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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
二章 社交界の蒼い月
25/33

第九話 (前)


 夜闇が王都を包む頃。公爵家の豪奢な馬車に揺られながら、私はジェームズと最終確認を行っていた。


「今日の夜会、主催は王家の遠縁に当たるカッセル伯爵家。後援はマルケス侯爵家で、聖女派の貴族が多数参加。招待状の提示は不要。以上で間違い無いわね?」

「はい。ですが、くれぐれもご無理だけは為さらないで下さい。貴女の身に何かあれば、私は…」

「勿論分かっているわ。貴方との、大切な約束だもの」


 ジェームズは胸奥を焼く痛みに耐えるように、膝上で拳を強く握り込む。私は窓外に流れる貴族街の灯りを一瞥してから、そっと瞼を伏せてみた。


 これから私達が赴く場所は、聖女派の開く夜会。反公爵派の人間も、おそらく半数以上が足を運ぶ事だろう。


 勿論そんな場所に、味方なんて有り得ない。排他的な拒絶の意思が、私という存在そのものを、社交界の異分子として糾弾するに違いない。


「………」


 伏せていた瞼を開き、射抜くように指先を睨む。私へ向けられる負の感情は、私が思う以上に公爵とジェームズの心を蝕んでいる。その事実が、私の闘志へ消えない炎を燃え上がらせていた。


 今日一日で全てが解決出来るだなんて、そんな楽観的な考えは端から持っていない。だからこそ、まずは手始めに。聖女派が流布する噂を、この耳で直に確かめる必要がある。


 その為にわざわざ私は、聖女派の開催する夜会へ参加するのだから。


(有効な手札を得る為には、より確実な情報が必要不可欠。今日は一体どこまで、許して貰えるのかしらね?)


 光の満ちる壮麗な屋敷の前で、馬車は静かに停止する。ジェームズは先に降り、当たり前のように私へ手を差し出してくれた。


「さあ、お嬢様。お手を此方へ。貴女の望まれる戦場へ、私がお連れ致します」

「ええ、お願いするわジェームズ。私に相応しい舞台まで、貴方が導いて頂戴」


 白手袋越しの柔らかな感触。この身へ向けられる熱い眼差し。それは決して、誰にも悟られる事の無い。私と彼だけの秘密の儀式だった。


 磨き上げられた大理石の階段を、一段ずつ慎重に上っていく。エントランスホールの入口には、カッセル伯爵家の侍従達が彫像のように控えていた。


「ようこそお越し下さいました。失礼ながら、御家名と御名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「リリエンタール公爵家が娘、イザベラにございます。同行は、執事のジェームズ。一名だけですわ」


 半歩後ろに控えるジェームズが、洗練された所作で一礼する。すると侍従は一瞬だけ目を見開いてから、どこか気遣わしげに、恭しく頭を下げた。


「…イザベラ様。本日は聖女様を慕う方々が多く集まっておられます。どうか、お心を強く持たれますよう」

「………」


 カッセル伯爵家は聖女派という大きな括りに属する家門ではあるものの、反公爵派の急先鋒きゅうせんぽうとなる意図を示してはいなかった。


 聖女の慈悲深さに感銘を受けた、心根の優しい一族であると聞き及んでいる。その噂が真実であったという確証を得て、自然と口元が緩んでいくのが分かる。使用人にまで行き届いた温情ある家風が、私の冷えた胸の内に微かな光を灯したから。


「奥様は現在席を外されております。戻られ次第ご挨拶に伺われると思われますので、その際は是非とも、イザベラ様のお時間を頂ければ幸いにございます」

「勿論構いませんわ。カッセル伯爵夫人にも、よろしくお伝え下さい」


 礼をすれば、舞踏室へと続く重厚な扉が開かれる。ここから先は、執事であるジェームズを連れて歩く事は許されない。物理的な距離は近くとも、私という存在が無防備になる事実に変わりは無い。


「…私の視線は、常にお嬢様と共にあります」

「ええ。ジェームズも、無理だけはしないでね」


 甘い吐息が、頬を掠めて熱を残す。その余韻を断ち切るように、彼の手をそっと離した。





 王家の遠縁が主催している事もあり、広大なホールには国内の主立った貴族が勢揃いしていた。


 絢爛けんらんなドレスの裾が床を滑り、上等な燕尾服の紳士が優雅に談笑する。その身を飾る宝石達は星々の如く煌めいており、楽しげな笑い声は熱狂的な夜の賑わいを物語っていた。


