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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
二章 社交界の蒼い月
27/34

第十話 (前)


 遠巻きに突き刺さる視線にも慣れ始めた頃。透明なグラスを豪奢なシャンデリアへとかざし、無意味に光を反射させていると。不意に遠慮がちな声を掛けられた。


「あ、あの……、イザベラ、様…」


 それは聞いているだけで疲労を感じる程に、力の無い声だった。


 向けた視線の先では、流行りのパステルカラーのドレスを身に纏う、二人組の令嬢が立っていた。顔色は優れず、怯えた小動物の如く肩を寄せ合っている。


(……ん? この二人の顔、どこかで見たような…?)


 その顔には覚えがあった。小説を読んでいた時も、一枚だけ挿絵が用意されていたような気がする。


 扇で口元を隠しながら、記憶の片隅に追いやられている面影を、なんとかして掘り起こす。思い当たるのは、悪役令嬢イザベラが激しい焦燥に苛まれるような顔をして、令嬢達へ何事かを叫んでいる場面だ。


(ああっ! 思い出した! エレンディラちゃんを階段から突き落として、イザベラに怒られた子達だ!!)


 彼女達は、かつてイザベラの周囲を衛星のように回っていた、取り巻き令嬢である。固有の名前が与えられていない、所謂エキストラキャラクターだ。


 しかも断罪の場ではセシリアと同じくイザベラを裏切り、聖女派へと鞍替えした背徳者でもある。


(裏切り者が、今更私に何の用? まさかとは思うけど、セシリアからの差し金…?)


 内心で抱く疑問に気付かれない様、顔へ淑女の仮面を張り付ける。静かに扇を閉じ。小首を傾げ。記憶を失った令嬢らしく、不安気に眉を寄せてみた。


「ごきげんよう。……もしかして、私と顔見知りの方かしら?」

「…!?」


 いっそ痛々しさすら覚える程の私の演技に、二人は目に見えて狼狽し、顔を見合わせる。どうやら彼女達は私の事を、敵と見なしてはいないらしい。


「わ、忘れられてしまっているのね…。でも、それも当然だわ…」

「……お久しぶりでございます、イザベラ様。わたくしは、ロッテ・キルヒナー。子爵家の者です…」

「ミナ・シュミットでございます…、男爵家の…」


 今にも泣き出してしまいそうな顔をして、二人は拙いカーテシーを披露する。周囲の貴婦人達が不思議そうにこちらを一瞥するが、誰も助け舟を出そうとはしていなかった。


(随分と孤立しているみたいね。顔色も、あんまり良く無いし…)


 彼女達のくすんだ瞳には、切迫した懇願の意が込められているようだった。攻撃的な意志は感じられない。むしろ救いを求める、縋るような眼差しだ。


「ロッテ様、ミナ様。御名前を教えて頂き、ありがとうございます。……それで、私に何か用でして?」


 冷たく突き放す事はせず。あくまでも何も知らぬ風を装い、問い掛けてみる。するとロッテと名乗った小柄な令嬢が、意を決したように一歩前へと進み出た。


「謝罪をさせて頂きたかったのです! わたくし達はあの日、イザベラ様を裏切り、セシリア様の甘い言葉に乗ってしまいました…。その事をずっと、後悔していたんです…ッ!」

「許して頂けるとは思っておりません! ですがもうこれ以上、あの女の言い成りになるのは…耐えられなくて…ッ!」


 悲痛な叫びと共に吐き出された言葉には、嘘偽りの無い惨憺さんたんたる感情が込められていた。


 閉じた扇の先を、今にも掴み掛かって来そうな彼女達へ向け、その動きを制す。いくら緊迫している状態だとしても、我を忘れて泣く事だけは勘弁して欲しいから。


(つまり二人は、セシリアから逃げて来たのね。それでたまたま見付けた私の元へ、助けを求めた…と)


