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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
二章 社交界の蒼い月
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第九話 (後)


Interval ジェームズ.


 重厚な扉の前で彼女と別れ、定められた使用人の待機場所へと移動する。壁際で整然と並ぶ従者達の列へ身を潜めながらも。私の意識は、この場に存在する主人へと捧げられていた。


(……美しい)


 衆目の悪意に隔絶された孤島で。静謐せいひつな光を内包する彼女の姿は、月華の如く美しかった。その身に纏うミッドナイトブルーのドレスが、白い肌と金色の髪を際立たせ、夜空に浮かぶ月のように清廉な輝きを放っている。


 翠の瞳は侮蔑の視線に怯む事無く、会場全体を等しく精査していた。誇らしい。あれこそが私の仕えるべき、唯一の主。誰の庇護も必要としない。支配者然とした、揺るぎない威厳。


 あの方の存在こそ、私の生きる証。全てを賭けるに値する、魂の持ち主。この忠誠は、たとえ神の裁きが下されようとも、決して崩れる事は無いだろう。


『……っ!?』


 ふと、彼女が私の視線に気付く。白い頬が微かに色付き、慌てるように扇で顔を隠されてしまった。


「…………」


 なんと甘く、無垢な姿を為されるのだろうか。僅かに上向きかけた口角を、固く結んだ唇で押し戻す。私だけに許された微細な隙が、堪らない程に愛おしい。


 そして彼女は再び、私を見る。朱に染まる頬で、華の綻ぶような笑みを浮かべ、その口を開いた。


「………っ……」


 陶酔とうすいを誘う唇が紡いだのは、声には成らない、しかし鮮明な愛の言葉だった。鉄の規律で制御された心臓が、不穏な跳躍を刹那に刻む。張り付けた仮面の下で、思考すらも沸騰する。


(……今のは、反則ではございませんか?)


 込み上げる歓喜と、それを悟られてはならない理性が、脳内で激しくせめぎ合う。不意の事態に、喉が微かに引き攣る。私は表情一つ変えぬまま。彼女の満足気な笑みを、寸分違わず瞼の奥へ焼き付けるしか無かった。


「…………」


 冷酷な現実が内奥を抉り、私の表情へ暗い影を落とし込む。如何に身を焦がす程の恋慕に溺れようとも。主の傍らに在りたいという願いは、永遠に許されぬ不遜の望み。


 彼女の元へ駆け寄り、華奢な肩を抱き寄せ、腕の中に閉じ込め、独占したいなど。そんなものは身分を弁えぬ、冒涜的な邪念に過ぎないというのに。


 瞼を伏せ、視界を閉じる。抗い難い煩悶はんもんに、奥歯の軋む音が聞こえて来るような気がした。


「…おい、見ろよ。掃き溜めに鶴、とはよく言ったもんだな」

「ああ、違いない。罪人とはいえ、さすがは公爵令嬢サマだ。あの美しさは、聖女サマとはまた違う輝きがある」


 隣に控える下賎な従僕共が、陰湿な声で耳打ちする。彼らの視線の先では、私の唯一の主が卑俗な品評に晒されていた。


(……不快だな)


 制御不能な怒りが腹の内で煮え滾り、緩やかに臓腑を蝕み始める。やはり外へ出すべきでは無かった。我が主の美しさは、いかなる人間をも魅了してしまう猛毒であり。相手の思考をも簒奪さんだつする、圧倒的な暴力。


 容姿の美醜など、私にとっては些末な問題に過ぎない。彼女の持つ美しさは、その奥にある魂の輝きに帰結している。故に瞳に映る事を許されているのは、あの方の秘密を全て知る、私だけでなくてはならないと云うのに。


 皮肉な事に、お嬢様の造形はあまりにも完成され過ぎている。彼女の意志とは無関係に、不必要な存在をも惹き寄せてしまう。本能で光に吸い寄せられた羽虫共が、貪欲に群がりつつある現状に、虫唾が走る。


 外界を遮断し存在を秘匿してしまえば、無意味な焦燥に苛まれる事は無くなる。だがそれは度を超える程に傲慢で、許容し難い独善的な渇望。そこに彼女の意志が介在していないのなら、塵程度の価値すら失われる。


