プロローグ(2)
そこで、映像は終わっていた。
「これが、前回の結果だよ。この上松が、これまでで唯一の完全制覇者だ」
テーブルの上に置かれているタブレットから、声が聞こえてきた。
壁に設置された大型モニターの画面には、開いた扉から上松が連れ出されていく映像が流れていた。その様を観ているのは、直島力也という名の青年である。現在二十七歳、長い黒髪を後ろで束ねており、色白で細面の整った顔立ちだ。切れ長の瞳からは、野性味と同時に知性を感じさせる。
着ているスーツは、ブランド物の高級品である。一見すると地味なデザインだが、わかる人には違いがわかる……そういうタイプのものだ。体つきは細くしなやかで、顔立ちも相まってシャープな印象を与える。
そんな彼がいるのは、六畳ほどの小さな部屋だ。テーブルと小型のソファーが置かれており、壁には大型モニターが付いている。
「少し調べさせていただきましたが、この上松は、今も生きているようですね」
直島の言葉に対し、タブレットからは笑い声が聞こえてきた。
「ああ、そうだろうね。上松みたいなタイプは、殺しても死なないよ。なにせ彼は、北村がいなければ迷宮を生き延びられなかった。命の恩人だ。その恩人を、奴は何のためらいもなく、あっさり殺してのけたんだよ。ま、死んだ北村が愚かだったせいもあるけどね。あの状況で、敵になった者に背中を向けるのは良くない」
聞こえてくる声は、妙にはきはきしており早口である。自己主張の強さと同時に、自分に対し抱いている自信の大きさを聞く者に感じさせた。
「なるほど、さすが安藤さんですね」
「いいかい、直島くん。わかっているとは思うけど……情は自分を殺すが、非情は敵を殺す。しょせん情なんてものは、極限状況で生き延びる上では不要なものだよ。僕は、ビジネスでもそれを実践してきた」
「はい、おっしゃる通りです。いやあ、安藤さんの仰ることは違いますね。世の中に売られている啓発本を百冊読むより、人生に役立ちますよ」
ウンウンと頷く直島に、タブレットに映っている人物は目を細めた。
この人物の名は、安藤敏行という。現在、三十五歳のはずだが、実年齢よりもずっと若く見える。着ているものは緑色のTシャツで、どこにでもいる普通のお兄ちゃん、という感じである。直島に比べると、凄みには欠けている。
もっとも、実際のところは安藤の方が遥かに格上なのだ。なにせ、この男は日本の裏社会において五本の指に入る存在である。直島ごときでは、直接会って話をすることすら叶わない大物なのだ。
「ところで、君はこの仕事を志願した。それも熱心に、ね。君ほどの熱意を持った人間は、今まで見たことがないよ」
「いや、当然ですよ。ここは、まさに夢の王国ですからね」
「夢の王国?」
訝しげな表情の安藤に、直島は大きく頷く。
「はい。ここは、普通に生きていたら見られないものの宝庫ですよ。有名な美術館も、ここで見られるものに比べれば幼稚園児のお絵描きレベルになるでしょうね」
「ほう。面白いことを言うね」
「僕は本気ですよ。大半の人間は、くだらん常識や法律に縛られ、挙げ句に自分以外の何かに支配されたまま一生を終えていきます。自分が本当に欲しているものは何なのか、それを知っている者は少ない……おそらく、百人にひとりもいないでしょう。その本当に欲しているものを手に出来る者は、さらに少ない」
熱く語る直島。手は、いつの間にか固く握られている。その握った拳を、どんとテーブルに振り下ろした。
「僕はあなたと出会い、ようやく自分が何を欲しているかを知ることが出来たんです。迷宮の中を蠢く人の皮を被った怪物。その怪物との戦いに敗れ、暗い迷宮の中で無様に死んでいく者たち……これは、まさに芸術ですよ」
「芸術?」
「はい。これは、立派な芸術です。たとえば、迷宮内に蠢くハンターたち……あれなど、凡人には一生かかっても会うことのできないものでしょう。あれだけでも、ひとつの作品です。そう言っても過言ではないでしょうね。そういえば、ハンターの中には、人間を超越してしまった者もいると聞きました」
