛過ぎる。


「…その件をお話する前に。貴女は公爵家の内情について、どの程度御存知でいらっしゃいますか?」


(きた…!)


 まだまだ暖かな気候の筈なのに、妙に背筋が寒い。まるで重役が並ぶプレゼンのようだ。恐らく私は試されている。ただの無知な村娘か、それとも交渉相手足りうる人間か。


(貴族のゴシップは庶民の間でも酒の肴として広まるものだし、要点だけ知ってても…別に問題は無い筈…!)


「公爵令嬢イザベラ様は、聖女様への執拗な嫌がらせを繰り返し、それが原因で王子殿下から婚約を破棄され、修道院へ送られることになった…と。そのように把握しております」

「なるほど。では貴女は、ご自身の姿を見てどう思われますか?」

「どう、って……」


 窓ガラスに反射する自分の顔は、やはりイザベラにしか思えない程に酷似してた。けれど右目の下に見える泣きぼくろが、それは違うのだと教えてくれている。


 挿絵のイザベラは、いつも不機嫌そうな顔をしていた。でも、今の私は違う。眉間にシワなんて寄って無いし、眉だってつり上がってない。そういう表情一つとっても、私と彼女は別人だ。


「初めて姿絵を拝見した時は本当に驚きました。まさか私が、公爵令嬢であるイザベラ様と、こんなにも似ているだなんて思いません。でも彼女の右目の下に、ほくろなんて無い。

 執事さん。私は、イザベラ様ではありません。パン屋の娘、エリアーナです」

「…………」


 もし彼が私に同情してくれるのなら、あの穏やかな日常に戻れるかもしれない。私を迎えに来た時点で彼らの意志は曲げられないだろうけど、それでもほんの僅かでも可能性があるのなら。未練がましくても縋りたいと思う。たった半日の、偽りの日常だったとしても、諦めきれない自分がいる。


「左様でございますか。ですが、それでもなお貴女には、お嬢様を演じて頂きたい。公爵様は後悔しておられるのです。お嬢様との関係が拗れ、あのような蛮行に走らせてしまったのは、全てご自身の責任であると」

「ならどうしてお嬢様本人を連れ戻さないの? 修道院にいるのなら、私が行く必要なんて無いじゃない…ッ」


 声が震えるのを止められなかった。何故なら私は、彼女が修道院にいない事実を既に知っているから。


 でも私はこの身体の持ち主の為にも。穏やかな人生を無意識に奪ってしまった償いの為にも。幸せにならなければいけないのだ。そしてその為の交渉が出来るのは、後にも先にも、今この瞬間だけだろうから。


「…貴女は聡明な方だ」


 ジェームズの蒼い瞳が、初めて値踏みではない、微かな驚きと興味の色を宿して私を見た。


「きっとお嬢様の行方についても、大凡の検討が付いておられるのでしょう。その上で、敢えてあの場で私に『条件』を提示なされた。素晴らしい慧眼です。

 では逆に問いましょう。貴女の『条件』の真意を、お聞かせ願えますか?」


 きっとここが分岐点だ。


 パン屋の娘としての温かい日常を取り戻せるか。それとも偽りの令嬢として、名も知らぬ貴族達の陰謀に使い潰されるか。私の未来を決める分水嶺ぶんすいれいが、今此処にある。


 震える膝を叱咤し、乾いた唇を一度引き結ぶ。目の前の男を、真っ直ぐに見据えた。


「私がイザベラ様を演じる代わりに、私の身の安全と、最終的な自由を保証して。具体的には全てが解決した後、私を『エリアーナ』として、パン屋のお母さんの元へ帰す事を約束して欲しいの」


 懇願の意を込めて吐き出した言葉に、ジェームズは本当に微かに、口元を緩める。その穏やかな表情は、私が小説を読み焦がれた『ジェームズ』の姿そのもので、思わず頬が熱くなった。


「左様でございますか。…失礼ながら。以前のお嬢様よりも、『今』のお嬢様の方が、私は好きかもしれません」

「す……ッ!!!?」


 深く、恭しく頭を下げる彼を前に、思考が停止する。推しからの、あまりにも不意打ち過ぎる『好き』という言葉に頭が真っ白になる。いや待って落ち着け私! これはそういう意味じゃない!!


 …と、分かってはいても、勝手に口元がにやけてしまう。それを決死の覚悟で引き締める。彼が発した言葉が何を意味するのか分からない程、私は鈍感では無い。


 これはつまりジェームズと私が交わした、正式な『共犯者』としての契約なのだ。


「申し遅れましたが。私はイザベラ様の専属執事、ジェームズと申します。今日この時より新しい『イザベラ』様にお仕えできる事。このジェームズ、光栄の至りにございます」


 私の武器は、社会人として培った交渉術と問題解決能力。


 この世界はどういうわけか。小説『光の聖女と五人の騎士』のエンディング後から始まっている。となれば、まず必要となってくるのは、この世界の情報。


 断罪されたイザベラが今、貴族社会でどう扱われているのか。そして物語の主人公である聖女エレンディラとフィリップ王子は、今どこで何をしているのか。それを私は、知る必要がある。


 偽りの悪役令嬢、イザベラ・フォン・リリエンタールとして──。


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