「まぁ…王子殿下との婚約は破棄されたが、公爵家の名誉回復の為にも、すぐに新しい婚約者の話が出るだろうよ。あの美貌は、遊ばせておくには勿体無いぜ」

「ああ、違いない。一体どこの御仁が、あの月を手に入れられるのか…」


 新しい婚約者。その話題が出るのも、至極当然の流れだ。現に彼女には伝えられていないが、公爵様の元には毎日のように縁談の話が寄せられている。それを内密に処理するのも、私に任されている仕事の一部。


 公爵様の思惑がどうであれ、今のリリエンタール家には権威の回復が必要不可欠。彼女は公爵令嬢。その手を取るのは、公爵や侯爵。或いは他国の王族。決して一介の執事などでは無い。


 だが。


 彼女は、公爵令嬢イザベラ・フォン・リリエンタールでは無い。平民の身体に宿る、異世界の魂。それを知悉ちしつする者は、私以外に存在しない。


 公爵様でさえ、失った娘の代替品としか見なしていない。あの方の本当の価値。魂の輝きを知っているのは、この世界で私一人だけ。


 これがどうして、優越感を覚えずにいられようか。


 私は、お嬢様の勝利を心から願っている。聡明な彼女が愚者共に敗北するなど、想像するだけで耐え難い。


 しかし万が一、気高い翼が折れてしまうような事態に陥れば。その時は傷付いた心身を優しく包み、誰の目にも触れられぬ場所へと囲う権利は、真実を知る私にのみ与えられている。


「…………」


 口角が歪む。唇は緩い放物線を描き、自嘲気味の笑みが浮かび上がる。


 公爵家という大きな枷から解き放たれた彼女を、私が用意する鳥籠で永遠に愛でる。その可能性を示唆するだけで、背徳的な愉悦が全身を駆け巡る。


 嗚呼、なんて可哀想な『お嬢様』。

 貴女は私を許す事無く傍へ置き、全てを『受容』するとまで断言してしまわれた。私の抱える闇がどれ程深く、救い様の無い我欲に塗れているとも知らないで。


(…もう逃がしてはあげられません。私だけの──お嬢様(愛しい小鳥)


 後悔は無い。絶望も無い。此処に在るのは、たった一人に恋焦がれ、喉元を焼くような欲望を抱える、鎖を砕いた獣のみ。それ以外は全て、執事という『仮面』が見せる、ただの虚像に過ぎないのだから。


「……キルヒナーとシュミットの嬢様方も哀れなものだなぁ。セシリア様に見捨てられて以来、すっかり肩身が狭いご様子で」

「違いない。聖女サマのお茶会でも、隅の方で小さくなっていたと聞く。まあ、元はあの公爵令嬢サマの取り巻きだからな。そこは自業自得というやつさ」


 従僕の声に、意識を舞踏室へと戻す。我が主の元へ、二人組の令嬢が恐る恐る近付いて行くのが見えた。


(…なるほど。あの者達の風聞ふうぶんが途絶えてから久しいが、事態が好転している証左は無さそうだな)


 以前のお嬢様は些か傲慢ではあったが、己の派閥に属する者を切り捨てるような御方では無かった。それに比べセシリア様のやり口は、奸智かんちに長けている。


(…お嬢様の為にも、私は働かなくては)


 思考を巡らせ、結論に至る。あの二人の令嬢。そしてその従者たちには、利用価値がある。


「…ほう。随分と詳しいのだな? その聖女様のお茶会とやらの話を、私に聞かせてみろ」


 感情を削ぎ落とした声で、従僕共の会話へ割り込んでいく。談笑していた彼等の肩は、痙攣するかのように大きく震え上がり、蒼白な顔で此方を振り返った。


「い、いや…これは…、その……っ」

「聞こえなかったのか? 聖女様のお茶会で、何があったのかと聞いている」


 有無を言わせぬ圧を掛ければ、観念したかのように、どもりながら話し始める。リリエンタール公爵家の執事である私に逆らえる者など、この場には存在しない。


 主が敵陣で情報を集めているのなら、私もまた、この場で剣を振るわねばならない。駒を揃え、障害を排除する。全ては孤立無援の戦場に立つ、気高く美しい主の為に──。



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