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その一

 やめて、やめて! 全部嘘よ!! 助けてぇえええーーーー!


 叫んだとたん、目の前が真っ白になって、わたくしは本当に最期だと思いました。十六年の短い人生もこれで終わりかと。それなのに、刺された胸の強烈な痛みがフッと消え、血で汚れた気持ち悪さだけが残ったのです。

 気づくと、目の周りが生暖かく濡れておりました。金色の(おく)れ毛がチクチクと頬を刺し、自分が倒れている状態なのだとわかります。手足の感覚が戻ってきて、痺れた指を少しだけ動かせました。わたくしは大きく息を吸って吐き出しました。


(生きてる??)


 視界に映る白が自室の天井だとわかるまで、少し時間がかかりました。わたくし、全身汗だくで目覚めましたの。気持ちが悪かったのは汗をかいたからでした。でも、どういうことなのでしょう? 刺されてバルコニーから突き落とされたのに無傷だなんて……


「お嬢様、なにごとですか!? ものすごい雄叫びが聞こえましたが!!」


 侍女のマルタが飛び込んできました。狼狽しているくせにキッチリまとめ上げたお団子が少しも乱れていないのは、マルタらしいところです。彼女のキツい性格を現してますわよね。それに、雄叫びって……


「わたくし、どうしたのかしら? ここはわたくしの部屋?」

「まったくもう……寝ぼけてらっしゃるのですね? 驚かせないでくださいよ。ほぼ、野獣の咆哮でしたよ」


 マルタは黒い目を見開き、派手に安堵してみせました。この子、黙っていればかわいいんですけど。歯に衣着せぬ物言いなのは幼いころからです。わたくしとマルタは同い年。七、八歳のころから仕えてくれているので、容赦ないのです。表向きは令嬢と侍女という関係ですが、実際はなんでも言い合える幼なじみってところでしょうかね。


「あら、もうこんな時間! ルーチャお嬢様。すぐにお支度しないと! さ、ドレスに着替えましょう!」

「え? ドレス?」

「まだ、お昼寝モードですか? もう夕方になります。今日は楽しみにしてた夜会でしょ?」

「夜会?」

「妃殿下主催の夜会ですよ? 一ヶ月もまえからドレスも準備して、いよいよ社交デビューだ!……って、楽しみにしていたじゃないですか?」


 呆れ顔のマルタを前にわたくし、言葉を失いました。だって、その夜会はわたくしのなかで、とっくに終わったことだったんですもの。


「今日……今日って、何月何日?」

「そんなの決まっているじゃないですか……」


 マルタの教えてくれた日付は、ひと月前でした。


(どういうことなの!? 過去にさかのぼってる??)


 しかも、マルタが持ってきたドレス。わたくしの瞳と同じ青い生地に、自慢の金髪をイメージして金糸で縞模様が縫い込んであるんですの。スカート部分は夜明けの星空みたいにビーズでキラキラさせてますし、わたくし好みのド派手なドレスです。そう、覚えてますわ。わたくし、このドレスを着て初めての夜会に行きました。


 姿見の中、着付けされてどんどん完璧になっていく自分を見ながら、わたくしはこれまでのことを思い出していました。

 このあと、夜会へ行って妃殿下にご挨拶して……婚約者のカルロにエスコートしてもらおうとしたら、いなくて……たしか探したんですわよね……そしたらカルロったら……


「あっ、お嬢様。また歯ぎしりなんかして……お行儀が悪いですよ?」


 マルタに叱られました。わたくし、怒りでつい歯をギリギリやってしまいましたの。なぜ、怒りが湧いたかというと、婚約者の公爵令息カルロがわたくしの大っ嫌いなクララと仲良く談笑していたことを思い出したからです。

 このクララって、父親は地方の芋男爵。たいした教養も美貌も持ち合わせてないくせに、男に媚びを売るのが得意なふしだら女なのです。先日のお茶会でも話題に上りましたわ。男受けがいいのでしょう。栗色の猫っ毛をだらしなく垂らし、いかにも守ってくださいといわんばかりの弱々しい雰囲気を醸し出しているんです。こちらがハッキリ物を言っただけで、目をウルウルさせて「ごめんなさい」って謝るの。

