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見上げれば、青い空を

作者: 遠藤 理

 ミーンミンミンミンミン──

セミは、今日も鳴いている。朝、日が昇ってから夜、日が沈むまで。そんなに、頑張らなくてもいいんじゃないか。


 目の前に一匹のセミがふらふら落ちてきた。

ひっくり返ったまま、腹を見せている。

ジジジジ……と体を震わせて、最後の力を振り絞る。

だが、もはや飛ぶ体力は残ってない。

もう、こいつは助からない。


 セミの最期はどんなだか。

仰向けになって、この大きな空を眺めるのだろうか。

突如、頭の中に昔見たテレビの映像が映る。

頭皮の薄くなった専門家がつまらなそうに話していた。

「セミの目は、背中側についてるため仰向けになっても、地面しか見れないんですね」

 あぁそうか。セミは、この大空を見ることができないのか。

 暗く冷たいアスファルトの上で息絶えるのだ。


********


 積乱雲が高く登り、木々が青々と染まり始めた頃。

 ぬるくて、重たい、ずっしりとした空気がまとわりつく頃。

 そして──ぼくがまだ子供であった頃。


 夏休みが迫るクラスには、いつにも増して落ち着きがなかった。お調子者は勿論、普段は静かで大人しい子だって。無論、ぼくだってそうだ。みんなそわそわしている。

「岐阜のおばあちゃん家に行くんだ」「従兄弟たちと北海道旅行に行くんだ」。みな、思い思い会話を楽しんでいる。

 なのに、それなのに、あいつだけは違った。あいつは、誰とも喋らないし、にっこり笑うこともない。あいつは、窓際の席からずっと空を眺めている。授業中も、休み時間も、学活の時も。雨の日も、曇りの日も、晴れの日も。

 頬杖をついて、つまらなそうに。

 今日も帰りの学活が終わると、「さようなら」が言い終わる前に、もうランドセルを背負って帰ろうとしていた。なーんか、嫌なやつだ。



 4限目、図工の時間。スケッチをすることになった。敷地の中であれば、内外関係なく、自由に好きなものを描いてよかった。

 けれど、今は7月。太陽がシャンシャンと輝く、この季節。誰も、外には出たがらない。

 だけど、エアコンの効いた部屋で、何がかけるのか。ぼくは、分からない。だから何となく、昇降口に向かった。

 下駄箱には、真っ白な上履きが、ひとつだけポツンと置かれている。1ピース欠けてしまったパズルのように。

 

 校庭に出ると、彼がいた。

 ながい芝が風にあおられ、ゆらゆら波のよう。

 彼は、天に向かって手を伸ばしていた。

 小さく、細い。でもその指は、まっすぐ力強く空へ向かっている。

 見上げると、白く厚いかたまりが縦に大きく伸びていた。吸い込まれそうな、大空だった。


 ぼくが近づくと、彼は空を眺めながら話しを始めた。

 

 空を眺めてるとね、逆さまになったような気がするんだ。

──逆さま?

 

 重力が反転したように、本当の地上は空で、地上こそが本当の空なんだ。

 空は、雲なしには成立しないんだ。雲が大事なんだ。

「ぷかぷか」なのか「ふらふら」なのか、それとも「さらさら」なのか。

 天気や季節、時間、そして、何より心の状態によって、雲の見え方は違う。

 君はどんな雲を見ているのかな。

 そう言って、彼はぼくの目を見つめた。

 

 ぼくは、あの時、なんと答えただろうか。


******


 これが、彼との記憶のすべて。

もはや、顔や名前、声を思い出すことはできない。記憶にも賞味期限がある。思い返すたびに、薄くなって、いつかは、想像で塗り固められる。


 そんなぼくも、大人の階段を登る。

未だにスーツは慣れない。外面だけ見れば、それはもう立派な大人だ。営業帰りに、コンビニで缶チューハイを買って、公園のベンチに座る。


 あれから、10年。きっとあの子も、この青い空を見上げている。


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