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第一話 その地、ルグドラクールにて

作者のおけやといいます。初投稿のため至らない点が多々あるとは思いますがよろしくお願いします。

作者は軍事について素人なので暖かい目で見守ってくだされば幸いです。

2020年12月17日・ルグドラクール共和国・ユニマ市


 この国は「ケダモノの王国」という蔑称が存在する。それはこの国に住む人が獣の姿をしていることに他ならなかったからだ。彼らは主に犬系と猫系の獣の姿を模した()だ。見た目こそ二足歩行の獣だが、ちゃんと話は話せるし、頭の良さもそこまで変わらないし、人間との間に子どもも出来なくはない。

 そんな人間とは違う人を、人間は獣人と呼んだ。


 だが獣人と人間は決して相容れない存在だった。


 遥かな昔、一つの大陸を支配していた彼らは、その強靭な肉体を以て世界に覇を唱えた。彼らは彼らの大陸から飛び出し、人間が支配する大陸に次々と手を出していった。だが時は流れ、科学技術を発達させた人間は彼らを人間の大陸の隅へと追いやり、遂には獣人を彼らの大陸に追い返した。人間は勝利に喜び、自らの行いを正義と称し、攻め込んできた獣人を野蛮な生物と非難した。

 例えその原因が、人間にあったとしても。


「────」


 口腔から出て空へと消えていく白い息を、ソラ・ザッシューナという名の男はじっと眺める。

 彼はアサルトライフルを手にした兵士だ。全身は白い迷彩服に包まれているが、そのシルエットはパリッとしたものではなく、何着も防寒着を重ね着しているせいで少しダボついて見える。歳はまだ若く、大学を卒業したばかりに見える。身長はその歳の平均よりも若干小さいくらいで、ヘルメットの影に隠れても尚鋭いが、どこか感傷に浸っているような目が彼の特徴だった。

 現在はまだ太陽が登りきってもいない早朝。太陽からの黄色い光が現実と非現実を混ぜ合わせるような、そんな時間帯。


 自分が着る服が迷彩服でなければ、あるいはこの風景はどこにでもある様な光景であったに違いない。しかしこれがそうでないことを、慌ただしく走り回る男たちの姿や、基地前のゲートで銃を持って立つ兵士の姿が物語っている。


 キャンプ・ユニマ。それがルグドラクール共和国派遣PKO(平和維持活動)ザナ共和国国防軍部隊が駐屯する一つの基地の名である。工兵を主体とした一個連隊規模の部隊にヘリと空軍の輸送機が数機。五年前に政府と反政府組織が停戦合意を結んだとはいえ、近頃再びきな臭くなってきたにしては心もとない兵力であった。

 この国は、かつては王が収める国であった。最期に王座に座っていたのはメルザール・ルグドミレニア。混乱する国内をどうにか纏めようとした、逞しい王であった、というのは国を出る前、動画サイトで見たことだった。それが2回目の世界大戦の後、民主主義か共産主義かで世界が大きな渦の中に巻き込まれ、そんな中で3000年の歴史を持つ王政は潰えた。

 長く続いた内戦には民主主義勢力が勝利しルグドラクール王国は()()()()()()()()()()へと国名を変えたが、それによって荒れた国土が元通りになるわけでもなく、またその後に続く各地での武装勢力の蜂起によって、この国は現在でも世界で最も貧しい国の一つに数えられるほどであった。


 今この時も、この国の緊張は高まり続けている。停戦監視のための偵察飛行、それに対して反政府組織が猛烈な苦情を入れてきたという話は風の噂で聞いた。自分の後ろで今日も今こうして偵察のためにヘリが飛び立とうとローターを回して待機しているが、これもきっと武装勢力の獣人にはバレているのだろう。なぜなら──


「…………」


 基地のフェンスを挟んだ通りでは現地の獣人たちが行き交っている。ヘリポートと外とを遮るのはたったの十数メートルと細い植木が数本。その気になれば手榴弾を投げ込めるし、狙撃することだって造作もないはずだ。

