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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
二章 社交界の蒼い月
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第六話


 室内には、息が詰まる程の重たい沈黙が落ちていた。独善的な感情を投げ付けるジェームズと、決死の覚悟で対峙する所までは良かったけれど。彼の本当の気持ちが分からないままである以上、何も無かった事にして帰してしまうわけにはいかなかった。


「ジェームズ、こっちへ来て」


 呆然と立ち尽くす彼の腕を両手で掴み、バルコニーへと続くガラス扉まで有無を言わさず引いていく。


 彼の顔は、見れなかった。私の鼓動は、全然落ち着いてなんていなかった。今その顔を見てしまえば、壊れ物を扱うように私へ触れた手を、否応無しに思い出してしまうから。


「お嬢様、一体どちらへ…?」

「少し風に当たりましょう。そうすれば、ちょっとは冷静になると思うから」


 彼が抱える剥き出しの執着は、どう解釈してもやっぱり怖かった。でもその感情の矛先が、私を通して本物のイザベラへ向けられている事実も、胸の奥でずっと燻り続けている。


 こんなのはおかしい。普通の感性なら、対象が自分で無い事に安心するべき所なのに。


「…お待ち下さい」


 ガラス扉へ手を伸ばそうとした瞬間、強い力で腕が引き止められる。窺うように振り返れば、ジェームズがいつの間にか手にしていたショールを、私の肩へそっと掛けてくれた。


「…夜風は、身体に触りますので」

「………」


 彼の声と指先は、微かに震えているようだった。そうさせているのが自分である事に、罪悪感が募った。


 でもそれは裏を返せば、彼の意識が私の方へ向いているという事に他ならなくて。その事実に気が付いて、仄暗い優越感が芽生えてしまった。


「………ありがと」


 顔を俯かせたまま、短く礼を言う。そして私は今度こそ、月明かりの差し込むバルコニーへ足を踏み出した。





 冷たい夜の風が、火照った頬を撫でていく。早鐘のように鼓動を打ち続ける心臓も、少しずつ落ち着きを取り戻していく。大理石で出来た手摺りに両手を付いて、眼下に広がる庭園を見下ろした。


「……眠れそうに無かったの」

「…申し訳ございません」

「謝って欲しいわけじゃないわ」


 静寂に包まれた夜の庭園を見据えれば、さっきまでの嵐のような応酬が遠い夢の中の出来事に思えてくるから不思議だ。


 隣に並び立つジェームズをそっと見上げれば、彼の美しい銀髪と強張った横顔が視界に飛び込んでくる。淡い灯りに照らされる儚げなその姿に、目を奪われた。


(やっぱりジェームズは、どんな時でも…カッコイイ…)


 最初から分かっていた事だった。彼が私個人へ向ける感情は、彼の優しさから生まれ出た物であって、決して本心で言ったものでは無い事を。


 胸の奥で沸々と湧き上がる嫉妬心が、自然と私の視線を厳しい物にしている。不条理な怒りをぶつけてしまいそうで、手摺りに顔を押し付けた。


(虚しいなぁ……)


 髪で顔を隠して、ひっそりと彼を覗き見る。肩は微かに揺れていた。平静を保つ為なのか、白手袋で覆われた拳は硬く握り締められていた。伏せられた瞳の奥には、深い後悔の感情が色濃く浮かんでいるようだった。


(叱られるのを待ってる子供みたい。ジェームズって、こんな顔もするんだ…)


 長く吐き出した重苦しい溜息が、空を舞って消えていく。


 きっと彼の時間は、イザベラが行方不明になってから、ずっと止まったままなのだろう。顔がそっくりのエリアーナと出会った事で、ほんの少しは動いたのかもしれないけれど。それでもきっと、本物には遠く及ばない。


 彼の心を本当の意味で動かせるのは、本物のイザベラだけ。その事実がどうしようもなく、悔しかった。


 もっと私の事だって見て欲しい。お嬢様じゃない私を認めて欲しい。過去の亡霊なんて綺麗サッパリ忘れちゃって、もっと私を…。


(いやいや…、それは流石に傲慢が過ぎる。過去があるからこそ、今のジェームズが在るんだから、ちゃんと受け入れないと。

 こんなん解釈違いで喚く厄介オタクじゃん…ダメダメ過ぎ……)


