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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
二章 社交界の蒼い月
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第三話


 オルリック公爵の手伝いを始めてから、数日が経った頃。私はかねてより約束を交わしていた、フルール伯爵家の令嬢──レーニエを公爵邸へと招いていた。


 彼女は先日の王妃とのお茶会で、唯一私に憧れの眼差しを向けてくれていた貴重な同志。出来る限り粗相の無いように細心の注意を払いながら準備を進め、ついに今日という日を迎えたのだ。


「まあ…なんて素敵なお庭なのかしら! イザベラ様のお屋敷は、おとぎ話に出てくるお城のようですわね!」


 そんな彼女は陽光溢れるサンルームで、菫色の瞳を大きく輝かせながら庭園を眺めている。


 彼女が着ている淡いミントグリーンのドレスは流行を追ったものでは無いものの、彼女自身の持つ清らかな雰囲気にとても良く合っていた。


「気に入って頂けて嬉しいわ。それにレーニエ様の今日のドレス、とても良くお似合いよ。

 貴女だけの色を、しっかりと見つけられたのね」

「は、はい! そうなんです! あの日、イザベラ様に勇気を頂けたから…。ローリスと相談して、自分で選んでみたんです。まだ少し…恥ずかしいですけど……」


 はにかみながら頬を染めるレーニエの言葉に、ローリスと呼ばれた侍女が嬉しそうに頷く。彼女は穏やかな笑みを浮かべ、主人の後ろに控えていた。


 落ち着いた亜麻色の髪をきっちりとまとめている彼女は、小動物のように愛らしい主人を支えるしっかり者のようで。妹を見守る姉の優しさを携えながら、レーニエの肩へそっと手を置いた。


「私はこれまで、お嬢様が孤独な思いを抱えていらっしゃるのを、ずっとお傍で見てまいりました。だからこそ、イザベラ様のような心ある方と偽りの無い友情を育んでいらっしゃるのが、何よりの喜びなのです。

 どうぞこれからも、お嬢様の良き導き手となって頂きたく思います」

「もぅ、ローリスったら…。そんな事言ったらイザベラ様が困ってしまうわ。それにわたくしだって、いつまでも子供じゃないのよ? 最近はちゃんと夜会にだって出席してるもの」

「ええ、そうですね。以前よりも駄々を捏ねる回数は減りました。成長していらっしゃると思います」

「だっ、駄々なんて捏ねてないもん…!」


 二人の間に流れる穏やかな空気が、私の心まで温かく包み込んでくれるようだった。この澄んだ世界を、決して壊してはならないと。私は、今この場で、固く誓いを立てた。


(うん…やっぱり主従の信頼関係こそ至高よね…。軽口言い合える仲なんて最の高過ぎる。ありがとうレーニエ様、ありがとうローリスさん。お陰でとても良きものが見れましたわ)


 小さく両手を合わせ、静かに黙祷を捧げる。この世界で生きる意味が、また一つ増えた瞬間だった。


 テーブルの上には厨房の料理長が腕によりをかけて用意してくれた、ケーキと焼き菓子が並んでいる。その傍らではジェームズが、寸分の狂いも無い優雅な手付きで紅茶を淹れてくれていた。


「今日は私が料理長にお願いして、スミレの砂糖漬けを用意して貰いましたの。貴女の瞳の色と同じで、とても可愛らしいですわよ」

「まぁ…っ! わたくしのために? とっても嬉しいです!」


 私はジェームズが用意してくれたティーカップの中に、可憐なスミレの花びらを浮かべて見せる。淡いキャメル色の美しい紅茶の海で、その花びらは心地良さそうにゆらゆらと揺れていた。


「素敵…。こんな風に誰かと穏やかに紅茶を楽しめるなんて、わたくし、知りませんでしたわ。ありがとうございます、イザベラ様。

 次は是非とも、わたくしの屋敷にもいらして下さいね。精一杯頑張りますから!」

「ええ、楽しみにしておりますわ」


 レーニエと過ごす時間は、言葉の裏側を考える必要が無いくらい、とても優しい空気感に包まれていた。そんな彼女は私に、身の内に秘めている、いろんな事を教えてくれた。


 伯爵令嬢として抱える責務。好きでもない相手と婚約させられそうになった時の深い悲しみ。けれどその婚約の話はいつの間にか無くなっていて、兼ねてより交流のあった子爵家の幼馴染と、今は結婚を前提にお付き合いしているのだとか。


 なんて甘酸っぱい、青春なのだろう。そういう話も大好物である。


「まぁ! という事はつまり、彼は子爵家を継いだら貴女を迎えに来て下さるのね。なんて素晴らしいの!」

「はい、そうなんです…っ! わたくしには優秀な兄と、聡明な姉がおりますから、家の事は心配するな、って。それに両親も、この話にとても賛同してくれていて。それがすごく、嬉しいんです!」


 いくら当人同士が好き合っていても、それが実らないのが身分制度の辛い所でもある。けれどレーニエは、自分が抱える想いを諦めなかった。その結果、より良い未来が約束されたのだ。こんなの、自分の事のように嬉しくなってしまう。


「良かったわね、レーニエ様。貴女が勇気を出したからこそ、勝ち取れた結果だわ」

「…実は、この結果が得られたのも、イザベラ様のお陰なんです。彼の事を両親に相談しようって決意したのは、あのお茶会の日でしたから」

「そんな事ないわ。それは紛れもなく、貴女自身の力よ」


 気弱な少女の背中を後押し出来た事実は、とても誇らしく思う。けれど私個人が発した言葉に、力なんて無い。思うだけで行動に起こせない人間は、それこそ数え切れないくらいいる。そんな中で動き出せたレーニエは、もっと自信を持って良いと思うのだ。