 それらへの警戒が、今の自分の任務だった。警戒なのだから、外の様子を観察する。


 全身が毛むくじゃらの獣人たちは、たまにこちらを睨むようにして通り過ぎていく。それは仕方の無いこととも言えた。彼らと我々との信頼関係はもう存在しないと言って過言ではない。


 およそ3ヶ月前から市内で散発的に起こるテロリストからの攻撃に対して、自分たち(PKO)は何もしなかった。基地のすぐ外でテロリストが暴れていようとも、その判断を仰ぐべきPKO司令部はフェンスに遮られた安全な基地内での警戒待機のみを命じるに留まった。


 別にそのことを責めたいわけではない。そのおかげでザナ人は誰も死なずに済んだのだ。しかし、それによって引き起こされたのは信頼関係の崩壊だった。いくら道路を作っても、現地の獣人に仕事を紹介しても、文化の交流を行っても、崩れる時は呆気ない。それもそうだ。命という最も重要なものを、我々は守らずに傍観したのだから。

 ……自分の目にだって、自爆テロに巻き込まれて上半身が吹っ飛んだ子供の姿が焼き付いてまだ離れないのだ。


 せっかく、やっとのことで再び信じてもらいつつあったのに、また逆戻り。かといって、自分には何もできるわけでもなし。テロリストと戦えるかと問われれば命令なら消極的に従いますと返答したいところであった。

 しかし、何か悶々としたものがあるのは事実だった。それが今は基地全体を包んでいるような気がした。


 そんなことを考えていると、完全武装した兵士たちがヘリに近づいてきた。しかしどうにも様子がおかしい。少しピリピリしているようだった。


「ダスタ一等兵はまだなのか?」

「ハッ。それが……ダスタは昨日激辛を食べて、今トイレに篭ってます……あの様子だとあと30分は……」

「さすがにこれ以上作戦を遅らせるわけにはいかないぞ……」


 その時、その男と目が合ってしまった。しまったと思ったのもつかの間、その男はヘリの爆音にも負けない大声を出した。


「おい、そこの。ソラ・ザッシューナ一等兵! ダスタ一等兵に代わり偵察部隊に加われ。上官には話をつけといてやる。なに、ヘリの上でのんびりするだけだ。乗れ」

「ハッ! しかし何も準備が──」

「銃は持ってるだろ? 着の身着のままでいい。どうせ長くはならん」


 男の階級は軍曹。自分より上である。上官にそう言われてしまえば断る訳にもいかずにヘリに乗り込む。なんたる理不尽か。しかもそこにいるのは知らない顔ばかり。

 何か不安を覚えて、服の上から胸の辺りを掴んだ。そこにあるのはドッグタグともう一つ。お守りであり、忌むべきものでもあるもの。


 そして全員を乗せたヘリは上昇を始める。そして基地の外へ機首を向けて動き出した。

 あっという間に小さくなってしまった市街地を窓から眺めつつ、バタバタとうるさいローターの音に辟易する。


 このヘリの名前はUH-60ZA。通称ブラックホーク。ザナ共和国国防陸軍が運用する多用途ヘリコプターである。チャフ・フレアディスペンサーやレーダー警報受信機(RWR)を備えているなど、近代的なヘリコプターである。

 しかし、このヘリも近々キャンプ・ユニマからは去るのだという噂がある。なんでも本国南西方向にある国家が軍事的圧力を強めているのに対抗するため、各地で配置転換が進んでいるのだという。だから本国東方にあるこの場所に今度配備されるのは旧式化が進むUH-1だという噂だ。