 傲慢で自分勝手な気持ちが湧いてくるのを、頭を振って消し飛ばす。ジェームズが抱える、大切な人を失いたくない気持ちから生まれ出た執着の方が、何億倍も崇高で尊い。


 私はもっと、謙虚にならないと。借り物の地位で、盤上に立っているだけ。ただ、それだけの存在なんだから。


「…………」


 ふと顎に手を当て、考え込む。思い返すのは先程の、ジェームズの狂気染みた執着。冷静になればなる程に、惜しい事をしてしまったように思うのだ。


 推しに衣食住を管理される生活なんて最の高だし。籠に閉じ込めて貰えるとか、まさに究極の愛情表現。私の世界の中心は貴方ですって、お互いに宣言しているようなモノだし。


 関係は歪だけど。その抗い難い背徳感は、どうしようもなく私の心を擽っている。


(なんだか、昔ノートに書いてた黒歴史小説を思い出すわね。狂おしい程の執着で雁字搦めにされちゃう展開、めちゃくちゃ好きだったし……)


 さっきは公爵との事もあって気が動転していたけれど、今の私はどちらかと言うと、ジェームズに籠詰めされるならむしろ大歓迎である。


 本物のイザベラに嫉妬するという最悪の無礼をしておいて、今更感は強いけども。


「…………」


 顔を上げ頬杖を付き、夜空に浮かぶ月を見上げてみる。今日は半月だった。その姿はまるで、大切なモノを失った公爵とジェームズのように不完全で。でも、だからこそ、美しかった。


「今日は、月が綺麗ね」

「…………」


 私の言葉に、ジェームズは伏せていた顔を静かに持ち上げる。異世界では使い古され過ぎているベタな告白に、彼が気付く様子は無いけれど。


 私の気持ちは、もうこれで、揺らぐ事は無い。


「ね? ジェームズ」


 心から大好きな貴方へ向けて。私は出来うる限りの、優しい笑みを浮かべて見せた。


「……っ……」


 鮮やかな蒼い瞳が、信じられない存在と相対しているかのように見開かれた。その瞳に、今の私の姿が映っている。そこに広がる動揺を確認して、胸を覆う霧が晴れ渡る心地がした。


 確か彼は、小説のエンディング時点では23歳だった筈。イザベラは18歳だったので、主従の年の差は5つ。きっとエリアーナも、イザベラと同年代と考えて差し支えは無いと思う。良いな。羨ましいな。みんな、若くて。


 だからこそ私は年長者として、人生の先輩として。生き方を忘れて迷子になっている彼の為にも、道を指し示す必要があると思うのだ。


「……ん!」


 私は彼の目の前で、両腕を大きく広げてみせる。怪訝そうな顔をされるが、今は見ないフリをした。


「おいで、ジェームズ。大丈夫。怖がらないで。私は貴方に、心から笑っていて欲しいだけだから」


 これを敢えて名付けるのなら。ずばり、ジェームズ専用メンタルヘルスケア大作戦。


 私はこれからジェームズを、力の限り甘やかす。彼の美しい銀髪をわしゃわしゃに撫でくりまわして、私の気持ちを身を持って感じて貰うという、非常にシンプルなコミュニケーションである。


 私は彼の事をよく知らないけれど、それは逆の立場でも同じ事が言える。言葉が足りないのなら、もっと対話をすれば良い。でも今の私達はきっと、それだけでは不充分なのだ。


「……っ、どう、して…、そんな……っ」


 木の葉の擦れるような声がした。能天気極まりない私の姿を見て、彼は美しい顔をくしゃくしゃに歪ませてしまった。今にも泣いてしまいそうな、子供みたいに。


「私は貴女を…、物のように扱おうとしたんですよ! 貴女の尊厳を無視して、その翼を…もぎ取ろうとしたんです! 私は執事としても、一人の男としても、失格だ。だからどうか……私を、お許しにならないで下さい。どんな罰でも、お受けいたしますから…!」


 彼はそう言うと、深く深く、頭を下げた。それは完璧だった筈の彼が、初めて見せた弱さだった。本物のイザベラを失ったトラウマが、彼の心をどれほど苛み歪めてしまったのか、痛い程伝わって来るようだった。


(ジェームズ、さっきの事めちゃくちゃ気にしてるなぁ。私はもう全然気にしてないし、むしろ惜しんでる状態なんだけど。うぅん、どう伝えたものか…)


 彼が本当に私を籠に閉じ込めたいと思っているのなら、拒む理由はどこにも無いわけで。でも私が受け入れる事で彼の心が今以上に壊れてしまうのなら、話は全然変わってくる。


 好きな人には幸せになって貰いたいし、いつまでも健やかに生きていて欲しい。私はとても、ワガママなオタクだから。


「罰なんて必要無いわ。だって私は、貴方のその気持ちが、とっても嬉しかったんだもの」


 深く下げられた彼の頭を、胸元へ引き寄せる。美しい銀髪を腕に抱き、そっと頭を撫でてみる。一度壊れてしまった心は、きっと元には戻らない。でも壊れたその心ごと、愛する事なら出来るから。