 なんとも皮肉な話だ。飼い犬に手を噛まれたイザベラも大概だが、それを使い潰すセシリアも、なかなかどうして良い性格をしている。


 ここで二人を糾弾して突き放すのも、囲って庇護するのも、どちらも簡単だけれど。


 折角聖女派の人間が、わざわざ私の元まで足を運んでくれたのだ。この娘達が抱える情報を、今この場で、一滴残らず搾り取ってあげよう。


「あら、そうでしたの。生憎私は、貴女達に何をされたのか覚えておりませんの。謝罪をされた所で、どうにも出来ませんわ」

「……! で、でしたら……!!」


 胸内に渦巻く思考を鎮め、極力穏やかな口調で言葉を返す。それを『許し』と受け取ったのか、二人の表情には明らかに希望の光が差し込んだ。


「…………」


 単純過ぎて、不安になってきた。よくこれで今まで破滅せずにいられたものだ。余程悪運が強いと見える。


「ですが、『セシリア様の言い成り』というのは聞き捨てなりませんね。あの方は、今や聖女様の親友。慈愛に満ちた素晴らしい方だと、評判のようですけれど?」


 適度に相槌を打つ二人へ向けて、更に踏み込んだ質問を投げ付ける。扇をもう一度開いて口元を隠し、射抜くように瞼を細める。


 ここが恐らく、重要な分岐点だ。


「…っ、とんでもございませんわ! セシリア様は聖女様の名を語って、気に入らない人間を独断で排除されているんです!」

「わたくし達も聖女様への捧げ物だと言われて、高価なドレスや宝石を、無理やり寄付させられたんです! あの方が慈愛に満ちているだなんて、そんなの…絶対に有り得ませんわ!」


 どうやらセシリアは私の見ていない場所で、随分と奔放に振舞っているようだ。寄付させた品をどのように処理しているのか、非常に興味深い部分ではあるけれど。


(…セシリアもガキ大将みたいな真似をするのね。高飛車なあの性格なら、むしろ納得出来るし)


 聖女への献身アピールの為に、周囲の取り巻き達に声を掛けるのは、何ら不思議な事では無いように思える。セシリア本人も、高価な薬草を献上しているみたいだし。


 身も蓋も無い話だが。要はこの娘達の家の財力に、問題があるだけなのだろう。子爵家や男爵家の人間が他人に出来る施しなんて、所詮高が知れている。


「そうね。貴女達に侯爵家と同等以上の献身を期待するのは、些か無理がありますわね」

「……でも、それだけじゃないんです。聖女様が開かれる定例茶会は、表向きは『聖女様を囲む会』となっておりますが、実際は…その、……っ」


 そこで一旦言葉を区切ると。長身のミナが私の耳元まで顔を近付け、蚊が鳴く程の小さな声で囁いた。


「…聖女様の定例茶会は、イザベラ様の悪口を言い合う事で連帯感を高めている、とても醜悪な集まりなんです」

「……!? それは、一体どういう…」

「言葉通りの意味ですわ。特に最近は、イザベラ様が公爵家を私物化しているとか。記憶喪失を装って公爵様を操っているとか。そんな話ばかりをしているんです…」


 内心で指を鳴らす。やはり噂の出処は、聖女のお茶会。それも選ばれた人間しか参加出来ない、定例茶会だ。


 でも、もしそれが真実であるとするならば。聖女は一体その場で、何をしているのだろうか。他人の悪口を許容し、放置するだなんて。


 慈悲深い聖女様ともあろう者が、聞いて呆れてしまう。


「聖女様は、その件についてどう思われているの?」

「それが…何もおっしゃいませんの…。いつも同じ表情で、笑っていらっしゃるだけなんです」

「定例茶会は、まずセシリア様が参加者全員に、『台本』のようにイザベラ様の悪口を語られるんです。『これを広める事で、聖女様がお喜びになる』なんて言って。それに賛同するように他の皆さんも、同じように悪口を……」


 つまりセシリアは、自分の地位をより盤石な物とする為に。世間の共通の敵として、『悪役令嬢イザベラ』という生贄を必要としているのだ。


 公爵家に対する悪評の発信源の7割以上が、恐らくセシリアによるもの。聖女の威光を傘に着て、自分に酔いしれている姿が目に浮かぶ。


(…『台本』とはまた、随分と面白い単語を使ってくれるじゃない。脇役の分際で、舞台の主役気取りかしらね?)


