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華の子  作者: 烏合衆国
間章
12/150

尾華実華菜

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    △




 尾華(オ バナ)実華菜( ミハルナ )というのが私が生まれた十三日後に届け出された私の氏名で、かれこれ十八年近いつき合いになるけれど、いまだに慣れないというか初対面の人にほぼ必ず訊かれるのが「それ本名?」ということで、何だよ偽名だとでも思ったのかよ私だってこんな名前変えたいよでも本名なんだよ~といつも心の中で大暴れするのだが、この間十五歳からは親の許可なしに改名の手続きができると知ったが私はいまだ何もしていない。

 私は、私の名前に込められた意味を知っていたから。

 小学校の三年生だか四年生だかの時、自分の名前の意味由来を親に訊いてそれをクラスで発表するという今となっては何が目的だったのかと不思議がることしかできない授業があったが、それよりも、ずうっと前、多分物心ついた時にはもう両親にこの名前の意味も由来も込められた想いも秘められた重要性も教えられていた。



 今の私に兄弟姉妹は一人もいない。だから両親以外の家族が家にいるという感覚は分からないし理解するつもりもないのだが、かつて私にもきょうだいがいたのだ。

 私は、双子だったらしい。

 しかも、一卵性の双生児。

 では、なぜ今はいないのかといえば――親の言によれば、誘拐されたそうで。

 その当時は、全国ニュースでも割と大きく取り上げられたようだ――双子の片割れが誘拐された。片割れのみが、誘拐された。小学六年生くらいの時に思い立ってその事件のことを調べてみたのだが、捜査は特に進んでいない、というか捜索願が中途で撤回されたようだ。そこで両親を詮索する程、私は幼くはなかった。

 実華(ミ ハル)華菜(ハルナ )と――元々は、生まれてくる双子の少女のために、用意されていた名前だったのだが――片方がいなくなって、一人だけになった結果。

 両親は――私に、代替を求めた。

 どちらが本来の私の名前だったかは知るべくもないが、二つの名は合わせられ、『実華菜』という一つの名前として登録された。十三日後というのは、いざ父が区役所に足を運ぼうとした矢先に片割れが誘拐されて、それから捜索願を出したり取り下げたり野次にたかられたり、いろいろあった末、期限ギリギリに提出したということだ。



 ところで、大人たちはずっとどうして双子の片方だけを誘拐したのかと――疑問を抱いていた。

 私からすれば、答えは明確だった。

 二人を誘拐するのは、普通にキツいからだ。




     △




 双子に向けられる愛も削られる時間も費やされるお金も凡て独り占めした私はすくすくと成長し、一昨年県下トップの県立華園(ハナゾノ)高等学校に入学した。県内でもてはやされないところはないといわれる箔のついた高校で、入試倍率は毎年約三~四倍と大人気。教師と同級生に恵まれ、高校一・二年は楽しく過ごせた。今年からは最高学年として、受験勉強への重圧と共に歩もうという決意を固めたのは四月だったか、文化祭の用意に追われてすっかり忘れていた。

 どうして高三の私が文化祭の準備とかいう運動部だったらもっとユルくやれるはずなのに文化部となればブラック企業さながらに来る日も来る日も働かなければならない責め苦、或いは虐待に甘んじせっせと作業をするのかといえば、偏にに我らが華園高校化学部の部員が、三年生一人、二年生三人(内・ユーレイ二人)、一年生が二人(内・ユーレイ二人)という弱小構成な上にユーレイ共(そいつら)が文化祭の手伝いすらしに来ない薄情な奴らばかりな所為で親愛なる親愛なる後輩の輔久(タスク)くんが過労死してしまうのを防ぐ為なのだ。輔久くん、もとい輔久部長がしっかり実績を残しているためユーレイ部員ばかりでも見逃されているのが化学部なので、少しでも労うために勉強時間を後ろに倒して平日は化学室に寄るようにしている。