「……っ!?」

「よしよ〜し。いっぱい辛かったのに、今日までよく頑張ったわね〜。とっても凄いわジェームズ。エラいエラい」


 敢えて幼稚な言葉を選んで、絹糸のように柔らかな髪を優しく撫でていく。難しい語彙を使えば、受け取る側の偏った解釈で伝わってしまうと思ったから。


 子供扱いしている自覚は大いにある。むしろそのつもりでやっている。でもバカになんてしていない。こんな事をしているが、私は至って大真面目なのだ。


「好きなだけ泣いて良いよ? 我慢ばっかりすると身体に良くないもんね? 不安にならなくても大丈夫だよ。私は、どんな貴方も、大好きだから」

「……、………っ…」


 彼の肩は、小刻みに震えていた。もしかしたら本当に、泣いているのかもしれない。まるであの日の再現だけど、立ち位置は完全に逆だった。


 依存度の高い薬物を渇望する中毒者のように、彼は私の背へ、震える両手を伸ばしていた。


「貴方は独りじゃないわ。私が傍にいるもの。過去の痛みも、未来への不安も、これからは私にも、半分持たせてね。怖い時は怖がって良いし、不安な時こそ隠さないで教えて欲しいの。

 貴方が壊れそうになった時は、私が必ずこうやって、甘やかしてあげるから」

「……は、ぃ……っ…」


 それはとても掠れた、儚い声だった。でも私の気持ちは、しっかりと彼に伝わってくれたみたいだった。


 反論はされなかったし、抵抗もされなかった。呆れられているのかもしれないけれど、別にそれでも構わなかった。逃げないでさえ、いてくれるのなら。


「大好きよ、ジェームズ。私は貴方が望んでくれるのなら、喜んで鳥籠に入ってあげる」


 子犬が飼い主に甘えるように、ジェームズは自分の額を私の胸元に擦り付ける。手のひらから伝わる微かな振動を感じて、胸の奥に熱い何かが込み上げてくるようだった。


 程なくして。赤くなった瞼を指で押さえながら、彼は身体を起こす。そして私の服に付いてしまったシワを見つけ、しょんぼりと項垂れた。


「申し訳ございません…。仕える主の前で、醜態を晒すなど……」

「謝るような事じゃないわ。貴方の新しい一面が見れて、私は嬉しいもの」


 それに、この場で本当に謝らなきゃいけないのはジェームズでは無い。彼に自分の事を何も話さなかった、私の方だから。


「私が気にします! 敬愛する主人に対して甘えるなど…、そんな…恐れ多い事を…っ」

「もう、またそんな事言って…。せっかく私のファーストキスを貴方にあげたのに、もしかして無駄になっちゃった?」

「……!?」


 目尻を下げ、困ったような笑みを乗せて彼の顔を覗き込む。するとその頬は、面白い程に真っ赤に染まってしまった。


「ふふっ。ジェームズったら、顔が真っ赤になってるわよ? 可愛いわね〜」


 揶揄うように指先で上着の袖を突けば、その顔は驚愕へと変化する。楽しい。なんだか今日は、彼の珍しい表情ばかりを拝んでいる気がする。カメラが手元に無いのが、非常に恨めしかった。


「あ、あの…! それは、一体…どういう意味で…?」

「どうって、言葉のままの意味よ? 私達は恋人同士なんだから、好きな時に好きな事をすれば良いの。私はいつだってジェームズと、恋人らしい事をしたいもの」


 これは紛れも無く、私個人の恋愛観である。好きな人が望むのなら、私の全てを差し出したって構わない。


 残念ながら、前の世界ではそういった人と出会う事は無かったけれど。もし出会っていたら、その人の長所短所ひっくるめて、全部受け入れていたと思うから。


「あ、そうそう。ついでにもう一つ、報告しておくわね。

 私、この世界の人間じゃないから。異世界で30年くらい生きてて、貴方があのパン屋へ迎えに来た日の朝、突然この世界へやって来たの。

 この身体はただの借り物で、魂だけが入り込んじゃってる状態だよ。ちなみにこの身体の持ち主の魂の所在は、現在進行形で不明です。

 以上、これで私の大事な話は終わり! お疲れ様でした〜!」


「………………………………」


 宴会の締めを任された幹事のように、パチパチと両手を軽く叩く。対するジェームズは、それはそれはとても奇妙な表情で固まっていた。鳩が豆鉄砲を食らった顔を、彼がするとは思わなかった。意外な発見である。


