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偽りの悪役令嬢は屈しない  作者: さけのきりみ
二章 社交界の蒼い月
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第一話


 王妃主催のお茶会を境に、私の日常は変わった。

 以前とは比べ物にならない程に華々しく、慌ただしくも充実した日々を過ごさせて貰っている。中でもイザベラ・フォン・リリエンタールに対する世間の評価は、旬を迎えた魚のように上昇していた。

 

 記憶を失いながらも公爵令嬢としての誇りを失わない、気高い女性。

 王妃陛下にさえ一目置かれる程の、聡明な淑女。


 そんな好意的な噂が、尾びれを伴い社交界を駆け巡った結果。公爵邸には毎日のように、社交パーティの招待状が舞い込むようになったのである。


 そして今日もまた新しい手紙が、私の元へと届けられた。


「お嬢様、本日はベアトリス夫人との観劇会がございます。あと二時間ほど猶予がございますので、その間にこちらの招待状へ目をお通し下さい」

「ええ、分かったわ。でもその前に、少しだけ髪を押さえてて貰っても良い? 夫人に貰ったイヤリングを付けてみたいの」


 朝の支度を終えた私は、ベアトリス夫人から贈られたイヤリングを片手に持ち、今日の予定を伝えに来てくれたジェームズへと声を掛ける。


 確かな重みを感じるブルーダイヤモンドのイヤリングは、贔屓目で見る必要が無い程に素晴らしかった。


「構いません。ですがそういった用件は、執事の私ではなく、メイドに頼んだ方がよろしいのではありませんか?

 メイド長が嘆いておりましたよ。お嬢様は自分たちに、なかなか仕事を任せて下さらないのだと」

「着替えと入浴は手伝って貰っているわ。でもアクセサリーを選んで付けるくらいは、自分でやりたいのよ」


 白手袋に覆われたジェームズの大きな手のひらが、私の巻き髪をそっと持ち上げてくれる。鏡越しに優しく微笑みかけてみると、彼は小さく咳払いをした。


「ありがとうジェームズ。もしかして、ちょっと照れてる?」

「…執事に身支度を任せる令嬢などおりませんので」

「ふふっ、それもそうね。でも残念ながら、私は根っからの庶民なの。だから貴方の前にいる時くらいは、ありのままの私でいさせて欲しいわ」


 開いた窓から差し込む穏やかな陽光が、私と彼の赤くなった頬を淡く照らしている。


 ジェームズとは先日、互いの想いを確かめ合ったけれど。それで私達の関係が大きく進展したかと問われれば、答えは残念ながらNOである。


 むしろ私が忙しくなり過ぎてしまって、甘い空気を味わう暇さえ全然無い。だからこそ、こうして二人だけでゆっくり過ごす時間というのは、とても貴重なのだ。


「よし、付けれた! やっぱりベアトリス夫人が選ぶだけあって、センスが良いわね。それに、とっても可愛いし!」


 ブルーダイヤモンドのイヤリングは、私が首を傾ける度に、澄んだ青空を小さく揺り動かしている。王都ブティック協会の会長がわざわざ選び、贈ってくれたこのイヤリングは、驚くくらいに今の私に馴染んでいた。


 今日のドレスは、光沢のあるサテンで仕立てられたネイビーブルーのイブニングドレス。胸元の露出は極力抑えて、その分スカートには優雅な膨らみを持たせている。耳元で控えめに輝く大粒の宝石が、丁度良い引き立て役になってくれていた。


「とても良くお似合いです。ベアトリス夫人も、きっとお喜びになる事でしょう」

「やった~!」

「…ですが、お嬢様。本日も一点だけ、ご忠告させて頂いてもよろしいですか?」

「………あ、はい。なんでしょう…?」


 鏡に映るジェームズの蒼い瞳が、不穏な影を隠そうともせずに私を見下ろしている。声のトーンも、いつもより少しだけ低い。圧のある顔と居た堪れない空気感に、思わず背筋がピンと伸びた。


「夫人との観劇会では他にも多くの貴族、特に若い独身男性客が席を連ねるでしょう。彼らは公爵令嬢たる貴女に、社交辞令を超えた不躾な接触を試みる可能性があります」

「う、うん…。まぁ不躾かどうかは置いといて、挨拶くらいはするよね~」

「…お嬢様」

「き、聞いてるよ! それで…ジェームズは私に、どうして欲しいのかな?」


 私が内心冷や汗を流しながら笑みを向けると、彼は一瞬だけ言葉を切る。その瞳の奥には、以前には無かった筈の、鋭い冷気が宿っているように感じられた。


 繰り返すようだが、私達の関係はあの日から特に何も進展していない。でもその後のジェームズの様子がどうにも、変わったように思うのだ。明らかに、おかしくなっている。


「どこの馬の骨とも知れぬ輩に、興味本位で公爵家の内情を知られるという事態は、断じて避けねばなりません。彼らは貴女を『公爵家の令嬢』としてでは無く、『記憶を失った話題の女性』として品定めをしてきます。

