第1話 爆炎のゴルザーク
魔王軍の転移陣が、静かに次元の壁を裂いた。
到達地点は、文明の目を避けた“未開の地”――北海道・某山奥。
魔王、満足げに周囲を見渡す。
「はて…魔力が薄いとは聞いておったが、ここまでとは」
すぐに首をかしげ、参謀長グルドゥ=メルメルに魔力測定器の確認を促した。
「魔王様…申し上げにくいのですが……計測に誤りがあったようです。これは“魔力が薄い”のではなく、“魔力が全くない”ようです」
「……なに?」
「ゼロです。完全に。魔力濃度、検出不能。魔力文明以前の、物理世界です」
魔王様は一瞬沈黙し、そして笑った。
「ふはははは!それならば好都合!魔力を扱える者おらぬなら、我が軍の魔法が絶対の力となる!
この地に拠点を築き、まずは地球の支配構造を調査するのだ!」
部下たちは魔王様の言葉に従い、山奥にテント型の魔王軍拠点を設営し始めた。
数時間後、拠点は完成し、兵士たちは休憩に入っていた。
「くくく、ここが魔王城として、恐怖の対象になる日もそう遠くはない」
魔王は、拠点の将来の姿を描いた図面へと目を落とす。
そのとき――外から、低く、湿ったようなうめき声が響いた。
「……グゥゥゥ……」
テントの外に現れたのは、巨大な毛むくじゃらの獣。
体長は2メートルを超え、肩幅は人間の倍以上。
黒褐色の毛皮に覆われたその肉体は、筋肉の塊であり、前足には鋭い鉤爪が光っていた。
兵士たちはざわめいた。
「なんだ、あれは……」
「地球の魔獣か?」
「いや、魔力反応はゼロです……ただの獣……のはず……」
参謀長グルドゥ=メルメルが魔力測定器を再確認しながら呟いた。
「この生物に魔力は一切ありません……だが、異常なまでの生命力を感じます。地球では“羆”と呼ばれるようです」
その名を聞いても、魔王軍には何の警戒も生まれなかった。
四天王の一人、爆炎のゴルザークが前に出る。
「見た目だけは立派だが、ただの獣だろう。魔王様の手を煩わせるまでもない。
我が爆炎魔法で、焼き払ってくれるわ!」
ゴルザークは詠唱を始めた。
「炎よ、我が拳に集い、敵を焼き尽くせ――《紅蓮爆滅弾》」
魔力を帯びた火球が羆の鼻先に飛んだ。
だが、羆は微動だにせず、毛皮がわずかに焦げただけだった。
その瞬間、空気が変わった。
羆が前足を振り上げる。
その一撃は、体重300kg超の質量と、握力400kg以上の前肢による“物理の暴力”だった。
四天王の防御力は、紙のように打ち破られた。
彼の体は宙を舞い、テントの支柱に叩きつけられる。
「ぐっ……!」
立ち上がろうとしたゴルザークに、羆が接近。
その顎が肩に食い込み、咬合力500kg以上の牙が骨を砕く音が響いた。
兵士たちは呆然とし、魔王様は言葉を失った。
「……撤退を……」
そう呟いた瞬間、羆はゴルザークの体を咥えたまま、森の奥へと引きずり込んでいった。
その背中は、まるで“誰にも邪魔させない”という意思を持っているかのようだった。
魔王様は震える声で言った。
「……あれは……ただの獣ではない……」
森の中から、枝の折れる音と、肉を引き裂くような音、そして、ゴルザークの断末魔の叫びが響いていた。