 輔久くんは「尾華先輩は来なくていいのに」と言うが、それでも私の親切心というか罪悪感というかが作用し今日も彼の元へ向かうのだった。



「……今日も来たんすか」

 私が化学室に入るなり輔久くんはそう言った。嫌そうな口振りだが嫌そうな顔はしない。というか眠そうな顔だ。机には模造紙が数枚広げられている。

「今日も来たよー。眠そうな顔しちゃって、それで大丈夫とか言うんだから」

「大丈夫すよ……関屋(セキヤ )先生がたまに手伝ってくれますし」

「あの人、ほとんど来ないでしょう」関屋先生というのは化学部の顧問で、こちらもまた忙しい先生だ。大抵いつも常にパソコンの前に座って何らかのデスクワークをしている。あの人の場合は、それを楽しむ変態(ワーカホリック)的傾向が見られるが。

「で? どこまで終わったの」

 輔久くんは机の上のペットボトルに口をつけた後、諦めたように「……ナトリウムのは終わりました。今ちょっと炎色反応の奴に手が回ってないす」と言う。

「了解。えーっとこれか」

 私は模造紙の山からお目当てのものを発見する。確かに題名だけ書いてあって他は空欄だった。私はそれを隣のテーブルに広げて、リュックからノートを取り出し、作業を開始する。



「輔久くんはさあ」

「へい」

「彼女いないの?」

「はあ?」私はペンの走る音だけが響く空間に飽きて、唐突に質問を彼に噛ました。輔久くんは、珍しく頓狂な声を上げると少し考える風な顔をして、

「そういうのは……いねえすよ」と窓の外を見ながら言った。

 私は持ち前の勘の鋭さで何かあったなと気づくが、追求する意味はない。彼の人生は彼のものだ。

「恋愛もので『あなたの人生を私に下さい』ていう台詞があるけどこの台詞、言いたい、それとも言われたい?」なので、そんな話をした。

「話いつの間に変わったんすか? ……ええとー、言いたくないし言われたくないって回答は……」

「却下」

 っすよねえ、と輔久くんは今度はダイレクトに嫌そうな顔を形成した。「じゃあ言う側で」

「ほう。その心は」

「あげるよりもらいたいので」

「独占欲強そう」私は素直な感想を吐く。

「えー……じゃあ先輩はどうなんすか?」

「持ちつ持たれつで同時に言いたい」

 そんな話をしているところで、ドアを開けて入ってきたのは、輔久くんの相棒の良空(ラスク)ちゃんだった。

「たーっくん。あ、尾華先輩、こんにちはー。今日もいらしてたんですね」

 良空ちゃんに挨拶を返しながら、そういえばこの二人も、一卵性双生児なのだと思い出した。二人は男女の差こそあれどかなり顔が似ている。私の片割れも、私と顔がそっくりに育ったのだろうか。

「輔久、まだ終わんないの?」

「んあ。なかなかなあ」

「だから私が手伝うって言ってるのに輔久くんたら冷たいんだよー」

「いや先輩は流石に勉強して下さいよ。もう夏休み終わってんですけど」

 良空ちゃんからも厳しいお言葉。

「ちぇ。よし分かった、心理テストしよう」

「何が分かったんすか」

「『あなたの人生を私に下さい』ていう言葉、言いたい、言われたい?」と、私はこの数秒で心理テストに昇格させた質問を、良空ちゃんに出した。

 良空ちゃんは意外にノリがいいところがあって、私はおもしろい答えを期待してのことだったのだが、

「────」

 良空ちゃんは、固まった。

 ────。

「おい、らー?」輔久くんが心配そうに声を掛けると、ハッとして動きを取り戻した。

「ふえ、あ、すみません、えっと、何でしたっけ?」

「…………」

 今度は、私が黙る番だった。

 この子は、明るい割に、地雷(NG)も多いのだ。今まで、どんなことを乗り越えてきたのかは知らないが、日常会話のふとしたキーワードが引き金となるので、いちいちヒヤヒヤする。