 激昂よりも冷めた諦念ていねんの感情の方が、ずっと優勢だった。聖女エレンディラがセシリアの悪行に加担しているのかどうかは不明だが、彼女の周囲が腐敗している事だけは確かだった。


「教えて下さってありがとうございます。貴女達の勇気ある告発に、感謝致しますわ」


 開いていた扇を閉じ、二人へ向けて笑みを作る。これは演技では無い。心からの、『情報提供』への礼だ。


「イ、イザベラ様……!」

「わたくし達、これからは心を入れ替えて…!」


「残念ですけれど。私とお友達に戻るというのは、少々難しいかもしれませんわね」


 期待で目を輝かせる二人へ向けて、やんわりと拒絶の意志を示す。


 むしろこれは温情なのだ。たとえ権威が揺らいでいようとも、今の私は公爵令嬢。末端の貴族如き、どうとでも出来る。


「貴女達の過去の非礼は、私の記憶からは消えましたけれど、事実はそのまま残っております。またいつ風向きが変わって、何処へ飛ぶとも分かりませんもの」

「……っ…」


 自嘲気味な笑みと共に言葉を吐き出せば、二人は悔しそうに唇を噛み締め、沈黙する。ここで言い返せないという事は、私の指摘が図星であるという、なによりの証明になってしまうというのに。


「ですが、セシリア様の下を離れたという判断だけは、正解だったと思いますわ。……ごきげんよう」


 最後にそれだけを告げて、踵を返し歩き出す。呆然と立ち尽くす二人を背に、もう一度会場内を見渡した。


「…………はぁ」


 思わず、重い溜息が漏れ出てしまう。あの娘達はきっと己の保身の為ならば、何度でも鞍替えをするのだろう。それこそが彼女達の持つ処世術であり、救い様の無い本質的な弱さだ。


(…別に、逃げる事が悪いなんて思わないわ。でもせめて、信念の一つくらいは持つべきよ。仮にも領民を支える、貴族なんだから)


 二人から距離を取り、孤独の時間を作り出す。冷たい壁の心地良さを感じながら瞼を閉じ、今一度、情報の整理を開始した。


「…………」


 そもそもあの娘達には、セシリアに対する強い私念が存在している。自分達の裏切りを正当化する為に、より巨悪な存在へ仕立て上げている可能性も否定出来ない。提供された情報の7割程度を信じるのが、妥当な所だろう。


(それにしても、『聖女様の定例茶会』ねぇ……)


 事の真意を確かめようにも、招待状が必須な時点で手詰まりだ。こればかりは周囲の人間を信用し、情報を収集するしか手立ては無い。


 それに何より、どうにも腑に落ちない点がある。たかが侯爵令嬢一人の流した噂が、国の宰相である公爵の政治活動を妨害する程の、抑止力に成り得るのだろうか?


 答えは『否』だ。セシリア本人に、そこまでの政治的影響力なんて無い。彼女はただ気に入らない私を貶めたくて、有ること無いことを吹聴しただけに過ぎない。


 彼女が単独で動いているのか、それとも誰かに唆されているのか。それはまだ不明だけれど。悪質な噂を広める『実行犯』である事だけは、紛れも無い事実だ。


(だとしたら…。ここは一つ、仮説でも立ててみましょうか)


 例えば。セシリアが撒いた火種を、反公爵派の大人達が利用し、噂の流れをコントロールしていたとする。


 そうする事で火種は油を受けて、公爵家の信用失墜を狙った政治的なネガティブキャンペーンへと拡大。その結果、単なる令嬢同士の諍いの話では無くなった。


(……決めつけてしまうのはあまり好きでは無いんだけど。でもこれ以上の有力な仮説なんて思い付かないし、もしかしたら一番真実に近いのかも)


 反公爵派の人間が、セシリアを『都合の良いスピーカー』として利用しているのなら。噂の発生源を止めれば、いずれ事態は収束に向かうだろう。


 セシリアは自分が主役のつもりで動いているのかもしれないが。この場合はむしろ、反公爵派の人間に利用されているだけに過ぎない。実に滑稽な話である。


 黒幕の断定までは流石に無理そうだが、少なくともこの会場内で私が警戒すべき相手は定まった。


(貴女が撒いた種で、お父様とジェームズは心を傷めたの。その報いは、ちゃんと受けて貰わないとね…?)


 セシリアには、より相応しいカーテンコールが必要だ。私が用意する舞台の上で、無様に踊り狂って貰う必要がある。


 私は、悪役令嬢イザベラ。

 誰からも愛される、清廉潔白な聖女では無い。


 大切な人達を守る為なら、他人を陥れる事に戸惑いなんて覚えない。泥を被り、汚名を背負う事が私の役割だと云うのなら。どんなに非道な手段だって、笑って選んでみせる。


 グラスに残ったシャンパンを、一気に飲み下す。炭酸の泡が戦いの合図のように、喉の奥で静かに弾けた──。



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