 しかし、その時には自分はもうこの地を離れているだろうから、関係の無い話でもある。


「私はミッツ軍曹だ。ソラ・ザッシューナ一等兵にはまだ説明していないから今説明するが、我々の任務は偵察だ。武装勢力がどのような装備を持っているのか、どこに展開しているのかを確認し、撮影を行う。しかしそれはこちらがやるから一等兵には周囲の警戒を頼む。地上を監視し、何か異常があれば報告しろ。わかったな?」

「ハッ」


 言われてヘリの窓から下を見た。

 巡航速度に達したヘリは既に市街地から出て、何も無い雪原へと機首を向けていた。

 そのまま三十分か、一時間か……とにかく長い時が過ぎた。


「相変わらず真面目だね」


 そう声を掛けてきたのはこのメンツの中で唯一の顔見知りであるルシュール伍長だった。

 食べることを何よりも愛していると豪語する優しい男。妻帯者でもあるが、しかしその軍人らしからぬ体型を度々上官に指摘されているということは基地の兵士によく行き渡っている話だった。


「どうせ攻撃なんてされないんだ。こんなところは警戒しなくて大丈夫だよ」

「はい。すみません……」

「謝らないでよ。君は僕の恩人なんだからさ」

「なんだ? 面白そうな話をしてるな」


 話に入ってきた人物に目を向けると、そこにいるのは色黒の男。野球部とかにいそうなやつだった。


「あ、この人はヘリック伍長」

「よろしくな。ソラ一等兵」

「はい。よろしくお願いします……すごい銃ですね」


 ヘリック伍長の持つやけにゴツい銃を見てそう言うと、彼は嬉しそうにニヤッと笑った。


「ああ、これか? いいだろ? ドットサイトにマグニファイア。本土にいた頃はサバゲーが趣味でな。私物さ。それで? ソラ一等兵はルシュールを助けたことがあるんだって?」

「そんな大したことはしてません」

「いやいや、あの時は凄かったよ。去年のレンジャー訓練のとき」


 ルシュール伍長がどこか懐かしむような眼差しで機の天井を見上げたとき、ヘリック伍長が納得しかねるように「あ?」と声に出した。


「いや、あってなにさ。あ? って」

「だって、いやそんな、その体型でレンジャー訓練なんて……さすがに冗談が過ぎるだろ」


 言いながら彼はルシュール伍長の体を上から下まで視線を移していく。確かに、今の伍長の体つきであのキツいと名高いレンジャー訓練に参加したと聞けば疑問を感じずにはいられないだろう。


「いやいやいや。言っとくけど去年はまだ痩せてたんだからね。これは結婚してからの幸せ太りだから。──まぁ、それでレンジャー訓練の時、斜面を滑り落ちそうになってね。その時にソラ一等兵が僕の腕を掴んで引っ張りあげてくれたのさ」

「へぇ。そんなヒョロい体でよくこれを持ち上げられたな」


 と言ってヘリック伍長はこちらとルシュール伍長とを見比べた。


「でもレンジャーに出たくせに二人とも徽章付けてないんだな」

「僕はその後もレンジャー訓練を続けることができて、ちゃんと完了したんだけどね。ソラ一等兵は僕を庇った時にそのまま滑落して足の骨を折っちゃって……。だから申し訳なくて付けないんだ。あの時は本当にごめんなさい」

「そんな、いいんですよ。気にしないでください」


 実際問題、気にしてないと言えば嘘になるが、そこまで気にしていることでもなかった。修了できなかったのは残念だが、あのときに間違ったことをしたとも思っていない。だが、あまり口にしたくないことでもある。もしかしたら、世の中ではこれを気にしているというのだろうか?


