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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
二章 社交界の蒼い月
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第二話


 私が社交界への進出に意欲を持って取り組んでいる頃。イザベラの父であるオルリック公爵もまた、変化の兆しを見せつつあるようだった。


 娘の失踪に心を疲弊させ悔恨に沈んでいた公爵は、私の活躍を耳にする度に、少しずつ生気を取り戻していったのである。


 そして宰相としての表向きの激務を終えた彼は、今日も一人静かに、終わりの見えない書類の山と向き合っていた。


「お父様、夜食をお持ちしましたわ」

「…ああ、イザベラか。すまないな、こんな時間まで呼び立ててしまったか」

「いいえ、私が勝手にした事です。ジェームズから聞きましたのよ。ここ最近は特に、仕事に追われていらっしゃると」


 私がこの広い屋敷で何の不自由も無く暮らせているのは、他でも無い公爵のお陰。彼が私を自分の娘として受け入れ、守ってくれているからに他ならない。


 その恩に、少しでも報いたい。何か私に、公爵を手伝える事は無いだろうかと。そうジェームズへ相談した時に提案されたのが、この『夜食』だった。


 公爵は食事の時間すら満足に確保出来ていないらしく、せめて屋敷に居る間だけでも栄養のある物を食べて欲しい。そんな思いを、屋敷の使用人達は抱えていたのだ。


「薄切りのローストビーフを挟んだサンドイッチです。温かいスープと一緒に、召し上がって下さい」

「そうだな…。では少し休憩にしよう。お前も座りなさい」

「はい、お父様」


 公爵は銀縁眼鏡を押し上げて、深く刻まれた眉間の皺を指で揉み解す。その仕草だけで、彼が抱える問題の深刻さが伝わってきた。


「隣国の──ドゥルカン帝国の新しい関税法がどうにも厄介でな。こちらの輸出産業の、大きな打撃になりかねんのだ…」


 独り言のように呟きながら、公爵は一口、また一口と、サンドイッチを頬張っていく。


 味の感想は無いけれど、さっきよりも眉間の皺が緩んでいるような気がするので、恐らく好みに合う味なのだろう。


 料理はもともと好きだったし、公爵邸の料理人達はみんなとても親切で、私が自分で作りたいと進言したら、快く厨房を貸し出してくれたのだ。


 どれが公爵の好物なのか、どの食材を使って良いのか。懇切丁寧に教えて貰えたのだ。もしかしたらジェームズが先に手を回していたのかもしれないけれど、それでも、やっぱり嬉しかったから。


 ただ不思議な事に、いざパンを作ろうと思っても、全然手が動いてくれなかったのだ。この身体はパン屋の娘、エリアーナである筈なのに。


 今の私の身体は運動神経が皆無な所も含め、前の世界のモノであると認識した方が良さそうである。


(味見をお願いしたジェームズからは無事に太鼓判を貰えたし、きっと美味しい筈。多分!)


 貴族の令嬢が自ら厨房に立つなど、常識で考れば有り得ない。でもだからこそ、感謝を伝える手段としての意味があると思うのだ。


「新しい関税法…ですか…」


 ふと、公爵の手元を覗き見る。資料の表題には、大きく『対ドゥルカン帝国 関税法改正に伴う影響評価報告書』と記されていた。


(これはまた、随分と難しそうな案件ね…)


 ドゥルカン帝国といえば。私がこの屋敷に来て間もない頃、ジェームズから『鉱物資源の利権問題』を抱えている国として教えられていた。


 緊張状態が続きながらも、別の案件で外交交渉をするというのは、宰相という立場上どうやっても避けられない。公爵の抱える心的疲労も、頷けるというもの。


 ヴァルトシュタイン辺境伯領の風土病対策については、あくまで私とジェームズが手を出せる範囲内で進めている。けれど私達が大きく動き出す為には、やはり宰相である公爵の権限と協力が必要不可欠。


 その為にも私は、ただの娘として甘えているだけでは駄目なのだ。右腕として信頼されるまでは行かなくとも、雑用を任せられる秘書くらいの関係は、少なくとも築かなければならない。