「まぁ、あの方は…」

「なぜこのような場に…」

「関わらない方がよろしくてよ…」


 その全てが、私という異物を拒絶する。


 貴婦人達の密やかな囁きは湖面の波紋のように広がって、緩やかに会場の隅々へと染み渡っていく。聖女派が牛耳るこの夜会において、悪役令嬢イザベラは忌むべき存在。好奇と侮蔑、そして僅かな畏怖を混じらせた視線が、遠巻きに私を貫いていた。


(…予想通りの反応ね。これなら、目的はすぐに達成出来そうだわ)


 誰も私に話しかけるつもりは無さそうだった。見知らぬ誰かと当たり障りの無い会話を交わすくらいなら、無視される方がずっと良い。作り笑いを浮かべる必要も無いのだ。この孤独は、むしろ好都合である。


 壁際に置かれた長椅子の隅へ、そっと腰を降ろす。グラスのシャンパンを口実に、ホール全体の観察を開始した。


「セシリア様は、本当に素晴らしい御方ですわよね。なんでも先日聖女様を気遣って、ご実家から取り寄せた貴重な薬草を届けられたのだとか」

「まぁ…なんてお優しい。素敵な友情ですわね。あの悪名高きイザベラ様の元ご友人とは思えない程、清らかでいらっしゃいますのね」

「ええ。セシリア様こそ、聖女様のお側で仕えるに相応しい御方よ」


 憎らしい女へと向けられた称賛の声に、内心で舌を打つ。セシリアがイザベラを踏み台にして、聖女の親友になったのは小説の通りだけれど。その後の彼女の策動さくどうは、誰の目にも完成された姿として認識されているようだった。


(…見事な手腕、としか言えないわね。自分の立場をここまで確立させるなんて、感服するわ)


 聖女への献身アピールで周囲を味方に付ける。言葉にしてみれば、特に難しい事では無いように思える。でもこれを実現する為には、並大抵の努力と覚悟では到底足りない。


 セシリアは、小説の中ではイザベラの影に隠れる存在でしか無かったというのに。この世界は本当に、小説の知識がまるで通用しない。


 諦めにも似た溜息を押し込み、舞踏室を睥睨へいげいする。それらしき影は、やはり見付けられなかった。もしかしたらセシリアは、今日の夜会には参加しないのかもしれない。元々確定情報では無かったから、別に構わないのだけれど。


(……残念ね。セシリア本人の考えも、確かめてみたかったのに)


 初日から空振りに終わるなんて、どうにも幸先が悪い。自然と視線が厳しい物になってしまうのを、止める事は出来なかった。


「そういえば、聖女様は本日もお越しではありませんのね。何か不都合でもあったのでしょうか…」

「そのお話でしたら…。確かフィリップ王子殿下が聖女様の事をとても大切になさっていて、公務以外の外出を禁じておられるそうよ」

「まぁ、そうでしたの? 王宮でしかお目にかかれなくて、不思議に感じてはいたのですけど。まさかそのようなご指示をされていたとは……」

「王宮でも、王子殿下は聖女様のお傍を片時も離れないそうですわ。相思相愛なのは良い事ですけれど…あれは、あまりにも…」

「ええ…。少し、怖いくらいですわよね…」


(……ッ!!!?)


 貴婦人達の話題が敬愛する聖女へ向かった途端。あまりにも鮮度の高過ぎる公式供給に、思わず心の中でガッツポーズを決めてしまった。シャンパンを持つ手にも、自然と力が入る。


 フィリップ王子は私の推しでは無いけれど。聖女エレンディラに対してのみ、並々ならぬ執着を抱えているという公式設定が存在しているのだ。王族としての重圧と孤独に苦しむ彼の心を、ヒロインである聖女だけが気付き、そして癒やしたから。


(へぇ〜、そうなんだ〜? フィリップ王子はエンディングを迎えてからも、エレンディラちゃんの事をず〜っと大切にしているのか〜。ほっほ〜う?)


