第八話 (前)
手紙を書き終え、慎重に封蝋を垂らしていると、控えめなノックと共にジェームズが部屋へと戻って来た。その腕には分厚いファイルの束と、何通かの封筒が抱えられている。
「お嬢様、ご依頼の品をお持ち致しました」
「ありがとうジェームズ。……これはまた、凄い量ね」
サイドテーブルに積み上がる書類の山を眺めれば、自然と口元へ乾いた笑みが浮かんでしまう。悪役令嬢イザベラがどれ程の人間に憎まれ、興味の的にされていたのかを、否応無しに実感してしまったから。
「これはお嬢様が失踪されてから本日までの、およそ半年分の記録です。市井に出回った新聞記事、酒場の噂話、貴族間の書簡に至るまで。貴女を貶める言葉を集めさせて頂きました」
淡々と告げる彼の横顔は、いつもの通りの無表情に思える。けれどその声に微かな怒りが含まれているように感じられるのは、きっと気の所為では無いのだろう。
「流石の情報網ね。一つずつ確認していくから、ちょっと待ってて」
ジェームズは私の為に、途方も無い不快感を押し殺してこの資料を集めてくれたのだ。その厚い忠誠心は、絶対に無駄には出来ない。
書き物机の引き出しから真新しいノートとインク瓶を取り上げて、ソファに浅く腰掛ける。そしてサイドテーブルに置かれた一つ目のファイルへ向けて、そっと利き手を伸ばした。
「こういうのはね、ただ読むだけじゃ意味が無いの。相手の目的を整理しながら、ちゃんと分類もしていくの。社会人の基本。情報の可視化ってヤツね」
「……?」
小首を傾げる彼に軽く笑みを向けてから、丁寧にファイリングされていた資料の一枚目を抜き出す。一番最初に目に入ったのは、刃物が同封されていた、あの脅迫状だった。
『噂①:記憶を失ったのを良い事に、老いた父親を誑かしている』
『分類:【個人攻撃】。目的:私個人の人格否定、公爵への同情誘発』
資料に記載されている内容を要約し、手元のノートへ素早く転記する。あくまでも客観的に。誰が見ても内容が正しく把握出来るモノを作成する。そこに私の個人的な感想は、一切含めてはならない。
これはかつて、私が無数のクレーム対応を任されていた時の経験が成す、処世術の一つである。こうすれば私個人へ向けられたであろう悪意も、他人事のように考えられるから。
「…なるほど、これは興味深い」
手元を覗き込んでいたジェームズが、感心し頷いている。私は顔を上げず、そのまま次の噂へとペンを走らせた。
『噂②:公爵家の財を使い込み、贅沢三昧の限りを尽くしている』
『分類:【公爵家攻撃】。目的:民衆の嫉妬心を煽り、公爵家全体の評判を落とす』
『噂③:あの女は悪魔に取り憑かれている』
『分類:【悪口】。目的:特になし。感情的なもの』
要点をまとめた後は、更に別のページを三つの区画に分け、分類毎の件数を集計する。彼が私に向ける眼差しは、紙面の文字一つ一つを順番に追っているようだった。
「…………」
一切の淀みも無く冷静に情報を分類している私の姿は、彼の瞳にどんな風に映っているのだろうか。与えられる悪意に臆するでも無く、ましてや受け入れる姿勢も無い。人として本来持つべき筈の感情が抜け落ちてしまった。機械のような私を。
※
紙の上にペンを走らせる音だけを閑静な室内に響かせ続け、およそ一時間が経過した頃。
いくつかのファイルが空に成り、残す所は後一冊。小さく息を吐き出せば、肩甲骨の辺りが鉛のように重く感じられた。
「んーーーっ!」
疲労を覚える身体を解す為、グッと両腕を真上に伸ばす。するとジェームズは私の前に、淹れたての紅茶をそっと置いてくれた。
