二話 ずるはよくない
マエダエイジは政府に属する人間ということになっている。
主な仕事は暗殺。
対象は主に自由《F》能力《A》主義国《O》に敵対する人間。成功率は百パーセント。
必ずターゲットは始末する。ゆえに数名を除き彼の姿を知る者はいないが、噂は広がる。
殺人刃。
誰が言い始めたのか、その通り名だけが人々の間で広がっている。
いい年してこれは恥ずかしいなとエイジは普段から感じている。政府関係者だけならまだよかったが、なぜかこの呼び名は一般人にも知れ渡っている。一般人と言ってもある程度裏の世界になじみのある人間に限りはするが。
そんな殺人刃のプライベートはごく小市民的であった。
先ほどの上司からの電話を切ったその後、彼は街中を適当にぶらついていた。
マーケットや公園、モールをぶらぶらして和やかな市民の生活を眺める。これが彼にとって至高の時間だった
現在はこじんまりとした公園の端で石の上に座って玉蹴りに興じる子供たちを見て楽しんでいる。遊具も何もない公園だが周囲に何もないためボールがあらぬ方向に飛んで行っても、大声できゃいきゃい叫んでも苦情を言う無粋な大人はいない。
「これが子供のあるべき姿だよなあ」
うんうんとエイジは一人頷く。
発展途上の地域ではこういった光景が当たり前にあるのでエイジはよく訪れる。
高層ビルや大型集合住宅が立ち並ぶ都市部ではまずありえない。子供らしからぬ言動をとる子供のなんと多いことか。どういう教育をすればああなるのだとエイジは悲嘆することがよくある。
ボールは子供の群れを縫ってゴールに突き刺さる。これで三点連続得点だ。ワンサイドゲームだ。
「ちょっと、タロウ強すぎ!」
「ふふん。まあな!」
「そっちのチームから一人こっち来てよ」
「えーそれじゃ不幸平だよ」
どうやらタロウという少年の技術がかなり高いらしい。それでチームバランスについて話し合いが始まったようだ。
負けてるチームはいい試合がしたい、タロウのいるチームは優位を保ちたい。互いに譲りあうつもりはないようだ。
「もういい! じゃあこっちにも手があるから!」
「へえ、おもしれえ。見せてもらおうじゃねえか!」
交渉は決裂。
試合が再開する。負けていたチームからキックオフ。
コートの真ん中でチョン、とボールを触り、すぐ隣の金髪の少年が受け取る。少年はゴールを見据え、
「おりゃあ!」
間抜けな掛け声とともに蹴りだされたボールはかなりの勢いでゴールめがけて飛んでいく。とても子供が蹴りだした威力ではない。コートの外にいるエイジにまで風を切る音が聞こえた。
タロウチームの間を通り抜け、あまりの勢いに動くことすらできなかったキーパーの頬をかすめ、ボールはネットに飛び込んで、なんとそのまま破り切った。
勢いあまってボールは数メートルほど飛んでいき、その場にいた少年たちはみな呆然と立ち尽くした。
「おっしゃあ!」
「ナイスシュート!」
「ナイスナイス!」
初得点したことで、負けていたチームは全員で飛び上がって喜んだ。肩をくっつけあって円陣を組み「おー!」と掛け声まで上げている。三連続で点を決められていたことに対して溜まっていた不満が爆発したのだろう。
「ちょっと待て!」
タロウが叫んだ。
「え、何?」
得点した少年が振り返った。
「ダニエル、お前今能力使っただろ! ルール違反だ」
「使ってませーん。証拠でもあるの?」
「明らかにおかしかっただろうが! 反則!」
まあ、能力を使えばずるいだろうな。誰だってわかる。ダニエルとかいう少年もわかっていながらやったのだろう。
「は? え、それいつのこと? 何時何分何秒? 地球が何周回った時? いつですかー?」
「うっぜえええ!」
うっざ。
エイジは少年時代を思い出す。
ある日、学校のロッカーに入れていたプリンがなくなったことがあった。当然犯人探しを始めた。最初に疑ったのは当時仲の悪かった女子生徒だった。
疑ったというか、口の端に黄色いものが付いていたしエイジはそいつだと確信していた。エイジに協力していた他のみんなも「あーあまた始まった」と興味を失い始めた。
その時、その女子は言ったのだ。
「私がいつ食べたって言うの? 証拠は? 何時何分何秒? ねえ早く言いなさいよ」
その女子への怒りが再燃し、エイジはタロウに共感した。
「悔しかったらお前も能力使ってみろよ!」
へへーんとダニエルは仲間の元に戻る。
タロウは悔しそうに拳を握ってボールを拾いに行った。
エイジは何となく察した。おそらくタロウは能力を使えない。そもそも、この国では能力を使える絶対的な人口が少ない。
FAOでは六歳になったら特殊なヘッドギアで頭を覆われ、能力の適性があるか診断される。それに引っかかった子供だけが能力を開発されるようになる。確立にして一パーセント。その狭き門くぐった者だけが能力者となる。能力者になったとしても、使い物にならない出来損ないみたいな能力が宿ることもある。ダニエル少年のようにスポーツに利用できる能力ならまだいい方だ、
つまり、公平を維持するべきであるこの場においてダニエルは正真正銘のずるなのだ。
よし、とエイジは立ち上がった。
サッカーの経験はないが、運動能力はアスリートにも劣らないエイジなら能力を持っているとはいえ子供相手なら余裕で勝てる。