「ありがとう。それで、風の噂で聞いたんだけどソラ一等兵は志願でここに来たんだって?」

「珍しい。こんなとこに来るのは仕方なく来たやつか、人道支援によっぽど興味があるやつぐらいだってのに、すげーな」


「ありがとうございます」と口にしつつ胸がチクリと傷んだのは、実のところそんな理由ではなかったからか。


「まぁ、僕らの任務も来週の聖夜祭までだし」

「ほんとやっと帰れるって気分だ。これで奴らの与太話も聞かずにすむし。ほら、なんだっけ? 俺たちは選ばれただのなんだの……」

「──選ばれしルグドの民。この世を支配するため神は遣わせん」

「そうそう、それだよ。よく知ってるな。それで自分たちは異世界から来ただのなんだのって。ラノベじゃあるまいし」


 やれやれ、とうんざりしたようにヘリック伍長は言った。

 この話はルグドラクールに来ればよく聞く話だった。彼らは酒の席で、あるいは自慢話の中でこの文言をよく使う。そしてこの言葉は彼らが人間を侮辱するときにも使う言葉だった。そのことに対し、顔には出さずとも彼ら獣人のことを内心では快く思わないザナの兵士たちがいることも、また事実だった。


「それなら一つ面白い話があるんだ。なんでも人間の骨はずいぶん古いものも見つかっているらしいんだけど、彼らの骨は新しいものしか見つかっていない。古くても3000年前ってことらしいよ。そうなるとそのくらいの時期に人間から進化して獣人が生まれたはずなんだけど、僕たち人間から獣人が進化していく途中の化石も見つかってないんだって」

「なんだそりゃ、こええな」

「まぁ、実は僕たち人間も猿から進化した過程が見つかってないんだけどね」

「なんだよ。結局骨が見つかってねえってだけか。そういや、ルシュールの嫁さんはもうだいぶ腹が膨らんでる頃じゃないのか?」

「うん。一応再来月が出産予定。いやぁ良かったよ。それまでに帰国できて。こういう職業だと立ち会えないことも多いから」

「ったく、この幸せ者め!」


 うりうり〜、とヘリック伍長が茶化すと、それまで沈黙を保っていたミッツ軍曹が口を開けた。


「お前ら、ここはもう武装勢力の勢力圏内だ。俺たちはここにピクニックしに来てるんじゃないんだぞ。気を引き締めろ。それからヘリック伍長。部隊が認証したもの以外は銃につけるな」


 ピシャリと軍曹は言った。

 それに銃に対してもツッコミを入れてくるとは。


「あの、軍曹。質問をしてよろしいでしょうか?」

「言ってみろ、一等兵」

「我々はどこまで偵察に行くのでしょうか? 緩衝地帯は既に過ぎているはずです」

「そうだな……情報は共有しておいた方がいいな。実は一週間前に武装勢力が第三国から武器を密輸しているとの報告を受けた。我々の任務は武装勢力勢力圏深部への偵察だ。だが心配することはないぞ。何故なら我々は──」


 その時、自分は地上に人の姿を見た。誰かが馬に跨って疾走している。馬は二頭いて、並走しているようだ。自分はそれを報告しようと腹に力をいれかけた。


『──レーダー照射を受けている!?』


 ヘッドホン越しに聞こえてきた機長のその声に機内が一瞬しんとした。自分もさっき見たものを報告できなかった。誰もがその言葉の意味をどういう事なのか理解できなかったのだ。


「RPG! RPG! RPG視認! こっちに──」

『ブレイク!』


 ヘリが大きく揺れ、機内が喧騒に包まれる。ほどなくして、ヘリの後方から射出されたフレアに照らされながら、機を掠めるように上へ上っていく飛翔体をソラは見た。

 実際、それはRPG(無反動砲)ではなかった。正確に言うのであれば携帯型地対空(MPADS)誘導弾。誘導方法はパッシブ赤外線ホーミングであり、平たくいえば航空機のエンジンの熱を追尾する歩兵携帯式の対空ミサイルだ。しかしそんな事は搭乗する兵士たちに分かるはずもなかった。


