プロローグ(1)
ふたりの男が、暗い通路を歩いていた。
天井には、一定の距離を置いて電灯らしきものが設置されている。もっとも、その光量は小さい。そのため通路は薄暗く、数メートル先がやっと見えるほどだ。左右の壁と床は、灰色のコンクリート製である。天井は高く、三メートル以上はあるだろう。だが、横幅は狭い。ふたり並んで歩くのがやっとだろう。
そんな通路を歩いている男ふたりは、どちらも異様な雰囲気を漂わせていた。片方はオレンジ色の作業服、もう片方は黒い作業服を着ている。ただし、服のあちこちが破れており、得体の知れない染みが大量にこびりついていた。しかも、双方ともに傷だらけだ。
オレンジ色の作業服を着た男は短髪で、額には布を巻いている。ハチマキのようだが、実のところ額に出来た傷を覆っているのだ。その頭を覆った布には、べっとりと血液らしきものがこびりついていた。身長は百七十五センチほどで、体つきは筋肉質でがっちりしている。手のひらは分厚く、指の付け根にはタコが出来ていた。剣道か、あるいは棒術のような武器を用いる武術経験者に特有のものだ。目つきは鋭く、顔立ちも精悍である。
黒い作業服を着た男は、背は高く手足の長い体型だ。身長は高く、百年八十センチを超えているだろう。肩まで髪が伸びているが、その髪には血ともゴミともつかないものが大量に付着しており、ところどころドレッドヘアーのように固まっている。
また、彼の首や前腕には、直線や曲線を組み合わせた洒落たデザインのタトゥーが入っていた。体の大きさやタトゥーなどを見れば、本来なら出会った者を怯えさせるタイプの風貌なのだろう。しかし、今は疲れ切った顔をしており迫力がない。進む足取りも重く、疲労困憊しているのは本人に聞くまでもなかった。時おり立ち止まって休み、オレンジ服の男に励まされたりしている。
やがて、ふたりは立ち止まった。両者の目の前には、鉄製の扉がある。それを開けない限り、進むことは出来ない。
「開けてみるぞ」
言ったのは、オレンジ色の作業服を着た方だ。
「だ、大丈夫かよ?」
不安そうな声で、黒服が尋ねる。こちらは、もう動きたくないと言わんばかりの感じだ。顔にも、怯えの色がある。いかつい体の割には、度胸はないらしい。
もっとも、彼らがここに来るまでに体験してきたことを考えれば、ひとつひとつの行動前に怯えるのも、仕方ないのことなのだ。
「ここまで来たんだ。前に進むしかないだろう。立ち止まっていたら、ハンターが追いかけて来るかもしれないんだぞ」
「けどよ……」
「何かあったら、お前はすぐに逃げろ」
そう言うと、オレンジ服の男は取っ手に手をかける。慎重に捻ってみたが、鍵はかかっていない。男は、恐る恐る引いてみた。
重々しい金属音とともに、扉は開く──
中は真っ暗……と思いきや、いきなり明かりがついた。同時に、室内の様子が明らかになる。
広さは、だいたい八畳ほどだろうか。外の通路と同じく、灰色のコンクリートに四方を囲まれている。ただし、天井に設置されている電灯は、通路よりも光量の強いものだ。今では、部屋に付いている細かい染みまではっきりと見える状態だった。床には、タイルが敷き詰められている。
さらに、入って来た扉の向かい側に位置する壁には、もうひとつの扉があった。これまた金属製の頑丈そうなものだ。蹴飛ばしたくらいでは、ビクともしないだろう。
ふたりが唖然としながら周りを見回していた時、天井から声が聞こえてきた──
「よくぞ、ここまで生き残ったね。北村健人くん、それに上松守くん。君らの活躍を拝見させてもらったが、実に素晴らしい。ふたりの名前は忘れないよ。この死願島遊戯を完全制覇した人間として、記憶に留めておくとしよう。そこの扉を開ければ、この地獄から出られる」
