鹿山 華江②
〇
夏休み。鹿山兄妹は、父方の実家に帰っている。
高総体を終えた二人は、親戚一同の興味関心の的だった。
「すごいじゃん二人共~」「俊樹も昔から運動だけはできたからな」「お土産? ありがとう」「じゃあ遥樹くんは推薦もらってるの?」「かっけー」「取材とかあった?」「あ、そういえばこの前新聞載ってたじゃん」「乾杯!」
遥樹と華江は、普段こそ明るく元気に学校生活を謳歌しているが、親戚のこういった圧には普通に弱く、適当に相槌を打ってから二人で席を外した。
「……おめでとう、お兄ちゃん」
「ん?」
「大会だよ」華江はしゃがんで、仏壇を何とはなしに眺める。線香の臭いが目に染みる。「優勝おめでとう」
「そっちも、あと一歩だったんだろ。……一歩というか、一掻き、か?」
華江は、水泳部である。
「ウケないわ、そういうの」そう言いながら、くすりと笑みをこぼす華江。「まあ、まだ秋があるし。あー、あたしも推薦にしようかな」
「別にそんな楽なもんじゃないよ」遥樹は肩を押さえて腕を回す。「いろいろ面倒臭いし」
「――お兄ちゃん」
「おう」
「……ほのちゃんのこと知ってるじゃん?」
少し間が空く。「あの、一緒にご飯食べてる人」
華江は頷いた。「最近、ほのちゃんとの関係が上手くいってないんだよね」
「原因は」
「明確ではないんだけど」彼女の方も、相手に猜疑を抱かせる行動をしている自覚はある。だからこそ自体は膠着しているのだった。「その行き違いというか」
遥樹は親友の眞緒。ことを考える。大多数の友人と違い、自分のことをはっきり批評してくれる眞緒を、遥樹は大切にしていた。
「そうだな」遥樹は口を開く。「一回ちゃんと──話し合ってみろよ。今までのこととか、洗いざらい。それで、もう駄目だと思ったら駄目だろうし、まだ大丈夫だと思ったら、それは、がんばればいい」
「……そうだね。ありがとう」華江はそう言って、今度は快活に笑った。
彼女に悩みは似合わない。
笑顔がよく映えると、遥樹は思った。
〇
「おかえりまおくん」
八月も折り返し、帰郷していた眞緒が家に帰って自室に戻り一息つくと、焔華が窓を開け話しかけてきた。
「よう、ただいま。あ、お土産とかはないけど」
別にそういうことじゃないよー、と焔華は笑い。「……ということは、らすくちゃんと、たすくくんに、会ったんだよね?」と訊く。
「……おう」眞緒は、彼女の人見知りのことを考える。一方的な紹介は彼女の負担になるだろう。「いや、大丈夫だよ。ちゃんと話したから」
「……そっか、ありがとう。いや、この前初めて会ってから、学校ですれ違ったときとか、睨まれてる気がして──え? 『ちゃんと話した』……って何を?」
「ん? そりゃいろいろ。好きな食べ物とか、好きな飲み物とか、得意科目とか……嫌いな食べ物とか嫌いな飲み物とか苦手科目とか?」
「なっ」焔華は顔を真っ赤にした。「何それっ。そんなの、別にわざわざ言わなくていいじゃん」
「じゃあ早く蒟蒻を食べられるようになれ」
「わあ、わあ、えっちゃんにも言ってないのにい。そ、それに蒟蒻食べられなくても困らないし! 栄養価とか絶対低いでしょあれ」
「そりゃそうだけど、蒟蒻って割と何にでも使われるじゃん。将来、出された料理からいちいち取って食べるのか」
焔華はその言葉に言い返せず、むむと唸る。
しかし同時に、将来を見据えて、生きていかなければと考える。今年受験の眞緒と違い、焔華は、いまだ将来のヴィジョンが定まっていない。
勉強はそれなりにできるから、どこかいい大学に入学して、卒業後のことはそれから考えればいいかとも思っているが、明確でない目標では、いまいちやる気が出ないのが実状。
焔華が差し当たって考えなければいけないのは──まず、華江との関係だろう。このまま関係を続けるなら、同じ大学に行くなり何なりしなければならない。二人で十分合格できる大学を選び、無難な進路で、無難に社会に出れば、人並みの生活はできるだろう。
しかし──続けるなら。
続けない──という選択肢が存在してしまうことが、焔華にとって、一番怖い。
続けないことを考えられないから──続けることも、考えられない。
一寸先は闇。
一日先は──無。
何が起こるか分からない。
何も起こってほしくない。
明日なんて来なくていい。
焔華は、いつもこうして立ち止まる。
友だちなんて要らない。家族がいればいい。
嫌いなものは食べない。他のものを食べる。
好きな人にも、自分の本当の想いなんて──
『ありがとう』
焔華は、顔を上げる。
「思い出した?」眞緒はそれを見て、口を開く。「そうだったよな、あの時だけは、立ち止まらなかった」
「まお──くん」
「友だちがなんだ。蒟蒻がなんだ。お前は確かにあの時、自分の足を──踏み出して」
足を──踏み出して。
「立ち止まらずに──言えたじゃん」
焔華は窓を閉め、シャッとカーテンを閉めた。
「――ありがとう」
その呟きは、眞緒の耳には届かず消えた。