第七話
「笑顔で素直に対応していれば大丈夫ですよ、ヤングさん。何も心配することはありません」
俺の前に立っているのは、どこか抜けた感じのある少女──リリスだ。
「あなたの死亡証明、身分証明書は私が持っています。準備はバッチリですから!」
彼女はきちんと整理された黒のバインダーを抱きしめながら、地獄に来たばかりの俺を三階のフロアまで案内してくれた。地獄の税関みたいな部署があるフロアだ。
かつて俺は、リリスのことを現世に入り込んだ悪魔だと誤解し、散々に痛めつけたあげく地獄へと叩き返したことがあった。けれど彼女は俺を恨むどころか、行く当てを失った俺に真心から手を差し伸べてくれた。
彼女はそんな風に、誰に対しても分け隔てなく親切に接することのできる女の子なのだ。
けれど彼女が「凌辱」という単語を口にしたときだけは、なぜだかはわからないけれど、興奮しているようにも見えた。
「体調は大丈夫ですか? 何か異常があれば言ってくださいね」
俺は自分の手をみた。現世では曖昧な霊体でしかなかった俺は、地獄に来てから再び生前と変わらない肉の体を取り戻していた。
けれどリリスによれば、そんな俺でもすでに全く別の生き物に生まれ変わっている、ということらしかった。
「ここは地獄の第一層目です。地獄の住民たちが生活をしている場所で、『大地獄生活圏』とも呼ばれています」
リリスは歩きながらそう説明してくれた。
「それから、ここはいわゆる『キリスト教系の地獄』になります。生前にカトリックやプロテスタントを信仰していたものの、なんらかの理由で天国には行けなかった人々が、死後にここにやって来るのであります」
「ここ以外にも地獄があるのか?」
「はい。地獄であれ天国であれ、宗教や文化によって様々です。人間の感覚でいえば、国ごとに法律や国土による線引きが行われているようなものです。キリスト教系の地獄も、仏教やエジプトの冥界と明確に次元の壁で区切られているのですよ。また、貨幣文化も独特です。地獄の貨幣単位は『カラット』で、千以上では単位をKの略記号で置き換えることも多いですね」
俺が人間の姿をしているからかも知れないが、すれ違う連中がじろじろと俺のことを見ていた。
リリスの案内の下、俺たちはまさに税関としか言いようのない場所までやって来た。
「係員に名前を申告して、資料を渡してください」リリスは必要な書類を俺に手渡した。「後は質問に誠実に答えるだけです。難しいことは何もありません。では、私は先に出口で待っていますので」
書類を受け取った途端、今更ながら緊張して来た。おかしなものだ。口から鮮血を滴らせたビルの五階分はあろうかというベヒモス相手にも動じなかった俺が、税関の手続きで不安を感じるだなんて。
俺はカウンターに向かい、内心戦々恐々としつつ資料を差し出した。
係員は緑色の肌をしたエルフだった。彼はさっと資料に目を通してから、宇宙人みたいに細くて長い指でパソコンに情報を入力していった。
「ジョン──ヤングさん?」
「ああ」
「証明書はお持ちですか?」
「ここだ」
すべて順調に進んでいるように見えたそのとき、係員が突然大声を上げた。
「えっ! ちょっと待ってくれ、あんた、あのジョン・ヤングなのか!」
騒がしかったフロアが一瞬で静まり返った。