髙橋先輩再登場
「どうしたんですか? 津村先生」
髙橋から二時間目と三時間目の間の中休みに声をかけられた。
大介の顔色から何かを察し、髙橋は教室に向かいながら話をしようと言う。
職員室から出ると髙橋は、話し始めた。
「教師にはいくつかタイプがあるんです。例えば栗原さんは、ボス猿タイプです。力で自分の存在を示していくタイプ。集団を組織するには力も必要だってことです。その代わり、子供が求めに応じることが出来たときは見逃さずに子供を認めてやる。飴と鞭の使い方が絶妙ですね、栗原さんは。人間的な魅力があれば怖い大人にも子供はついていくんだねぇ。」
髙橋は隠れそうな髪の毛を掻き揚げながら話し続ける。ぼさぼさの髪の毛は天然パーマだろうか。それともパーマを当てているのだろうか。当てたパーマが解けつつある過程だとしても、どこかにセンスを感じてしまうのは、この先輩の話に引き込まれているからだろうか。大介はこの職場で初めて感じる親近感と対極にあるはずの緊張感を同時に自分の中に感じる。
「小学校教師に典型なのがお母さんタイプ。全てを包み込むような優しさで教室を充たしていく。このタイプは低学年に強いが、高学年だと崩壊することもよくある。あんまりお母さんタイプは高学年は持たないけどね」
「あの人は、熱血教師タイプ、体育会系の熱さで押し切ってくタイプです。こういうやり方は、昔は評価された。いや、評価されたというか、教育効果は高かった。ぼくも五年目くらいまでは熱血教師タイプだったなぁ。自分の教わった先生にもこういう人は多くて、人気もあった」
大介は、テレビでよく目にする元スポーツ選手がバラエティ番組で子供たちを厳しく指導している場面を思い出し、それに髙橋を重ねてみた。普段子供たちと過ごしている今の髙橋とはかけ離れていて思わず口の中で吹き出した。
「そういう熱血タイプは最近徐々に、しかし確実に通用しなくなってきてる。三十人子供がいたら五人は途中でその指導についていけなくなる。教師の掌からこぼれちゃいます。目が虚ろになってくるね。ひどい時には不登校になる。僕もそんな子供を出してしまったことがある。自分でも焦ってね。自分の思いを伝えようとますますこちらは熱くなるんだけど、そうなればその子達はどんどん離れていく」
髙橋は大介を見据えた。いつもは見せない真剣な面持ちだ。
「教師はどんな大義名分、主義主張があろうが、不登校児をだしちゃったら、だめだよ。自分のやり方かえなきゃねぇ」
「たしかに」
大介がそう言うと同時に授業終了のチャイムが鳴って、子供たちが教室から飛び出してきた。
「走るな!」
大介は子供達の背中に怒鳴った。すぐに歩き出す子、後ろを振り返る子、聞かずに走り去る子が、階段を下りていった。
「あれも、面白いよね」
目を細めて髙橋が言った。
「何がですか? あぶないだけっすよ」
「子供って必ず廊下走るでしょ?」
「それ、面白いですか?」
「『廊下を走らせない』っていうのは教師の普遍的な課題じゃないですか。永遠のテーマだとも言える。子供にいくら説教しても、どなりちらしても廊下は走る」
「『廊下を走らせない』、『宿題をやらせる』ってのは古くて新しいテーマだよ」
「先生のクラスでもそうですか?」
「当たり前だよ」
「わたしは大学出たばかりの頃、東京のある私立に非常勤で一年間やってたことがあるんです」
各クラスが休み時間に入っている。教室で本を読んだり、折り紙をしたり、談笑している子供たちが和やかに過ごしている。
「そこは廊下を走る子供が一人もいないんだよ。ほんとに」
「へぇー。すごいっすね」
「すごいかなぁ。ぼくはすごいとは思わなかった」
「どういうことですか?」
「走ったりすると、校長室に呼ばれて、一人で説教を受けるわけ、教頭と校長に」
「徹底してますね」
「まぁ走るやつがほとんどいないから、そんな指導ができるわけだけどさ」
「ぼくは、その学校は一年で失礼したよ」
「どうしてですか?」
「だってつまらんだろぅ? 当然だが私立は入試で子供を選別してるし、その選別は学力だけじゃなくて、教師の指示を聞いてそれを破らない、そんな子供を選んで教育しているんだ。ここみたいに、いろんな背景をもって千差万別な問題を抱えている子供達ではない。その私立にはまた違う教育課題があるから廊下を走る子がいないからって決して教師としての仕事は楽ではないよ」
「私立の小学校なんて、おれには想像が出来ないですね」
「いくら言っても廊下を走る子供にどうやって走らせないように言うこと聞かせるか。宿題やらない子供にどうやって宿題やらさせるか、それを考えんのが楽しいんじゃないの? 少なくともそこにやり甲斐を感じないとこの仕事はつらいだけだな」
「そう言えば、この前宿題を忘れたことを理由に体罰をした教師が処分されたって聞きました」
「そういう教師多いですね」
「先生は全員に宿題出させたことありますか?」
「あるよ。でもせいぜい一年に二、三回だよ」髙橋は、視線をまっすぐ進むほうに注ぎながらも、表情は柔和に語る。
「それじゃ、次の時間理科室で実験あるからこの辺で」
そう言って、理科室などの特別教室のあるのある棟へ続く廊下へ早足で歩いていった。
髙橋に去られて急に心細くなった気すらしてきた。この学校に赴任してきてから、職員室でも教室でも気持ちが落ち着くことは一瞬たりとも無かった気がする。それを髙橋と肩を並べて歩いたほんの数分で、これまで当たり前に感じてきた体のこわばりがほぐれている。少しだが、自分ももう少し頑張ってみようかという気持ちが入道雲のようにもくもくと湧きあがってきた。気がつくと大介は、髙橋の背中を追いかけていた。
「髙橋先生」
呼び止められて、髙橋が振り向く。
「今度、授業を見に行ってもいいですか?」
「もちろん、いつでもいらっしゃい。歓迎します」
「ありがとうございます」
思わず笑顔が湧いてくるように自然に顔に浮ぶ。
「津村先生」
高橋も笑顔で言う。
「はい?」
「廊下を走る子どもの気持ちが分かったようですね」
「あ・・・・・・」
爽やかな笑顔を残して、くるりと前を向きなおして歩き出す髙橋を見送る大介の耳に、チャイムの音が聞こえている。
「そう言えば、髙橋さんは何タイプなんだろ・・・・・・」
つづく