「?」

 良空ちゃんは可愛らしく小首を傾げるが、それはただ表面を取り繕ってるだけで心の中は荒れ狂っているに違いないのだ。それだけに健気さがひしひし感じられて、保科(ホ シナ)良空という人間の脆さを繋ぎ止めておかなければという決意を、輔久くんと心の中で交わした。

「はいチュッパチャプス」

 私はそんな空気を誤魔化すために双子にリュックから取り出した飴を投げる。

「わっ、ありがとうございまーす、イチゴ味だ!」

「サクランボ味って何すか?」

 こんなことで和むのなら、安いものだ。

 良空ちゃんに暗い顔は似合わないのだ。




     △




 私と輔久くんは真面目に働き、遂に、万全の準備の下、文化祭を迎えた。ユーレイ共は、当日だけは手伝うと約束をしていたらしく(変な約束だが)、「先輩は見て回ってていいすよ」と泣かせる先輩孝行を見せてくれた輔久くんに免じて友人たちと楽しく満喫することにした。

 朝のHR、というか点呼が終わるとすぐに、私は同じクラスの華江(ハナエ )のナエちゃんと、(アオイ)のオイちゃんと合流し一緒に回る手はずを整えた。

「あれ、ルナ子は化学部行かなくていいの?」オイちゃんがそんなことを言ってきたので、私は「だいじょーぶ。いい後輩は先輩に楽させてくれるのよ」と自慢の後輩を自慢しておいた(一応だが私は実華菜のルナちゃんだ)。

「ふーん」「反応薄いじゃん」「いや、ルナ子は去年先輩働かせてたなー、と思い出して」「忘れて」。去年のことはいいのだ気にしなくて。人は成長するもの。

「でもルナは成長してないでしょ」ナエちゃんがそんな厳しいことを言う。ナエちゃんは身長が高いし吊り目がちなので、可愛らしい声じゃなかったら姉御というか上司というか、更にキツいものがあったといつも思う。オイちゃんも背が高くてもはや私がチビ説もあるが私は平均身長に到達したことを誇りに思っているのでやはり二人がデカいのだ。

「ひどいなあ二人とも。これからでしょこれから」

「「もう手遅れ」」

 ……キツいなあ。

 しかし文化祭で気分が上々の私はそれくらい躱せるし何なら悪口でも声を掛けてくれる二人の優しさに感涙さえできる。そもそも、この二人に多少なりとも憧れて輔久くんには先輩振って接してるところもある訳だし。

「もう! この話は終わり、まずどこ行く?」

「焼き鳥」「ヨーヨー釣り」

 見事にバラバラだった。そして私は、とりあえず食堂のアイスが食べたい。

「肉食獣かよー」「はー? 肉喰わないと身長伸びないんだよ」「チビって言うな」「ヨーヨーほしい。水ヨーヨー」

 決まらなそうだったので、折衷案としてマシュマロを食べることに決まる。



「あッ、華江ーっ」

 さて、校庭のベンチで三人並んで、焼きマシュマロを口に詰めていると、イケメンが声をかけてきた。

 おっと違う、この人は。

「お兄ちゃん……どうしたの?」

 ナエちゃんのお兄ちゃんの、遥樹(ハルキ )先輩だった。いや、イケメンが違う訳ではなかった。むしろ最近見かけてなかった所為か、磨きがかかっているような。

「まおまお見かけてない?」

「え? 知らないけど……一緒に来たの?」

「卓球してたらいなくなってた」

 まおまおとは誰か分からないが、大方遥樹先輩が体育館でちやほやされてたのに飽きたのだろう。ちなみに遥樹先輩には本人非公認のファンクラブがあって、女子生徒の三分の一近くがせっせといろいろやっていた、らしい。遥樹先輩の古巣の陸上部なんかも、八割の女子部員が遥樹先輩目当ての入部という噂なので、かなり時代を築いた男として、生徒にも教員にもよく憶えられていることだろう。置いてかれるのもしょうがない。

 ナエちゃんはそんな感じで、お兄ちゃんの遥樹先輩と少し離れたところで会話をしている。と、隣のオイちゃんが、「あのイケメン、誰?」と訊いてきた。

 おっと?