 本音を云えば、この件は墓場まで持っていきたい秘密ではあったけど。籠詰めするのは別に構わない。でも私の存在は魂だけ。その事実を、ちゃんと理解していて欲しいと思ったから。


 完全に言葉を詰まらせてしまった彼に無邪気な笑みを向けてから、暗い夜空を見上げてみる。雲一つない空は、満点の星を煌めかせるのに最高の情景を生み出していた。


「……何故、今…そのように重大な話を…?」

「今しか無いって思ったから。…それじゃダメ?」

「………………」


 地を這うような低声を漏らす彼の眉間には、とんでもなく深いシワが刻まれていた。無茶な案件に頭を抱える上司が、よくこんな顔をしていたのを思い出す。

 …うーん、指で押さえたい。


「…貴女の後背に、時折年齢を超越した何かを感じてはいたのですが。私の気の所為では無かったのですね」

「ムムッ、それは聞き捨てなりませんなジェームズくん。私はいつでも、年相応のお姉さんですよ。

 ……まぁアラサーなので、お姉さんは流石にもう厳しいんですけども」

「…………はぁ」


 これ見よがしに盛大な溜息を吐かれてしまった。私はとても悲しい。いくら愛する推しが相手でも、全く傷付かないわけでは無いのだぞ?


「まぁつまり、要約すると。私は貴方よりずっと年上だから、甘えるのは全然問題ないって事。

 わかって貰えたかな? ジェームズくん」

「…そうですね。まさか本来の貴女とそんなにも年齢差があるとは、正直思っておりませんでした」

「でしょ? まぁ…私もさっきのジェームズはちょっと怖かったし、わりと驚いたんだけど。でも、もう大丈夫。私はどんなジェームズでも大好きだから、全部ちゃんと受け止めるよ。

 その覚悟を決める為に、私の全部を話したんだもの」

「──!?」


 私の言葉に、彼の身体が一際大きく跳ね上がる。流石のジェームズも、私の無計画さ加減に呆れてしまったかもしれない。でもこればかりは仕方の無い事として、受け入れて欲しいと思う。


「……それは…本当、ですか?」

「大好きな人に嘘なんか吐かないわ。貴方に何をされても、私のジェームズへの想いは今後絶対に変わらない。

 軽く見積もって5年は片想いしてたんだから、そこは安心して良いと思うの」

「………!」


 私は拳を握り締めて、自分の胸を軽く叩いてみせる。身体は借り物のままだけど、魂と意志は私だけの物だから。今後はもっと広い心で、推しの全てを愛でていこうと思う。


 いつの日か元の世界へ戻れる時が来て、ジェームズと別れる事になったとしても、笑顔で『さようなら』を言いたいから。


「…左様でございますか。でしたらこの機を、逃す手はありませんね」

「んぇ?」


 やけに静かだった。周囲の空気が急激に冷えたように感じられて、背筋に悪寒が走った。見上げた彼の瞳の奥には、怪しい光が宿っていた。何故?


「……あの、ジェームズさん? なんか凄く、邪悪な気配を背負ってません?」

「まさかそのように過分な御配慮を賜われるとは思っておりませんでしたので、この衝撃と喜びは言葉で表現し切れません。…とても嬉しいです、お嬢様」


 全然嬉しそうには思えなかった。それは内なる歓喜を孕みつつも、同時に背筋を凍て付かせる。とても低い声だったから。


「……ぃ、…っ!」


 ジェームズは私の手を取り指先を絡めると、強い力で握り込む。痛みに顔を顰めると、彼は愉しそうに仄暗い瞳を緩く細めてしまった。


「ですので、私が心よりお慕い申し上げている貴女に、これ以上誤解をされたくはありませんので。どうかそのまま、ご清聴下さい。

 私が心惹かれたのは、以前のお嬢様ではありません。貴女自身が持つ強さです。逆境に屈せず、思慮深い知性で道を切り拓く。その魂の輝きに、私は惹かれたのです。故に過去の御自身の影を私の前で引き合いに出されるのは、今後ご遠慮願いたい。……よろしいですね?」


