鹿山 遥樹
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「おはよー鹿山くん」
「ハルキおはよう」
「おは、遥樹」
「おはよ……んあぁ」土日明け。欠伸をしながら、挨拶を返し教室に入る遥樹。最近寝つきが悪くて、布団に入ってもそのまま数時間、天井をぼーっと見続ける、という日が多い。目を瞑っておこうとリュックを下ろし、席につく。
「…………」
遥樹は後ろの席をそっと見る。いつもなら朝っぱらから、鈴が『おっはよー鹿山!』とか『よう鹿山ーいえーい』とか『歯ァ喰い縛れ!』とか、奇声を発して突撃してくるのだが、今日は、耳にイヤホンを挿し、黙々と勉強をしていた。
彼には思い当たる節があった。
眞緒に彼女ができたのである。
SNSで随分話題になっていて、鈴もそれは知っているはずだ。
そして、遥樹自身にも、つき合い始めた相手がいる。
他の女子に先を越された上にそうなれば、怒り心頭、勉強でもして気を紛らせたくなるだろう。
「今雨」
遥樹は体をそちらに向け、声をかけてみるが、彼女は反応しない。
手をひらひらと頭の正面で振ると、こちらに気づいたようにイヤホンを片方外し、「……なに?」と不機嫌そうに訊いてきた。
「うん、いや……おは、よう」
「おはよう」彼女は勉強に戻る。
「…………」
遥樹は、これからどうするべきか思案する。彼女が、かようなことになるとは、想像がついていなかった。いつもへらへらしているイメージで、それだけにこんな一面を見せられて、何も言えなくなる。
叶織は確か鈴と仲がよかったと記憶しているので、後で相談しようかと思ったが――つき合いたての相手に、他の女子についての相談をするというのは、気が引ける。しかし友人であれば、叶織は相談に乗るのではないだろうか。
あれだけ鬱陶しかった鈴が、今は少しだけ、懐かしい。
これからは、ずっとこのような態度をとられるのだろうか。
何もできなかったし、抜け駆けみたいなこともして、もう、彼女に対して何も──
「わッ!」
耳元で、大きな声。
教室中に響き渡って、ほぼ全員が遥樹を注視する。
そして遥樹は、叫び声の主を見る。
「はあ?」
「おーひどい隈。あたしのこと心配してくれてたの? 優しいなあ、鹿山は」
「おい、滅茶苦茶に元気じゃねーか!」
イヤホンをすっぱり外し、得意げな顔で遥樹を見下ろすのは、いつも通りのテンションの鈴である。
「いやいや、あたし音楽とか聴かないから、イヤホンつけてる時点で振りだなーって分かるでしょ。あたし勉強もしないしさー」
「いや勉強はしろよ。てか音楽も聴けよ。違う、そんなことよりなんでわざわざ、俺を騙した」
「んー、暇だから?」鈴は首を傾げる。特段、いつもと違う点は見られない。
「……いいのか、諦めて」遥樹は、一応小声で、そう尋ねた。
「え? あー、いいのいいの。眞緒君って元々競争率高かったしー」
「……へえ」
遥樹には及ばないが、眞緒にも一定数のファンがいる。
人懐っこい笑顔、愛想のよさ、軽音楽部での活躍等──いろいろ。
男子の知らない、女子人気である。
「ま、確かに引き受けた割に何もしてくれなかったし? じゃあ何か奢ってもらおうかなー」
「……分かったよ、何がいい?」
鈴は、承諾されるとは思っていなかったようにキョトンとするが、すぐに、にやーっと笑い「じゃあ、アイスとポッキーとじゃがりこと──」
「お菓子は無限に喰えるから却下」
そして、二人で笑う。
その様子を、相変わらず教室の隅で見ている女子が数人。
不満はあるが、誰も口には出さない。
なぜなら、彼女──今雨鈴は。
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今雨鈴は、鹿山遥樹ファンクラブ・会員No.002。
ナンバー2である。
主席会員、元生徒会長、若那観上。
ナンバー3、元陸上部副部長、笛崎麻依。
そして鈴──以上三名が、机を囲んで座っている。
No.004を永久欠番として、ルール上は、No.005、土簑俐々を含めた上位四人が遥樹の席の前後左右にいるべきだが、観上は『私が決めたルールじゃありません』と言い麻依は『遥樹の隣に座るために設立した訳じゃない』と言い俐々は『私は一番遠くにいたい』と言って要するに、三者三様散り散りになって、全て織り込み済みのルール発案者、鈴が現在、遥樹の真後ろに陣取っている。
しかし、ナンバー1、3、5以下ファンクラブ会員は、皆何かしらの憧憬やら敬意やら敵愾やらと共に所属しているが、鈴には──好意も含め、遥樹にも、他の会員にも特別な感情は抱いていない。
皆、友人、であって。
彼女の狙いは、筒井眞緒、その一点集中であり、それで彼と一番仲のよい遥樹を拠点としただけのこと。
それだけに、この状況は、あまり、いや全く、面白くない。標的は他の相手とくっつき、遥樹という牙城もなくなってファンクラブの活動休止を余儀なくされている。
会員の誰かが抜け駆けした、というなら規則に照らし合わせ対応するが、会員でない者となると、話は別だ。
そもそも鈴は、ファンクラブ設立の際、叶織にも声を掛けてはいたのだが、『そういうのは、いい』ということで以後勧誘はしていなかった──それが、こんな形でさらわれるとは。
「苛々しないで下さい、鈴」しかめっ面で押し黙る鈴に、観上がそう言う。「話を進めましょう。叶織を以後、どう取り扱っていくかですが──どうぞ、麻依」
「あたし抜ける」
そう言って麻依は、部屋から出ていった。
「……ええと」観上は話を続ける。「だ、そうです。どうしましょう、俐々を今から呼びましょうか。賛成の方は挙手を」
鈴は手を挙げない。
「賛成0、反対3、麻依は棄権──では、このまま続けましょう」
「続けるも何も」鈴が、二十分振りに口を開く。「もう終わりだ」
「発言する際は、挙手をお願いします」観上はそれだけ言って、どうやら先を促す。
「そうなるでしょ、常夏に、取られちゃったんじゃ。別れさせるっていう選択肢がないんじゃあ、それだけよ。残念だったね、お前ら」前髪をいじりながら、鈴は言葉を続ける。「ま……いつかはこうなると思っていたけど。だって、具体的な目的がないじゃん? この団体」あからさまに鼻で笑う鈴。「作っといて言うのもなんだけど。じゃー次はどうしようかなー……って、もう卒業か。鹿山のファンクラブは、面白かったなー、どんどん人が増えて、他学年にも広まって。女子陸上部員の八割が会員ってのも、噂じゃなくてただの事実だし。──やっぱり鹿山以上の人材はいないや」
「…………」
「じゃあ最後の晩餐だね。会員って今何人?」
「──三年生が六十三人。二年生が三十人。一年生が十七人です」
「ふふふ」鈴は部屋から出ていく。「団体割り引きしてもらいな」
独り、部屋に残り、観上は誰かに電話をかける。「──そういうことで、ファンクラブは解散と相成りました。用事は以上です」
『……泣いている?』電話の相手は、そう尋ねる。
「泣いていません。──泣きませんよ」
観上は、そんな強がりを言う。