 お茶会では、お友達みんながクララの悪口を言ってましたわ。噂だと、誰かの婚約者に色目を使ったとか。わたくし、まさか自分の婚約者がされているとは思ってもみなかったんですの。

 だから、夜会でカルロのことを上目で見るクララにブチン!と切れてしまったのです。それで、


「わたくしの婚約者に馴れ馴れしくしないでちょうだい! あなたとはお友達でもないし、パーティーでお会いするのは初めてでしょう? どうして、わたくしの友人のフリをしてカルロに近付くのです? 下心が見え見えなのよ! あなたの悪い噂は聞いてるんですからね!」


 言いたいことをすっかり吐き出しました。すると、クララは泣いて走り去ってしまったわ。

 それから数日後。カルロが婚約を解消してくれと言ってきました。君がそんなにヒドい人だとは思わなかった、僕はクララを愛してる、別れてくれと。


 わたくし、目の前が真っ暗になりました。でも、侯爵令嬢のわたくしとはちがい、クララは男爵の娘。公爵家の婿を取るには家格が低すぎます。ご両親に猛反対されたのでしょう。結局、わたくしとの婚約は解消されず、予定通りお披露目パーティーを開くこととなったのです。

 

 その時、なぜかカルロが呼んでもないクララを連れてきて、双方の親の前でわたくしが不倫していると、ありもしない話をでっち上げたのですわ。くわえて、わたくしがクララや他の令嬢をいじめていると、まったく身に覚えのないことを言って責め立てました。混乱したわたくしは、広間を飛び出して自分の部屋に行ったのです。少し風に当たろうとバルコニーへ出たところ、人がいて……そこで刺されたのですわ! それから突き落とされて……


 ブルブルッとわたくしは身震いしました。


「お嬢様?? どうされました?」


 心配そうなマルタに、わたくし命じました。


「ド、ドレス……ドレスを変えてちょーだいっっ!!」

「ほゎっ!?」

「だから、このドレスはダメなのっ!! 縁起が悪いから、ちがうドレスにするっっ!!」

「お嬢様、いい加減にしてください! このドレスは一ヶ月前からデザイン、生地、装飾に到るまで吟味して仕立てさせたものではないですか? こんなギリギリにワケのわからぬワガママを言うんじゃありませんっっ!!」

「うぅ……だって……だって、わたくし、コレを着て夜会に出たら死んでしまうんだもの! 絶対いや! もう夜会にも行かないっっ!!」

「ワガママが過ぎます! 奥様をお連れして、叱っていただきますよ?」

「うわーーーん! だってだってだって……マルタ、わたくしの話を聞いてちょうだいよぉ……」


 マルタは大きなため息をついて、女中たちを下がらせました。すでにドレスはほぼ着付け終わっています。ちなみに普段から、わたくしはワガママをよく言います。だけど、勘のいいマルタはわたくしの態度がいつもと違うことに気づいたのでしょう。わたくしは恐ろしくて小さく震えておりました。


「どういうことか、お聞かせください。時間がないので、手短にお願いします」


 わたくしは目覚める直前に起こったことをすべて正直に話しました。これはマルタだから話せるのです。わたくしは、このキツい性格の侍女を誰よりも信用していました。


 すべて聞き終わったマルタは「わかりました。ドレスを変えましょう」と、聞き入れてくれました。本当に信頼している人には、真剣な話は伝わるものです。マルタは勘違いや妄想と片付けたりはしませんでした。わたくしの話の隅々まで丸ごと信じてくれたのです。


「お嬢様、まえに体験した内容と同じことを繰り返さなければよいのです。クララ様にも優しくなさってください。お嬢様を殺害した犯人はクララ様関係かもしれません」

「そうなの?? あの気弱そうなクララが??」

「根拠はありません。ただの勘です。ですが、時が戻ったのが夜会の直前だったというのにも、意味があると思うのです。だから、前回とは違うようにお過ごしくださいませ」

「わかったわ」


 怖いけど、わたくしはマルタの言うとおりにしようと思いました。



※※※※※※※※

 夜会にて、わたくしはマルタの言うとおりクララに怒るのをやめました。わたくしを蚊帳の外に婚約者と仲良くしていても、無視したのです。それにしても、カルロったらバカみたいにデレデレしちゃって、こんなにアホ男だったかしら?……と、わたくし興醒めしてしまいました。


