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わたしを、たべて  作者: ハナモモ(宇佐見レー)
1/3

純愛はいいですよね。

 僕は彼女を求めて専用の病室に入った。面会時間はとうに過ぎていて足先に躊躇い滲むが、眼前に広がる彼女の病室はただ暗かった。

 いや暗いだけじゃない、粘り気の強い闇が進もうとする足首を絡め取ろうと蠢き、しかも視界は水底から空を眺めているように朧気なのだ。

 どうにか確認できるベッドらしきもの、闇の中に浮かび上がる心電図のモニターに、彼女がまだ生きている事を示す、一定間隔で鳴り続ける電子音。

 物語にするにはあまりにありふれた構図だ、でも僕の頭の中では確かに言葉として積まれていく。

「すずらん……」

――もう数日は寝ていない、ぼーっとする頭、幻覚を振り払って改めて顔が見たい――そう思った僕は、ざらついた壁に右手を伸ばしてスイッチを探る。

 かちりと明るくなった病室、暗かった病室が清潔感のあって真っ白で、煌々と照らされた。

 幻覚を見ていた事など忘れて、僕の目は真っ白なベッドの上で眠る彼女に向かう。そしてますます強まる触れたいという欲望をどうにか抑え込んで、左肩にかけていた彼女からのプレゼントである、真新しい黒いリュックサックを床に下ろす。

 不意に、記憶が蘇った。根暗な僕とは違う彼女の……鈴蘭の笑顔、また……決意が揺らぎ始め、どこからともなく声が聞こえてくる。

 それが幻聴であると理解しながらも、

「もう、決めたことだから」

 答えてしまう。噛み締めた唇から血と流れていく言葉。

 心の奥がきゅうと締まる感覚に、呼吸が荒くなり汗が噴き出てくる。

 だけど、この熱のこもった息を落ち着かせるような時間はない、急いで詰められただけの黒いパーカーと長ズボンを取り出し、その下でとぐろを巻いていた縄を乱雑に掴む。

 そこからは、早かった。

 手に取った縄を引き戸の取っ手にぐるりと巻きつけ、開けられないように適当な出っ張りに引っ掛けて頑丈に縛った。

 病室と外とを隔てる扉は、恐らく破壊されない限りは入ってこられない。そして、

『あら……?』

 外から訝し気な声が微かに聞こえてきた。タイミング悪く、見回りの看護師がやってきたのだろう。

 それは要するに本当の本当に――――後戻りできなくなった。

『緑川さん?』

 鍵がある訳でもないのに開かず、がた、がた、と引き戸を看護師が揺らし始めた。

 女性の看護師だが、大人の力でそれでも開かない事に気付けば、他の大人を呼び始める。そうなれば、僕の、いいや、彼女の願いを叶えられなくなる。

「急がなきゃな……」

 口をついた言葉ほど早くはなかったが、縄の更に下に入れておいた新品のハンマーとみのを取り出そうとして手を伸ばしたら、一枚の少しくしゃくしゃになってしまった便箋が目に入った。

 女の子が良く買う可愛らしい装飾、特にこれは彼女が好きだった桜の花びらが施されたものだ。それを見て、少し後悔してしまう。けれどその後悔はこれから起こす出来事に、じゃない。

「ごめん」

 僕は半分に折られていた便箋を開き、皺になった部分を指で伸ばした。ただなってしまったものはもう二度と戻らない、自身のだらしなさに苛立つが、この後悔は一生拭えない。

 泣く泣く今度は四つ折りにさせ、黒いパーカーのポケットへ突っ込んだ。

「ああ……あれも必要だった」

 すっかり忘れていた物を、リュックサックから取り出す。それは白いネームシールの貼られた、プラスチックのフィルムケースだ。

 ネームシールの部分には消えかけているが、丸文字のあまり上手くない『すずらん』とひらがなで書かれている。

 それを左手に、右手にはハンマーとみのを持ち、僕は彼女が横になるベッドへ近づく。

 いつ見ても何度見ても、間違いなく彼女だった――――こんな僕の事を好きだと言ってくれた、彼女だった。

 今や美しかった黒髪は全部剃られ、頭には幾重も包帯を巻かれており、顔は傷だらけ。

――――それでも彼女だった。

 彼女の両親が認めても、僕は認めたくなかった。ここで、こうして以前のようにベッドの上で彼女に跨って頬に触れて、漸く……認める気になれた。

「信じたくなかったんだ……ごめん」

 フィルムケースをベッドの隅に。

「僕なんかで、ごめん」

 彼女は好きだと言ってくれて、才能があると言ってくれたけど、所詮独りよがりだった。自分勝手な、妄想だった。

「今まで約束、守れなくてごめん」

 枯れたと思った瞳から、溢れるように。

「でも、これからはちがうから」

 僕は……左手のみのを包帯に巻かれた彼女の額にあてがい、柄の部分へハンマーを打つために右手を掲げる。

「……さ、いのう、のな、い僕、じゃなくて、ごめん……っ」


 頭の中に言葉が積みあがる、文字が形作る、世界が広がる。何も理解していなかった僕は、初めて『死』を知った。


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