 瞳に宿る影は闇そのものであり、傲慢な笑みと相まって私からの発言権を根刮ねこそぎ奪う程の威力があった。


 もしかしなくともジェームズは、この姿の方が素なのだろうか。だとしたら彼はさっきまでの私の事を、物凄く怒っているのかもしれない。純粋に怖い。


「……あ、はい。それは、まぁ…えっと」

「『まあ』?」

「ち、誓います! 今後はイザベラ様を引き合いに出しません! ジェームズの気持ちを疑わない事をここに宣言します!!」

「…ええ、お願い致します。でなければ私は貴女を、私の目の届く範囲に、永遠に収める事になってしまいますので」


 私が浅はかだった。まさかそういう理由で籠詰めの話をされていたとは思わなかった。


 例えるなら、双子の兄弟の片割れを選んでおいて、もう片方を引き合いに出すイメージだもんね。そりゃあジェームズだって怒るし、籠だって持ち出すわ。


 うん。この件は、彼の気持ちを勘違いしてしまった、私が100%悪い。


「ですが、今のが本質というわけではございません。私の心は、貴女を初めて視界に捉えたあの日から、既に終着点が定まっておりましたので」

「へぇ~……って、ん? まさかとは思うけど。公爵家の馬車に乗って、貴方に取引を持ち出した。あの時の事を、もしかして言っていらっしゃる?」


 確かあの時は、推しから貰えた『好き』という言葉に、情緒が大変な事になったのをよく覚えている。


 でもあの時の私はジェームズの御機嫌取りなんてしていなかったし、自分の要求だけを話していたから、好かれる要素とかどこにも無かったと思うんだけど…。


 私の何が彼の心に響いたのか、全然ピンと来ない。疑問符を浮かべながら彼の顔を覗き見ると、悪戯を思い付いた少年のような笑みを向けられた。


 ア、ヤバイ、マズイ。理由は分からないけど、何かすごくヤバイ。めちゃくちゃ嫌な予感がする。


「ええ、ご推察の通りです。以前のお嬢様は、私を視界に入れる事すら稀でした。ですが貴女が私へ向けて下さる揺るぎない視線は、私の職務に明確な意義を与え、抑え切れない程の歓びをもたらしたのです。

 貴女が公爵家の格式を担う為に見せたひたむきなお姿も、私の魂を捉えて離さない程に魅惑的ではございましたが──」

「…ちょ、っと……、待って…ッ」

「おや、何故です? 私が貴女を真に想っている事実を知って頂く、非常に良い機会ですのに」

「~~~~ッ!!!?」


 相手の目を見て話すのは社会人としての当然のマナーなんです! 好印象を与える為の、必須事項なんですー! なんて声高に叫びたい所だけど、今はそんな悠長な事を言っている場合では無かった。


 逃げたいのに、抜け出せない。繋いだ手を引き寄せられ、腕の中に閉じ込められてしまったから。


「…わ、わたし、は…、そんな、大層な人間では…っ」

「…逃がしませんよ?」

「……ヤバいっ、顔が良過ぎるムリ死ぬタスケテッ」

「死ぬなんて許しません」

「ぴぇ……カッコイィ…」


 射抜くような視線を向けられ、自然と見つめ合う。目眩がした。顔も熱い。心臓は今にも爆発しそうだった。だって彼の瞳の中には、私しか、いなかったから。


「お嬢様、…愛しております」


 羞恥で逃げを打とうとする私の身体を、ジェームズは強い力で引き寄せる。思考はどんどん蕩けていき、彼以外考えられなくなる。あんなにも冷たかった筈の手は、いつの間にか温かさを取り戻していた。


「……貴女は?」


 熱を孕む声で問い掛けられ、そっと顎に手が添えられる。甘い囁きと共に、口元へ薄い笑みを浮かべた彼の顔が近付いてくる。夜の闇よりも深い蒼に吸い込まれそうで、思わず息を呑み込んだ。


「……わ、たし…は……っ」

「はい、お嬢様は?」


 彼の吐息が肌に掛かる。喉が震えて声が出ない。でも注がれる眼差しの強さは、抱く想いが決して勘違いなどでは無いと、必死に訴えていたから。


 絡み付く蜘蛛の糸のように囚われる。もう絶対に、この人からは逃げられない。


「……っ、わたしも…ジェームズの事、愛してる、よ。元の世界にいた時から、ずっと貴方に…恋してた」


 だったら尚の事私は、この視線を逸らすわけにはいかなかった。胸の奥から込み上げてくるのは紛れも無く、彼の全てを愛したいという心からの願いだったから。


「…ありがとうございます、私だけのお嬢様」


 観念するように身体の力を抜けば、唇に柔らかな感触を落とされる。それは彼の真摯な渇望が伝わる程に、深くて長いキスだった。


 鳥籠の扉はまだ開いていた。その鍵は、彼の手中にあった。私は自らの意志で、この危険な獣に繋がれていた鎖を、断ち切ったのだ──。





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