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第六話 焼き鳥

 獣人臭い布団で目を覚ます。これがザナならすぐにでも洗濯したいところだったが、しかし今はそんな気力は残っていなかった。


「クソ……」


 腕時計を見れば今は朝の七時。今日も天気は良い。ユニマにいた頃より長く眠っているはずだったのに、全身がだるい。まるで疲れが取れておらず、頭も泥に埋まってしまったかのようにまるで働かない。

 心が不安になりそうになるのをなんとか押し止める。自分に今必要なのは不安に押しつぶされることではなく、現状を冷静に確認することだった。しかし現状を確認しようとすればするほど、目の前の現実に押し潰されそうになるのも事実だった。


 重い体を起こして今日も昨日と同じように台所でお粥を作る。作り終わったらそれを狐耳の少女の部屋へと持っていく。


「入るぞ」


 と言って三秒待って部屋に入ると、今日は布団に横になったまま、儚げな視線を布団の外にのばされた自分の手に向けている彼女がいる。人間とまったく変わらない、細くて滑らかな線を持つ小さな子供の手だった。

 部屋に入ってすぐのところに置かれているお盆には、昨日の夜に持ってきたお粥がそっくりそのまま置かれている。どうやら一口も食べていないようだった。

 それにため息を吐くような真似はしない。食べ物がもったいないと怒ることもしない。そうしたところで、余計に彼女を追い詰めてしまうと思ったし、別に食べていないことに怒るほど自分はフードロスに強い関心があるわけでもない。

 もしかしたら、そんな理由ではなく、単に自分が他人に無関心なだけなのかもしれない、とも思う。他人に関わって碌な目にあったことは、これまでに一度もなかった。


「具合は大丈夫か?」


 と尋ねるが返答はない。あまりに動かないものだから心配になって「ちょっと触るぞ」と言っておでこに触れてみる。

 知らない男が体に触れるというのに、彼女はそれらしい抵抗もしなかった。ただ、おでこに触れた瞬間、体がビクッと震えた。

 ザナのドラマだとこうして熱かどうかわかるシーンがあるものだが、正直な話自分にはさっぱりわからなかった。何も言わないのもおかしいから「なるほど」と言って適当に誤魔化した。

 それから再び彼女を見る。その元気のない姿に決心する。


「今日は市場に行くんだ。君も一緒に来てくれ」


 思いもよらぬ提案だったのか、彼女の体がピクリと反応した。


「こんなところで一日を過ごしていてもどうにもならない。一度外の空気に触れた方がいい」


 そう言っても、彼女は表情ひとつ変えなかった。しかしかなり時間が経ってから、はいとだけ答えた。

 彼女はもしかしたらそっとしておいた方がいいのかもしれない。彼女の心を治してくれるのは時間だけなのかもしれない。でも残念ながら、その時間すら自分にはないのだ。だから、何か彼女の心を変えるキッカケが欲しくて焦っていると言われればそれまでのことだった。


 少しして準備をしてから市場へ行った。出る前に少女がお粥を食べたか確認したが、やはり手をつけていないようだった。


「凄い活気だな」


 という言葉は市場に入るなり漏れでた。

 市場にはたくさんの人がいた。大多数の人間とほんの少数のハーフ、いないのは人間くらいだった。市場の規模も昨日の偵察の推定より遥かに大きかった。おそらくは北部は貧しい場所、という先入観が判断を誤らせるキッカケになったのだろう。

 店の種類も様々だ。虐殺のあった村にはせいぜい生活に最低限必要な店くらいしか見えなかったが、ここは違う。屋台の串焼き屋から理髪店、立派なお菓子屋などと様々だ。そして何よりもこの町には笑顔があった。ユニマでは見ることができなかった屈託のない笑顔が。


 いい町だ、と思ったが警戒を緩めるわけにはいかなかった。

 自分のズボンの腰のあたりから伸びる偽物の尻尾を軽く撫でる。すっぽりと被ったフードには、獣人の耳が入るような隙間があるが、そこにも詰め物をされているおかげで、側から見れば自分はハーフにしか見えないはずだった。小銃も家に置いてきた。

 どのみちこんな町中で、そしてこんなに人が多い場所で、自分に耳も尻尾もないとバレたときに銃があったところでどうにもならない。これだけの規模の町なら軍人もいる。なら最初から怪しまれるような長い筒状の物など持っているだけ無駄だ。だから今は完全な手ぶら──


 そう思おうとして、少し違うことを思い出した。自分の左手は狐耳の女の子の小さな手を握っていた。それは自分から握ったものではなかった。ここに来る途中、彼女の方から握ってきたのだ。


「どこか行きたいところはあるか? 食べたいものとか」


 そう尋ねるが相変わらず返答はなかった。


「じゃあ、とりあえず歩こうか」


 そうは言って歩き出したものの、自分には明確な目的があった。

 自分でもあまり実感は湧かないが、今すべきことは山のようにあるはずだった。情報収集に、念のために衛星電話などの通信機器が市場にないかの確認などなど。

 ハーフが虐殺された村では見ることはなかったが、この町にはなんと電気が通っている。それは町中に建てられた電柱からもわかるし、昨日の町に入る前の偵察の際に電気が灯っているのも見えた。となれば、可能性は低くとも衛星電話がどこかしらにある可能性も否定できない。

