~最終幕~
鳥谷は右肘完全脱臼で手術を要する重傷を負った。道場の面々を含め、決戦を繰り広げた黒森も見舞いに来たが、彼女はずっと俯いて暗い表情をみせたままであった。崔などごく一部の親しい者へは「柔道を辞めたい」と漏らしてもいた。しかし治療にかかる半年を終え、彼女はある場所へ向かった――
「八木先生、申し訳ございません!!」
「………………」
八木のいる病室で溢れる涙を零し続けながら、鳥谷は恩師へお詫びした。
八木は思い悩みながらも、愛弟子へ温かく言葉を返した。
「惜しかったね。オリンピック出たかったね。でも、頑張ったじゃない。テレビで観ていたけど、貴女は本当に強かったわよ。それが何より嬉しかったなぁ……」
「先生……!」
「これから何をしても貴女の自由。でも何をするにしても後悔がないようにね」
八木の励ましを受けた鳥谷は奮起し、二足の草鞋を履きながらも、再び柔道の畳の上に戻った。しかし長いブランクを経た彼女は弱くなっていく。試しに出た試合でも、初戦であたった高校生に負けを許した。相手が大会で好成績を残している存在だったとはいえ、第一線での活躍は望めそうになくなった。
一方でアメリカ、フェニックス五輪に出場した黒森は決勝戦で、まさかの反則負けを喫した。一応銀メダルに輝いた彼女であったが、その決勝における結果は本人にとって恥ずべき結果に他ならなかった。日本に帰国後、鳥谷から励ましを受けるも、若くして現役引退を表明した。メディアによる過熱報道がその決断を促したとも言われている。
鳥谷にとって激動であった1995年・1996年が過ぎて、彼女は高校教師として教鞭をとるようになった。またその頃になって崔は日本国籍をとり、名を鳥谷道鎮とした。その流れで二人は入籍、娘を授かる事になる。鳥谷はそれから熊本県の私立高校で長年にわたって教師として務めたが、1997年の年明け、八木が退院したとの知らせを受けて東京に向かった。
三ツ橋海上柔道部の計らいで八木が好む温泉旅行に随行する事となる。そこで八木が挨拶する際に、思わぬサプライズがあった。
「鳥谷碧さん、前に出ておいで!」
「え? はい」
「この子がね……本当にやんちゃな不良少女だったの。学校から恐れられてね、忌み嫌われている子だった……でも、今その子が高校の先生になって、母親にもなったのですよ! 私はそれが凄く嬉しくて……」
八木は彼女よりも大きな鳥谷に泣いて縋りついた。鳥谷ももらい泣きをした。八木にとって鳥谷は愛弟子であれば、娘であった。鳥谷にとっても八木は恩師であり、母であった。
青木元総監督がビデオカメラに八木と鳥谷を映す。
涙が枯れた2人は仲良くカラオケで美空ひばりの「柔」をデュエットで歌う。それは八木にとっても、鳥谷にとっても、最高の瞬間に他ならなかった。
この翌月、八木は天国へと旅立った――
それから何年もの年月が流れて鳥谷は八木の墓前にいた。
「先生、先生と私が出会ったときの先生の歳に私もなりましたよ。今日は先生にご報告することがございます。私、鳥谷碧は先生と出会った市川女子一心高校の教師となることが決まりました。長らく……柔道とは遠ざかっていますけども、私が先生に見出されたように、私も可能性を伸ばせる子供を見つけにいきたいと思います。先生、どうか見守ってください……!!」
鳥谷は深々と礼をした。そして彼女は凛として雲一つない青空を眺めた――