 オイちゃんの天然度には肩透かしを喰らう日々だが、今回のは、かなりびっくり。というか、遥樹先輩のことなんて無条件で皆知っているつもりでいたけどよく考えれば今年入学した一年生はほとんどさっぱり知らないのだ。

 でもオイちゃんが知らないのはやっぱりおかしくないか?

「遥樹先輩だけど。華園OBの」

「む? あー、あの人が。なるほどなるほど」流石に名前を聞いたら分かったようだ。名前も知らなかったらヤバ過ぎると思ったので、オイちゃんがヤバ過ぎなくてよかったと思った。

「よーしヨーヨー釣ろう」話を終えてナエちゃんが帰ってきたので、そうだねと、残っていたチョコマシュマロLサイズをオイちゃんの口に突っ込んで立ち上がる。

 釣りたがる割にはからきし釣れないナエちゃんの技量を、一ヶ月振りに見せてもらうとしよう。

 七月終わりの縁日の屋台でのパフォーマンスは、しっかり動画で残してある。




     △




 ヨーヨーを釣った後(私・二個、ナエちゃん・零個、オイちゃん十二個)、焼き鳥を化学部に差し入れとして持っていこうとしたところで、ナエちゃんとオイちゃんもそれぞれ自分の部活に顔を出したいという話になり、三十分後に先程のベンチで待ち合わせることにした。

 私はそのまま化学室にいて手伝おうとも思ったのだが、ユーレイ共に更にパシられる予感がしたので、輔久くんを百回激励した後、足早に部屋を出た。

 客の入りもそこそこだったので、一安心だ(そんなことより部員五人全員揃っていたのは驚いた、暇か)。

 お手洗いに行って、鏡を見たら吹奏楽部のコンサートを思い出す。後で三人で行こうと思いながら手芸部にでも行こうと、進路を決定したところ、



「ほのかーっ」



 誰かが誰かを呼ぶ声。

 ほのか?

 私は後ろを向く。

「っと……人違いでした、すんません」

 声の主は、人のよさそうな大学生くらいの若い男だった。私服なので、少なくとも華園の生徒ではない。

「あー、でも知ってます? ほのかって」

 ほのか――ほのか……ああ、聞いたことがある名だと思ったら、会話したことはないのだが、確かナエちゃんの友人だ。去年いろいろあった(交通事故だか何かだったっけ?)けどもう大丈夫だと、話していた気がする。あまり深くは聞いていなかったし、最近はそんな話題はさっぱり出てこないので、それでいいのだろうと忘れていた。

「ええと。名前しか知らないですね……友人の友人なんですけど」

「そっか。ありがとう。……じゃあどこだー」

「コンサート会場に行ってるかも知れないですね。確か、吹奏楽部だったと記憶してるんですけど」

「盲点」その人は指をぱちんと鳴らした。

 うーん。なんかのんびりした人だなー。

 好印象。

「OBの方ですよね?」

「ん、そうだけど」

「私もこれから友人とコンサート行こうと思ってて。どうせなら、一緒に行動しましょう」

「会場知らないからありがたい」

「地図もらわなかったですか」

「連れに預けてる」

 連れって……彼女とかなのだろうか。いや、彼女と来ておいて、母校の女生徒を探すかなあ。

 何はともあれ、二人で歩き出す。



 待ち合わせ場所のベンチにも、二人で行った。

「わあ、ナエ子、ルナ子が男連れてきた」

 オイちゃんがそんな失礼なことを出会い頭で言うのでぶん殴ろうかと思ったら、ナエちゃんが顔を上げて、

「――何してるんですか眞緒(マオ)先輩」

 と白けた顔で言う。私は驚いて隣の人の顔を見上げる。

「こっちの台詞だよ、鹿山(カ ヤマ)妹」



 その人――眞緒先輩は、しっかりと遥樹先輩(連れ)に引き渡した。まだ見つかってなかったのかと思ったが、どうせ遥樹先輩は、特に心配せず方々で油を売っていたのだろう。

「でもまおまお、お前スマホ忘れたんだからせめて一言残せよ」

「うん、途中で気づいた」

 そんなやり取りの後。

 体育館――十三時からの吹奏楽部のコンサートを、計五人で見に行った(ナエちゃんは遥樹先輩がついてくるということで不服そうだったが)。流石というか圧巻の演奏で、時間があっという間に過ぎていく感覚を味わった。