 衛星電話さえあれば現状は全て解決する。後は基地に電話一本かければ救出部隊をデリバリーできる。


 しかし、歩けど歩けどそんな物を売っている店はなかった。当然と言えば当然だ。そんなものはザナですらそこらの店では買えない。それがこんな場所にあるはずもなかった。


「う……っ!」


 はぁ、とため息を吐こうとしたところに、腹部への鈍い痛みが襲ってきた。

 実を言えばこの痛みはずっと波のように強くなったり弱くなったりをしながら襲ってきていた。原因はストレスだ。

 仲間を殺されたところに虐殺を見てしまったことがトドメを刺し、そこに更に現状の様々な問題が死体撃ちをしている。ザナなら胃薬があるが、この場所にそんな便利なものはない。もし店に売っていたとしても、流石に服用する勇気はない。


「……?」

「ああ、なんでもないなんでもない。それにしても地図もないとはなぁ……」


 少女が不思議そうな顔をして見てきたから慌てて否定する。今は自分が踏ん張らなくてはならないのだ。彼女のこれからのことについても。


 狐耳の少女の立場は、非常に難しいと言わざるを得ない。


 彼女には親もいない、兄弟もいない、頼れる人もいない、加えてハーフだ。自分がこの子と一緒に味方の場所まで行くことはできるかもしれない。しかし、そうしたところで、だ。

 自分がずっと面倒を見るわけにはいかない。軍人である以上、自分はいつか国へ帰らなければならない。そうなれば、彼女はこの国に一人、置いていかれてしまう。ならばどこかで彼女の面倒を見てくれる人を見つけなければならないが、そんな人が果たしているのか、そして面倒を見ると申し出たところで、その人が信用できるのかもわからない。一応、ザナならハーフでもまだマシに暮らせる施設は存在するが、ザナ国内の施設に入るにはザナの国籍が必要だ。ともなれば彼女は難民申請をしなければならないが、ザナは難民申請を蹴ることで有名な国だ。それ以外の国となると論外だ。獣人の国であるルグドラクール共和国も、他の人間の国も。

 ハーフは人間でも獣人でもない。双方から望まれて誕生したものでもない。そして人間も獣人も互いに互いを憎んでいる。だからハーフは人間からは獣人の血が混ざっていると言われ、獣人からは人間の血が混ざっていると言われる存在だ。

 つまるところ、今の彼女の現状は八方塞がりである。そのところについても、いずれ彼女と相談をしなければならないということが憂鬱で仕方なかった。だって、家族を亡くしたばかりの子供にどうやって「今のお前には居場所なんてない」ということを伝えればいのか。


「そういえば少し腹が減ったな。……お、焼き鳥なんてどうだ? どう、君も食べない? ほら、タレのいい匂いもする」


 いい加減考えすぎて嫌になってきたから、とりあえず視界に入った焼き鳥屋で感情を誤魔化した。

 その店の店先では金網の上で串に刺された鳥の部位が焼かれていて、香ばしいいい匂いが漂っていた。そして店の奥では店主と思しき男が大きな包丁で鳥の首を落としていた。


「ごめんなさい……」


 しかし何か慌てるように少女はそう言うと、その場にしゃがみ込んでしまった。

 どうかしたのか、と思いつつもすぐに自分もしゃがんで彼女の背中をさする。そしてすぐに気がついた。

 この子は目の前で人が殺されるところを見ていたのである。それも中にはあの鶏と同じように首を落とされた人もいた。しばらく肉なんて食うのはおろか、見ることだって嫌だったのだろう。


「悪い……」


 自分は、ただそう言うので精一杯だった。

 自分だってミッツ軍曹の首を落とされるところを見ていたはずだった。それなのに美味そうだ、なんて思ってしまった。まるで感覚が麻痺したようで、自分が気持ち悪くなった。


「おいおい、ハーフが道塞いでんじゃねえよ」


 そんな怒声が聞こえてきたのは突然のことだった。見れば数人の獣人がこちらを見ている。雰囲気から察すると、まだ昼前だというのに随分と飲んでいるらしい。


「すまない。すぐに退くから待ってくれ。この子の具合が悪いんだ」

「はっ。人間の血が混ざってると軟弱で仕方ねえな。そんなんじゃこの国じゃ生きていけねえぞ。さっさと自分たちの国に帰んな!」


 このままここに留まり続けても得るものは何もないだろう。いや、もしかしたらプライドは得られるのかもしれないが、それ以上のものを失ってしまうだろう。

 まだ具合が悪そうな少女をおぶってその場を後にした。


「ここにお前らの居場所なんてねーんだよ! とっとと失せろ!」


 そんな捨て台詞が後ろから聞こえてきた。

 歩きながら背中の少女が震えているのがわかった。

 どうして人は人の精神状態を考慮してものを言ってくれないのか。あんな言葉、普通の時だって辛いのに、どうして平気で言ってしまうのか。悲しいものである。


 家に帰ると少女は再び部屋に行ってしまった。

 あの子に気分転換させたくて外に連れて行ったのだが、あれでは逆効果になってしまっただろう。強引に連れて行ってしまったことを後悔した。


「うぅ……」


 しかし、それはそれとしてとにかく疲れていた。全身が重い。瞼も重い。

 フラフラとした足取りで居間のちゃぶ台に突っ伏した。

 やらねばならないことはたくさんあるはずだった。生きるために自分にはやらなくちゃいけないことがたくさんある。それ自体は生存というものに直接結びつかないとしても、それらが積み重なれば、窮地を脱する力になり得る。

 だから、やらねばならないことがたくさんある。あるはずなんだ。

 そう思いながらも意識はどんどん微睡に囚われ、遂には落ちた。今がまだ昼を過ぎた頃だということは、睡魔の前には意味をなさなかった。

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