第二話 生き延びて
夢を見ていた。
人を殴る夢だ。相手は血だらけになっているのに、自分は殴り続ける。
殴られている人は泣いていた。
ただ、それだけの夢だった。
「…………」
目を覚ますと知らない天井が見えた。木目の見える、木の天井である。
「どこだ……」
喉から出たのは掠れた声だ。
見たところどこかの家の中にいるようだった。長い間放置されていたらしく空気は埃っぽい。部屋の真ん中には囲炉裏があり、自分はその脇で毛布を被って眠っていたようだ。そして少し視線を移動させれば壁に銃が立て掛けてあるのが見えた。
腕時計に視線を落とすと時刻は午前10時を少し過ぎたころ。
ここはどこだ?
切れかけた疑問の糸を繋ぎ止めるべくもう一度自分に問いかけた。
額に手を当てて考える。
ヘリが墜落してその後はずっと雪山を彷徨って……それから力尽きて倒れたはず。
となると……。
「誰かが俺をここに連れてきたのか……?」
そうして部屋の中を見ることにした。もし自分をここに連れてきたのが味方なら問題ないが、敵だとしたらすぐに逃げなければならない。
囲炉裏の中に置かれた炭は最近燃え尽きたようだった。それに自分にかけられた毛布、そしてすぐ届く場所にある銃。それらを見るとどうやら自分をここまで運んだ誰かは拘束しようだとか、そういう思惑はないようだ。
「──ぐッ!?」
その誰かを探そうと思って立ち上がると、背中に鋭い痛みが走った。
それでも堪えて立ち上がる。だがそもそもこの家は自分が寝ていたこの部屋しかないようだった。
玄関を見ても、そこには自分のコンバットブーツしかない。
家から出てみても、そこには足跡ひとつない。おそらく自分を連れてきた人物は長時間ここに来ていない。
家は山小屋のようだった。建物のてっぺんから地面までのびる急こう配の屋根が特徴的だった。
周囲は木が立ち並び、人の気配はない。どうやらここは森の中のようだ。
「……」
空模様は相変わらず良くなかった。雪こそ降っていないものの、空は曇っている。もしかしたらまた雪が降るかもしれない。
空気も冷たくて、試しに息を吐いてみたが、白い息は出なかった。おそらくは空気が綺麗だからだろう。あれは空気中の塵が関係している、と昔に国で聞いたことがある。
空気が綺麗なのはここが環境破壊の進んでいない場所だからか、それとも標高が高い場所だからか。できれば前者であってほしい。ここがもし標高の高い山の中なのなら、下山するのには体力を使う。食料も何もかも心もとない今、体力はなるべく温存しておきたい。
家の中に戻り、まず銃を手に取った。SCAR-H。ヘリック伍長の銃だ。改めてこう確認すると、本当に彼も死んでしまったんだという実感が湧いた。
マガジンを外して確認してみるが、どうやら弾は抜き取られていないらしい。身につけていたものも特に何も奪われていないようだ。
これからどうするのか。ソラは壁に背をもたらせて考えた。
「ん?」
思考を巡らせていると、部屋の隅にリュックサックがあるのが見えた。
「これは──!」
開けて中を見てみると、そこには缶詰がいくつか入っていた。そしてその下には何着かの服。それらはルグドラクールの伝統的な服が上下セット、それにフード付きのローブだ。
ローブの方には獣の耳が生えているかのように見えるような偽装が施されており、ズボンの腰には偽物の獣の尻尾が縫いつけられている。
いずれもくたびれた印象で、何年も使い込まれていたような印象を受ける。
これはおそらく自分が獣人と人間とのハーフに見えるように、とのことなのだろう。全身毛だらけの獣人と違って、ハーフは人間の体に獣の耳と尻尾を生やしただけのような容姿をしている。
どうやら自分を助けてくれた人が残してくれたものらしい。ソラは心の中でここにいないその人に心の底から感謝した。これさえあれば自分も町の中に入れるというわけだ。
この人は自分がどういう身に置かれているのかも知っていてこんなことまでしてくれたのだろう。そう思うと少し涙ぐみそうになった。
どのみち何日かは外を歩ける体ではない。無理をすればきっと悪化してしまうだろうから、誰かが残してくれた缶詰を食べながら歩けるようになるまで待つしかない。
缶詰はザナにあるような、素手でも開けられるような便利な作りにはなっていなかった。缶切りでもあれば良かったが、生憎そんなものは持っていなかった。ソラは銃剣を使って無理やり蓋を開けた。
幸いなことに薪も炭も部屋に転がっていた。それに火をつけるとソラは床に横になった。
そして横になったまま手で缶詰の中身を食べる。
傍から見れば行儀の悪いことこの上なかったが、箸もスプーンもこの場にはなかった。、
缶詰の中身は不思議な肉だった。外にはスパムと書かれている。名前は知っているが実際に食べるのは初めてのことだった。
「うま……」
それは平凡なときに食べたら塩っぱいと感じる味だっただろう。しかし体力を限界まで使った今だから最高に美味く感じる。生きていて良かったと思う瞬間だった。