「ありがとうございます、イザベラ様。……ところで、あの、その…、これは凄く個人的な話なんですけど……、言っても良いですか…?」

「……? ええ、構いませんわよ?」


 レーニエは両手で口元を隠して、私の隣へ身体を傾ける。その姿はまるで、内緒話をする学生のようだった。


「……イザベラ様の専属執事のジェームズさん…って、凄くその…素敵ですのね。イザベラ様へ向けられる眼差しは、とてもお優しいですし…、紅茶を淹れられる所作なんて、他では見た事が無い程に美しくて…。なんだかわたくし、勝手に頬が熱くなってしまいますわ……っ」


 言葉を区切ると、レーニエは愛らしい顔を隠し、俯いてしまった。恐らく自分の発言に、照れてしまっているのだろう。


 だが。


「────」


 一瞬真顔になる。だって彼女のその言葉には、私が胸の内で燻らせているオタク魂へ火をつけるのに、充分過ぎる程の威力があったから。


「レーニエ様。貴女、とても良い目をしておりますわねっ!!」

「ぁ、……え?」


 私の食い気味の返答に、レーニエは菫色の瞳をパチパチとさせながら驚いている。けれど私にはもう、そんな彼女の戸惑いを察知出来る余裕なんて無かった。


 だって私は、この世界へ突然迷い込んでしまってから今日まで、誰とも推しの良さを語り合えていなかったから!


「そう! そうなのよ! ジェームズは完壁なの! 彼の所作で、美しくない所なんて無いの! 紅茶を淹れる時の指先の角度なんて、計算尽くされた絵画以上! まさに歩く芸術品! それに彼が主人へ向ける眼差しには、忠誠と慈愛だけではない、鋭利な厳格さと深い知性、そしてほんの少しの憂いが複雑に絡み合っていて、その全てが素晴らしいハーモニーを奏でているの! 神がこの世界の創造主なら、こんなにも完璧なジェームズって一体何なの? そんなのわざわざ考えるまでも無いわ! 神が創り出した最高傑作! これがファイナルアンサー! 物語に出てくる騎士とは比べ物にならない、唯一無二の理想の──!」

「……お嬢様」


 あ。


 まずい。やり過ぎた。と、思ったけれど、残念ながら遅かった。いつの間にか私の背後に立っていたジェームズは、肩に優しく、しかし有無を言わせぬ程の圧を込めて手を置いた。


「そのように過分なお言葉、大変光栄ではございますが。出来れば私と二人きりの時に、もっと聞かせては頂けませんか?」


 耳元で静かに囁かれた声は、いつもより少しだけ低く、そしてとびっきり甘かった。


「……ッ!!!?」


 揶揄い混じりの声と確かに含まれている欲を感じて、顔が一瞬で火照ってしまう。さっきまでの饒舌が嘘のように無くなって、言葉なんて何も出て来なくなってしまった。


 ジェームズはそんな私の姿を見て、満足そうに口の端を微かに吊り上げる。それは普段の完璧な執事の仮面の下に隠されている、私だけに見せる意地悪な笑みだった。


(無理! 無理よこんなのカッコ良過ぎる!! お願いだからもっと自分の魅力を自覚して!!! エナドリだって過剰摂取したら命に関わるんだから!!!!)


 真っ赤になってしまった顔を、両手で覆い隠すようにして俯く。するとレーニエは、ハッと何かに気付き口元を押さえ、その瞳を見開いた。


「…っ!? ま、まさか…、イザベラ様とジェームズさんって……っ!!」


 キラキラと輝く菫色の瞳が、私とジェームズの間を戸惑いながらも嬉しそうに行き来する。その隣に控えるローリスも口元に笑みを浮かべ、瞼を伏せていた。


「ち、ちがっ、わないけど…っ! い、今のはその、ただの比喩表現だからっ! まだ、そのっ、そういうんじゃなくて…っ!!」


 反論の言葉を出そうにも、嘘はやっぱり言いたくなくて。そんな慌てふためく私の姿を、確信犯のジェームズが、それはそれは楽しそうに見下ろしているのだった。


「大丈夫ですよイザベラ様! わたくし、こう見えて口はとても固いのです。絶対に誰にも喋ったり致しませんわ」

「ええ、そうですわねお嬢様。私も影ながら見守らせて頂きたく思います」

「……え?」


 思わず顔を顰めてしまう。二人がくれたその言葉には、純粋な好意しか宿っていなかったから。


 ジェームズは公爵家の使用人であり、家督の継承権を持たない男爵家の次男。公爵令嬢がそんな人物と色恋に明け暮れるなんて、普通に考えたら有り得ない事なのに。


「人を愛するという気持ちは、誰にも邪魔されたくありませんものね…?」

「……!」


 彼女の菫色の瞳は、少しも揺らいでなんていなかった。ただ真っ直ぐに、私が彼を好いている事実を応援してくれていた。


 こうして会うのは今日を含めても、たった二回しか無いというのに。それなのに、どうして彼女はこんなにも、温かい言葉を掛けてくれるのだろうか。


 無償で与えられる優しさに触れて、瞼の裏が熱くなる。きっと私は今、酷い顔をしているに違いない。


「何か悩まれている事があったら、いつでも相談して下さいね? わたくしはイザベラ様の事を、大切な親友だと思っておりますから!」


 折角我慢していたのに、結局涙は溢れてしまった。サンルームに満ちているのは、甘いお菓子の香り。そして春の陽射しのように穏やかで、気まずくも平和な午後のひととき。


 この幸福な日常が、今の私の宝物。緩やかに過ぎ往く、時間の糸。それを一刻足りとも手放したく無くて、恋焦がれる乙女のように、自らの魂へ焼き付けた──。



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