 くれぐれも彼らの誘いに安易に応じたり、不必要な会話を交わしたりなさいませんよう、ご注意下さい」


 一見無表情。でもその裏には、有無を言わせぬ圧力が滲んでいた。


 正直言って、こういう時のジェームズは、ちょっとどころじゃないくらいに怖い。もし私が今この場で誰かの愚痴をこぼしたら、その瞬間、その人の安否が決定してしまいそうだから。


「大丈夫よ。だって貴方の護衛は完璧なんだもの。何も心配いらないわ」


 敢えて彼が安心する言葉を選んだつもりだけど、ジェームズはまだ納得していないようだった。


 推しに四六時中見守られる生活は、まさに天国。不満なんて無い。でも向けられるその視線が、あまりにも強過ぎるように感じられて、時々どうしようもなく不安になってしまうのだ。


「…常にお傍に控える心積りではありますが。もし厄介な人物が近付いて来た暁には、『執事が厳しく禁じている』とでもお伝え下さい。

 主の御足元に、従者がひれ伏すのは道理です。露払いは、私の役割ですので」


 彼は私の手を取り、その指先に己の手を絡める。枷を嵌めるような仕草に、心臓が大きく跳ねた。


 これはもう忠実な執事というよりも、過保護な番犬と称する方が正しいのかもしれない。物理的に噛まれる日が来る可能性を考えて、魂が震える。


 でもそういう所も好きだと思えるから、始末に負えないのである。


「ジェームズって本当に心配性だよね~。でも私だって、いざって時はちゃんと戦えるよ? 王妃陛下との論戦で、これでも結構自信が付いたんだもの」


 拳で戦うのは流石に無理だけど、言葉の応酬であれば負ける気なんてしない。そう思えるくらい、カトリーヌ王妃は強敵だったのだ。あの人を納得させる事が出来たのだから、少しくらい胸を張ったって許される筈である。


「よ~し。時間も惜しいし、そろそろ招待状のチェックをやっていこう!」


 不穏な空気を掻き消すように、軽く両手を叩く。するとジェームズは観念したとでも言うかのように、僅かに肩を竦めて見せた。


「……貴女には敵いませんね。私の方である程度の選別は済ませておりますので、お嬢様は安心して中身をご確認下さい」

「うぐっ…、あの時は本当にごめんね。まさか脅迫状が入ってるとは思わなかったから…」


 社交界に無事返り咲いたとはいえ、イザベラの悪行を無かった事には出来ない。


 過去の罪を蒸し返す人間は私が思う以上に多く、添えられた手紙に刃物が入っている事もあったから。そんな状況で無防備に手紙の封を開けるだなんて、とてもじゃないけど無理だった。


(ん? もしかしなくても、ジェームズが過保護になった原因って、コレなのでは……?)


 刃物が入っていただけで特に怪我はしていないのだが、それでもあの時のジェームズの取り乱し様は酷かった。


 送り主の安否を確認しようにも、それを聞く相手がジェームズしかいないから、どうにも憚られてしまう。せめて命はあって欲しいと思うが、それを心配するのは、私では無い。


 テーブルの上に丁寧に積み上げられた招待状の中から、私は最初の一枚を取り出した。


「えっと…? んん? えぇ~なんで一昨日行ったばかりのワルツ子爵から招待状が来てるの~…? 私から話す事なんて何も無いのにぃ~…」

「恐らくですが、近日中に出港予定の商船について、意見が欲しいのだと思われます」

「なによそれ…。そんなの別に私じゃなくても良いじゃない。まぁ、子爵の話は新鮮だったし…わりと面白かったけど。でもあの人、私の意見なんて全然求めて無かったよ? むしろ自分の話しかしてなかったと思うんだけど?」


 子爵家で行われた晩餐会には、商船に出資する多くの貴族が参加していた。もしかしたら会えるかも…と期待していた主人公達の姿は、残念ながら無かったけれど。それ以上に、実のある話を聞く事が出来た。


 イザベラは、グランヴェル王国宰相の一人娘。そういった観点から見ても、踏み込んだ話をした所で不審には思われないのだ。まさに役得である。


「ええ。だからこそ然るべき場で、お嬢様のご意見を伺いたいと考えられたのでしょう。子爵の話を熱心に聞かれていたのは、後にも先にもお嬢様だけでしたので」

「勝手に仲間認定しないでよぉ~…。まぁでも、手札は多ければ多い程良いわけだし。ワルツ子爵も、別に悪い人では無かったわ。釣れた魚を逃がすだなんて、そんな勿体無い事しちゃダメ。

 ……うん! ここは子爵の誘いに応じましょう! スケジュールを確認して貰える?」

「畏まりました。来週末でしたら、午前に空きがございます」


 私はインク瓶に浸したままのガラスペンを掬い上げ、慣れた手付きで返信用の手紙を書き始める。


 前の世界で得た知識と経験だけでは、今の私は成り立たない。社交をこなす日々はいつも私に、新たな気付きを与えてくれていた──。




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