 コンサート後、眞緒先輩が探している人の元へ行くと言い二人とは別れた。まだ文化祭終了まで二時間程ある。

「次どこ行こうか。休憩室にでも行く?」私は二人に声を掛ける。と、オイちゃんがくいと隣のナエちゃんを顎で指す。ナエちゃんは何だかすっかり憔悴した感じでふらふらしていた。多分、眞緒先輩と会って昔のことをいろいろ思い出したのだろう、今はそっとしておこうと思いオイちゃんと目で相談。多分意思疎通できたと感じたので二人でナエちゃんをベンチに運ぶ。本日大活躍のベンチさんだ。




     ※




「私飲み物買ってくるー」オイちゃんはそう言ってふらふらと歩いていった。オイちゃんがふらふらしているのはいつも通りなので逆に安心。ベンチに二人で並び、校庭で鬼ごっこをしている、小学生くらいの兄弟を眺める。

 ナエちゃんは良空ちゃん程地雷が多い子だとは思わないが、たまにこうなるなというか、今年度の始めくらいから時々こんな症状だ。まあ、その直前の一、二ヶ月くらいはかなりのレベルの躁鬱を発揮していて学校に来ない日もよくあったし、安定している方だと敢えて言おう。

 ナエちゃんが格好いいし可愛いし、身長高くてしゅっとしてるし、面倒見がいいし馴れ馴れしいし、相談乗ってくれたりつるんでくれたり優しいし、厳しいし少し怒りっぽいし毒吐きだというのは彼女と出会った小学三年生だか四年生くらいから知っているし、だから私も彼女に自分の強い部分も弱い部分も、好きな部分も嫌いな部分も、見てほしい部分も見てほしくない部分も甘んじて、友人として、親友として曝すし、何なら今つき合ってる友人の中でも私の名前の由来とかそういうの諸々知っているのはナエちゃんと、他には二人程度で、まあもうそんな昔の話は忘れてるかも知れないしその可能性が小さくないことは否めないのだけれど、そのお蔭で、等身大で接することができるというのは事実なのだ。お互い何がよくて何が嫌か、何が好きで何が嫌いか、何が励みで何が地雷か(ナエちゃんの地雷は最近増えたけど)、よく知っている。だからこその関係で、気持ちよく思えるいい関係だ。こんな関係は一朝一夕には築けないありがたいもので、これからも大切にしたいと思うけれどどこかで何かがないとも限らない、だから、面と向かった衝突なんかは全力で回避するしもししてもすぐ回復するよう努力をしている。そうして今までは正しい答えを選んできたつもりの私は、左隣に座っているナエちゃんの、少し震えている手を優しく上から握った。「大丈夫だよナエちゃん」

 と、ナエちゃんは私のその手を払って、左側から私を抱き締めるように両腕を私の右肩まで回してくる。息遣いが耳に伝わる。彼女の方が背が高いので、少し覆い被さるようになる。瞬き。




「ルナ」




「――……」体温。体を揺すっている鼓動が。上気した頬。吐息。




「ルナ、あなたは……誰なの?」




 華江が、違うものに見える。

 強くなる腕。鼓動。時間。風。煙の匂い。




「私は」




「ルナ」




「私は――」

 私は尾華実華菜。でもそれは実華と華菜。実華菜って誰? 私はどちらか。どっちも? 私は片方でもう片方は別にいる。どこに? ――私は、




「ナエちゃん」




 私は今までで一番、正しい答えを出せる自信がない。


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