人間の声にしては変だ。おそらく、機械により作られたものだろう。だが、この男たちにはそんなことはどうでもよかった。黒い作業服を着た上松は、慌ただしい勢いで取っ手を掴んだ。先ほどまでの疲労困憊が嘘のように、必死の形相で扉を開けようとする。だが開かない。どうやら、鍵がかかっているらしい。
「鍵がかかってるじゃねえか! さっさと出せよ!」
喚きながら、上松は扉を蹴飛ばした。その顔には、狂気のような表情が浮かんでいる。
「聞いてんのか! オラァ!」
喚きながら、なおも扉を蹴飛ばす上松だったが、北村が彼の肩を掴み制した。
「上松、落ち着け! もうじき出られるんだぞ! こんなとこで体力を無駄遣いするな!」
怒鳴った時、天井からまたしても声が聞こえてきた。
「すまない、ひとつ言い忘れていたことがある。実を言うと、このドアから生きて出られるのは、ひとりだけなんだ。つまり、君らのどちらかは、ここに残ってもらうことになる」
聞いた途端、上松が怒鳴った。
「そ、そんなの聞いてねえぞ!」
その声は上擦っていた。表情はみるみるうちに歪んでいき、今にも泣き出しそうである。一方の北村は、凄まじい形相で天井を睨みつけた。
しかし、そんなことはお構い無しに声は流れてくる。
「うん、聞いてないだろうね。なにせ、教えていないのだから。そこで、ひとつ提案がある。申し訳ないとは思うが、そこで殺し合ってくれないか。いわば、お互いがラスボス……これが最後の戦いだ。生き残った方を、優勝者として脱出させよう。それが嫌なら、今後はこの中で生活してくれ。まあ、いずれハンターが来るだろうから、長生きするのは非常に難しいとは思うよ」
「この極悪人が……」
低い声で毒づきながら、天井を睨みつける北村。頭の中では、どう動くか考えを巡らせているようだ。
だが、そんな彼の背後に忍び寄る者があった。言うまでもなく上松である。いつの間に抜いていたのだろうか、その手にはナイフが握られていた。ダガーナイフと呼ぼれる先の尖った両刃のものだ。ナイフというより、短剣と呼ぶべきかもしれない。刃渡りは短いが、それでも殺傷能力は充分にあるだろう。このナイフが、彼の武器だった。
次の瞬間、そのナイフが振り下ろされる──
完全に不意を突かれ、為す術などあるわけがなかった。北村の口から、悲鳴とも怒号ともつかない声が上がる。反射的に手をバタバタ振り回し、何とか逃れようとした。
それは無駄な努力だった。上松は、背後から全体重をかけ彼にのしかかっている。彼は体が大きく、腕力もある。その上、不意打ちにより圧倒的に有利な状況からのスタートである。
上松は返り血を浴びながら、なおもナイフで刺し続けた──
「てめえ! 早く死ねや! 俺に命令ばっかしやがって! 俺はな、ずっとてめえが気に入らなかったんだよ!」
喚きながら、ナイフを突き刺していく。北村は引き離そうと必死でもがいていたが、その間にも血はどくどくと流れていった。しかも、上松は容赦なく刺し続けている。タイルの床は、血で赤く染まっていく。それに伴い、北村の動きも弱くなっていった。
やがて、完全に動かなくなった。北村は、ゴールを目前にして息絶えたのだ──
少しの間を置き、上松は立ち上がった。返り血で真っ赤に染まった顔を上げ、天井に向かい叫ぶ。
「こ、これでいいんだろ!? これで、俺は出してもらえるんだよな!?」
「ああ、出してあげるよ。完全制覇、おめでとう」
声の直後、扉が開かれた。
直後、黒いスーツを着た男がふたり入ってきた。いずれも大柄な体格だ。身長は百八十センチを優に超えており、肩幅は広くがっちりしている。
ふたりは、無言のまま手を伸ばしてきた。抵抗する間も与えず、上松の腕を掴み手首に手錠をかける。そのまま、力任せに引きずって行った──