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レッスン初日

「こんにちは、冬夜くん。かっこいい名前だね」


 会って最初に名前を褒められて、冬夜は隣の家のギターの先生が好きになった。


「はじめまして」


 緊張しながらそれだけ言うと、翔吾はにっこりと笑った。


 レッスンは月3回、土曜日の午前中と決まっていて、休みの日もだらだらするんじゃない、という親の教えが透けて見えるスケジュールだった。


「はじめまして。俺も昔、君のお父さんにギターを教えてもらったんだよ」


「ほんとに?」


「ほんとに」


 翔吾は笑ってうなずいた。

 正確には『一緒に弾き方を勉強した』だが、亮介がいなければ翔吾は小学生のうちからギターと出会い、音楽に打ち込んでいなかったことは間違いない。

それなら別に『教えてもらった』は間違いではないだろうと考える。


 実際、翔吾の両親は特に音楽が好きというわけではなかった。


 一緒に音楽を聴いて、好きな曲やバンドについて話を聞いてくれた亮介は、中学の途中から転校すると落ち込んでいた翔吾に自分のギターをくれ、「東京に行ったらギターを習え」と言った。「中学の間は俺が月謝は出してやる」と。

 そしてその通りにした。


 高校入学後は続けたいなら自分でバイトをしろと言われたが、翔吾は辞めるつもりなどなかったし、音楽で食べていくつもりでいた。


 今こうして人に教えられるくらいにはギターを弾けるのは、間違いなく亮介のおかげだった。


 冬夜について一緒にやってきていた明果が笑いをこらえているような顔をしていたが、別に嘘ではないのだ。




「じゃあまず楽器なんだけど」


「はい」


「最初のうちはギターは使わない。代わりにこれを弾いてもらう」


 そう言って翔吾が冬夜に渡したのは、冬夜の腕にピッタリ収まるサイズのちょうどいい大きさの楽器だった。


「ちっちゃいギター?」


「これはね、ウクレレっていうんだ」


「ギターじゃないの?」


 うっかり素で話しかけた冬夜を、明果が睨む。あ、と慌てて言い直す。


「ギターじゃないんですか?」


「うん、違うんだ」


 翔吾は破顔して答えた。そして明果に視線を向ける。


「明果、別に言葉遣いとか俺気にしないからさ」


「翔ちゃんが気にするかどうかは関係ないでしょ。翔ちゃんは先生なんだから、この子はちゃんとしないと」


「お前に言われると説得力がなあ」


「それは言っちゃダメ」


 怖い顔を作って下から覗き込むように睨まれ、翔吾は苦笑した。

 どんなに凄まれても、子供の頃から相手のことは知っている。大声で笑う、誰より背が高くて誰より涙もろかった彼女が、今は自分よりも頭1つぶん背が低い。

 不思議な気分で翔吾は冬夜に視線を戻した。


「ギターはこっち」


 そう言って部屋の壁に並べてあった数本のギターのうちから一本を取り出す。


「持ってごらん、重いし、大きいだろう」


 ギターは通常のサイズだと体の小さい女性や子供には手が余る。

 翔吾は成長期の前で、まだ体がだいぶ小さかった。


「ミニギターっていうのもあるけど、これから君は成長期に入って体が大きくなる。なら、最初は俺のウクレレで初めておいたほうが後で買い替えるよりもいいんじゃないかと思うんだ。それに、見てごらん」


 翔吾は壁に飾ってあるギターを冬夜に見せた。


「ギターにはいくつか種類がある。アコースティックギター、エレキギター、あとここにはないけどクラシックギターとか。ウクレレとギターは弾き方が似ていて、楽器の変更は難しくない。まずはウクレレで弦を弾くことや楽譜に慣れておいて、どんな音楽をやりたいかで楽器を選ぶといい。俺はクラシックは専門じゃないけど、いつかそっちがいいって考えるようになったらそのときは協力するよ」


「はい、わかりました」


 冬夜が翔吾の目を見てうなずくと、翔吾も笑ってうなずいた。


「じゃあ今日はこのウクレレを弾いてみて、何か簡単な曲を弾けるかやってみよう」






 初日のレッスンが終わり、帰る頃には2人は自然と「冬夜」「先生」と呼び合うようになっていた。

 

 はたで見ていた明果はなんとなく面白くない。

 前もこんなふうだったな、と1人で勝手に拗ねていた。


「アキちゃん、お疲れ様。今日お昼ご飯食べてく?」


「おばちゃん、いいの?」


「いいのよ、すぐに支度できるから。だから食べてって」


 やけに嬉しそうな母の様子に、翔吾は奇妙なものを感じる。


「母さんって明果とそんなに仲良かったっけ?」


「母さんだけじゃなくてアキちゃんは父さんとも死んだおばあちゃんとも仲がいいのよ」


 そして少し恨めしそうに翔吾を見て続けた。


「どこかの冷たい跡取り息子が滅多に家に帰ってこなくてね。心配してくれたアキちゃんがよくお裾分けをくれたり、誰かが病気してるときは寄ってくれたりしてたのよ」


 藪蛇だったか、と翔吾は何も聞いていないフリで明果に訊ねる。


「どうする? 食べてく? もし食べてくなら母さん、冬夜の分は?」


「あるわよ」


「だってさ」


「じゃあご馳走になろうかな。義姉さんには電話しておく。ありがと、おばさん。いつもごめんね」


「はいはい、大丈夫。コーヒー? ハーブティー?」


「今日はコーヒー」


 その軽いやり取りに、翔吾は呆気にとられた。


「ここあいつんち?」


「みたいなものよ。大体あんただって東京のほうは似たようなもんでしょ」


 言われて、東京の従兄弟たちの家を思い浮かべる。たまに寄ると、今も顔を合わせた全員が『お帰り』と声をかける東京のあの家。正月になると『今年は帰ってこないのか』と呼び出しがあった。

 酒が飲める年齢になってからは連休に入ると伯父から確認の電話が入り、年賀状の家族写真にまで映っている有様。

 たまに実家に顔を出すと、『あんたうちの子だったかしら』と嫌味を言われた。


「はい、アキちゃん、コーヒー」


「ありがと、おばちゃん」


「冬夜くんは最近牛乳飲んでるんだってね」


「うん!」


 母は2人に飲み物を出して台所に向かおうとする。


「俺のは?」


「あらやだあんた何にも言わないから飲まないのかと思っちゃったわよ。何か飲む?」


「……コーヒー」


「やだもう先に言ってよ。まとめて作ったほうがいいんだから」


「……自分で淹れるよ……」


「あらそう? 悪いわね」


 何か理不尽なものを感じながら翔吾は席を立つ。


 ともかくもこうして、冬夜のレッスンは始まったのだった。







 

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