「ソラ一等兵! 敵はどこだ!」

「9時方向!」

「ガンナー! 威嚇でいい! とにかくぶっぱなせ! 9時方向に撃ち方始め!」


 その言葉にヘルメットを被り直した機付き整備士が片側のスライドドアを開け、設置してあった機関銃を地面に向けてむやみやたらに撃ち始めた。


『メーデーメーデーメーデー! こちらソロモン1! ユニマタワー! 我は現在敵の対空火器に晒されている! 支援を要請する! 繰り返す──』


 ガンッと連続した嫌な音が聞こえたのはその時だった。


『機長─────ッ!!』


 その絶叫はおそらく副操縦士のもの。機体が揺れてソラは機体の壁に頭を打ち付ける。そしてコクピットに目を向けると、前面のガラスがひび割れ、機長が生気を感じさせないぐったりとした様子を晒している。


『アイハブコントロール! ユニマタワーへ! こちらソロモン1、機長が被弾した! 繰り返す機長が被弾! 現在正当防衛射撃中!』

「2時方向に対空機関砲を確認! 撃ってきている!」

「右ガンナー撃ち方始め!」


 連続する射撃音と硝煙の匂い。外から入り込んでくる凍てつく風は容赦なく兵士たちに吹き付ける。

 揺れる機内から外を見て、対空機関砲がチラリと見えた。キャタピラの付いた自走式の対空機関砲で、その銃身は重機関銃が可愛く思えるくらいに長大だった。おそらく発射される銃弾も30mmはあるように思えた。そしてその銃身の上では棒状の索敵レーダーがくるくると回転していた。


「高度を上げろ! 早く!」

『ダメだ! エンジン出力が上がらない!』

「──RPG!」


 それが最後の絶叫であった。直後聞こえたのは爆発音。何者かの手によって放たれたミサイルはその追尾性能によってヘリのメインローターの根元付近で近接信管を作動させ爆発。それによりヘリのローターはへし折れ、或いはぐにゃぐにゃになり、機は空を飛ぶ術も、安全に着陸する術も失い、不時着(ブラックホークダウン)した。


 視界が揺れる。音が聞こえずとも皆が口を開けて叫んでいるのが分かった。そしてある時、自分の体が機外に投げ出されるのが分かった。救いを求めるように、必死に手を伸ばす。しかしその手は何もない空をきるのみ。永遠にも思える時間は、しかし呆気なく終わった。


 まるで一度だけ瞬きをしてしまったような感覚であった。目を開けた時、ソラの目には自分の手が写っていた。地面にだらしなく投げ出されたような手である。

 先程までのことは夢だったのかもしれない、と思うのもつかの間。何かが燃える匂いと頬の冷たい感触が現実を冷酷に告げた。

 全身が痛い。立ち上がろうとすると骨が軋むようだった。

 雪に半分ほど埋まった体を立ち上がらせる。すると頭に被ったヘルメットから弱く鈍い感覚がした。見ると自分の頭の上にはヘリがあった。どうやら自分はヘリと地面との間の僅かな隙間にいるようだ。かろうじて自分の体を押しつぶさなかったというところ。

 雪とヘリの間から身を捩って出る。そしてよろめきながらも立ち上がると体から雪がパラパラと落ちた。


「ここは……」


 声が漏れた。

 そこはどこかの建物の中のようだった。立ち上がるときに手をついた床の感触は石か金属のように硬く冷たかった。コンクリートに近いが、それにしては滑らかな感触だった。

 何かのドームのような空間の入口にヘリはその半身を滑り込ませていた。

 天井は高く、この空間は薄暗い。照明の類はない。それにしては明るいと思うと、それはすぐそこにあった。


 なんなんだ、これは。


 声に出さず、心の中に留め置く。

 しかし目の前にあったものはあまりに異様だった。

 それはなにかの入口のように見えた。或いはそれは地獄の門だった。人の背丈の二倍はありそうな背丈の大きさの扉で、真ん中に線があることを見るに観音開きかコンビニの自動ドアのような感じなのだろう。しかし、その材質はこの場所の床と同じようにコンクリートとも金属ともつかない素材で、淡い青い線が無数にある。それはSF映画で見た宇宙人の宇宙船、或いは超古代の遺跡を思わせた。

