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第十二話

 王妃は私との対話の後、何事もなかったかのように他の貴婦人達との歓談に戻っている。しかし会場の空気は明らかに変わっていた。私に向けられる視線から侮蔑や好奇の色は消え、代わりに畏怖と僅かな賞賛が混じり合っている。


 成果は十二分だった。公爵家の威厳を取り戻す事に、私は成功したのだ。今後、王妃が反公爵派の旗を性急に降ろす事は無いだろうが、少なくとも公爵家を単なる敵ではなく、対等な交渉相手として認めざるを得なくなった筈である。


(はぁ~~~、疲れたぁ~~…ッ!

 もう…、もうなにも考えたくない…。一生分の脳みそを使い果たした気分…。はやく推しの…、推しの顔が、見たい、みたいよぉぉ~~~!!)


 張り詰めていた緊張の糸が緩んだ途端、凄まじい疲労感がどっと押し寄せてくる。早くジェームズに会いたい。会って今日の勇気を、頑張りを褒めて欲しい。その一心で空中庭園を後にしようと席を立ち上がった、その時だった。


「あ、あの…イザベラ、様…」


 か細い、鈴の鳴るような声に呼び止められる。視線を向けた先に淡い若草色のドレスを身に纏った、儚げな印象の令嬢が緊張した面持ちで立っていた。派手な装飾は無く、結い上げた栗色の髪には小さな白い花が飾られているだけ。多くの煌びやかな貴婦人達が居並ぶこの会場で、彼女は春の野に咲くスミレのように控えめで目立たない存在だった。


(この娘は確か、フルール伯爵家の令嬢レーニエね。伯爵家のご令嬢が一体私に何の用かしら…?)


 ジェームズが用意してくれた、貴婦人&令嬢リスト。その片隅に、確かに彼女は存在していた。

 私の視線に気付いたレーニエは慌ててスカートの裾をつまみ、ぎこちないながらも丁寧なカーテシーをしてみせる。その必死な姿にかつての自分を重ねてしまい、自然と頬が緩んだ。


「お、お引き止めして、申し訳ありません……!」

「フルール伯爵令嬢。私に何かご用かしら?」

「は、はい! その…先程の、王妃陛下とのやり取り、拝見しておりました。あまりにも、その…素晴らしくて…!」


 レーニエは感極まったようにぎゅっと拳を握り締め、憧れの眼差しで私を見つめる。その手は気の所為か、微かに揺れているようだった。


「わたくしは、ずっと…自分のことが嫌いでした。社交界ではいつも周りのご令嬢方の意見に合わせてばかり。流行りの色やデザインのドレスを着て、当たり障りのない会話をして…。自分というものが、どこにも無いような気がして…」

「…………」


 涙を懸命に堪えながら、彼女は必死に言葉を紡いでいる。語られる内容は社交界に生きる人間として、あまり褒められたモノでは無いけれど。それでも、それだけ彼女の悩みが、切実である事を物語っていた。


「ですが、イザベラ様は違いました。ご自身の意志で、貴女様だけの色を選び、誰にも媚びず堂々とその想いを主張なさった。記憶を失うという、どれほどお辛い状況であるかも分からないのに…。そのお姿が、あまりにも…眩しかったから…!

 わたくしも、貴女様のようになりたい…! 自分の意志で、強く、美しく生きたいと、そう思いましたの…!」

「……っ!」


 彼女の言葉が、無垢なその声が、胸の奥で温かく響き渡る。

 この世界に来てから、私はずっと『イザベラ』という借り物の仮面を被ってきた。けれどレーニエが見ているのは、悪役令嬢でも、パン屋の娘でもない。今この場に立つ『私』そのものだった。


(どうしよう…、すごく…嬉しい…っ…)


 これは社交辞令では無かった。心の底から溢れ出た、魂の叫びだった。敵意と探り合いに満ちるこの場所で初めて向けられた、混じり気の無い賞賛と憧憬の念。誰かに認められる。誰かの心を動かす。前の世界では決して得られなかったその実感が、私の胸を満たしていく。

 彼女の言葉は乾ききっていた私の魂に、初めて温かい雫を落としてくれたのだ。


「レーニエ様、顔を上げてくださいな」


 彼女のか細い手に、私はそっと自分の手を重ねる。レーニエはびくりと肩を震わせながらも、おずおずと顔を上げる。小動物を思わせるようなその仕草に、思わず和んでしまいそうだった。


「貴女はご自分の事を『色が無い』とおっしゃるけれど、私にはそうは見えませんわ。貴女のその瞳は雨上がりのスミレのように、とても清らかに澄んだ色をしています。それは誰にも真似できない、貴女だけの色です」

「わ、わたくしだけの…?」

「ええ。流行を追う事が悪いわけではありません。ですがそれに流されて自分を見失ってしまっては、どんなに美しいドレスも色褪せてしまう。大切なのは自分がどうありたいのか、その意志を持つ事ですわ」


 大きな菫色の瞳から、大粒の雫が零れ落ちる。慌てて涙を拭い決意を新たにした彼女の顔からは、先程までの儚げな印象は無くなっていた。


「…っ、ありがとう、ございます…! イザベラ様…! わたくしも、貴女様のように、自分の色を見つけます! もう、誰かの真似をするのは、やめにしますわ!」


 代わりに浮かんだ彼女の笑みは、この空中庭園に咲き誇るどの花よりも愛らしかった。私とレーニエのやり取りは、いつしか周囲の貴婦人達の注目を集めていたらしい。彼女たちの間から好意的な囁き声が聞こえてくる。どうやら私は社交界という戦場で、思いがけず最初の支持者を得る事に成功したようだ。


「レーニエ様。もしよろしければ、今度私の屋敷でお茶でもいかがかしら? 貴女のお話、もっと聞かせていただきたいわ」

「はい…! はいっ! 喜んで!」


 彼女は何度も何度も、こくこくと頷いてくれる。その純粋な姿に、私の口元にも自然と心からの笑みが浮かぶ。とてもささやかで、けれど何よりも頼もしい絆が生まれた瞬間だった。


 私は冷めた紅茶を静かに置き、今度こそ空中庭園を後にする。ジェームズが待つ馬車へ戻ったら、今日の勝利を一番に報告しよう。きっと彼はいつもの無表情の裏で、誇らしげに微笑んでくれるに違いないから──。


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