 じつは父の付き添いで王城へ行ったとき、偶然会ったカルロにわたくしは一目惚れしましたの。だって、黒髪長髪の中性的なイケメンってなかなかいないでしょ? ワイルド系ならいるけどカルロはヒゲも薄いし、女の子のような綺麗な顔をしているのです。しかも、公爵令息。国王陛下の弟君プルーヴィア公の三男です。見た目も家柄もポジションも最高でしょう? 頼み込んで父の人脈と金で婚約まで漕ぎ着けたのですわ。


 でも、わたくし目が覚めましたの。いかにも、男好きそうな尻軽女に騙されるバカ男ですわよね? しかも、未来でわたくしのありもしない罪をでっち上げて、恥をかかせましたし。婚約を解消したいと告げられた時はショックを受けましたが、今言われてもなんとも思わないでしょう。それが原因で殺されるのかもしれないし、むしろわたくしのほうから婚約破棄したいくらいです。


 ですから夜会から数日後、まえに体験したとおりカルロが訪ねてきても、わたくし平然としていられました。

 本当はイヤだったんですけど、話を人に聞かれたくなかったので彼を自室に通しました。侍女たちには下がってもらい、部屋には信頼できるマルタにだけ残ってもらいます。薔薇柄のスツールに腰掛けるとカルロは、


「女の子らしくて、かわいい部屋だね!」


 と、誉めてきました。以前だったら心躍ったかもしれませんが、今のわたくしはなにも感じません。それより、こんなことカルロに言われたかしら? まえの体験ではものすごく不機嫌で、わたくしをウジ虫でも見るような目つきで見てきたはず……


「どうしたの、ルーチャ? なんだか機嫌が悪いみたい……」

「カルロ様こそ突然訪ねてこられるなんて、どうしたのです? なんのご用事でしょうか?」

「なんか、よそよそしいな……僕のことはカルロと呼び捨てでいいと言ったじゃないか?」


 記憶にあったのと会話の内容がどうもちがいます。前回、カルロは真っ先にわたくしを非難し、クララへの謝罪を求めてきました。そのうえ、クララを愛しているから婚約を解消してほしいとまで言ってきたのです。

 わたくしは不安になって、壁際に立つマルタを見ました。マルタは険しい顔をし、コクリうなずいています。相談役というか、軍師みたいですわね。


「カルロ様、お話しくださいませ」


 もう、覚悟はできています。わたくしにはなんの非もありませんし、やましいこともいっさいございません。わたくしは、目の前にいるペラペラの薄情男を見据えました。

 カルロはわたくしの眼力にひるんだようでした。額から汗を流し、オドオドした様子で本題に入りました。


「えっと……あの……先日、夜会で……君のお友達のクララちゃんっていただろう??」


 クララちゃん??……わたくしはまた壁際のマルタと目を合わせました。マルタは相変わらずの厳めしい顔つきです。「Go」と目で合図してきました。軍師としては頼もしいことこの上ないです。絶対、敵には回したくありませんが。


「クララさんとはお茶会で数回ご一緒したことがあるだけで、お話ししたことはほとんどないと思います。お友達というには語弊があるかと」

「そ、そうなんだ? でも、彼女のほうはそう思っていないようだけど……」

「そのクララさんがどうかなさったんです?」

「あの、その……君が最近冷たいと、嫌われているかもしれないと相談されてしまってね。なにか嫌われるようなことをしてしまったかしらと、泣きつかれんだ。誤解なら仲直りしてもらえたらと思うのだが……」


 夜会でクララをなじるのをやめたからでしょうか。未来が変わりました。カルロとクララは恋人同士にはなっていないようです。


「仲直りというのは、おかしな話ですね。そもそもわたくしとクララさんはそんなに近しい間柄でもございません。でも、クララさんが気になさっているということは、わたくしの態度に問題があったのでしょう。今度、お会いした時に話してみます」


 カルロはホッと安堵したようでした。そこでわたくし、ひらめいてしまいました。クララの目的はカルロと婚約すること。未来でクララの関係者にわたくしが殺される運命なら、わたくしのほうからとっとと婚約を解消してしまえばよいのです。