 その扉の前までソラはよろよろと歩いていった。そしてその扉に触れようとする。


 だが、その時彼はハッとした。


「──そうだ……。みんなは」


 目の前のものが何なのかは気になるが、今はどうでもいい。とにかく今はみんなを探さなくてはならない。


 彼は背後のヘリへと振り向いた。自身の小銃が無くなっていることに気づいたのはその時だ。目の前の光景に圧倒されて、今の今までそんなことを気にする余裕がなかったのだ。おそらく落下の際に運悪く落ちてしまったのだろう。

 ヘリのドアは開け放たれており、その先にはキャビンがあった。しかし──


「──うっ……」


 ヘリの中は惨状と化していた。先程まで明るく会話していたはずのヘリック伍長は目を見開いて死んでおり、その近くでは一人の死体がもう一人の死体を貫くようにしており、おびただしい量の血が流れていた。頭から雪に突っ込んだらしいコクピットは潰れており、副操縦士の首はガラスで切り裂かれている。

 だがソラはそんな光景にふと違和感を覚えた。その瞬間──


──パンッ


 と何かが弾けるような音がした。


 キャビンから外に飛び出して見ると、雪原の中で数名のザナ軍人が膝をつかされ、それを囲うようにして大柄な獣人たちが立っていた。その中には瀕死の重症を負っているであろうザナ兵の姿も確認出来る。


 ソラは、頭から血を流して倒れているザナ軍人と、その傍らで拳銃を構える獣人の姿とを見て、何が起こっているのかを即座に理解した。

 膝をつかされているザナ軍人の中にはルシュール伍長とミッツ軍曹の姿もあった。しかし次の瞬間には彼らが握る大型の拳銃が火を噴き、ミッツ軍曹の頭が貫かれた。獣人たちは倒れたミッツ軍曹の髪の毛を掴んで強引に起こすと、その首にナイフを当てて切り始めた。それにザナ兵一人がたまらず短い悲鳴をあげる。兵士の一人が泣き叫びながら母を呼んだが、すぐに射殺された。頭を銃弾が貫通した瞬間に彼は物言わぬ骸となった。


 助けなくては──ッ! そう思った。しかし一人で勝てるのか? 勝てたとしてその後無事に離脱できるのか? 空はいつの間にか曇り始め、いつ更に悪化するかも分からない。そんな中で負傷兵を連れてこの場から脱出することは可能なのだろうか? そんな葛藤の中でソラができたのは、近くに転がっていた小銃を手に取るだけだった。

 SCAR-Hという名のついているその銃はドットサイトとマグニファイアが付いた特別仕様。間違いなくヘリック伍長のものだった。


「あ……」


 そんな時、ルシュール伍長と目が合った。そして、彼は小さく首を横に振った。


 ミッツ軍曹の首が切断され、獣人たちの歓声が上がった。彼らは、処刑を終えたあと、どう行動するだろうか? 簡単だ。このヘリを分解し、使えそうなパーツを剥ぎ取り、あるいは死んだ兵士たちの所持品を戦利品として盗むのだろう。ならばどちらにしろここにはあまり長く居られない。

 しかし諦めきることも出来なかった。その場に伏せて銃を構え、獣人に照準を合わせようとする。しかし手が震えてしまってうまく狙いが定まらない。それは寒さのせいか、それとも恐怖のせいか。その間にも一人、また一人と兵士たちは処刑されていき、残るはルシュール伍長ただ一人となっていた。

 ルシュール伍長の頭に銃口を突きつけている獣人は、明らかにその場にいる獣人たちのリーダーのように見えた。


 赤毛の狼の獣人で、高そうなコートを身にまとっている。冷徹な目をしていが、しかしその大きな口の端をにんまりと釣り上げていた。それがどうにもちぐはぐで、本能的な恐怖を湧き上がらせた。

 ルシュール伍長が、今度は口を動かしたのが見えた。


 に・げ・て、とその様に動いたような気がした。気がつけば涙が流れていた。でもそれでも逃げていい理由にはならなかった。仲間は助けなければならない。命を捨ててでも助けなければならない!