「お疲れ様です。少し休憩されてはいかがですか?」
「わぁ~、ありがとうジェームズ! 丁度喉が乾いてたんだよねぇ~。ナイスタイミング~!」
ポクポクと肩を小さく鳴らしてから、上品なティーカップに手を添える。静かに立ち上る茶葉の香りをゆっくりと吸い込んで、カップの淵に唇を寄せる。一口含めば芳醇なアールグレイが舌の上で華やかに踊り始め、疲れた意識を穏やかに溶かしていった。
「嗚呼ぁ~…美味しいぃ~…染み渡るぅ~…。ジェームズが淹れてくれる紅茶、本当に大好き。毎日飲みたいくらい」
「それは光栄ですね。私はいつでも、貴女の為だけにお淹れしますよ」
「なんて完璧な執事なんだ。私には勿体無さ過ぎる」
「…完璧な私はお気に召しませんか?」
「大好物過ぎて逆に困ってます。でも供給が絶えると枯れちゃいます。私、とってもワガママなので」
「……それは大変ですね。紅茶のお代わりはいかがですか?」
「いただきま〜す!」
茶番を互いに淡々とした口調でやり合うのにも慣れて来た。一瞬彼の目が、とんでもなく遠い場所を映したような気がしたけど。多分幻覚では無い。
…無茶振りに付き合ってくれてありがとう。
ジェームズは口元へ薄い笑みを浮かべながら、私の渡したティーカップへ残りの紅茶を注いでくれる。
「……………」
これはいつものジェームズだ。仕事に忠実で、私が欲しい言葉を惜しみなく与えてくれる。とても優しい専属執事だ。しかも国宝級に顔が良い。そして私の可愛い恋人。
そう。彼は私の、恋人なのだ。
(でも正直言って、まだ全然実感出来てないのよね。推し期間の方が、ずっと長かったわけだし)
私が読んでいた小説。『光の聖女と五人の騎士』は、実を云うとそんなに有名な作品というわけでは無いのだ。
Web小説が流行る時代に何故か出版されていた、分厚い文庫本のみの作品で。私の行き付けの本屋の片隅に、静かに陳列されていたのだ。
古めかしい文字と縁の装飾だけの、非常にシンプルなあの表紙は、煌びやかなキャラクターと長いタイトルが主流の時代に全くそぐわない。随分と硬派な本だった。
けれど、中を開けば挿絵は全てカラーという。とても豪華な仕様で作られていて、とにかく良い意味で驚かされたのだ。立ち読み出来ないように本全体がブックコートカバーで覆われていたのが、実に惜しいと思う。
私がその本を手に取ったのは、本当に偶然だった。残業続きのくたびれた毎日。私生活に彩りが欲しくて、でも煌びやかな表紙の作品を読む気力が全然無かった。そんな時。吸い寄せられるように、視線が向いたのだ。黒一色の、あの表紙に。
凄く面白かった。内容はありふれたロマンスファンタジーだったけど。動きを止めた私の心に、感情を思い出させてくれるには充分だった。友人に布教は勿論したし、好きになって貰えたし、一緒に推し語りもしていたけど。やっぱり知名度の低さからか、すぐに次の作品へみんな羽ばたいてしまった。引き止められなかったのが、非常に悔しい。
あと、挿絵だって凄く綺麗だったのだ。流行りの描き方では無かったし、文体だって堅苦しかったけど。それでも心惹かれたのだ。何度も読み返してしまう程に。睡眠時間を削っても良いと思えるくらいに。他の作品へ意識を向ける気力さえ、失ってしまった。
それはまるで、紙面に描かれるその世界こそが、私の生きる場所であると、錯覚するような……。
(……あ、れ……?)
ふいに違和感が募る。私はあの小説を、繰り返し読んでいた。だからこそ、物語の全てを暗記している。でも。どうしても。一つだけ思い出せない事がある。
(あの小説の作者って…、誰だったっけ──?)




