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華の子  作者: 烏合衆国
第一部 カルミア
9/150

鹿山 華江③




     〇




「ごめんなさい」

 静かな病室に、そんな言葉が響く。

 個室のベッドに、焔華(ホノカ )が眠っていた。包帯が全身に巻かれているが、寝息はすーすーと安らかだ。

「……ごめんなさい」

 良空(ラスク)はただ、そう繰り返す。


 あの時。

 自分を助けた焔華は──彼女の死角からの自動車にはねられ、吹っ飛んだ。診断は左脚と肋骨、右腕の軽い骨折。幸い致命的なものではなく、半年くらいで完全に快復するそうだ。


 しかし、良空は後悔に苛まれる。

 彼女が自分を助けたように、自分も、彼女を助けられたのではないか。なぜ、助けられなかったのか──膝の上の拳を、ぎゅっと握り締める。

 ()()()

 そんな考えが、浮かんでしまう。

 でも、そんな自分は、嫌だった。

 自分がそんな人間だと思えない。

 そこまで、最低な奴だったとは。

 しかしことは起こってしまって──いざ、その原因を探ると、その答えに行き着く。

 目をずっと瞑っている焔華。この人は、私を助けてくれた、命の恩人だ──それを。

 迫ってくる車を注意せずに──。




「……ら……す」




 静かな病室に、そんな言葉が響く。

 良空は、驚いてベッドに目を遣る。




「……す……く、ちゃ……」




 ぞっ、とした。

 とうとう起きてしまった──もちろんずっとここにいたのだから、それは必然ともいえるが心の準備が──

「…………」

 良空は立ち上がり、何も言わずに出て行こうと焔華に背を向ける──




「……大丈夫だった、んだね」




 病室を出る直前、そんな言葉を聞いた。

 出てきた良空に、輔久(タスク)が合流する。「……どうだった? まだ寝てる?」

 良空は、ゆっくり首を振る。

「ん? 目ェ覚ましたってこと?」

 良空は、ゆっくり頷く。

「よかったじゃん……あ、看護師さん呼んだか? 華江(ハナエ )先輩たちはこれから来るらしいけど──らー?」



「ううぅ、ひっう、あううぅわああ……」



 良空は、廊下で泣きじゃくった。「ほのか先輩がぁ……『大丈夫だったんだね』ぇえってぇ……うぐっ、いいいぃうあ、あああいぃ……」

「良空……」輔久は、そんな彼女を見て、何とも言葉が出なかったが、「そうだな」と胸を貸す。良空はぽすりと顔を埋めた。彼にできるのはこのくらいだ。しかし彼女にとって大きな救いだった。




     〇




「あ。良空ちゃん……ほのちゃん、どうだった?」

 待合室で、今まさに病室に向かおうとしていた鹿山(カ ヤマ)兄妹と、保科(ホ シナ)の双子が出会う。良空は泣き止んだばかりでまだ少ししゃくり上げていたので、輔久が代わりに「起きたらしいっす」と答える。

 その言葉を聞いた途端、華江は、走り出した。

「あっおい……あぁ、それじゃ」

 遥樹(ハルキ )は慌ててその後を追う。輔久は二人の背に手を振ると、良空を待合室の椅子に座らせた。

「やっぱり、僕も様子見てくるから。帰っててもいいよ」輔久はそう言って歩いていった。

 良空は一人、静かに心の整理をしていた。



「ほのちゃん!」

 華江は、病室のドアを勢いよく、しかし丁寧に開けて、中に急いで、しかし淑やかに飛び込む。

 ベッドの上の焔華は、突然の来客に目を丸くしていたが、二人の顔を見ると、それを柔らかく歪める。

「えっちゃん……それに、えっちゃんのお兄さん。その、ごめん、心配かけて……」

「本当だよっ」華江は、焔華の絆創膏の貼っていない方の頬を少しつねった。「……でも、生きてた。それでいいよ」じわ、と目尻に浮かんだ水分を拭って、「じゃあ、看護師さん呼んでくる。インターホンで言うより早いでしょ」と言うが早いか、再び風のように病室を出ていった。

 残された遥樹は、とりあえず、ベッドの横の椅子──先程まで良空が座っていた──に腰を下ろした。

「…………」遥樹からは、特に言うこともなかった。そもそも妹のつき添いであって、勉強の合間にこうして来ている彼としては、居心地悪いことこの上ない空間だった。

「……えっちゃんの、お兄さん?」

 そんな彼に、焔華が声をかけた。

「なに」普段学校では好き放題騒いでいる遥樹だが、病室で、怪我人と二人切りという状況には流石に免疫がなく、多少ぶっきらぼうなもの言いになる。

「────」

「えっと、もう一回」

 遥樹は焔華の言った言葉が聞き取れなくて、顔を少し近づける。焔華は、その遥樹の、




 頬に、





 唇が、






 、







 ごとり、と床に何かが落ちる音がした。

 そして、誰かが走り去る足音。



 焔華は、再び意識を失いベッドに倒れた。

 遥樹は後ろを振り向く。

 華江のハンドバッグが、床に落ちていた。




     〇




 嘘だ。

 そんな。

 ──嘘だ。

「あ、ああ、あ、ああぁあ、ああ、ああああああ」

 華江は叫ぶ。

 焔華が、遥樹と。

 裏切られた。

 今までいた世界は、全てがまやかしだった。真実を隠して、綺麗なところを抽出していただけだ。そうだ。これまで上手くいっていたことがおかしかったんだ。現実は、だって──



「──ああああああぁ」



 華江は、良空の隣まで来て、腰を下ろした。



 良空は、その様子から、状況を察した。

 打ちひしがれている華江。帰ってきていない遥樹。これまでの焔華の様子。自分の中の情報を総動員して、仮説を組み立てた。

 つまり、私が今、この状況で言わなければならない言葉は。



「──先輩も、裏切られたんですね」



 ──いや、違う、そうじゃない──正しい言葉を──届く言葉を──



「──大丈夫ですよ」



 ──駄目だ──二人の手が重なる──もう言ってはいけない──口が──どこまでも──どこまでも優しく、



「私は、そんなことしませんから」



 華江が、良空の顔を見る。

 その目が見つめていたのは、光──



 ──闇だ、こんな言葉、掠め取るように、絡め取るように、華江に巻きついていくのが分かる。

 華江先輩は──あの時の、私にそっくりだ。

 だからこそ、必要なことは──だから違う、それでは駄目なのだ──私──あの日のことが──必要な人は。



「──ね?」



 その言葉に、華江はしばらくぽかんとしていたが、それを咀嚼し味わい嚥下して、

「あうぅういい、いいああぅああ、わぁあ」

 また泣いて。

 良空はそんな華江を、優しく包み込んだ。大義なく大事なく、物語は進む。


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