ダニエルはやりすぎた。タロウがあまりに不憫なので力になってやるか、とエイジは思ったのだ。
そのエイジの横を女が通り過ぎた。
長い金髪を振りまく、ジーンズと白いシャツという簡素な服装をした女だった。ちらりと見えた横顔だけで美人であることがエイジにも分かった。年齢はエイジとさほど変わらない。服装は平凡なのに元が良すぎて思わず見惚れてしまうほどだ。
サッカーは通常、白線でコートを仕切っている。テレビでやっている試合を見ればわかるだろう。選手たちはその中で最大限培った力を開放する。
ここではそんな立派なものはない。白線は透明となり、何となくという曖昧なものでコートを作る。
金髪美女は見えないはずのコートの線のすぐ外に立った。突然の大人の登場に少年たちは驚き、ボールを拾ってきたタロウも遅れて彼女に目を向ける。
「お姉さん誰?」
誰かが言った。
女はゆっくりとそいつのほうを見て、また視線を動かした。
「ダニエル君」
コートを何度か見渡すと、能力を使った少年に呼び掛けた。
「え、俺? あ、はい」
「ずるは、よくないよ」
ゆっくりとただそれだけ言った。叱るでもなく、小言を言うでもなく。
子供に何かを教えるときは何度も言い聞かせるか、迷惑する人がいるとか、そんなことを言うだろう。一番いいのはどうして駄目なのか論理的に説明することだ。その時はうざがられるだろうが、結局はそれが一番いい。
ダニエルもそういう一般的な環境で育ったはずだ。
その証拠にダニエルは面食らってしまっている。ずるはよくないなんて誰でもわかることを言われて戸惑っているのだろう。
そのダニエルに彼女は追い打ちをかけた。
「だから。私がタロウ君のチームに入る」
「あ、はい」
他の少年たちも特に反論することはなかった。
金髪美女が入り、試合は再開する。気づけばエイジは元の場所に座っていた。
タロウがキックオフを受け持ち、女がボールを持つ。
よくわからない展開になったが、少年たちはとりあえずサッカーを続けることを選んだらしい。全員でボールを持つ女にめがけて突っ込んでいった。五人くらいが一度に女に押し寄せる。小さな子供といえどあれを捌くのは至難の業だろう。
ところが、女は目にもとまらぬ速さで次々と少年たちを抜き去っていった。
「え、え?」
少年たちはあっけなく抜かれたことに驚いた。
さらに少年たちの波が押し寄せるが、これも楽々といった様子で女はするすると歩みを進める。
キーパーと一対一になり、シュート。ボールはネットの右上を貫いた。
「嘘だろ……」
どうなってんだ、と少年たちは静かに騒ぎ始めた。一応味方であるタロウたちも理解に及んでいないらしく、とりあえず喜びを表している。
「さあ、続けるよ」
女は言った。
エイジは再びワンサイドゲームを見る羽目になった。女がボールを持つと必ずゴールまでボールが転がる。ダニエルの能力は持続性がないらしく、圧倒的な技術を持つ女になす術もなく三点を奪われた。
タロウチームの少年たちは優位性を取り戻したと確信するや否や、
「おいおいそんなもんかよー」
「口ほどにもないな!」
と煽り始めた。
「よし」
エイジは立ち上がった。今度は通り過ぎる人はいなかった。
「俺も混ぜろ」
藁にもすがる思いだったのだろう。ダニエルチームはエイジを快く迎えた。
数分後、意気消沈していたダニエルチームに活気が戻った。
エイジが持ち前の運動神経を頼りにあっという間に三点取り返したのだ。
「おい、あんた。そんなもんか」
「今のは様子見。これからが本番」
そういった女ははったりではなく、もつれあいの末、エイジを躱して得点を決めた。負けじとエイジも女を抜いて得点を決める。
大人同士の戦いが始まり、少年たちはついていくのがやっとだったがそれでも参加しようと懸命に走り回った。
時にはタロウが技術を披露し、ダニエルが能力で蹴散らした。
仕事の時のエイジとは打って変わり、そこには体だけが大人の少年がいた。
ズボンのポケットの中で無神経な振動を感じた。
無視しようとも思ったが後がだるそうなので仕方なくエイジは電話に出た。
「はいもしもしこちら天才サッカープレイヤー」
『何言ってんだお前』
「楽しいとこなんだよ。要件があるならさっさとしてくれ。ダニエルパスだ!」
エイジは回ってきたボールをダニエルに向かって蹴った。
『のんきな野郎だ。そんなお前に悲しい知らせだ。マーダー・エッジの名に傷が入ったぞ』
「どういうことだ」
『さっきの連中に生き残りがいる。今わかったことだがな。追加の任務だ』
「めんどくせえな」
『報酬がなくてもいいのか? 生き残りの居場所を送る。そこに向かえ』
「はいよ。じゃあな」
電話を切った。
即座に位置情報が送られる。気は乗らないがやらないと報酬はないらしい。ため息を吐いてエイジは目を通す。その目が驚きに染まった。
「ここじゃねえか」
その直後だった。銃声がコートに響いた。
「ガキども! 動くんじゃねえ!」
エイジがいた石のすぐ近くに拳銃を持った男がエイジを睨む。体の大きな男だった。その男がちゃちな拳銃を持っている姿はあやふやな感じがしたが、状況は明白だった。
子供たちが危ない。