その言葉に、安藤はくすりと笑った。
「人間を超越、か。確かに、それらしき者もひとりいるね」
「実に素晴らしいですね。凡人どもは、その存在すら知らないのでしょうなあ……是非とも、見てみたいものです」
恍惚とした表情で、直島は語っている。いつの間にか、目からは涙が流れていた。感動の涙であろうか……その勢いに、安藤は若干ではあるが引いている様子だ。もっとも、悪い気分ではないらしい。
直島の言う通り、あの地下迷宮には人の皮を被った化け物がいる。人の命を奪うことが、三度の食事と同じくらい好きな快楽殺人鬼たちである。本来ならば逮捕され死刑になっているような者たちだが、安藤が高い金を積み、警察に逮捕される前に独自のルートで捕らえたのだ。
彼らは、普段は地下で生活している。だが、この死願島遊戯なるデスゲームが開催される際には、時間の経過とともにハンターとして迷宮内へと放たれる。参加した……いや、させられた者は、迷宮内に仕掛けられた罠で命を奪われるか、このハンターたちに殺されるかして脱落する。ゲームはこれまで九回おこなわれているが、ゴールまで辿り着いた者は上松だけであった。
そのゲームに、次回よりスタッフとして参加することとなっているのが直島だ。この男は最近、裏の世界で名を上げてきた半グレである。まだ若手といっていい存在だが、ヤクザや半グレの間では有名な男だ。
そんな直島だが、どこから噂を聞いたのか、安藤に対し熱烈な売り込みをかけてきたのだ。このデスゲームのスタッフな加えてくれ……と。
慎重なる審査の末、スタッフになることを安藤自らが許可したのである。もっとも、ふたりが直接顔を合わせたことはない。やり取りは、もっぱらリモートである。
「ところで、次の大会だが……ひとつ困ったことがある。今回は、めぼしい人材がいないのだよ。目玉になりそうな奴がいなくてね」
ぼやいた安藤に、直島は勢いよく語りかける。
「それなんですが、僕から提案があります!」
「なんだい?」
「たったひとりの制覇者である上松を、また参加させてはどうでしょうか?」
「うーん、それも考えたんだ。しかしね、彼は今ひとつインパクトに欠ける。しょせん、ただのチンピラだからね。完全制覇できたのも、北村の働きと幸運による部分が大きい。目玉にはなりそうもないな」
安藤の言っていることは正しい。今しがた映像を観た直島にも、それはよくわかっている。
上松守は、今年で二十六歳になる。十六歳の時、喧嘩で人を殴り殺してしまった。だが、少年法のため四年ほどで出所する。その後も、更生する気配はなくチンピラとして生きていた。ゲームから生還した今も、定職に就かず遊び呆けているらしい。
どうしようもないロクデナシでおり、インパクトも弱い。能力的にも、少しばかり喧嘩の強いチンピラ……としか評価のしようがない男だ。見ていて面白いタイプではない。
しかし、直島に引く気配はなかった。さらに語り続ける。
「加えて、過去にリタイアが認められた者がふたりいましたよね? そのふたりも、特別に参加させましょう。今回は経験者も混ぜたスペシャル会、という特別な要素を入れるのです。十回記念に相応しいイベントではないでしょうか」
そう、このゲームには救済措置がある。迷宮内にて、ある条件をクリアした者のみ、リタイアが可能なのだ。ただし、その条件は非常に厳しい。無事にリタイア出来た者は、これまでふたりしかいない。
そのふたりを、再度ゲームに参加させるというのだ。提案を聞いた安藤の表情が変わる。
「なるほど。それは面白いかもね」
「さらに、もうひとつ目玉を考えております。つきましては、参加者の枠をふたつ僕にいただけませんか?」
「つまり、ふたりの参加者を君に選ばせて欲しい、ということか?」
「はい。ゲームを盛り上げる面白いメンバーを見つけております。あなたの期待を裏切らないものになるでしょう」