その二
カルロは毎日のようにわたくしを訪ね、復縁を迫ってきました。幸か不幸か、わたくしが婚約解消を申し出た話は両親まで伝わりませんでした。もともと、この縁談はわたくしからお願いしたことであり、格上の公爵家の令息との婚約です。勝手にお断りしたと知れば、両親は大激怒したにちがいありません。最悪、勘当もあり得る話でした。軍師マルタが怒るのも、もっともな行動だったのです。
しかしながら、わたくしの思いは変わりませんでした。毎日、花やお菓子、アクセサリーを持って訪ねてくるカルロが鬱陶しくもありました。どうすればあきらめてくれるか……から、嫌われてくれるかに思考はシフトしていきました。
「わたくしを愛しているとおっしゃるのなら、それを証明してみてくださいな?」
と、わたくしは無理な要求をするようになりました。
「わたくし、貴重な香辛料がたっぷりかかったアイスクリームを食べたいわ! それも王室のパティシエが作ったやつ!」
とか、
「妃殿下がお持ちのブルーダイヤのネックレスがほしい!」
とか、
「男性が女装しているところを見てみたいわ。今度、女の恰好で訪ねてきてくださいよ」
とか、
「幻の谷に住むというドラゴンの持つ宝珠がほしいわ!」
とか……ですわね。貴重な香辛料というのは、一粒で黄金一粒の価値があります。そして、アイスクリームは言わずと知れた上流貴族の食べ物。ここまではちょっと贅沢なおねだりってところですが、王室の台所からそれを溶けないように運ぶのはなかなか大変だったようです。
次の妃殿下のブルーダイヤネックレスはこの世に一つしかないものですし、ブルーダイヤ自体が大変珍しい物なので似た物を作るのも不可能です。危うく王城へ泥棒に入りかねなかったので、これは止めました。カルロが逮捕されるのは構わないけど、わたくしまで犯罪教唆で捕まったらたまらないもの。
男性が女装して……は本当にやってきました。母上のドレスでしょうか。キツキツの状態で訪ねてきたので、わたくし大慌てで従者に服を取りに行かせました。いや、だって……胸のあいた部分から、胸毛がチロチロと出ているんですのよ? 髪まで女性らしいシニヨンにしてましたけども、レースの袖から生えた腕は筋肉質ですし、あまりのおぞましさにわたくしの背筋は凍りました。わたくしまで変な噂を立てられたら、たまりません。ますます彼のことが嫌いになりました。
そして、幻の谷に住むドラゴンの宝珠。こちらは秘境へ冒険の旅に出ないといけません。旅装を整え、最後の別れにカルロが来た時、わたくしは胸をなで下ろしました。もう二度と戻ってこなくていいから、頑張ってきてね……と心のなかで応援し、送り出したのです。これで、しつこい訪問に悩まされることもない。わたくしが死ぬ予定の未来にカルロはいない──そう思うと、嬉しくて小躍りしてしまいました。
その数日後、足を骨折したとかで、カルロは秘境へたどり着くまえに戻ってきました。カンカンに怒ったご両親が強制的に連れ戻したそうです。なんと、情けない! 気概のない男なのでしょう!
ふたたび、わたくしの前に現れたカルロは少し痩せて貧相になっていました。長い黒髪の艶もすっかり失われています。松葉杖をついてまで訪ねるのは、自分の頑張りを評価してもらいたいからでしょうか。
「愛するルーチャ、すまない……ケガが治ったら、必ずまた宝珠を探しに行く。両親にはもちろん、君のことはなにも話してないよ。安心して待っていてくれ」
そんなことをおっしゃられても、わたくしが死ぬまであと二日。婚約お披露目パーティの日、わたくしはこのカルロに謂われのないことで断罪される運命なのです。
わたくしが深く長いため息をつくと、察したマルタがドアを開けました。お帰りくださいませの合図です。うざったいので、さっさと帰ってほしいのにカルロはグズグズしていました。うつむき加減にこちらをうかがう顔は、やつれていても色気があります。やはりイケメンではあります。けれども、わたくしはちっとも、ときめきませんでした。
「あのぅ……ルーチャ……君のことで、よからぬ噂を耳にしてね……」
「なんですの??」
「あの……先日、旅先から城に運びこまれた時にクララが……」
「クララさんとはもう接触しないとお約束したのではなかったですか?」
「そ、そうなんだけど、向こうから一方的に訪ねてきたんだ。僕も憔悴しきっていたし、召使いが勝手に部屋へ通してしまったんだよ」
カルロの話によると、クララは果物に金に獣肉に……たくさんのお土産を持って訪ねてきたらしいです。目から涙をポロポロこぼし、寝ているカルロにかぶさってきたといいます。
「あ、足がこんな状態だから、避けようにも避けれない状況で……君に黙っていたら裏切りになると思い、話したんだ。どうか、僕のことを信用してほしい」
「もう、会わないという約束は破りましたわよね?」
「でも、不可抗力で……」
「言い訳は聞きたくありません!」
「すまないっ!! このとおりだ! 今回だけは見逃してくれ!!」
カルロが松葉杖から手を放し、半ば倒れるようにひざまずいたものですから、わたくし気持ち悪いのを通り越して恐怖しました。
「やめてくださいよ、もう……」
「君が許してくれるまでやめない」
目をそらせば、壁女が懸命に笑いをこらえています。マルタ、笑いごとじゃなくってよ? このままいくと、わたくし二日後に死んでしまうかもしれないじゃないの!!