「カルロ様、わたくしのほうからもお話があります」


 腹を決めれば、言葉はスッと出てきます。壁掛けと化したマルタのほうを見ると、ブンブン首を振っていました。


「わたくしとの婚約を解消していただきたいのです」

「は??」

「ごめんなさい。わたくし、今まで猫をかぶっていたのです。本当は優しくもないし、おしとやかでもありません。わがままで派手好き、男のように負けん気が強いのですよ。カルロ様とは不釣り合いだと思いますわ」

「えぇ?……でも、君の父親のほうから婚約の話を持ってきたんだが……」

「大変失礼なのは承知しております。ですが、結婚してからうまくいかずに後悔するより、わかっているなら、やめておいたほうがいいと思うのです。それに、カルロ様は他にも気になる方がいらっしゃるのではないですか?」

「そんな人はいない! 君、一筋だよ! いったいどうしたというんだ?」

「どうか、わたくしのことはあきらめてください」

「なぜ、そんなことを言うんだ? 僕は君のことが好きだよ?」

「詳しくは申せませんけど、事情があってあなたへの気持ちは冷めています。ですから、カルロ様もわたくしのことはお忘れになって、他にふさわしい方を見つけてくださいませ」

「まさか……他に好きな人ができた……とか?」

「いーえ。でも、邪推していただいても結構ですよ。そのような心ない噂をバラまく輩もいるでしょう。でも、もうあなたへの気持ちは残っておりませんので、どのように取っていただいても結構です。どうぞ、わたくし以外の誰かとお幸せに……」


 マルタのほうを見ると案の定、呆けておりました。「やってしまった」というところでしょうか。カルロは女性にフラれたことがないのでしょう。こちらも呆然としておりました。


(悪評を立てられようが、知ったこっちゃないわ。殺されるよりマシよ)


 わたくしはそのように思いました。カルロとクララ、二人ともわたくしから離れてどこか遠い所へ行ってほしかったのです。これでスッキリすると思いました。ところが……


「いいや、僕は君から離れない。そんなことを突然言われても、納得できないし受け入れられるわけないじゃないか?」

「え? だって、あなたの顔と家柄だけが気に入って、婚約したいと思ったんですよ? しかも、父親のコネを使って話をまとめてもらったというのに、自分の都合で別れたいというワガママ女です」

「だとしても、僕は君のことが好きだ。ねぇ、なにか悩みを抱えているんだろう? なんだか、夜会で会った時から様子が変だよ? 僕は君の力になりたいんだ」


 わたくし、絶句しました。どうして彼は別れてくれないのでしょう? いずれ裏切るのなら、さっさと離れていってほしいというのに。


「ねぇ、ルーチャ。僕は君のことを愛してる。今、とっても傷ついているんだ。そこに侍女がいなければ、そのまま押し倒して君を自分のものにしてしまいたい。力づくでも、君がもう二度と僕を拒絶しないようにしてしまいたいんだ」


 唇を震わせて美しい顔でこんなことを言われたら、以前のわたくしは彼にその身を捧げたでしょう。しかし、わたくしの愛情はとうに冷めているので、気持ち悪いと思ってしまいました。カルロの黒い瞳からは執念が感じられます。わたくしは冷や汗ををかきました。なんとか……なんとか彼から逃れなければ……


「あ、そうだわ。カルロ様、クララさんとお付き合いしてみてはどうでしょう? 先日、とっても仲良く話されていたではないですか? かわいい方ですし、クララさんのほうはカルロ様のことを好いてらっしゃると思いますよ?」


 これは失言でした。カルロの瞳はみるみるうちに輝きを取り戻していきました。


「……もしかして、君……先日、僕がクララと話していたから妬いているのかい?」

「まさか? お二人ともお似合いと思っただけですよ。クララさんは、わたくしのお友達を装ってまで話しかけたかったようですし、脈ありだと思いますよ?」

「ははーん……わかった! 案外、嫉妬深いんだね。じゃ、クララとはもう金輪際、接触しないようにするから!」

「いえ……ちがいますって。そういうことじゃ」


 わたくし、余計なことを言ってしまいました。壁人間マルタがものすごい形相でこちらをにらんでいます。もう……この人、結婚できずにお婆さんになっても、わたくしの所にいそう……

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