第四話 祖国は何処へ
「…………」
朝日に目を覚まして体を起こす。
見慣れない天井、見慣れない部屋。起きると布団から獣臭が漂ってきたが、しかしまともな布団で寝るのすら久方ぶりの身分では、良い匂いを求めるなどあまりに欲張りというものだった。
途中で老人の死体を埋めて、ファルナの町に着いたのは日没の少し前だった。
町の外で銃を構えて中を見た感じでは、大きな市場も見えてそこそこの規模の町のようだった。それにこの町ではハーフたちの虐殺は行われていないようだった。おそらくは愛国戦線の影響下にないのだろう。
偵察に時間を要したのと、一応念を押して日没の後に町に入り、ルドルフという者の家に向かった。しかし、家の中には誰もいなかった。家主は慌てて出て行ったのかあちこちに物が落ちていた。
家は大きさ的に言えば大きい部類だった。居間、台所、縁側に二つの和室。各部屋に行くには廊下を通らなければならない。トイレは家の横にあった。ボットンだ。もしこれでトイレが家の中にあって、更に風呂と二階を付け加えれば、ザナの田舎にある自分の爺さんの家にそっくりになるはずだ。
他に行くアテもなかったから狐のハーフの少女と二つの和室に別れて布団を敷いて、後は泥のように寝た。少なくとも自分は。
襖を開けて廊下に出る。廊下に出たすぐ目の前には狐の少女が眠る部屋がある。部屋の中から気配は感じるが、物音は何もしない。昨日の夜、自分が寝るまではずっとすすり泣く声が聞こえていたから、今は眠っているのか、それとも泣く気力がなくなったのか。
自分は台所に行って料理を始める。電気もガスもないから、燃料は薪だ。薪は家の裏手の薪小屋にあった。
土鍋にといだ米と多めの水を入れて火をかける。まぁ、お粥を作るのだ。
まともに料理したのなんて大学時代に一人暮らしをしていたのが最後かもしれない、と思い出してクスッと笑った。最初の方はノリノリで始めたのに、結局スーパーで出来合いのものを買う方が安いし楽だしでやめてしまったんだっけか。
薪の火加減に手こずったものの、最後に塩をふってお粥が完成した。味見をしてみると、お粥なんてこんなものだろう、という味だ。
それをお盆に載せて狐の少女がいる和室の前まで来た。
一瞬だけ、開けようかどうか悩む。
彼女は今、一人にしておいた方がいいのではないか。食事だって、きっと喉を通らないのではないか。
でも、そんな不安を今更抱いたところで仕方がなかった。
「入るぞ」
一声かけた後、三秒待ってから襖を開けた。その間に返事らしきものはなかった。
真っ暗な部屋の隅で何かから自分を守るように布団に包まった少女がそこにいる。
「……ぁ」
彼女は物音に反応して膝に埋めた顔を上げてこちらを一瞥すると、それだけ声を漏らしてまた下を向いた。
これはなかなか手厳しい反応である。
「ご飯を作ったんだ。昨日から何も食べてないだろ?」
そう声をかけてみるが反応はない。
相変わらず俯いたまま。
仕方がないか、と自分はおぼんの上に乗っかったお粥を見た。小皿には梅干しもある。少しでも食べやすいように、と思ったが、食べる気力もないのならどうすればいいのか。
「ぉなか──」
「うん?」
彼女は決してふざけた発音をしたわけではなかった。ただ、言葉を発しようとした瞬間に嗚咽が重なってしまっただけなのだ。
「お腹が、空いていないので。いら……ないです」
「でも、食べなきゃ体を壊す。一口だけでもどうだ?」
返事はなし。顔ももう下げてしまっている。拒絶の反応である。
「お祖父さんのことは残念だった」
お祖父さん、と口にした瞬間に彼女の体が強張るのがわかった。
それを見て心が痛んだ。そもそも、自分が残念だったなどと言える立場にはないことはわかっていた。
彼女のお祖父さんの心配蘇生をしなかったという判断。それはあのときは正しかったかのように思えた。しかし少し時間の経った今となって、こうして彼女の落ち込む様子を見ると、どうしてあのとき何もせずに諦めたのか、と考えてしまう。
例え無駄だったとしても、それにより彼女のお祖父さんの運命は変わらなかったとしても、それでも自分は諦めるべきではなかったのではないか、と考えてしまう。
「君のお祖父さんが命を張って助けた命だ。無駄にするようなことはしちゃいけない」
少女が拳を強く握った。それが何の感情故のことなのかはまるで見当がつかない。しかし、それだけだった。彼女が何かを言うことはなかった。
「ここに置いておくから、もし良かったら食べてくれ」
それじゃ、と言って自分は部屋から出る。
自分の部屋に戻ると畳の上に横になって、胸いっぱいに口から吸った息を鼻から吐き出した。
問題は山積みだ。どうすればいいのかもわからない。
こんなこと思いたくないが、その問題とはあの狐耳の少女だ。
自分一人であるなら、簡単だった。自分が思うままに南へ歩き続けて味方と合流する。しかし、彼女がいてはそれができない。
あんな調子の彼女を無理矢理歩かせることなんて自分はできない。少なくとも今は休む時間が必要だ。しかしあまり長く同じ場所に留まり続ければ、いずれは敵に自分の居場所がバレてしまうかもしれない。何せみんなをあんな残虐な方法で処刑した奴らだ。きっと自分のことも探している。一応、少女をこの家に残して自分一人で南へ向かうという方法もあるが、それはあまりに酷すぎる。ハーフたちが理不尽に殺されるところを見て、さらには家族が死んで頼れる者が誰もいない少女を一人置いていくなんてのは、人間としてやっちゃいけないことだ。
人間としてやっちゃいけないこと、その言葉を反芻して自分の心に現状をストンと落とし込んだ。
それにしても、今更ながらに気になるのはどうして自分たちのヘリが墜とされたのか、ということだ。誰がやったのかもわからない。
墜とされた理由については、ザナやPKOに不満を持っている組織がやったのかもしれない。実際、墜落した後に味方が虐殺されたことからも、少なくとも人間という種、或いはザナに反感を持っているのは間違い無いだろう。
しかし、どうにも腑に落ちない。
ルグドラクール派遣が始まったのは1998年のことだ。その後、いろんなことはあったが、少なくともここ15年はザナPKO部隊は大規模な攻撃を受けていない。各地の武装勢力とも互いに攻撃をしないという約束を取り付けているはずである。
確かに最近はきな臭くなってきたという事実もある。しかし、だとしても事が動くのが早すぎる気がする。
途中で出くわした愛国戦線の兵士も何が起こっているのかよくわかっていない様子だった。ヘリが墜落してから数日が経っていたのにも関わらずだ。
結局、何もわからなくて窓の向こうに見える空を見上げた。今日は雲一つ……いや、二つくらいはある快晴だ。
「…………」
空を見上げていれば、ヘリの音──或いはジェット機の爆音──が聞こえてくる気がする。そしてヘリからラペリング降下してきた特殊部隊の兵士たちが瞬も周囲の安全を確認して自分を助けてくれる。ここに至るまでも何度もそのことを考えた。
ただ、それは所詮幻聴、下劣な妄想に過ぎない。
ユニマの仲間たちは何をしているのか。ヘリが墜とされたことを本当に理解しているのか。自分が生き残ったことを知っているのか。救出はいつに来るのか。せめてジェット機で偵察に来てくれないか。
いずれも考えたところで仕方がないことばかりだ。
しかし──しかしながら、思ってしまうのだ。
──祖国よ。祖国は今どこにいるのですか。