五話 世界に救いを
午後一時。
マエダエイジは自分の置かれた現状に対してため息を吐かずにはいられなかった。
「リタ。この服なんてどうですか!」
「ガビー。それかなり可愛いよ。似合うと思う」
「本当ですか? ではこれは買っちゃいますね! あ、このズボンはどうでしょう。どう思いますか。エイジ」
ガブリエラのテンションが異様に高い。初めて会議室で会った人と同一人物とは思えないほどだ。なんでも、彼女はこれまで研究や開発ばかりで女の子らしいモノを何も持っていないので、今日が死ぬほど楽しみだったらしい。
そんなガブリエラが持っていたのは青色のカーゴパンツだった。作業服をちょっとおしゃれにした、みたいな。
どうせ買うならもっとヒラヒラしたやつを買えばいいのにと思っても言わない気遣いができる男だった。
「いいと思う」
なぜかガブリエラは頬を膨らませていた。肯定したはずが、どうして。エイジには理解できなかった。
「適当に答えないでください」
「ええ……」
げんなりするエイジをよそに女子二人は服を選びにさらに店の奥に進んだ。
ショッピングモール。エイジたち三人は仲良くお買い物に興じているのである。なぜこんなことになったのか。原因は三日前、初めてガブリエラと会った日にある。
◆ ◆ ◆
自己紹介もそこそこに上司であるラインに命じられたのは任務までに準備をすることだった。向こうに行くと食料の調達も難しいかもしれない、誰か(エイジかガブリエラ)が怪我をするかもしれない。そういった事態にも対応できるように荷物を作る。期限は一週間。一週間後に出発だ。
これが指示だったはずだ。
「なんでここに……」
武器や物資の調達は政府の援助を受ければいい。頼めば大抵のものは手に入るだろう。準備と言ってもエイジがどこかに出向かう必要はない。せいぜい家の整理でもして過ごそうと考えていたところに今朝、ガブリエラから電話を寄こされた。
「大変なことになりましたエイジ。今すぐ牢屋に来てください」
エイジは緊急事態だと判断しすぐさま牢屋に向かった。昼食後にいつも行っているランニングを放棄してまで。
牢屋に着くと入り口のところでガブリエラとアムリタがいた。まずここでてっきりビルの中で会議でもすると思っていたエイジの頭に疑問符が浮かぶ。
元気よく手を振るガブリエラと気の抜けた表情で手を振るアムリタに迎えられ、エイジは車の中に案内された。
初運転だというガブリエラにどこに向かうか尋ねると「秘密です」とはぐらかされ、ここまで運ばれた。
「俺、来なくてよかったんじゃ」
エイジの悲痛な叫びは二人には届かない。
「帰ったらだめ」
服を吟味していたアムリタが突然エイジのほうに振り向き、深い釘を刺した。
「てかリタって俺の上司といるときは丁寧に喋ってたよな」
「目上の人間がいるときはそうする」
「あれが目上ねえ」
一応、位的には二人よりは上なのだがエイジにとっては気のいいおっさんでしかない。
アムリタとの会話を切り上げる。
特に欲しい服もないエイジはしばらく手持ち無沙汰だったので適当にモールを歩き回ることにした。
気が付くと随分子供が多くなっていた。おもちゃコーナーに来たみたいだ。
無邪気にはしゃいでいる彼らを見ていると本当に戦争なんて行われているのかエイジは疑問に思うことがある。成長した能力者は最前線に派遣されるようだが、エイジはそうならなかった。裏に回したほうが益があると上が判断したのだろう。
そのままおもちゃコーナーを通り過ぎようとすると、見覚えのあるフィギュアがあった。昔、エイジが好きだった特撮の怪獣のフィギュアだ。
ショーケースに顔を近づけて見てみると、造形がとても細かいことが分かった。作った人は相当こいつが好きなのだとわかる一品だ。
「お兄さん」
近くに女の子が来ていた。黒髪で、長袖長ズボンを着ていた。女の子としては普通の服装なのにエイジはどこか違和感を覚えた。
「どうしたの? お母さんとはぐれたの?」
「ううん。大人が一人でこんなとこにいるから変だと思っただけ」
「こういうの好きな人もいるからそういうことは言わないほうがいいよ。俺は別に好きじゃないけどね」
そういったものの、周りには一人でいる大人がいなかったので説得力皆無だ。
「そうなんだ」
女の子は興味がなさそうに呟いた。