 照準が定まらないのもそのまま、トリガーに指を乗せ、そのまま力を込める。


「逃げて!!」


 ルシュール伍長が叫んだ。

──発砲。

 火薬の爆発により押し出された7.62mm小銃弾は銃口のライフリングで回転を開始し、発砲炎と共に白銀の銀世界へ撃ち出された。


 音速を超えた銃弾は、しかし何も無い雪に突っ込んで小さな粉雪を吹き上げるに留まってしまった。


「ぁ……あぁ……!」


 外した……? 外した? どうして? 射撃の腕は悪くなかったはず。なんで? なんで俺は外したんだ? なんで──ッ!


「あ……」


 赤毛の獣人の冷徹な瞳がこちらを見つめていた。それはなんというか、凄く恐い視線だった。自分のことをまるでそこら辺に転がっている小石か何かとでも考えるような目。自分の存在価値を根本から否定するようなもの。それは明らかに軍人が敵兵に向ける瞳ではなかった。


「──逃げるんだ一等兵!」


 ルシュール伍長の最後の叫び。乾いた音が彼の運命を告げた。


「おい、生き残りがいるぞ! 殺せ!」


 野太い獣人の声。それはあの赤毛の声ではなかった。その時にはもう走り出していた。走ってから自分が小銃しか持っていないことに気づいたが、もうどうしようもなかった。PKOの兵士である事を示す、目立つ青いヘルメットを投げ捨てて森の中へ逃げ込む。背後からは銃弾が雨のように流れてきていた。熱病にかかったような、奇妙な感覚だった。足元がおぼつかず、何度も転びそうになる。

 そうして何時間も走っているうちに山には雪が降り始める。


「はぁ……はあ……っ」


 否、もう走ってはいなかった。疲労と膝まで積もった雪、それらによって子どもが歩く速さより遅くしか進めない。

 辺りは真っ暗で何も見えない。空も分厚い雲に覆われているから月明かりもない。


「──ッ!?」


 ある時、不意に足元が消えた。暗闇と雪による足元の不安定さ。それらで自分が崖から落ちたのだと気づいた時にはもう遅かった。

 あるはずの足場が消えて前のめりに転ぶ。崖の岩に上半身をぶつけ、回転した体はそのまま何度もぶつかりながら最後は背中を地面に強打した。


「………………」


──静かな時間が流れる。


「……」


 降り続ける雪が顔に落ちては溶けていく。


「……」


 身体中が冷たい。いつしか溢れんばかりの涙が流れていた。


「……」


 情けない──


「……」


 自分は誰も助けられなかった。チャンスはあったのに、誰も助けられなかったのに、それなのに何故自分は泣いている?


「クソ……っ」


 嫌いだ。こんな自分は嫌いだ。

 だんだんと意識が薄くなっていくのを感じた。しかしそれは抗えないものだった。体の感覚がだんだんと鈍くなっていき、何も考えられなくなる。

 何かの影が見えたのはもう意識の糸が今にも切れそうな時だった。

 それは、狼だった。輪郭がひどくぼやけていたけど、それだけはわかった。自分はどうやら野生の動物に食べられて終わるらしい。


 でも、一度瞬きをすると、それは人の形に変わっていた。目が霞んでそれが誰なのかわからない。果たして現実かも分からない。もしかしたら、目の前の存在は天使とか女神の類かもしれない。


 その影が、頬に触れた気がした。

 温もりを感じ、遂には重い瞼を閉じた。


──死なないで……


 最期に、優しい声で、そう聞こえた気がした。

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