「では、二日後の婚約お披露目パーティを欠席していただけますか??」
「へ!?……どうして? 僕たちの婚約パーティだよ? 主役の僕に欠席しろって……」
「詳しくは話せませんが、その日、あなたがいるとわたくしは死んでしまう運命なのです」
「君が死ぬ?」
「ええ。だから絶対に、なにがなんでも来ないでください。屋敷へ到着するまえに姿を消すとかいろいろ方法はあるでしょう?」
ひざまずいたまま、カルロはしばし考え込んでいました。わたくしはそんなカルロをまっすぐ見つめ、一瞬たりとも視線を外しませんでした。難しい顔で思考していたカルロはわたくしの視線に気づき、顔を真っ赤にしました。
「……わかった。君の言うとおりにするよ」
そこで、わたくしは壁と同化しているマルタとアイコンタクトをとりました。カルロのことは信用できませんけど、とりあえず違う未来は期待できそうです。
それにしてもこの男、自我というものがないんでしょうか? わたくしにとって、都合よく進んでいるとはいえ、不信感を募らせずにはいられませんでした。わたくしが一度経験した未来でも、こんなふうにクララの言いなりになっていたのかと思うと虫酸が走ります。さらにカルロはゾッとする話をしてから去っていきました。
「ルーチャ、クララから聞いたんだけど、君がヴェルデ伯爵と不倫してるって話……」
「ヴェルデ伯爵??……ああ、占星術に詳しい先生ですわね。わたくしの予知夢というか、未来のことで相談をしていました。その先生とわたくしが不倫してると??」
わたくしが死ぬ未来では、別の方が不倫相手ということになっていました。確実に未来は変わっているようです。ちなみにヴェルデ伯爵には、時間を遡るというわたくしの体験を相談していました。マルタの遠縁で信頼できる方です。
「す、すまない……僕はもちろんそんな話は信じていないよ? でも、君が他の男のものだったらと思うと心配で心配で……」
「もし、他の男のものだったら、どうするのです?? わたくしのことを家族や友人の前で断罪するおつもりですか?」
「そんなこと……」
カルロは追いすがるように見てきます。その疑る目は不快でした。
「よその女に言われたことで、わたくしを疑いたいのならお好きにどうぞ」
「疑ってなどいないよ。君のことを信じている」
「わたくしは、微塵もあなたのことを信じていないのですがね?」
「どうしてそんなことを言うんだ? 僕はこんなにも君に尽くしているじゃないか?」
「じゃあ、わたくしのどんなところが好きというのです? 意地悪で高飛車でワガママで、いいところなんか一つもないじゃないですか?」
「わからないけど、君が心のなかで泣いているように感じるんだよ。外見はゴージャスで自信満々に見えても、本当は怖がりで繊細な女の子……そう、君が社交デビューしたあの夜会からだよ。それまでは、君のことをそんなに好きじゃなかったかもしれない。でも、あの日を境に君を思い浮かべるだけで胸が苦しくなるんだ」
なんということでしょう。彼をクララに奪われるはずのあの日、ちょっとしたきっかけで彼の心はわたくしに傾いたのです。でも、わたくしはまだ、カルロのことを信じられませんでした。
「あなたは些細なことで衝動的に女性を好きになる人です。今はたまたま、わたくしに心が傾いているだけで、別の時にはクララさんを好きになることだってあり得るのです。だから、いっそのこと、わたくしが不倫したと思い込んでこのまま離れていってほしいとすら思います。ヴェルデ伯爵にご迷惑をおかけしてしまうので、嘘は言えませんが」
冷たく突っぱねるのは何度目でしょうか。目を見開き、彫像のごとく固まったカルロが動き出すまで時間がかかりました。数分かかって立ち上がった後、カルロは今にも泣き出しそうな顔で部屋から出て行きました。