「ところで君は一人なのかい?」
エイジは脅かさないように落ち着いた声で尋ねた。古今東西、男が女児に質問するときは丁寧でなければならない。
自分が一人だと言われたのでそのお返し、ではないけれど何となくした発言だった。
近くにあった安価なフィギュアを手に取りながら待っていたが、いくら待っても返事が来ない。
「どうした?」
棚に商品を戻し、女の子のほうに目を向けてみる。
女の子は俯いていた。何かを考えているようにも見える。
「もしかして、何かあったのか?」
子供の健康と安全を至願しているエイジにとって目の前の女の子が危機に陥っているのなら、それを見過ごすことはできない。
まずは何があったか聞くことが大切だ。
返答を待つ。言葉どころか目ぼしい反応すらない。口に出すことすら躊躇してしまうのだろか。
一分ほど待って少女の口元が動き始めたのと同時。
「ここにいた!」
声のしたほうには女が一人いた。こちらを、女の子を見て息を荒げている。焦っているようにも見えた。
「この子のお母さんですか?」
「そうなんですよ。この子ちょっと目を離したすきにどこかに行っちゃって……」
「子供は元気なのが一番ですよ」
「でも心配で。無事でよかったです」
「そうですね。では僕はこれで」
親がいるならその辺のお兄さんは用済みだろう。
エイジは腰を上げて立ち去ろうとした。心の中でフィギュア達に別れを告げ、隣にいた女の子が視界の端に映り込む。
上げた腰をエイジは再び下ろした。
「なあ。あんたこの子に何したんだ?」
女の子の肩が震えていた。どうみても母親に会えた娘の反応ではない。
エイジは女の子を見た。普通の女の子だった。
ようやく違和感の正体が判明した。女の子は手袋をつけていたのだ。別段寒くもないこの季節にわざわざ手袋なんてつけたがる子供がいるだろうか。少なくとも、エイジは見たことがなかった。
女はわずかに顔をゆがませた後、
「あんたには関係ない」
そう吐き捨てるように言った。
エイジは女を睨み、とびかかる勢いで立ち上がった。
殴ろう。
そう思った時には拳は固く握られ、女を照準に合わせていた。
「エイジ!」
拳は女の顔には触れなかった。振り返ればガブリエラとアムリタがいた。踏みとどまったのはガブリエラに声をかけられたから。
いや、違う。
銃声と悲鳴が聞こえたからだ。
「世界に救いを!」
「世界に救いを!」
「世界に救いを!」
銃を持った男たちの合唱が始まった。
人数は二十人ほど。彼らは皆一様にして白い装束を身に纏っている。
新興勢力、救世主だ。
「あいつら、こんな場所にまで……!」
「エ、エイジ。どどどどどうしますか?」
両手に提げた大量の買い物袋をガサガサと揺らしながらガブリエラが比較的落ち着いた口調で話しかける。普通の人間は頭を真っ白にして尻尾を撒いて逃げるだろう。
「買い物終わったのか。いいタイミングだな。とりあえず。あいつら全員止めよう」
「それがいい」
アムリタは言うなり、これまた大量の買い物袋を壁の方に投げて連中の方へ向かっていった。いつもののんびりした挙動ではなかった。
連中は弾丸を惜しむことなく銃火器をぶっぱなしている。口上はすべて「世界に救いを」だ。ふざけてる、とエイジは吐き捨てる。
「わ、私はどうしましょう……」
「戦える?」
「PC関係なら……」
「なら逃げる。早く!」
「は、はい!」
ガブリエラは荷物を置いて即座にその場から駆け出した。
気が付けばさっきの親子もいなくなっている。テロから避難したのか、エイジから逃げたのか。どっちにしろ女の子が無事であることを祈るばかりだ。
「なんだってこんなとこ」
テロはここ一年の間にすでに二回起きていた。一度目はニューヨークにあるFAO総合銀行。二度目はメリーランドの研究所。どちらも多くの人々が悲しむ出来事だった。
にも拘わらず、犯人は一人たりとも捕まっていない。すべて死亡したのだ。テロを起こして犠牲者の山を作ると奴らは自殺を決行する。
だが今回は違う。これまでのテロを受け、政府が民間にテロ対策の支援・指導を行い、どこでテロが起きてもいいように各地に武器と人員を配備した。
それにここにはエイジとアムリタがいる。能力者最強と名高い二人がいれば押さえつけられるのは時間の問題だ。
なぜ、という疑問は一度捨て去ってエイジは戦いに身を投じる。