 これはなんとも嬉しい臨時収穫である。噂の黒幕を探す事よりも重要度が高い。あの小説の読者として、これ以上の朗報なんてきっと存在しないから。


 焦れた甘酸っぱい関係性も勿論私は好きだけど、病的なまでの独占欲に絡め取られて逃げられなくなっちゃうような深い愛だって、私は大好物なのだ。ガチでナイス過ぎる。流石は小説のメインヒーロー!


 心の中で歓喜繚乱の舞を踊りつつ、王子と聖女へ向けて深い祈りを捧げる。私があの小説にここまで入れ込めたのも、フィリップ王子がヒロインに対して、ずっと一途な愛を貫いていたから。悪役令嬢であるイザベラが可哀想に思える程に、王子の心は聖女にしか、開かれていなかったから。


 二人が真のハッピーエンドを迎えている確証が得られて。私の秘めたるオタク魂は、今この瞬間、至福の極みへと昇華した。


 高揚する気分のままシャンパンを一口含み、もう一度会場内を隅々まで精査する。マルケス侯爵家の影響力で一般の聖騎士団員は参加しているけれど、小説に登場する『五人の騎士』達の姿は、やはりどこにも見受けられなかった。


(うんうん、そうだよね。聖女が参加していないのなら、親衛隊である彼らが来る意味なんて無いもんね。きっと今頃は、王宮で身辺警護をしているんだろうなぁ~)


 残念な気もするけれど。今の私が彼らと顔を合わせずに済むのは、むしろ願ったり叶ったりである。無用な火種は最初から撒かない。後の労苦を避ける為の、最善策だ。


(…それにしても。これだけ気配を殺してるのに、みんな全然私の噂をしないわね。もしかして、誰かに遠慮でもしているのかしら?)


 カッセル伯爵は、反公爵派の人間では無い。それが抑止力となっている可能性も、否定は出来ない。なら次は、きっとジェームズは反対するだろうけど。反公爵派の開く夜会に参加する必要がありそうだ。


 大丈夫。焦る事は無い。私は私の意志で、この問題を解決すると決めたから。


 会場内の囁き声から意識を逸らし、肩の力を少し抜く。その瞬間。妙に濃密で、肌に絡み付くような視線を感じた。


「……?」


 正体を確かめたくて、会場の片隅へ目を向けてみる。壁際でずらりと並ぶ使用人列に、彫像の如く佇む見慣れた銀髪の執事が立っていた。


 あれはジェームズだ。彼の蒼い瞳は、他の誰でも無く、私だけを確実に射抜いていた。


「………っ!」


 目が合った。心臓が、一際大きく跳ね上がった。絶対的な忠誠と複雑な欲を綯い交ぜにした眼差しを、真正面から受け取ってしまったから。


 身体が焼けるように熱い。慌てて視線を逸らし、手に持つ扇で顔を覆い隠すけれど。朱に染まった頬に、絶対に気付かれた。彼は優秀な執事だから、私の浅い抵抗なんて、全部無意味に違い無い。


(も、もう…っ! なんで私だけそんなジッと見てるの!? 仕事をしてよ仕事を! 情報収集とか、周囲への警戒とか、やる事はたくさんあるのに!!)


 胸の内で悪態を付いてみるけれど、口元はどうしようも無く緩んでしまう。だって彼の瞳は、絶対に『私』以外を映さないから。それはこの世界へ迷い込んでしまった私を導く、たった一つのしるべでもあるから。


 あの視線が在る限り、私は独りでは無い。その事実が、空いた心の隙間を埋めてくれている。


 短い嘆息を漏らし、顔を覆い隠すように開いていた扇を、膝元へとそっと降ろす。そして今度は真っ直ぐに、鮮やかな蒼を見つめ返す。息を呑む程に美しい彼のかんばせは、やはりいつも通りの無表情だった。


『ダ・イ・ス・キ』


 唇だけで伝える愛の言葉。それを大切な、貴方へ。


 ジェームズの蒼い瞳が、ほんの僅かに見開かれる。完璧な執事の仮面に生じた動揺が、どうしようも無く愛おしく感じられて。私は彼へ向けて、にっこりと微笑んでみせた──。




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