 恩返しとしての意味合いの方が勿論大きいが、基盤は出来るだけ堅い方が身動きも取りやすい。聖女がいつまでも動かないままである保証なんて、どこにも無いのだから。


「ねぇ、お父様。この資料、少し拝見してもよろしいかしら?」

「ん…? ああ、構わんが……汚すなよ?」


 私の申し出に公爵は訝しげな顔をしたが、すぐに諦めて資料を差し出してくれた。


 他人に自分の仕事を見られたくないという気持ちは、とても良く分かる。宰相という立場を考えても、彼は他人に弱味を見せられない筈だから。


 でもここで折れてくれたという事は、公爵は私を一人の人間として認めてくれているのだと思う。それがとても、有り難かった。


「ありがとうお父様」


 このチャンスは、絶対に逃せない。


 渡された資料に目を通す。するとそこには、衝撃的な数字が並んでいた。


 我が国グランヴェル王国の主要な輸出品である高品質な羊毛に対し、ドゥルカン帝国がこれまでの5%から30%という法外な関税を課す。という内容だった。


「これは…事実上の禁輸措置ですね。表向きは自国の羊毛産業の保護を謳っていますが、狙いはグランヴェル王国への経済的な圧力…」

「その通りだ。我が国の羊毛生産者達は、最大の得意先を失いかねないと悲鳴を上げている。

 かといって、こちらが報復関税で応じれば、両国の緊張は更に高まる。…つまり、八方塞がりだ」


 公爵は交渉による税率の引き下げを目指しているようだが、相手の狙いが明確である以上、難航するのは目に見えている。


 私は一枚ずつ、丁寧に資料をめくっていく。びっしりと書き込まれたドゥルカン帝国の法文。その難解な海の中に、微かな光りがある事を信じて。


「…随分と熱心だな。お前は、こういった資料を読んだ事でもあるのか?」

「政界の資料を読んだのは初めてですわ。でも、似たようなモノなら覚えがあります」


 元社会人として幾度と無く契約書を読み込んできた私にとって、条文に隠された意図と抜け道を探す作業はむしろ得意分野だった。


 そうでなければ、営業企画部の主任など勤まらない。


「……見つけましたわ。お父様、この条文です」


 私が指差し示したのは、関税法の末尾に記された補足条項だった。ご丁寧にも、極端に小さな文字で記載されている。なんて懐かしいのだろう。


「第7項『ただし、学術研究、または王家が認可した文化振興を目的として輸入される物品については、本法の適用外とする』。これを利用するんです」

「…我々が輸出するのはただの羊毛だ。文化とは何も関係が無いぞ?」

「いいえ、大いに関係あります。ここで鍵となってくるのは、個々人が持つ『解釈』なんです」


 発言の意図が分からず、公爵は先程からずっと怪訝な表情を浮かべている。それも当然の事だろう。何故なら私が指し示した道筋は、国家という枠組みからは、大きく外れてしまっているのだから。


「我々は羊毛を『商品』として輸出するのをやめるのです。代わりに、こう提案します。

『ドゥルカン帝国の伝統的な織物技術の研究と振興の為、我が国が所有する最高品質の羊毛を<研究材料>として提供する』と」

「…バカバカしい。そんな詭弁がまかり通るのなら、他国が先にやっている」

「それを通す為の手段ならありますわ。

 まず第一に、ドゥルカン帝国の織物職人組合と芸術家協会に話を持ち掛けます。彼らにとっても、我が国の羊毛は喉から手が出る程に欲しい逸品の筈。

 そんな彼らを先んじて取り込み、これは国家間の貿易ではなく、あくまでも『両国の文化交流』であると主張する。そこにこそ、勝機はあるんです」


 私の言葉に、公爵はハッと息を呑む。宰相である彼は、国家間の取り決めを真正面から捉え過ぎている。国家という広過ぎる枠組みから、より柔軟な民間レベルの交流へとシフトしていけば、自ずと道は開けていく。


「…なるほど。ではこの計画をより盤石なものとする為、両国の有志による非営利団体『文化交流協会』を設立したとしよう。

 その協会を通じ、羊毛を『輸出』では無く、『寄贈』という形で提供すれば、ドゥルカン帝国も『文化を弾圧する国』という悪評を恐れ、無下には扱えなくなる。と」


 流石はこの国の宰相。私が提示した草案から、こんなにも正確に意図を汲み取って貰えるなんて思わなかった。


 こういう人が、現代社会の大学教授をやっていたりするのだろう。そう考えたら、もっとこの人を尊敬しないといけないような気がしてきた。


「その通りですわ、お父様! この案は、高関税を回避するだけではありません。文化を尊重する国としての名声を得られ、更には相手国内に協力者を作る事も出来る。まさに一石三鳥の欲張り大作戦なのです!」


 私は両手を広げ、握った拳を力強く胸元へ引き寄せて見せる。これは相手国の条文をただ読むのでは無く、その裏にある意図を読み取り逆手に取る。


 社会人として培ってきた、私の最大の武器とも云える交渉術の一つだ。


「クックックッ…。そうか、そういう事か。法の抜け道を突くだけでは無く、大義名分を立て、相手を雁字搦めにする。

 実に高度な戦略だ。あのジェームズが、お前を気に入る理由がよく分かる」


 公爵は私の顔と資料を交互に見比べてから、喉奥で響くような笑声を漏らす。それは私がこの屋敷に来てから初めて見る、心からの笑顔だった。


「お褒めに預かり光栄です。もしよろしければ、今後もお父様のお傍で、お手伝いをさせて頂いても?」


 私は悪戯を思いついた猫のように、にっこりと笑ってみせる。それを見た彼は…父は、その瞳の奥に、確かな信頼の光を宿した。


「ああ…、それはまた、願ってもない事だ。イザベラ、明日からで良い。少しだけ私に、お前の時間をくれないか」


 その言葉は、私が単なる公爵家の『飾り』では無く、本当の『娘』として認められた。記念すべき瞬間だった──。




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